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 西暦2036年6月中旬

 グラン・エトルアリアス共和国本島

 エトルアリアス要塞 -アンヘリック・イーリオン- 総統執務室での記憶


 西暦2035年5月。世界を騒がせ続けた〈リナリアの怪異事件〉が解決を迎えてからおよそ1か月が経過したあの日、私は衛星から映し出される光学映像とメディアが映し出すニュース映像を並行して眺めていた。

 世界中のメディアが嬉々として事件解決の報道を続ける中、そのことを誰よりも冷めた目で見やっていたと思う。

 シルフィーが作ってくれたスナギツネを象ったぬいぐるみの頭を優しく撫でつつ、きっとそのぬいぐるみと同じような表情をしていたに違いない。



 なんと面倒くさいことが起きてしまったのか。



 国家の希望、国家の未来、光の王妃と謳われた清廉なる少女。

 世界七不思議と呼ばれる事件の中心にいたのは紛れもなくイベリスだ。

 リナリアの怪異事件の解決とはつまり、彼女の魂が理想的な形で救済の日を迎えたことを意味している。

 言い換えると、〈救済を迎えた〉というのは島に縛られていた魂が自由を得て世界へ放たれたということを示し、要するに“イベリスの魂が島の外へ出た”ことを指す。

 それは私達リナリア公国出身の人間にとっては何物にも代えがたいほどに重大な懸念であり、次の二つの問題を示す材料ともなった。


 まず一つ目として、彼女の魂を解き放つ為に絶対必要であった〈要素〉がこの世界に存在することが確認されたこと。

 二つ目は彼女が島から連れ出されたということが、私達の計画に大きな影響を及ぼしかねないこと。


 大きな溜息を吐きつつ、ふわふわの椅子の背もたれに身を沈め天井を眺める。


「大好きな彼が島を訪れた……か。何とはなしに知覚してはいたけれど。レナト、貴方も“そこ”にいるのね?」


 リナリアの怪異を解決する手段。イベリスの魂を解放する条件など実に単純なものだ。

 彼女が死んで尚も願い続けた祈りはただ一つ。


 もう一度、最愛の彼に会いたい


 ただそれだけだ。

 つまり、最愛の人であるレナトが彼女の元へ辿り着けば良い。

 呆れた願いの為に千年もの時を待ち続ける一途さには感服するし、千年もの長きに渡って願いを諦めずにいた信念には敬意を表しさえしよう。

 いや、執念というべきか。私からすれば暇人のすることとしか言いようがない。ご苦労なことである。


 そもそも恋人であったレナトが死している時点で、本来であれば彼女の願いが叶うことなど万年を通じても有り得ないはずでった。


 ……のはずであったのに、まさかそんな空想の中の空想のようなおとぎ話が実現されてしまうとは。

 運命などという言葉で一連の出来事を表すならば、その運命の糸を操る神様というものも存外に暇なのだと思う。

 およそ千年前に存在した人物が本人の姿のまま現代に生き残るなど普通は有り得ない。私達のような例外を除いて“普通は”。繰り返すが、“普通は”有り得ない。

 であるならば、普通ではない例外が起きたことになる。百歩も千歩も譲って可能性として考えられるのは、彼の魂を連綿と受け継いだ〈生まれ変わり〉たる誰かさんがあの島を訪れたことであろう。


 可能性などと言ったが、そんな奇跡のような存在が都合よく現れるものだろうか?ないない。

 いや、仮に存在していたとして、広い世界の中からそのような素質を持つたった1人の特定人物がリナリア島を訪れる確率とはいかほどのものか。

 ないない、普通は!!


 では、逆に考えてみよう。

 イベリスにとって唯一無二の存在であるレナトの生まれ変わりが現れることを予知し、彼を見つけ、彼女に会いに行くように仕向ける……

 そのような、大海に投げ込んだ一粒の米を掴み取るほどに難しい難題を容易く成し遂げられる人物は存在するのか?存在するとすれば一体誰なのか。

 業腹ながら、そこから導き出される答えの方が私にとっては簡単であった。



「誰の差し金か、などと考えるのも愚かしいわね。マリア、貴女は何を企んでいるのかしら」



 国際連盟 機密保安局。

 世界で唯一、このような有り得ない事例を“有り得る”に変えられる存在。

 政治の裏世界で暗躍を続ける“灰色の枢機卿”。


 にしても、世界の頂点に立つ機関の重鎮が、このようなくだらない些事の為にわざわざ多大な労力を割いたなどと……

 しかも、マリアがレナトとイベリスの再会を喜んで手助けする理由などないはずだ。なぜなら、マリアとイベリスは親友であったと同時に、レナトを巡る恋敵でもあったのだから。

 というわけで、ますます意味が分からない。


 考え事を重ねる私が相も変わらずスナギツネと同じ表情をしているのは、このような想像を絶する〈意味のわからなさ〉に起因している。



 考えることをやめよう。

 それより、膨大な年月をかけて解決し得なかった怪奇現象の解決を果たしたのが誰だったのかについて少し紐解いて振り返ることにしよう。

 事件を解決に導いたのは、とある国際機関に所属する調査チームであった。


 とある国際機関とは〈世界特殊事象研究機構〉を指す。

 彼らは最先端科学技術の粋を結集した数々の災害支援機材や環境調査機材を所有し、日夜を通じて異常気象や災害が発生しないかを監視する他、依頼があれば怪奇現象調査まで引き受けるという、言ってみれば〈何でも屋〉という側面も持つ。

