第6話『何が分からないのかが分からない』(連続33話)
「……まあ、戸田さんはうちの子とは」
「そうなんです、この前話すようになりまして」
「まぁまぁまぁ、うちのはもう人見知りが過ぎるから」
居間で月旦の母と煎れたての玄米茶を楽しみながら、勢花はお茶請けのせんべい片手に世間話に興じている。
月旦は台所へと引き込み、昼食の準備中だ。
お昼が出来上がるまでの時間つぶしにと、月旦の母に付き合わされている形になるのだが、もともと図太いところのある勢花はあまり気にすることもなく、お茶もせんべいもと遠慮がない。
その遠慮のないところも図々しさを感じさせないのは彼女の人柄なのだろう。
「人見知り……なんですかね? わたし、月旦ちゃんと話したのはこの前がほとんど初めてだったけど、それにしては情熱的に勧誘されましたよ?」
「情熱的? ……ん~、うちのはこれと決めたら頑固なところがありますからねえ」
「人見知りかもしれませんが、口下手ではないですね」
「どんな風に口説かれたの?」
「わたしが欲しいっていってましたよ。抱きしめられたし」
「まぁ」
「ちょっと勢花さん!?」
台所から月旦の悲鳴が聞こえてくる。
彼女自身、思い返せば恥ずかしかったのだろう。母の言う通り、娘はそうしようとしたらかなり頑固で突っ走る一面があるようだった。
「これ以上いじめるのは可哀想なのでナイショですけど、惚れそうになりました」
「文字通り口説き落とされたわけね。ふふふ、ご愁傷様」
「おばさんは、月旦ちゃんが剣術部を作ることには賛成なんですか?」
「好きにさせてあげたいところはかなりあるわねえ。もともと、わたしたちが仕事人間だったこともあって、道場開いていた祖父に預けっぱなしだったのもいけないことだし」
いけないことは、預けっぱなしだったことに対してだろう。剣術に触れたことに関して否定的なのは月旦の父だけのようだ。
「お父さんは月旦に剣術はして欲しくないみたいで。道場で一人稽古するのも良く思ってないし、部活動を作って距離を置くのは良いことだと思うわ」
と、かなり肯定的なのは、月旦の母が実のお父さんである月旦の祖父の家の人間だからだろうかと勢花は「ふぅん」と、なんとなくだが納得した。
「成績云々で反対しようにも、そこそこ成績良いのよ、うちの子」
「そこそこどころじゃないですよ、学年でも十指に余るほどって言われていますもの」
言い回しがやや時代めいているのは今までの部活動の影響である。
「あら、そうなの? それじゃあ今期の通知表は心配ないかしら、ふふふ」
「わたしなんかもうサッパリで。でも、教え方上手いですよね、月旦ちゃん。赤点と補習をセットで考えていた地理なんかも、たぶんギリで赤を免れましたし」
答案が返ってきてないものの、月旦を交えた自己採点ではなんとか首の皮は繋がった様子だ。
「あら、戸田さん、学校の勉強は苦手?」
「苦手ですね~。けっこう無理して入ったというか、まさか受かるとは思ってなかった学校でして」
「家が近いから受けたとか? うちの子もそうなのよ」
そこでいったん話の区切りを付け、月旦の母はお茶をひとくち。
「ずいぶん悩んでいたみたいだけれど、向陽高校にね」
「悩んでいた? 月旦ちゃんが?」
「そのあたりは、娘に聞いて下さいな。ふふふ、ほんと、あの子が友達をねえ」
「ははは、つい成り行きで」
と、聞きようによっては失礼かもしれない照れ笑いだが、嫌味がないのは勢花の性格や雰囲気からだろう。
「月旦ちゃんに声を掛けて貰って、ほんと、助かりました」
「助かった……?」
「わたし、一年間続けていた部活を……やめちゃっていて」
言葉の濁りを受け、月旦の母もひとつ引いて聞く。踏み入らずに、そうなのねと、頷き返す。
「とにかく、剣術部を作るためには、わたしの進級が絶対条件らしくて、ははは」
「それは責任重大ねえ」
