第六夜 2
いくつもの廊下を渡り過ぎ、屋敷の奥に向かう。はなれの前に立つと、気合いを入れるため、軽くパンパンと頬を打つ。その時コン! と打つししおどしが、ゆきの緊張をより高ぶらせた。
もう一度パンパンと打つ。透き通るような白い肌が桜色の気合いで染まったとき、ゆきは一つ息を吐いて障子に手をかけた。
「いらっしゃい。かんにんえ、呼び立てて」
凜とした張りのある声に、やたら背の筋が反応する。右手足が同時に出そうになるので、ゆきは一度息を吸い込んで自分を落ち着かせようとした。その姿が滑稽なのか、梅子はコロコロと笑い声を立てた。
「いややわぁ。そんなに怖いですか、私が」
「いえ、そういうわけじゃ……」
障子の前でぎこちなくしているゆきを見て、ここへお座り、と梅子は自分の前に座布団を差し出した。
「し……失礼します」
意識して両手足を動かし、梅子の前に座る。うつむき加減の目をちらりと向けるが、姿が目に入ると、またびくんと背筋が伸びた。
今の姿はしわくちゃだが、おそらく若い頃は、花が開いたような笑みをたたえたであろう、その容貌。
透き通るような白い肌。
年齢に似つかわしくない、スッと背筋の伸びた姿勢。
声。
人を統べることに長けた、振る舞い。――これを、品格とでもいうのだろうか。その一つ一つに、ゆきは気後れしていた。
次の瞬間、ゆきは目を見開いた。しばらく自分をじっと見つめていたかと思うと、その品格が、両手をつき頭を下げたのだ。
「お……大婆様?」
「ゆき、かんにんえ。一切会わん、みたいなこと言うてしもうて」
あ……、と軽く口を開いたゆきは、膝に置いた手をわずかに握りしめた。
「覚醒せぇへんなら、私らと関わらんほうがええ、と思うたんや。今回みたいな、危ないことに巻き込まれんですむさかいなぁ」
梅子はさらに額を畳にこすりつけた。
「それやのに、覚醒したら結局、呼んでしもうた。それも〝長〟候補や、って……。ほんま、かんにんえ」
ゆきは握りしめた手を、さらに強く握った。
「なぜ、私なんですか?」
「新月生まれは、里の結界の要や。特に、
梅子はゆっくり顔を上げると、背を伸ばし、ゆきをまっすぐ見据えた。
「力の弱い里の者を守るためや」
里を、守る。
ゆきはゆっくりとくり返す。飲み込みにくい言葉は、唇の上でかさかさと音を立てた。
梅子の視線を避けるようにゆきがうつむくと、心を見透かしてか、梅子が優しくつぶやいた。
「つらいなぁ。新月に生まれただけで、えらいもん背負い込まされてなぁ。でもな、もう、一人ちゃうえ。みぃんな、おる。私も、おる。……甘えて、ええんよ。」
母が子をなだめるような、優しく、甘ったるい声。
精一杯張っていた何かが、ぷつり、と音を立てると、ゆきは梅子の膝に顔を埋める。膝がじわりと濡れていくのもかまわず、梅子の手は何度もゆきの頭をなでていた。
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