 2031年末にハンガリーで開催された国連総会において、国際連盟や世界各国の要望に応じてオブザーバーとして参加し、数十万人規模での難民受け入れを表明したことも記憶に新しい。


 古い歴史がある国際機関というわけでもないのだが、もはや世界中の国々にとっては彼らという存在は無ければ不安を抱いてしまうほどに当たり前のものであり、各国にとっては彼らのシンボルである“神が全てを視通す目”と呼ばれる〈プロヴィデンスの目〉をモチーフとしたマークが存在するというだけで“心の拠り所のひとつになっている”のも事実であるだろう。


 では、どうして彼らが事件に関与する羽目になったのかについて振り返ろう。

 話しは事件解決よりも少し前に遡る。

 機構がリナリアの怪異の調査実施を公表したのは今から半年ほど前のことであった。

 察するに“具体的な依頼”というものはその数か月前には舞い込んでいたのだろうが、覚悟を決めて『調査に取り組む』と公表したのが半年前だったのだと思う。

 当時、この決定には世界中の国々から関心が寄せられ、連日メディアが大々的に喧伝するなど大いに盛り上がりも見せていた。


 ここで、さらに話を遡る。

 世界にとって頼るべき最後の砦とも言える彼ら機構が重たい腰を上げる前、世間を賑わせるとある事件が起きた。

 今から1年前の西暦2034年5月。怪奇現象の目撃や発生が多発していたリナリア海域に対し、周辺諸国からの陳情に応じた国際連盟が主体となって、大規模な調査活動を行った時のことだ。


 大規模な調査活動に際してまず、国際連盟は陳情を寄せた国を筆頭として世界各国から正規軍所属の海軍艦艇を借り受け調査部隊を編成することから始めた。

 その編成された艦隊を指揮したのはハワード・ウェイクフィールド大佐という男である。アメリカ海軍叩き上げの実に優秀な艦長であり、同時に素晴らしい指揮官であった。

 ウェイクフィールド大佐が率いる国連調査艦隊は意気揚々とリナリア島怪奇現象調査に向けて出発するのだが……快晴の中で順調に進行していたかに思えた調査活動中、彼らは悲劇に見舞われる。

 道中に視界の一切を阻む謎の霧が発生し、艦の電子系統は謎のエラーによってシステムダウン。慣性航行中に制御不能となった艦船同士が衝突沈没するという事故が発生したのだ。

 死傷者こそ出なかったものの、この事故を受けて調査活動は当然中止され、彼らは何を成し遂げるでもなく活動に終止符を打たれることとなった。


 だが、突き詰めて彼らにとっての本当の問題とは、突如発生した霧でも艦船同士の衝突による沈没事故でもなかった。

 彼らが活動中に目撃した〈亡霊〉こそが大きな問題であったのだ。

 国連上層部によって一切の緘口令が敷かれた為、外部へ情報が漏れることはなかったが、艦船に搭乗し調査活動に従事していたほぼ全ての者が〈少女の亡霊〉を目撃したと口を揃えたという。

 彼らは事件解決に対して、対外的に公表できるような明確な成果こそ挙げることは出来なかったが、事実として〈超常的な怪異、亡霊、幽霊の類があの島には存在する〉という実証を得てしまったのである。


 分かるだろうか。

 現実世界に存在しないはずの〈超常的な怪異と亡霊が存在する〉実証を得たということは即ち、国際連盟ほどの機関でも〈問題解決は不可能である〉ということの証明であり、次に調査を行うべき組織としてどこが適任となるのかが決まったも同然という事実に。

 白羽の矢が立った先は言うまでもない。もちろん世界特殊事象研究機構だ。世界において彼ら以外に問題を解決できる可能性を持った国際機関は“他に存在しない”のだから。

 国際連盟が肝入りで送り込んだ調査艦隊が何も出来ずに引き返して来た上〈超常現象が起きている事実がある〉などという事実を踏まえて依頼をされたならば、機構としても断ろうにも断れない状況が生まれることを意味する。


 そもそも、国連の大規模調査艦隊による遠征調査は国連総会において正式な手順を経て決定されたものでもなかった。

 失敗すると分かり切っている調査計画を持ち出して実行し、どうにもできないことを証明してみせた上で機構が関与せざるを得ない状況を生み出す。


 そのような回りくどく、且つ強権的なやり方が実現出来るのは、世界において“マリアだけ”なのである。


 なぜそこまでしてリナリア島の問題解決に意欲的だったのか。

 繰り返し“意味が分からない”という感想意外浮かんでこないが、機構が事件に関与して解決に導くまでのこうした過程を考えた時、何をどう順序だてても“マリアの関与があった”と考えざるを得ない。


 何の為に?

