第二話「挑戦の日々」

一.もう一つの「世界」

 「eスポーツ部」創設から、おおよそ一週間後。遂に、フルダイブ・マシン「エル・ムンド」がアツシ達の学校へとやってきた。

「おお! 思ってた以上にカッコイイな!」

 部室に設置された「エル・ムンド」を眺めながら、アツシが思わず感動の声を上げる。

 エイジもレイカも、小さな子供のように目を輝かせていた。

 「エル・ムンド」の外観はとてもシンプルだ。二つの座席とその周囲を覆うフレーム、そしてフレームの中に入る為のドアが付いている。その外観は「やたらと全長の短い自動車」のようだった。

 中の様子が見えるよう、自動車のフロントウインドウやドアウインドウと似たような場所に、薄くスモークのかかったアクリルガラスも張られている。

 やはり自動車の物によく似た座席の頭上には、頭から目元、耳までをすっぽりと覆うヘルメットのような機械が設置されている。「ヘッドギア」と呼ばれる機械だ。これを頭に密着させることで脳波の送受信が可能となり、仮想空間の映像や音、触った感触などをプレイヤーに伝える仕組みになっている。

 それ以外にも、ひじ掛けやシートベルト等の装備品も付いている。ますます自動車の座席に似ていた。

 フレームの外側――座席の背中側には大きなディスプレイが付いていた。これはタッチパネルになっており、外側からシステムを操作する際に使ったり、ゲームやプレイヤーの状態をモニターできたりする。いわゆる管理者用のコントロールパネルだった。

 万が一プレイヤーが体調を崩したり、はたまたマシントラブル等が起こった際には、管理者がパネルを操作してゲームやシステムを強制停止できるようになっている。

「しっかしすごいね~! こんな高そうな機械を無料で借りられるなんて」

「なんでも、メーカーから教育機関に貸し出す場合には、国からお金が出てるらしいですよ」

 レイカの疑問に、エイジがすかさず答える。宣言通り、機材到着までの間「エル・ムンド」について、かなり入念に調べ上げていたようだった。

 元々「エル・ムンド」は、様々な国や企業が協力して開発した物だ。その目的は実に様々であり、ゲーム利用や障がい者支援はその一部でしかない。

 例えば、特殊な乗り物の操縦訓練などにも「エル・ムンド」は活用されていた。宇宙船であるとか深海探査機であるとか、そういった実地訓練が難しいシチュエーションで重宝されているのだ。

 教育機関に無料で貸し出しているのは、一人でも多く「エル・ムンド」に精通した人間を増やす為であったり、はたまた教育現場からのフィードバックにより更なる機能強化を図る為であったりするらしい。

 国という枠組みを超えた世界的プロジェクト、それが「エル・ムンド」だった。

「はえ~、大層なシロモノだってのは知ってたけど、すげぇんだな、『エル・ムンド』って」

「だね。今はどんどん小型化も進んでいるらしいから、将来的にはこのメガネみたいに、人間が無理なく装着できるサイズになるかもだよ――そう、なってほしいものだね」

 どこか寂しそうに呟くエイジの姿に、アツシの胸に鈍い痛みが走った。

 エイジの右目は、もう殆ど視えていない。事実上の失明状態だ。左目も視力が極端に低下し、裸眼では日常生活に支障をきたすほどらしい。

 もし、「エル・ムンド」がメガネ程度のデバイスにまで小型化されれば、その技術の応用で視覚障がい者がリアルタイムに周囲の光景を「視る」ことができるかもしれないのだ。

 視力を失ったばかりのエイジにとっても、それは最早悲願といえるだろう。

 だが、現実の「エル・ムンド」は、見ての通り持ち運べるサイズではない。

 人間が装着して持ち歩けるほどの大きさになるまでに、何年かかるか予想もつかない。

『オレの視力を分けてあげられたらいいのに』

 胸の内でそんな言葉を漏らしながら、アツシはエイジと共に、しばらくの間「エル・ムンド」の機体を眺め続けた。

 「エル・ムンド」とは、とある国の言葉で「世界」という意味だという。その名には、開発創始者の「もう一つの世界を創り上げる」という願いが込められているらしい。

 ――その「もう一つの世界」は、果たして自分とエイジを受け入れてくれるのか。

 アツシの胸は、期待と不安と、エイジへの想いとで、今までにないくらいに高鳴っていた。

   ***

「よし! じゃあ念願の『ダブルス!』を始めよう!」

『おー!』

 「エル・ムンド」のマニュアルは、機体到着までの間に三人とも熟読済みだった。後はもう、探り探り実機をいじっていくだけである。

 アツシ達は、早速「ダブルス!」のプレイをスタートすることにした。

 なお、未成年がフルダイブ機能を使う際には、必ず大人が立ち会わなければならないことになっていた。安全管理上の絶対のルールだ。その為、既に小峠が部室へとやって来ていた。

 これからは、フルダイブ機能を使う度に小峠を呼ばなければいけない。「先生には本当に頭が上がらない」と、アツシは心の中で深く感謝した。

 早速とばかりに、アツシとエイジの二人が「エル・ムンド」の座席に乗り込む。

 エイジには介助が必要かと思われたが、「エル・ムンド」のシートは車イスから乗り移りやすいよう、様々な対策が取られている。やや苦労はあったものの、エイジも自力でシートに着席することができていた。

