第48話 死にたい私と初バイト
「ちょちょちょ、こんな時間にどこ行くの?」
午後四時半。あれから家に帰り、『フォレスト』に向かおうとするとお母さんに止められた。
「バイトだよ」
「へぇ、危険なバイトじゃないわよね」
「いやいや、そんなわけないって。なんでそういう発想になるの?」
「両親がいない子供がどんどんグレちゃって悪い遊びを……っていう展開をこの前アニメで見たの」
「フィクションの世界を現実に持ち込まないでよ。私グレてないし。ていうかお母さんアニメとか見る人だっけ?」
「入院中に見ていたのよ。時間だけはあり余っていたからね」
なるほど。病院生活を経て新しい趣味を開拓したんだ。そういえば荷物の中にライトノベルがあったけど、アニメの影響なのかな。
「それより、どこにバイト行くの?」
「……言わないとダメ?」
「あれ、
「違うから! 彼氏なんて、私にはできないよ」
「そう?
「だーかーら、違うって! カフェ! 隣の駅のカフェでバイトするだけだから」
靴を履き終えてドアに手を掛ける。
「あ、ちょっと待って」
「なに? まだからかいたいの?」
「違うわよ。ほら、外に出かけるなら言わないといけないことあるでしょ」
そういえばそうだった。高校から一人暮らしを始めて口にしなくなった言葉。言っても返ってくる言葉もないので虚しくなるだけだった言葉。
でも今は返してくれる人がいるんだ。
「……行ってきます」
「行ってらっしゃい。夜ご飯楽しみにしていてね」
自転車に跨り『フォレスト』に向かう。「行ってらっしゃい」と返ってくるだけで胸の中が満たされていくのが分かる。なんだか世界がいつもより明るく見えた。
『フォレスト』のドアを開ける。カランコロンとドアベルが可愛らしい音を立てた。
「いらっしゃいませー! って
店の奥から
「うん、マスターさんに五時頃に来てくれって言われたんだよね」
「今回は色々と教えるだけだからじゃないかな。俺のときもそうだったし……」
言い終わっても
「えっと……どうしたの?」
顔を見つめられて恥ずかしくなってしまう。私が照れたからか
「すまん。なんか今日の
「なんていうか、全てがいい方向に進んでくれたからかな。
「そうか、
「うん! なんとか乗り越えたみたいで病院帰りにもお墓参り行ったんだ」
話しているだけで自然と笑顔になっていくのが自分でも分かった。こんなこと初めてだ。
「良かったな。それじゃあ俺マスター呼んでくるから」
「……とまぁ、だいたいこんな感じだが分かったか?」
お客さんに注文の品を届け終わった
「マニュアル通りに動いてくれていたからとても分かりやすかったよ」
「まぁ俺もそのマニュアルから学んだからな」
「
「マスター、ここのバイト俺しかいませんよ」
「今は二人じゃないか」
一本取ってやったと言うようにハハハと笑うマスターさん。
なんだか
類は友を呼ぶってやつなのかな。そこに私は含まれないけど。
「やっほー!