 例えば、私達の計画を邪魔する為の布石として……なぁんて、ね。


 それはそれとして、機構が調査に乗り出すことを公表してから間もなく、現地調査を実施した彼らは『怪異は完全に解決を見た』と発表して今に至る。


 次に事件解決に際して、機構から現地に送り込まれた調査チームのことについても振り返っておこう。

 その調査チームとは、大西洋方面司令 セントラル1-マルクト-に所属するマークת(タヴ)と呼ばれる4人組の小隊であった。


 小隊のリーダーである、ジョシュア・ブライアン大尉。

 機構における技術開発等の第一人者、ルーカス・アメルハウザー三等准尉。

 ハンガリーでの一件後に機構入りを果たした、フロリアン・ヘンネフェルト一等隊員。

 そして、リナリア島の怪異解決の鍵となる、姫埜 玲那斗 少尉。リナリア公国の王として戴冠するはずであった、レナト・サンタクルス・ヒメノの生まれ変わり。


 彼らの活躍によって、少女の亡霊は島から姿を消す-外界へ連れ出される-こととなった。


 尚、私には一切関係のない話だが、リナリアの怪異解決に際して多大な貢献が認められたとかなんとかで、姫埜少尉は晴れて中尉へ昇進したらしい。

 おめでとう。

 これもイベリスのおかげである。怪奇現象を起こしてでも旦那の地位向上を目指す。出来る妻は違うということだ。ないない。


 ここまでがリナリアの怪異事件解決に関するシナリオの全てだ。




 マリアの意図。イベリスの解放が示す意味。


 答えの出ない考えで頭が満たされ、意識はぼうっとしたまま。

 どこに焦点を合わせるでもない視線が宙を泳ぎ続ける。

 ただ漠然とメディアが流し続ける事件解決の報道を眺める中、ふとホログラムモニターに映し出された美しい島に目を惹かれた。


 私はその島のことを誰よりもよく知っている。

 北大西洋上に浮かぶ円形の孤島、〈リナリア島〉。私にとっての故郷。


 今となってはグラン・エトルアリアス共和国こそが自身にとっての故郷というべき場所に落ち着いているが、それはそれ、これはこれだ。

 生まれ付いて歩んだ人生の真実は変えようにも変えることが出来ない。

 美しい島の景色を眺めていると、やはりというか……ふいに頭の中に彼女の姿が浮かんでくる。


「はぁ……千年の夢から醒めて、微睡から救い上げられた光の王妃様。貴女は、今のこの世界を見て何を思うのかしらね?どう?美しいと思うかしら?」


 戦争に明け暮れるばかりで、千年を経ても何一つ変わろうとしなかった世界を見てイベリスは何を思うのだろうか。

 人が保ち続けたものは我欲という醜悪な心の在り方。人が失ったものは美しい自然も含めて数知れない。


 私は、私の中でぼうっとしているアンジェリカの気持ちを代弁した。


「国の未来、希望、道標。貴女はいつだってそんな言葉で飾り立てられていたっけ?人の可能性が時代を作るなどとほざいていたこともあったかしら。そんな“可能性の結果”が今の世界よ。今にして思えば実に滑稽なことだわ。バカみたい。いえ、貴女はバカそのものだった」

 私が罵りの言葉を呟いた時、私の中でアンジェリカが反応した。


『イベリス?やーぃ、ばーかばーか><』


 そうね、そうに違いないわ。


 私の視線は極めて鋭く、ホログラムモニターを貫き、彼女の魂がこの世界に完全な形で解き放たれたという事実にさらに苛立ちを覚えて冷たさを増した。


「“悪意をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に応じず、祝福を以って彼の者に報うがよい。貴方がたが召されるのは祝福を継ぐ為である。

 生命を愛し、幸福なる日々を過ごそうと願う者は、舌を制して悪を述べず、唇を閉ざして偽りを語らず、罪を避けて善を成し、平和を求めてこれを追え”」 


 ペテロによる第一の手紙 第3章9節から11節を引用して私は言う。


「けれどけれども。清廉なる人、イベリス。やはり私には貴女の在り方が、考え方が理解できない。出来るはずがない」


 アンジェリカがどう思っていたのかは分からない。

 ただ、そう……私はそのような絵空事を平然と信じ続けられるイベリスという存在が大嫌いだった。

 恨めしい、恨めしい、恨めしい。


 恵まれたからこそできる思考。

 恵まれていたからこそ持ち得る心のゆとり。

 恵まれていたものだからこそ口にできる“綺麗ごと”。


 どうしていつもいつもいつもいつも、貴女だけが、貴女ばかりが。

 どうしてこの子ではなく、貴女だったの?



 苛立ちが募りゆく中、頭の中で今まで繰り返し思考したことが、さらに速度を増して思考の渦を作り巡っていく。


 国際連盟による大規模な調査活動の失敗。

 世界特殊事象研究機構の特定のチームによる調査活動の実施と成功。


 マリアによる計略。

 イベリスの魂の解放。


 自分にとって、これら全てが質の悪い運命の悪戯であるとすら思う。


 何より、マリアはどうして彼女を……


 マリアにとっての理由など知る由も無いが、仮説を唱えるのならば彼女自身の〈野望〉の為であると推察するのがやはり妥当だろう。

 間違っても親友であったイベリスとの再会を第一に望んだ結果ではないだろうし、彼女の願いを叶える為のお膳立てをしたわけでもないと考えている。

 繰り返すが、マリアにとってイベリスは初恋における恋敵なのだから。


 

 私には到底理解の及ばない感情ではあるが、当時幼かったマリアもイベリスと同じ人物に恋をしていたらしいことくらいは知っている。


 その人物とは言うまでもない。〈レナト・サンタクルス・ヒメノ〉である。


 リナリア公国における財政管理を担っていたサンタクルス家の令息であり、次期国王に立てられた人物。

 彼とイベリスとマリアは、連日のように3人一緒に連れ立って遊ぶ親友同士であった。そして、イベリスとマリアは双方ともにレナトに対して分かりやすい恋心を抱いていた。

 ただ、その恋の行方がどうであったかなど今さら言うに及ばず、レナトとイベリスは当時の王政の中で互いに許婚として正式に婚約を果たすに至る。

 つまり表向きは政略結婚という体裁であっても、2人は紛れもない純愛の末に結ばれた仲であったということだ。


 となれば当然、レナトに淡い恋心を抱き続けたマリアは本当の意味で立場が無い。

 私の見立てではイベリスは彼女の心の内に気付いていたと思う。気付いていながらも気付かない振りをした。

 誰よりも清らかであったはずの人物の、実に人間らしく醜い行い。

 清廉なる次期王妃様の秘め事とは、友の気持ちに最期まで気付かない振りをしたことである。

 だからこそ、マリアとイベリスの互いの関係も日を追うごとにぎくしゃくしたものになっていったのだろう。

 レナトとイベリスの婚約が正式発表されて以後、風の噂も手伝ってマリアとイベリスの間で極端に会話が減ったことなどを私は知っている。

 だが、これは別にマリアがイベリスの不義に対して不満を抱いたなどという次元の低い話ではない。むしろマリアは親友2人の将来を思って“自ら身を引き遠慮を示し、2人の仲を祝福した”のである。


