第144話 家族の愛

 部屋に残された二人は、一言も喋らないロンドルに話かけるかどうかを考え、その結果沈黙が続いてしまう。

 なんでもいいからリナリーが言葉を発しようとした時だった。


「ジンは......」


 ロンドルが先に言葉を発したのである。リナリーは驚いたが、すぐに返事を返す。


「はい!」


「ジンは、どうでしょう」


「あの、敬語はいりません。ロンドル様に敬語を使われるのは歯痒く感じますので」


 リナリーの言葉にロンドルが頷くのを見てリナリーがロンドルの質問に答える。


「ジン様は、素敵な方です。心からお慕いしております」


 リナリーの素直な心をそのままロンドルに伝えると、ロンドルは表情を変えないまま頷く。

 話が途切れてしまうと思ったリナリーはなんとか話を繋げようとする。


「その、ロンドル様から見たジン様はどうなのでしょうか?」


「......」


 リナリーの質問にロンドルは真顔のまま数秒停止してからゆっくり口を開く。


「......あれは大人びて見えるが、その実、まだまだ子供だ」


「そうでしょうか?」


「......君からはどう見える?」


「私からは......いつもは冷静ですごく広い視野お持ちです。あとは優しいのは勿論ですが、しっかりとその線引きができていると客観的には思います」


 雰囲気もそうだが、ジンはしっかりと自分の立場を理解している。だからドールやコールにいくら何かを言われようともよっぽどの事が無いかぎりそれをスルーしている。

 ドール達があまりに子供じみているというのもあるが、ジンはしっかりと自分の立場というものが見えている。

 学園のことは外には持ち出さないというのあくまで建前であり、コールのような影響力のある家で有ればそんなものは関係ないのだ。王子であるドールはそれ以上である。

 だからジンはなるべく事が大きくならないように、ドールやコールの嫌がらせにもそこまで大きな行動を起こさない。

 リナリーがそれに何か関与すればさらに話が大きくなると言われたほどだ。

 確かにリナリーの目から見てもジンがドール達の件で何か落ち込むような素振りを見たことはなかった。


「......そうか、いいかい?」


 ロンドルはリナリーに体を向け直し先程と全く変わらない真顔でリナリーの目を真っ直ぐ見つめる。


「ジンをルイとジゲンが暗闇から引っ張り出した。だが、あいつはまだ完全にそこから抜け出せたわけじゃない」


「暗闇ですか?」


 リナリーの反応にロンドルは一瞬言葉を詰まらせるが、すぐに再開する。


「今は分からなくていい。いつかその時が来た時、君に責任を押し付けるようで心苦しいが、ジンをよろしく頼む」


「えっと、わかりました」


 リナリーは何がどういう事なのかわからなかったが、ジンの助けになるならば頷く以外の答えはなかった。

 リナリーの返事を聞いて、ロンドルが初めて小さく。リナリーもしっかりと見てなければわからないほど小さく笑みをその顔に浮かべた。

 リナリーがその笑みに驚いた時には先程の真顔に戻っていたのだった。

 その時ちょうど部屋のドアが開く。


「お待たせしました。夕食の準備ができましたのでどうぞこちらへ」


 サナリが笑顔で手招きをするのでリナリーとカナリアとロンドルが立ち上がり、サナリの後に続く。

 その日、リナリー達の明るい話し声は深夜まで続くのだった。結局リナリー達が帰宅したのは次の日の夕方だった。

 リナリー達が帰ったその日の夜、ノアはサナリに部屋に来るよう言われて、サナリの部屋の前にいた。

 まだ少しだけ緊張するが、ノアは一度深呼吸をしてドアをノックする。すると中からサナリの優しい声色でどうぞと返事があったので部屋へと入室する。


「いらっしゃい、ごめんね。夜遅くに」


「いえ、大丈夫です」


「ふう、ノアちゃん、こちらへいらっしゃい」


 ベッドに腰掛けているサナリとその近くの椅子に座るロンドルを交互に見て、サナリと対面の椅子にノアが腰掛けるとサナリが不満そうに眉を潜める。