ドアベルの音をかき消すような明るい声が聞こえてくる。
「
「あはは、ごめんなさ〜い」
……大声出すのは許してるんだ。そういえば初めて『フォレスト』に来たときも
「あれ、
「服装自由だったから普通の選んだんだけど、どこか変かな?」
「ううん! すっごく可愛いよ!」
「それで、もしかして
「私まだ練習してないから……」
「別にいいじゃないか」
断ろうとしていたところで
「いやいやいや、無理だって。練習してないし」
「
「確かに
「そんな、マスターさんまで……」
私は失敗するのが嫌なので、初めてすることは予め練習したり調べてから始めている。なのにいきなり接客をしろだなんて……。まだマニュアルを数回読んだのと、
「あー注文いいですか?」
急かすように
「ほら、お客さんが待ってるよ?」
「ぅー……」
「た、大変お待たせしました。ご注文の品はお決まりですか?」
「えーとね、スマイル一つ!」
「す、スマイル?」
「――お前は馬鹿か!」
「
不測の事態にうろたえる私を見て、
「初めて接客する奴にイレギュラー入れるな! それにこの店の商品にスマイルはない。あれは有名な某ファーストフード店の商品だ!」
「だって、
「それはそうだが……」
「はいはい、二人とも落ち着いて」
「
「はーい……それじゃいつ……キャラメルラテのホットで」
「キャラメルラテのホットお一つですね。他にご注文はございませんか?」
「はい」
「かしこまりました。少々お待ちください」
お辞儀をしてから伝票をマスターさんに届ける。そこでそっと胸を撫で下ろした。なんとかマニュアル通りできたと思う。
「よくできました。この調子で頑張ってこうね。でも笑顔も大切に」
「分かりました」
「初めての接客はどうだった?」
「緊張しました」
「本番は初対面の人になるんだから、友達で緊張している場合じゃないよ」
「はい……」
本当に情けない。普段から話してる人にここまで緊張してたら実際の接客ではどうなってしまうのだろうか。
「とりあえず今日の接客練習はこれで終わりかな。慣れるまでは厨房で洗い物や後片付けお願いしてもいい?」
「はい」
やっぱり接客すらできないと使い物にならないもんね。
マスターさん、がっかりしているかな。失望しているのかな。いつも柔らかい笑顔だから何を考えているのかさっぱり分からない。
「あはは、そんな悲しそう顔しなくていいんだよ。誰でも初めから上手くいくわけじゃないんだからさ」
「そうですけど……」
「食器洗いはできるでしょ? それだけでも十分に役に立つから」
私、高校生にもなって慰められちゃってる。今日は何回も落ち込んで、泣いて、喜んで、感情の起伏が激しい。まるで幼い子供みたいだ。
「「いらっしゃいませー!」」
ドアベルが鳴りマスターさんと
「
「分かりました」
マスターさんにお手拭きを渡されてテーブルに向かう。こういうところも自分で判断して行動しないといけないんだ。集中しないと。
先ほどの客が入ってきてから少しずつ客足が伸びてきた。私は後片付けや清掃、食器洗いをして残りの時間を過ごす。
「今日はお疲れ様。
「いえいえ、私なんて特に何かしたわけではありませんし」
「そんなことないぞ。
「それじゃあお店閉めるよ。夜は暗いから二人とも、気を付けて帰ってね」
「はい」「分かっていますよ」
「ここのバイトどうだった? やっていけそうか?」
「まだ初日だから分からないけど、いい場所だね」
お店は落ち着いていて雰囲気がいいし
「ならよかったよ。あ、けどここで働くなら一つだけやってほしいことがあるんだ」
「やってほしいこと?」
なんだろ? 何か仕事上での暗黙のルールがあるのだろうか。
「俺を名前で呼んでほしいんだ」
「名字を呼んだらダメなの?」
「あぁ。だから、頼む」
頭まで下げられる。えっと、名前呼びってこんなふうにするようになるんだっけ? 普通は仲良くなって自然に……とかじゃないの?
「厳しいか?」
「そんなことないって。うん、だから次から名前で呼ぶよ」
「安心した。引き留めて悪かったな。また明日」
「うん、またね」
名前で呼んでほしい……か。
うん、なんだかしっくりきたかも。呼び方ひとつで距離が近くなったような気がして嬉しい。
それにしてもお腹減ったなぁ。いつもは七時にご飯を食べるのでとてもお腹が減っていた。疲れてるけどこれからご飯を作らないと……。
――あ、もうお母さんがいるんだ。
地面に足を付けてスマホの画面を確認する。案の定お母さんからのメールが届いていた。
『今日のご飯は涼音の大好きなカレーですよ』
『バイトから帰るときに連絡ください』
すぐに既読を付けて『今から帰る』と送る。そしてスマホをポケットに入れると少し力を込めてペダルを漕いだ。
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