 言うのも癪に障るが、マリアは人類という枠組みの中で間違いなく最上級に理想的な人間である。

 容姿や性格、知性など目に見えるものはもちろんのこと、秘めた才覚や誰もが気にしないような細かい心配りに至るまで、その何もかもが。

〈マリア〉という名前が示す通り、光の王妃と呼ばれたイベリスに匹敵する“唯一無二”の存在。まるで聖書に語られる聖母であるかの如く。

 彼女は完璧であるが故に王妃という立場を背負ったイベリスの前で出過ぎた真似もせず、不満も示さず、自らの本心を心の内に仕舞い込み、彼女に対して心の底から祝福を贈るような健気な少女でもあった。

 だが、結果としてそのような気配りがかえって災いし、マリアとイベリスの仲はぎくしゃくしたものとなってしまったのだ。

 故に断じることが出来る。マリアが強権による計画を通じて、イベリスの願いを叶えるお膳立てをしたのは“決して彼女の為を思ってのことではない”と。

 そうした道の果てとして、最終的に〈あのような悲劇〉が起き、千年を越えた今になって亡霊のような、或いは怨念のようなものを残す結果へ繋がったと考えると、いやはや……


 私個人としては大変に面白、いや、今は慎もう。

 何せ、状況としてはグラン・エトルアリアス共和国のこれからを左右しかねない出来事だ。

 全てがマリアの計略であることは明白であるが、その意図を汲み取ることが出来ない以上は余裕を以って嘲笑で返すことも出来ない。


 ……それにしても。


「貴女も、まったくもって自業自得ね。遠い昔に死んだことも、今さら親友に怨念返しされてしまうことも。それと、やっぱり私には理解できない。ねぇ、イベリス。貴女の言う、〈愛〉ってなぁに?」


 見下すような目つきでモニターの映像を眺めながら、彼女へ届かぬ問いを言う。

 音声もなく、光の明滅だけを映し出すモニターをしばらく睨みつけるように凝視していたが、ふと自分の行為に意味の無さを感じ、考え事に飽きてしまったことも相まってモニターの明かりを消した。


 柔らかい椅子の背もたれに、さらに身を預けて深く沈み込む。

 もはや考えることは止め、ゆっくりと眼を閉じようとした瞬間、扉の方から聞き慣れた親しみある低い声が聞こえてきた。


「“主の眼差しは義人達に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし、主の尊顔は悪を為すものに対して向かう。

 そこでもし、貴方がたが善に熱心であるならば、誰が貴方がたに危害を加えようか”」


 ペテロによる第一の手紙 第3章12節から13節の引用句。そんな気の利いた言葉を即座に口にできる人物など限られたものだ。特にこの場においては。


「リカルド、いつからそこにいたの?」

 言いながら、私は自身の表情が幾分か明るくなるのを自覚した。

「失礼ながら、貴女様がペテロの手紙を口に出された辺りからずっと」

「気にしないわ。貴方ならね?」

 微笑みを返し、指をパチンと弾いて部屋の照明を灯す。間もなく、橙色の柔らかな光が室内を包み、黄金の装飾が輝く高貴な内装が露わとなった。

 リカルドは静かに私に歩み寄りながら、平伏するように首を垂れて言った。「有り難きお言葉、恐れ入ります」


 まったく律儀な人。そうまでして忠誠を示さなくても私には分かっているのよ?

 貴方は決して私を裏切ったりしない。自身の快楽の為に生きるあの子や、自身の研究の為に生きるあの子、そして情に流されたら判断を誤るだろうあの子達とは違うのだから。


「そんなに改まらなくて良いわよ。それよりさっきの映像、見たでしょう?こんな形であの子の魂が現世に解放されるだなんて。よりにもよって、一番面倒くさい〈彼の魂〉がこの世界に存在することも断定されてしまった」

「確かイベリスと言いましたか。そしてレナト。リナリア公国にまつわるお二方の魂。それらがアンジェリカ様の目標に対して不利に働くと?」

「誠に遺憾ながら」

 半分ふざけた口調で言い、小さく息を漏らし続ける。

「考えてもみなさい。イベリスは千年もの間、あの島に留まり続けて近付くもの全てを排除し続けてきた化物よ?光の全てを操る異能を持ち、衛星から観測できる島そのものの位置を誤認させるようなトリッキーなことまでしでかして、ただただ一人の男の為だけに千年もの時を待ち続けた異常者。執念深さは折り紙付き。あぁいうのをヤンデレっていうのかしらね?」

「ははは、珍しく酷い言い様ですな。余程思うところがあると見ました」

「気に入らないの。端的に、はっきりと言って」

「光の王妃、でしたか。国民の全てから羨望と憧憬の眼差しを浴びせられた悲劇の少女。双肩に抱えるにはあまりにも重すぎる責務と宿命でもあったでしょうが、生まれついて恵まれた人物でもあったということは理解が及びます。差し出がましいことですが、貴女様が彼女を毛嫌いする理由も想像に難くありません」