「そうなんですよ――」
一気に顔面蒼白になる勢花。
「自分でも何が分からないのかすら分からない状況で」
「それはいけないわねえ。…………戸田さん」
「はい? ……あ」
勢花の手と自分の手を重ね合わせるように握りながら、月旦の母は真剣に彼女の瞳を見据える。
「うちの子を、宜しく頼みますね」
「そそそそ、そんな、わたしがお世話になりすぎてるのに、そんな、はい、ええ、ああああああ、はい、おまかせ下さい」
慌てながらも頷く勢花の掌に刻まれた厚く硬いそれを確認し、優しく撫でながら彼女は微笑む。
「勢花さん、ご飯出来たわ」
そこで月旦はエプロンを外しながら現れる。手を握りあう母と勢花に訝しげな視線を投げかけつつ、余計なこと言ってないでしょうねとばかりに眉根を寄せる。
「はいはい。じゃあ勢花さんごゆっくり。――月旦、買い物に行ってきます」
「いってらっしゃい。じゃ勢花さん、こっちよ」
「あ、うん。お茶ごちそうさまでしたおばさん」
「湯飲みはそのままで良いわよ。……では、ゆっくりしていって下さいね」
かくして、勢花は昼食の席に着いた。
「アレって、鹿肉のことだったのかぁ」
「うん、癖があるけど、この前いっぱい貰って。苦手だった? 残しても――」
「ううん、すごく美味しい!」
やや辛めの味噌で炒めた厚手の鹿肉とキャベツが盛られた皿。豚肉ではなく鹿肉で作ったホイコーローのようなものだった。
バランスを取るかのようにさっぱりとした、アスパラガスと豆腐の味噌汁。お新香は浅漬けの白菜とキャベツ、色合いのため添えられた人参が良い。
手を合わせ、頂きますと手を付けた勢花は、それらの味に舌鼓を打った。
最初は大人しく食べていた勢花だが、これでもかと盛られた千切りキャベツを掛け塩で頬張りながら、いつしかもりもりと掻き込み始めている。
その、豪快ではあるが粗野ではない食べっぷりに、月旦も苦笑する。お客様、それもクラスメイトの前ということで彼女も遠慮していたが、勢花のその食べっぷりは客観的に見ても月旦のそれに似たものがあったのだ。
「……体育会系、かあ」
「ん、なんて?」
「何でもないわ。勢花さん、もしよかったらおかわりを」
「いただきますッ」
そっと出される茶碗に、炊飯器――8合炊きから遠慮容赦なく盛ってあげる。
「うちの祖父が、鹿肉は身体作りに最適だ……って言っていて、祖父の知り合いだった人からよく送られてくるのよ」
「へ~。わたし、牛より好きかも、この味」
「もしかしたら勢花さん、羊のお肉も気に入るかもね。特に、ラム肉ではなくマトンの方が」
その後も箸を進めながら肉談義が続き、皿の上のものは速やかに彼女たちの胃袋へと消えていく。
綺麗さっぱりと完食し尽くした彼女たちが、冷えた麦茶で一服していると、近所のスーパーから戻ってきた月旦の母がキレイになった食卓に目を丸くしつつ、片付けを引き受けてふたりを促す。
「ひと息ついたら、お勉強といきますか勢花さん」
「うぇ~……」
「残り二教科、気合いを入れてやりましょう。……特に、今日は時間もあるのですこし考え方を変えて整理してみようと思うの」
「考え方?」
「ええ」
月旦は微笑む。
「何が分からないのかが分からないのなら、分かるべきことを見据えて分かっていくことが大事ということを、まずは分かりましょう」
やばい、さっきのこと聞かれてた! 勢花は苦笑しつつ、月旦が何を言っているのかを、もう一度頭の中で反芻する。
分かるべきことを、分かっていくこと。
それはつまり、勉強の仕方を勉強することに繋がるのだと、後々分かることであったのだ。
考え方の変化。このときの勢花はそれを知らず、後日、実感することになる。それがいかに大事なものであるのかを。
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