第五夜 6

 少し距離を保ち、ゆきはグランドの中央で対峙する。ぴたりと足を止めると、男をにらみつけていた目をわずかに細めた。すると、足元の砂がわずかに渦を描いた。

 渦はそのまま巻き上がり、ゆきの体を覆い始める。髪の先まで覆い尽くし、一房ふわりと揺らすと、つむじ風は青白い光を放つ炎へと変わった。

 炎はなお光を放ちながら主を包む。そのままシュウゥゥゥ、と小さくなると、霧が晴れるように炎が消えた。


 中から現れたのは、雪のような白い猫。


 汚れなき純白の毛並み。

 放たれる気迫。

 まっすぐ見据えた目は、指一本、動かすことを許さない。その神々しさに、皆思わず息をのむ。


 光のない新月の夜は、この純白の猫の手の内のようにさえ思われた。


 ゆきはゆっくり目を伏せる。一呼吸置くとカッと見開き、――その言葉を、告げた。


「――げん!」


 男はうめき声とともにブン、という鈍い音をたて絶望を知る。全ての腱を切られた男は崩れ落ち、絶叫した。


「今のうちに!」


 銀次が平太を担ぎ上げ、真がへたり込んだゆきを抱えると、車へ向かって走り込む。全員が乗り込むと、藤助はアクセルを全開にし、闇へと消えていった。



 通常、人猫は五感にちなむ能力を有している。


 しかし、ゆきの能力は違っていた。五感のどれにも属さない、相手の力を無に帰す能力である。これは、新月生まれの中でも、ゆきのようなうるうどし生まれにしか現れない能力であった。


「やはりなぁ。血は争えんなぁ……」


 庭に向かって座っていた高野梅子は、一人、そうつぶやいた。




 全身を走り回る激痛は、わめくことでしか己の生を確かめさせてくれない。叫び、砂の上をのたうち回っていると、二つの人影が近づいてきた。

 なでつけた白い髪。濃い草色の羽織。鈍色の長着。時を刻んだ険しい顔には、思わず頭を垂れずにはおけない風格を備えている。男は、苦しむ男を一切の感情を浮かべず、見下ろしていた。


「長……申し訳ございません……! あと少し、あと少しのところで……!」


 男は苦しみながら、必死に許しを請うた。


「今、楽にしてやる」


 そう言うやいなや、白髪の男の後ろから長身の男が現れ、その足が男の首に乗る。

 喉。

 首。

 あごの骨さえ砕けていく。

 伝わる嫌な鈍い感触と薄れゆく意識の中で、男は全てが終わったことを知った。



「長」


 赤い炎を帯び、消炭色の狼の姿に還った体から足をどけると、長身の男は「長」と呼んだ男のそばで膝を折った。


「真鍋ご苦労。どうせ、いらぬ事をして世間を騒がせていたのだ。ちょうどよい。じんびょうだけ追いかけていればいいものを」


 長はいちべつもくれずにきびすを返す。その後ろを影のように真鍋は付き従った。


「覚醒したようですな」


 ふむ、と長はあごをなでた。


「母親と同じか、それ以上かもしれんな。我らの悲願、今度こそかなうかもしれんぞ」


 長は振り返らず、その場を後にした。




 翌朝、散歩途中の老人達が見つけた数匹の犬の死体は、市によって処理された。「あんな大きな犬を見るのは、生まれて始めてだ」と、しばらくは語り草になったという。

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