「そうね。それと、私達があの子と同じ立場に立っていたとしたら別の意味で耐えられなかったでしょうね」

「いいえ、いいえ。決してそのようなことは。貴女様は立派に国を治めておいでです。我らのような寄り集まりの国家を、大国に匹敵するほどの国に育て上げた方が何をおっしゃるのですか」

「耐えられないと言っている私の本心を、貴方は否定するの?」

「滅相もございませぬ。私はただ、否定しようのない絶対の事実を申し上げているに過ぎません。貴女様が真に耐えられないと言うのは、双肩にかかる立場による重責などではなく、好みもしない役回りを他者から“押し付けられること”にあると存じていますが故」


 分かっているわよ。そのくらい。

 あまりに律儀に忠誠を示す彼に、自身の器の小ささに対する引け目を感じるのもこれが初めてではない。

 あぁ、なんて……


「……ごめんなさい、冗談よ。ただ、貴方達はみんなそう言ってくれるけど、私には実感などないの。ただ必要なことをやっていたらこうなっていたというだけ」

「それでも、にございます。私の父、祖父、さらに曾祖父の代から連綿と続く国家の礎を貴女は築かれた。今のわたくしめの言葉に偽りはなく、それはシルフィー達やアビガイルに至っても同様でしょう。我らテミスは皆がそう考えております。いえ、グラン・エトルアリアス共和国に生きる国民の全てがきっとそのように」

「そう、結構なことだわ」


 私は例外が混ざっていることを念頭に、憂鬱そうな表情を浮かべて見せてから再び椅子の背もたれに身を預けた。

 私が意図的に見せた表情をに気付いた様子のリカルドは、近くにある椅子に腰を下ろし一息ついて言う。


「リナリアの怪異。ようやく解決の日の目をみたことで世界中のメディアは実に慌ただしいものです」

 話題の逸らし方も秀逸。この男は出来る。

「当然よ。遠い昔から船舶遭難事故は絶えず、近代に入ってからも航空機消失事件など枚挙に遑がないほどだもの。それらが解消されたとなれば、世界経済に与える影響も決して小さなものではない」

「同感です。それと個人的に気になることがございます。怪異を語る上で特筆すべきこと。数え切れぬほど多くの事件が起きていますが、事件や事故の全てで遭難者の無事は確認されており……」

