第20話 死にたい私とお母さん

「え、いや、え?」


私の言葉で珍しく相原あいはらくんが戸惑いを覚える。


「ごめん、ちょっと思考が追い付かなくて……」

「私こそごめん。ちゃんと説明するから」


 以前にお医者さんが言っていたことを思い出し、言葉を紡ぐ。


「脳の記憶に関することだから確証がないんだけどね。お医者さん曰く目覚めたときは私と涼香すずかの記憶を思い出せなかったんだって。そんなときに私と会ったお母さんがなぜか涼香すずかを思い出して、未だに私のことを思い出していないの。

 お母さんは涼香すずかの名前がフラッシュバックしたって言ってた。そしたら色々と記憶も改変しちゃって、今のお母さんの記憶では涼香すずかが一人娘なんだって。やっぱり大事な人のことは思い出すものなのかな。……ははは」


 しんみりした空気が嫌で笑ってみたけど、余計に重くなる。この空気が嫌で私は話を続けた。


「お母さんはね、記憶を書き換えてしまうぐらい心がボロボロだったんだと思う。それで私は涼香すずかの真似をして週に一回はお母さんと会うようにしてるんだ。試験とかで忙しいときは会いに行けないけどね。でもさ、真似してるって割には全然上手くいかないの」


 どれだけ練習しても、どれだけ頑張っても、ある一定の地点から全然成長しなくなる。そこからの成長には高い、高い壁があるのだ。


「私なんかじゃ涼香すずかの真似はできないと思った。涼香すずかはいつだって強者で勝者。練習で負けることがあっても本番で負ける姿を見たことがない。……私には無理だった。私の力では勝てない方が多かった。でも一つだけ見つけたんだ。努力すればするほどできるようになって、理論上なら誰にも負けない世界が」


 勝負は文字通り必ず勝者と敗者が存在する。例えそれが強者同士においても変わらない。勝敗によって片方が強いことが証明され、もう片方がその人より弱いことが証明される。


 強者で勝者である涼香すずかの真似なんて私では到底できるわけなかった。だって私は勝者になれる器を持ち合わせていないから。


 でも、時間さえあれば強者になることはできる。努力次第で力はついていく。だから私は強者であれば敗者になることがない世界で戦うことにした。


 それが――


「勉強……ってことか」


 気付いたように相原あいらくんが呟く。その答えに私はこくりと頷いた。


「そう。だから私は勉強を頑張るの。とは言っても定期テストで一度も全教科満点を取ったことがないんだけどね。今一位にいるのはみんながミスをしてくれているから」


 理論的には負けない。だから勉強を頑張っていたのに、未だに私は敗北しない条件を満たしていなかった。高校二年生となり受験を意識している人が増えたせいか、上位の人が私の点数に迫ってきている。このままだといつか一位の座を奪われるかもしれない。


 一位ではない琴葉ことのは 涼香すずかを私もお母さんも知らない。つまり、一位でなくなってしまうと私は涼香すずかの代わりになれないのだ。


そんな涼音わたしをお母さんは見てくれるのかな?


「一位にならないと、琴葉ことのはさんの母親は見てくれないのか?」

「……分からない」

「じゃあ涼香すずかさんの生前、琴葉ことのはさんは母親に見られてなかった?」

「そんなことない! ……はず。確かに涼香すずかの方が可愛がられていたけど私だって普通ぐらいには」

「それなら一位にこだわる必要はないと思うぞ」

「でも、それだとお母さんがまた昔みたいに……」

「――琴葉ことのはさんが死ぬ方が母親は悲しむはずだ」


 唐突な言葉に声が詰まる。頭に流れたのは昨日の昼間。私が池に落ちたシーンだった。そう言えば、あのことはお母さんに報告していない。お母さんは私を心配してくれるのかな。


 いや、私じゃなくて涼香すずかの心配か。


「自分じゃなくて涼香すずかさんの心配をされる……みたいなこと考えた?」

「うっ……」


 先程からエスパーみたいに思考を読まれて変な声が出る。


「俺はまだ昨日の約束を果たしてない。死にたくなるほど溜まっている愚痴ぐらい俺が聞いてやる」

「そんな、申し訳ないよ」

「いいんだよ。それともう一つ」


 真剣な雰囲気を感じ取って一度相原あいはらくんの肩から離れる。その顔は昨日の池での相原あいはらくんが重なった。


「勝手に自分の価値を決めるな。それを決めるのは自分ではなく、周囲の人間だ。少なくとも俺は生きる価値のある人間だと思っている」


 しかしその言葉からは微塵も怒りを感じない。心が温かくなるような優しさが込められていた。そういえば昨日は自分を卑下にしたら頬を叩かれて怒られたっけ。


 私のために怒ってくれたんだよね。


 私を私として、琴葉ことのは 涼音すずねとして見てくれてたんだよね。


 頬が熱い。なんだろ、どうして。


 鼻に違和感が生まれ、思い出すだけで目に涙が溜まる。


「あの、えっと」


 声が震えた。あのときは吐き捨てたい言葉が山ほどあったのに、今では一言も口から出せない。声を出そうとしたら涙が流れてしまう。


「な、泣いているのか?」


 相原あいはらくんの言葉を確認するように目頭をゴシゴシと擦る。袖が水分を含み、自分が泣いているのだと再確認させられた。一度溢れたら止まらない。何度拭いても流れてくる。


「すまん、俺変なことを……」

「違う、違うの。私は……」


 声が上ずらないように注意しているせいか、小さな声しか出せない。


「私なんて、ただの出来損ないで、お姉ちゃんの足元にも及ばなくて……こんな双子なら生まれてこない方が、お姉ちゃんだけが生まれてきた方がみんな幸せなんじゃないかってずっと思ってたから、嬉しくて……」

「そんなことない。琴葉ことのはさんがいたから救われたやつだっているんだ。琴葉ことのはさんが生まれてきたから俺やしずく琴葉ことのはさんと出会えたんだ。だからそんな悲しいこと言わないでくれ」


 体を抱き寄せられる。温かい相原あいはらくんの体に包まれる。


「ありがとう、ありが……とう」


 相原あいはらくんの胸に顔を預ける。優しく背中を擦られ、必死に声を殺して涙を流した。


『少なくとも俺は生きる価値のある人間だと思っている』

『そんな悲しいこと言わないでくれ』


 今まで誰にも言われたことのない言葉を何度も反芻する。その度に涙が溢れ、親に甘える子供のように私も相原あいはらくんの背中に腕を回した。


 時間が経って私も落ち着き、胸から顔を離すとすっかり冷めてしまったカフェオレを飲む。


「もし、死にたくないって思うようになったら俺に言ってくれないか?」

「うん、そのときはね」


 そうなる日がいつ来るかなんて分からない。もしかしたら来ないかもしれないけど、今は少しだけ……。


 ちゃんとこの世界で生きてみたいと久々に思えた。

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