 お互いに頷きあうと、まず、きっちりとシートベルトを締めた。そのまま姿勢を正していると、座席上部に設置されている「ヘッドギア」が、「ピッピッピ」という警告音を上げながらアツシ達の頭に向かって下がってきた。

 ヘッドギアは手動で上下にスライドすることもできるが、手が動かせない搭乗者の為に、基本的には自動で装着される仕組みになっているそうだ。

 やがて、ヘッドギアがアツシとエイジの頭部にしっかりとフィットすると、「エル・ムンド」の内蔵スピーカーから「ヘッドギアの装着が完了しました。管理者はパネルを操作して、プログラムを実行してください」というアナウンスが流れてきた。

 ――準備完了の合図だった。

「よ~し、じゃあスタートするよ~」

 ヘッドギアに内蔵されたスピーカーから、レイカの声が聞こえてきた。レイカはコントロールパネルの操作全般を担当することになっていた。

 パネル側にもヘッドギア側にも、マイクとスピーカーが設置されている。外と中との意思疎通は、基本的に音声で行われるのだ。聴覚障がい者向けに、文字でコミュニケーションする機能も用意されていたが、今はオフになっていた。

 やがて――。

『フルダイブ機能、スタンバイ。ユーザー情報……確認。初回利用の為、生体情報を登録します。スキャン開始……』

 機械音声がヘッドギアのスピーカーから響いてきた。

 フルダイブ機能を初めて使う時には、こうやって生体情報――脳波や静脈の情報をスキャンして、ユーザー登録を行うシステムになっている。それら生体情報は人によって全く異なる為、「なりすまし」利用も完璧に防げるという仕組みだ。

『スキャン完了。ユーザー情報を登録しました。――アプリケーション「ダブルス!」を起動中です。フルダイブ及びチュートリアルを開始します、ヘッドギアを絶対に外さないでください……5,4,3,2,1……ダイブ!』


 ――その瞬間、アツシとエイジの意識が一瞬だけ闇に落ち……急激に視界が開けた。

「おお……」

 目の前に広がっている光景に、アツシの「口」から思わず感動の声が上がる。

 気付けば二人は、広い競技場の真ん中に立っていた。何となく見覚えがあるので、実在の競技場がモデルかもしれない。

 自分の体を見下ろすと、本物の体そっくりのものが、そこにあった。体型はもちろんのこと、制服の生地の感触まできっちりと再現されている。

 足には地面を踏みしめる感触が、頬にはゆるやかに流れる風の感触が、それぞれきちんと伝わっている。まるで現実そのものだった。

 しかし、現実と明らかに違う部分があった。視界の左上の方に、常に「体力1500/1500」といった表示が浮かんでいるのだ。ゲーム用のステータス表示だった。

「これは……すごいな。うん、本当に歩いてるみたいだ」

 横から聞こえた声にアツシが振り向くと、そこには現実とそっくりなエイジの姿があった。本物のエイジと決定的に違うのは、二本の足で歩いていることだ。

 エイジは、おっかなびっくりといった感じで、フルダイブによる「もう一つの世界」の感触を確かめていた。

「しっかし、『アバター』はオレ達自身なんだな。よけいにゲームの中って感じがしないぜ」

「ゲーム用アバターの作成はもう少し後だね。まずは、フルダイブ環境にちゃんと適応できてるかの確認があるはずだよ……っと、ほら。早速チュートリアルが始まるみたいだよ」

 エイジが指さす方を見ると、そこには「妖精」としか言いようがないキャラクターが現れていた。手のひらサイズで背中にはアゲハ蝶の羽があり、ふよふよと浮いている。

『「もう一つの世界」へようこそ! ゲームを始める前に、二人がちゃんとフルダイブの環境に適応できてるかどうか、確認をさせてもらうよ~! ささ、まずは私の所まで歩いてきて~』

 指示通りに二人は妖精の所まで歩いてみた。少しぎこちなさを感じるが、本物の自分の体と同じくらいスムーズに動いてくれる。

 せかせかと歩くアツシに対し、エイジは一歩一歩着実といった感じに足を運んでいた。久しぶりの二足歩行を噛みしめているのだろう。

『オッケ~! 二人とも筋がいいね! じゃあ、これからいくつかの動きをやってもらうから、全部見事にクリアしてね――』

   ***

 妖精が指示してくるのは、どことなく学校で行った「体力測定」に似ていた。

 「目の前で落とされた棒をキャッチする」だとか、「ボールを投げて的に当てる」だとか、「反復横跳びをする」だとか。ようは体がちゃんと動くかどうかの確認だった。

 アツシもエイジも、それら動作を問題なく行えた。

 ごくごく低確率だが、初回ダイブ時に体を上手く動かせないプレイヤーもいるらしいが、二人は問題ないようだった。

『二人ともお見事~! じゃあ、次はいよいよ「ダブルス!」の世界へ連れて行くよ! イチ、ニノ、サン!』

 妖精の掛け声で、また二人の視界が真っ暗になる。そして次の瞬間――。

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