 リカルドが言いかけた言葉を引き取る。

「ただの1人も死者がいない」

「はい」

「イベリスならそうするでしょうね。器用なものだわ」

「王妃たる器はお持ちのようで」

「でなければ誰も憧憬の眼差しを浴びせたりしないわ」

「如何にも」

 なるほど、そういうことか。

 私は思わずふっと笑いながらリカルドに問う。

「気を使ってくれているのね?ありがとう」

「いえ、このような些事、お褒め頂くほどのことでは」

「そういう謙遜も度が過ぎると無礼よ?弁えなさい」

「はっ。失礼いたしました。お言葉は有り難く頂戴いたします」


 言葉こそ厳しいものだったと思うが、私にしては実に穏やかな口調であった。島外では、他の誰にも見せたことがないような柔らかな笑みを浮かべていることを自覚している。


「ところで、わざわざここまで来たということは何か私達に報告があったのでしょう?」

 戯れもほどほどにしなければ。本題に辿り着くまで随分長い時間をかけさせてしまったことを内心で詫びた。

 だが、当のリカルド本人はまるで気にする様子も無く淡々と目的の話を始める。

「例のイベリスと言う少女についてです。どうやら彼女はそのまま機構の一員として在籍することになりそうだと、先ほど機構の彼女より報告が入りました」

「確定なの?」

「はい。既にプロヴィデンスにイベリスという少女の生体データ登録が為されているとのこと」

 リカルドは受領したデータを表示したデバイスをアンジェリーナへと手渡す。

 画面にさっと目を通したアンジェリーナはすぐにリカルドへとデバイスを戻した。

「素晴らしい仕事の早さね」

「それは機構に対してのお言葉でしょうか、それとも彼女に対しての?」

「双方ともに、と言いたいところだけれど、どちらかというとあの子に対してね」

「彼女はよくやってくれています。おかげで機構の機密情報へのアクセスも容易なものです」

「元々私達のものでしょう?それより、あの子。元気かしら?」遠くを見るように天井を見上げながら呟く。

「心配には及びません。元気にやっていなければ、このような情報を送ってくることもないでしょうから」

 リカルドの物言いを耳にして、私は視線を彼に向け直して笑いながら言った。

「それもそうね?」


 私の表情を見たリカルドは安堵の表情を浮かべつつ、ある問い掛けをしてきた。

「アンジェリカ様、恐れながら質問をさせてください」

 少し疲れた。事務的な報告は終わったのでしょうし、ここからはアンジェリカに交代してもらおうかしら。

『いいともぉ~☆』


 えぇ、よろしくね。


 私は満面の笑みを湛えてリカルドに言う。

「何なりと~☆言ってみるが良い良い☆貴方の質問にならー、何でも答えちゃう♪」

 リカルドは私達のどちらが表に出ているかで多少接し方を変えている節がある。

 どちらの人格に対してどのように接するべきか、弁えているということだろう。

 リカルドは今の私が明確に〈アンジェリカ〉であると把握した上で質問を述べた。

「貴女が先程おっしゃっていた王家の守護石というくだりがどうにも気になりまして。宜しければ詳しくお聞かせ願えないかと」

「盗み聞きは~、めっ!なんだよ?^^でも良いよ☆全部教えてあげちゃう。なぜなら私は全てを知っているのだから♪」


 今の私がもしアンジェリーナであったなら、このような問い方はしないはずだ。

 そういう気の利かせ方は非常に好感が持てる。出来る男はやはり違う、と。


 私が次に言う言葉を待ち、静かに耳を傾けるリカルドに守護石のことを聞かせた。


「簡単に言っちゃうとぉ、王家の中で、正式に王とその妃となる人だけが持つことを許される証みたいなものなんだなー。当時はイベリスの父親と母親がもっていたはずぅ。


 だから、さっきの場合だとこの石を引き継ぐのはレナトとイベリスの2人であり、持つことを許されるのも2人であり、言い換えるとそれがあることによって2人は明確にリナリア公国の王と王妃であることが証明されるというわけ☆


 石は今風に言えばネックレス、古風に言えば首飾りとして加工されたもの。二つに分けられてはいるんだけど元々はひとつの石でね?繋ぎ合わせるとリナリア公国の国章が完成するんだなー、これが☆綺麗綺麗。


 国花であるリナリアの花と、公国七貴族の内の六家を示す6つの星が示され、星に囲まれた紋章の中央にそれぞれ太陽と月が描かれている。

 この太陽と月が半分ずつ描かれたマークが残りの一家である〈王家〉を示すんだよ☆

 それでそれで、月の紋章が描かれた右半分とー、太陽の紋章が描かれた左半分。これをレナトとイベリスが婚姻の儀のときに当時の王、つまりイベリスの父親から譲り受けたってわけ☆


 レナトは月の紋章を、イベリスは太陽の紋章をもらったの。

 石はあらゆる災厄を跳ね除け、約束された安寧の未来を示すと言われてはいたけれど……それが嘘っぱちであったことはちょっと置いておこう。

 だって国は滅びちゃうし、2人の結婚は消えちゃうしで良いことなかったもんね?


 ただ、そうは言っても2人にとって究極の守護石であることに変わりはなくぅ。

 もとい、千年の時を越えてもそれらを所持して身に着けることが出来た者は容姿がどうあれ名前がどうあれ、当人の“生まれ変わり”であるとみて間違いなし。

 今の時代だと、〈彼〉。リナリア島に調査へ行った、機構のマークתに所属する姫埜玲那斗がそうだねー☆

 レナト・サンタクルス・ヒメノの生まれ変わり、姫埜玲那斗。

 あまりにもわっかりやすい名前だから逆に怪しいなんて思ったけれど、プロヴィデンスのデータベースから見た感じも確かにレナトそのものだと思う。

 なんだか見覚えあるし?イベリスは喜んだだろうね。不細工に生まれ変わって無くて良かった良かった。どうでもいいけれどー☆


 祖国の王様が不細工だなんて、私的にも嫌だし;;


 そう。繰り返しになるけど、機構に在籍する姫埜玲那斗がレナト・サンタクルス・ヒメノの生まれ変わりであり、彼が月の紋章入りの守護石を持っていたこと、加えて彼がリナリア島へ訪れたことでイベリスの呪縛は解き放たれるに至ったと言えよう~♪

 彼が島に訪れたという事実のみで、彼女の呪縛を解き放つには十分過ぎたんだね。実は怪異解決の為の調査なんてまったくもって必要なくて、極端に言っちゃうと彼を空から島に投げ込むだけでも良かった。

 意外と執念深くて嫉妬深いイベリスは、むしろ自分から彼を呼び寄せた感もありありだし、仮に高度1000メートルあたりから投下したってきちんと受け止めてくれたと思うんだ~。


 ちなみに、私が高度1000メートルからダイブしたらスルーされてたと思う。


 あとね、これは大事な所なんだけど。その石が『守護』と呼ばれるのは、石の存在が無ければイベリスはこの世に魂を保てなかったっていうところ。

 国章入りの石が、彼女が現世に魂を繋ぐ為の楔を果たしていたんだなー、多分。

 究極の守護石という名前の通り、2人にとっては確かに意味のあるもので、石を互いが持つだけで互いの存在を高め合えるっていうの?うーん、何て言ったら良いのか分からないけども、レナトの持つ石があれば例えどんな場所であっても彼女は存在を保つことが出来る。

 逆に石の守護、又は加護が無ければイベリスは蘇ることすらなかったし、この世界にあやふやな存在そのものを保つことすら出来なかったはず。そういうニュアンスかな☆」


 私の話を全て聞き終えたリカルドは何度か首を縦に振って頷いた。

「なるほど。だからこそ今まで彼女は島から離れることが出来ず、彼が訪れた後はあっさりと離れることが出来た。彼女にとっての呪縛というのはそういうことでしょうか?」


 疑うことなく、飲み込みも早い男は好きよ。

 にっこりとした表情をしてみせて続ける。

「そうそうそう。イベリスの願いは後にも先にもただひとつ。“自分が愛した人ともう一度会いたい”っていうただそれだけ。ところで愛ってなぁに?ま、いっか。


 レナトの生まれ変わりの証明、2人が交わした婚姻の誓いの証である石を持つ玲那斗が島を訪ねたことによって、イベリスは真なる意味で願いを成就させた。そのまま昇天してくれても良かったのにぃ。その方が良かったのに~。

 それで彼女は晴れて島から足を離して彼と一緒に機構へランデブー……?違うか。機構へ行った。

 これから先、玲那斗の持つ石が存在する限りはイベリスという存在が消滅することはないし、彼の石と彼女の持つ石が傍にあるだけでとんでもない力を発揮できちゃう可能性がある。