「違うわ、ここよ、ここ」


 サナリはそう言うと自分の隣を手でペシペシと叩く。ノアは一瞬どうしようか迷って、ゆっくりサナリの隣に座ると、いきなり抱きしめられる。

 それは親が子供を抱きしめるように、サナリの顎がノアの頭の上に乗せられ、後頭部をゆっくり撫でられる。

 そんなことをされた事がないノアは内心戸惑ったが、サナリの優しい手つきですぐに気持ちが落ち着く。


「いいお友達だったわね」


「......はい、私には勿体ないくらいです」


「そんなことは無いわ。ノアちゃんが素敵だからリナリーちゃんもカナリアちゃんも素敵なのよ?」


「そんなことはありません。私は矮小な人間です。こんな私を友達だと言ってくれる二人には感謝しかありません」


 サナリの手が止まると、抱きしめた体制を離し、顔と顔が向き合う。


「ノア」


 ノアと呼び捨てにされて、ノアは体を硬直させる。


「いい?ノア、あなたは私たちの娘なの。可愛い可愛い宝物なのよ?そのあなたが自分を“矮小“だなんて言わないの」


 そう言うとサナリはまた、ノアの頭を撫で始める。


「ノア・ダーズリーがどうだったかは知らないわ。忘れろとも言わない。あなたが生きてきた道ですもの、それを否定するのは大罪だわ。けれど、これからあなたはノア・セレーネなの。もうあなたは私の、私達の可愛い娘だわ」


 そう言ってノアを力一杯抱きしめる。


「こんなにも可愛い娘ができて、ジンちゃんには感謝しているのよ?だから自分を卑下するのは今日で最後。これからどこの誰であれあなたを悪く言う人を私達は許さないわ。例えそれがノア自身でも」


 そう言われたノアは目が熱くなるのを感じる。


「わかったかしら?」


「......はい」


「ふふふ、よろしい!これからあなたを待っているのは実の娘にすら面倒くさいと言わしめた私の愛よ」


ノアはなんとか決壊寸前の目を瞬かせ涙を食い止めていると、サナリとは別の重量感のある手が自分の頭に乗った感触が伝わる。

 その手が誰の物なのかすぐに理解したノアにその目から流れる物を止めることはできないのだった。

 胸の中で無くノアの頭を撫でながら、サナリは最初ジンからこの話を聞いた時のことを思い出す。

 最初はどうしようか迷ったが、血の繋がりは無くとも可愛い孫の頼みであると了承した。

 それからノアがこの家に来て、最初はジンから聞いた通り、精神的に脆くなっていることが伺えた。だが、それよりも気になったのは自分たちに向けられる目だった。

 怯えているような、それでいて縋るような、なんとも形容しがたい視線だった。

 気になってジンに詳しく聞けば、その視線の正体に気付いた。

 それはノアがずっと前から抱える、問題だった。

 サナリが最初に感じたのは、途方もない怒りだった。

 16歳の親のいる子供がなぜこんなにも苦しそうな目をしているのか、たまに親のいない子供と比べて親がいるだけマシだろうと言う人間はいる。だが、そんなものは話が根本から違うのだ。

 確かに親のいない子供は不幸と言えるだろう。だが、親がいて、その最も繋がりの強いその親から愛をもらえなかった子供は不幸ではないのか?否である。

 その子にも相応の苦しみがあり、不幸がある。サナリは思う。そもそも不幸を比べること自体が間違いであると。怯えた目で自分たちを見るこの子は今まで途方もない苦しみと戦い続けて来たのだと。

 そう思った時ロンドルの手がサナリの手に重ねられたことを感じてサナリがロンドルを見る。

 どうやら、ロンドルも同じ気持ちだったのだろう。それから優しく二人でノアを抱きしめた。

 ノアは一瞬硬直した後、徐々に力が抜けていく。

 会って数分ではある。けれどすでにもうサナリもロンドルも今自分たちの腕の中でどうすればいいかわからないと体を動かせずにいるノアを心から愛おしく思っていた。

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