 むしろ、極論を言ってしまうと、玲那斗の記憶の中にイベリスと言う存在が刻まれた今となっては石なんて有っても無くても彼女は存在し続けることが出来ちゃうかもしれない。厄介、厄介。


 まぁ、一番厄介なのはそのレナトの方で、彼が本当の意味で目覚めちゃうと私達の力が全部台無しになっちゃうところではあるんだけど……

 それはひとまず置いておこう~」


 一通り語り終えると、リカルドは礼を言いつつ問いを続けた。

「ありがとうございます。先に質問はひとつと申し上げましたが、お話を聞く中でもうひとつ気になることが出来ました。問いを許して頂けますか?」

「もっちのろん☆」

「端的に申しましょう。此度の調査計画、彼がリナリア島を訪れるきっかけを作った人物がいると見受けますが?」

 物分かりの良い男だ。

 ペテロの手紙を口にして以後、先の話の中で私は国連の名もマリアの名も一度も口に出してはいない。

 事象の核心を的確に捉える力はやはりピカイチといったところだろうか。

「ご明察ぅ☆さすがリカルド。その人の名前はマリア・オルティス・クリスティー。どこの誰かなんて言わなくても分かるよね?」

「国際連盟秘匿部門、セクション6の局長ですね。面識はありませんが、別名〈存在しない世界〉。その首領を務める方であると認識しております。予言の花、灰色の枢機卿と呼ばれるお方であると」

「またまたご明察ぅ☆星を5つあげちゃう♪あ、やっぱりまだ4つね」

 花の咲いたような笑みを贈る。いつもにも増してにこやかで無邪気な笑みを。


 が、次の瞬間。ふと表情を不敵な笑みへと変貌してみせる。

 核心を突いた以上、ここからの説明はアンジェリカよりも私の方が適任だろう。

「それはそれとして、マリアが仕組んだ計画には意味がある。あの子はいずれプロヴィデンスを乗っ取るつもりよ」

「あれを、乗っ取る?」リカルドは怪訝な表情を浮かべて言った。

 無理もない。プロヴィデンスの所在地は秘匿され、知る術はないし高度なセキュリティによってデータ送受信経路からの逆探知も不可能な仕様だ。


「信じられないというのは理解するわ。どういう手段を用いて乗っ取るかは知らないけれど。ただ、あの子が考えているだろうことを実現する為にはあれが必要だろうし?」


 待てよ、手段?目的?実現?必要なもの。

 その時だった。私の頭の中に先程まで渦を巻いていた疑問の答えが提示されたのは。


「あぁ、そうか。イベリス、光、形無きもの、神が全てを視通す……神は世界の創造においてまず最初に“光”を作った……そういうこと」

「どうかなさいましたか?」

 じっとこちらを見つめるリカルドに構うことなく、しばし思考を巡らせる。


 あぁ、そういうことで間違いない。

“プロヴィデンスを乗っ取る為に”は、イベリスが世界の何も知らずにあの島にいたままではどうしても都合が悪かった。

 マリアが恋敵であるイベリスをわざわざ島から連れ出させたことには、やはり明確な意味があったのだ。


「今気付いたわ。機構がイベリスという存在を手中に収めることは“マリアにとって意味がある”。イベリスの使う異能が何なのか思い出してごらんなさい?」

「光を……そうか」

「ご明察。もう1人の私に代わって星を追加してあげる。これで晴れて星5つよ。良かったじゃない。アンジェリカ、さては気付いていたわね?」

『もっちもっち☆^^』


 全事象統合集積保管分析処理基幹システム〈プロヴィデンス〉

 機構が保持する世界最高のAIと世界最大のデータベース、加えて世界最高の演算能力を持ち合わせた夢のシステム。

 世界中に存在するありとあらゆる情報を保管活用し、AIと演算処理を組み合わせて未来予知に等しい未来予測や物質などの調査を行うことが可能な代物だ。


 マリアはそのプロヴィデンスを乗っ取り、意のままにコントロールする為の外部通信端末のような扱いをするべくイベリスを利用しようと考えている。

 おそらく予言の花と呼ばれるマリアですらプロヴィデンスの明確な所在地を知らない。では、所在地が分からないものを乗っ取る為にはどうすればいいか。

 それは〈所在地が分かるもの〉を中継ポイントとして本体に接続し、それを遠隔でコントロールできるようにしてしまえば良いということになる。

 太古の昔からよくあるコンピュータの乗っ取りと同じレベルの話だ。


 この理屈を実現する為には通常、プロヴィデンスと直接接続されている外部端末であるトリニティかヘルメスを経由して本体にアクセスすることが考えられるが、セキュリティシステムの仕様によってその行いは完全に不可能となっている。

 しかし、それはシステムが定めた仕様に準じている物の話であって、準じていないものについては例外中の例外となり得る。


 いわゆる守りの穴。〈セキュリティホール〉だ。


 マリアは、自身の持つ予言の力を以って、いずれ何かしらのタイミングで〈イベリスという存在そのものがプロヴィデンスと直接繋がる未来〉を想定し、〈プロヴィデンスそのものと繋がったイベリスを懐柔することで、間接的にシステムを掌握しようとしている〉と考えられる。


 この理屈であれば、プロヴィデンスそのものがどんな場所にあろうと関係ない。セキュリティがどれほど強固であろうとも関係ない。

 イベリスを通じてのみ実現可能という制約があっても、その方法でしか実現できない以上は制約ではない〈条件〉であり、結果として彼女を通じて接続が出来てさえいれば目的は完璧に達せられるのだから。


 私と同じ結論に思い至っただろうリカルドが言う。

「しかし解せません。確かにあのシステムが優れた産物であることには違いないでしょう。ただ、だからとてシステムだけを手に入れたところで国連にとってそれほどの利用価値があるとも思えません」

「いいえ、国連にではなく彼女にあるのよ。元々マリアは国連という組織の形をうまく利用しているだけ。彼女は望んでその地位に立っているのではなく、ただ逆算的に自分が果たすべき目的を果たす為に“必要に迫られたから”国連に席を置いているに過ぎない。最終的にはそんなもの簡単に投げ捨てて自分の目的の為に動き出すはずよ。考え方が私達とは違うの。目的の為に手段を選ぶのではなくて、手段の為に目的を果たしている。警戒しないと、私達も足元をすくわれかねないわ」

「あの方にだけ存在する利用価値?」

「私達の目的とはまるで異質で趣味の悪い計画じゃないかしら。おおよそ検討できるところでは〈AIによる全人類の統治〉といったところね」

「人間で無い者に人間を監視させる管理社会の構築、とでも?」

「あくまで推測の域を出ないけれど。あの子の考えそうなことではあるわ。人が進化しないなら世界丸ごと壊してリセットして、優秀な自分達だけが生き残るか、もしくは人間そのものが絶滅しても良いという思想を持つ私達とは実に対照的。人が進化しないのなら、人間以上に高度で平等な統治を可能にする〈自己進化し続ける別の種族〉に世界を支配させてしまえばいいという考え方」


 おとぎ話の話ではないのか、という顔をしている。

 リカルドは首を幾度か横に振った。

「信じられないって顔をしているわね?でも、プロヴィデンスを使えば可能でしょう。全人類の個人データを収容できるだけの記憶領域と、それらを用いたリアルタイムな行動予測演算処理を可能とするあのシステムなら」

「デウス・エクス・マキナ……」

「あぁ、“機械仕掛けの神”とは言い得て妙ね。物語を終わらせる為の究極の舞台装置。うってつけの名前じゃない」

 知識ある者の言葉はいつだって面白い。私は彼が口にした神の名を聞いて感心した。

 それから視線をリカルドに向けて言う。


「“愛には恐れがない。〈完全な愛〉は恐れを取り除く”」


 ヨハネの第一の手紙 第4章18節にある句だ。

 恐れ知らずにも自身の願いだけによって混沌とした世界へ飛び出してしまったイベリスに対する皮肉。

 世界そのものが愛すべき存在となるように変革させてしまおうと画策するマリアへの当てつけ。


 そしてもうひとつ。


 罪を犯した世界に対する罰を与えようとする自分達、つまり〈世界に対する愛〉を与えようとしている自分達に対する戒め。


 あぁ、愉快愉快。事情が分かればものの見方も変わるというもの。面白くなってきた。

 機構と国連の蜜月関係が実は世界の終わりに繋がっていようなどとは。

 世界を災害から守り、安定的に保護する立場の機構が実は世界を滅ぼす悪魔の一員。

 イベリスという“希望”を招き入れたことによる“絶望”の始まり。


 平和を願う光の王妃様は、永久の安寧を願う悪意に利用され、望まない形での和平実現に加担することになる。

 “神が全てを視通す目”によって。



 滑稽、滑稽。

 鶏のように繰り返したくなる。実に滑稽ではないか!


 高鳴ってきて、ついアースアイに抑えが効かなくなる。

 淡く輝く憎悪に満ちた瞳の奥。私の中に眠るのは、紛れもない狂気そのものであり、これからの状況を心底から楽しもうとする悪意の塊。


 そして私はリカルドに言った。


「そろそろ、次の準備に取り掛かりましょうか。アビーの言っていた例のあれ。もう使えるのでしょう?」


〈あれ〉を即座に理解したリカルドは言う。

「既に舞台の準備は整っております。シルフィーの計画に則って慎重にことを運びましたから。ミクロネシア連邦での実験は成功を収めていますし、イングランドにおける本運用も心配はいらないでしょう。あとはセルフェイス財団にどのように取り入るかですが、そこはわたくしめにお任せいただければ」

 暗い地獄の底を映すかのように見開かれた瞳が無邪気な笑みで満ちていく。

 これは喜びの表現だ。歓喜の表れだ。

「良し良し☆準備万端、だね?しっかり者の君を褒めてあげよう♪偉い偉い☆今日もつるつるー」

 いつもなら遠慮するのだが、今日のリカルドは私の言葉に甘んじて首を差し出し、私が頭を撫でるのを素直に受け入れた。

 つい先程、〈行き過ぎた謙遜は無礼だ〉と叱ったことも影響しているのだろう。彼のそれは、謙遜とは違う遠慮なのは知っているから断ったところで怒りなどしないのだが。

 まったくもって、律儀なものである。



 差し出された彼の頭を撫でつつ、しかし。

 ここに至って私の思考の中は、これから世界各国で立て続けに起きる災厄についてのことで満たされていた。


 ミクロネシア連邦 ポーンペイ島

 イングランド ケント州ダンジネス国立自然保護区

 加えてもうひとつ、おそらく舞台は欧州における街のどこか。


 これらの地域における実験こそが自分達の計画の集大成に関わってくる。

 続く道筋の辿り着く先は、地獄のみ。


 真っ赤な炎で埋め尽くされる地平線はいつだって美しい。


 愉快だ。

 私はリカルドのつるつるの頭を撫で上げつつ、紅蓮に染まる世界の未来を想像して胸の高鳴りを募らせていった。



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