第37話 捕らえられた勇者

 暴食の魔王に、剣の勇者が捕まった。

 アマネは魔王に抱えられ、魔王城のなかで最も堅牢な塔へと招かれた。

 いくつもの塔が連なる魔王城。天守閣の働きを持つメインタワーのとなりに、高く堅牢な塔がそびえ立っていた。メインタワーの奥からのみアクセスでき、螺旋階段をあがってしかいけない塔の上にある一室は、監獄と呼ばれている。暴食の魔王に反逆する魔族や政敵に対して使われたこともあり、だれの目にもつかないようにする隔離や、だれの耳にも入らないようにする口封じに用いられる一室だった。


 監獄塔は、侵入者にはたどり着けない位置関係であり、防衛に容易い構造をしている。暴食の魔王ネブリオは監獄塔にアマネを閉じ込めるとき、魔族を三人同行させた。屈強なミノタウロスを二体、搭上にある扉をふさぐように配置する。残りの一体のオークは、魔王に連れられ不安そうに室内にはいっていく。扉をくぐろうとして頭を打ち後ろに倒れ込むオークを、ミノタウロスが片腕で起こしていた。牛面のミノタウロスが、豚面のオークに近寄り介抱する。オークはへこへこと頷くと、でっぷりとした腹を邪魔そうにしながら立ちあがり、頭に気をつけながら室内へと入る。ミノタウロスは、壁に背をつけけだるそうに立ち、一匹は戦斧を、もう一匹はこん棒を手にしながら顔を見合っていた。


「ネブリオがまた、女を食べるのだろうか」


「わざわざ、こんなところで?」


 ミノタウロス達は、勇者が襲撃してくるのを心待ちにしていたせいで、最前線からはるか遠くへ配置されたことには不満を持っていた。ダンジョンではなく、城に配置され、戦闘訓練ばかり行わされていた若いミノタウロスは、初陣に華々しい戦果が欲しかった。勇者とは言わずとも、冒険者のひとりを倒し、首を斬り落とすことばかり考えていたため、不満は隠せない。急に魔王城内の防衛配置がガラりと変わったことは、ふしぎに思っていたが、戦えるならば、なんでもよかった。敵が来そうにもない螺旋階段をぼんやりと見つめ、ミノタウロスふたりは退屈をどう潰そうか悩みはじめた。

 監獄塔の部屋は、質素なつくりだった。

 薄暗い石造りの室内に、ネブリオが蝋燭に火をつけ、壁に備え付けてあるランタンに火をうつす。古い油の匂いがしていたが、火はつき明るくなる。オイルランタンに浸された巻縄がコゲ臭い煙をあげていた。

 表面がガザガザになったブナ製のテーブルのうえで、金属の光沢が光る。肉斬り包丁、手足を縛る鎖、大型のペンチ、ハンマーに、錆びた釘などが乱雑にかさばっていた。

 錆の浮いた鉄張りのベッドのうえに、アマネの体が投げられる。ドスンと音が響く。金属が振動する音は、小さくなりながら鳴り響いていた。

 暴食の魔王は、壁に直接打ち込まれている鉄製の鎖を掴むと、革のベルトでアマネの右手首を縛り、鎖へとつなぐ。同じことを、左手、右足、左足を繰り返した。アマネの透明な肌は、ロウソクの炎の揺らめきで輝いていた。手足には、無骨な鎖が巻きつけられる。鎖の長さを調整され、アマネの手足はただ広げられることだけを許される。腕が曲がらず、両足は閉じることを許されなかった。

 ネブリオは、アマネの身体を視姦する。生唾を喉に落とし込みながら、しばらくそうしていた。我慢ができなくなったように、口をひらきながら、アマネの太ももへと左手を伸ばす。やわらかく、肉付きのいいアマネの太ももは、暴食の魔王の指を沈みこませ、受け入れるように形を変えていた。ネブリオの口から、糸を引く液体があふれ出る。ぽたぽたとアマネの足元へと垂れ、水たまりをつくっていく。唾液に濡らされたアマネの太ももは、テラテラと光っていた。


「……たまらんな。極上の肉だ。クック、ようやくだ。ようやく手に入れたぞ。アマネェ」


 気を失っている少女の身体を、暴食の魔王は堪能する。

 肉付きのよさそうな太ももがお気に入りで、なんども手で触り弾力を確かめる。


「肉と脂肪のバランスがいい。さすが、鍛えた女の肉だ。極上の若い女戦士の肉など、食える機会はそうそうない。脂ののっただけの女も、やせ細っただけの女も食い飽きた。男ならば何度でも抱けるほどの極上の身体を、ただただ食べるためだけに手に入れる。これこそ、暴食の業よ。……フハッ、ハハハ」


 狭い部屋内に、魔王の声が響き渡る。ただひとり聞いているオークは、部屋の隅で体を縮こまらせていた。

 ネブリオはアマネの身体を見下ろし、動かない様子に安心しきっていた。覆いかぶさるように顔を近づけ、首筋に鼻を埋めたときだった。


「……はあッ」


 アマネの左腕がネブリオの胸の中心に突き刺さり、魔王の足が地面から浮いた。くの字に曲がった魔王の体。アマネは鎖に縛り付けられた体の可動域を測ると、肩甲骨を寄せ、腰のアーチをつくり、首の力を抜く。ネブリオが体を起こそうとする一瞬を狙った。


「ふっ」


 ――ガコンッ


 額と額がぶつかったとは思えない打撃音が響いた。

 ネブリオは頭を揺らし、地面に倒れ込む。対して渾身のヘッドバッドを決めたアマネは、触れただけで切れそうな眼光を、さらに鋭くして魔王をにらみつけた。アマネは少し前に意識を取り戻し、体の力を弛緩させながら耐えていた。魔王の体が、短くなったアマネの攻撃範囲内に入ってきた途端、牙を向き襲いかかる。気の強い女剣士は、決して折れない気高い精神を目で語った。

 生きている限り自由を求め、手首と足首の拘束を解こうとしていたが、キツくしばられた革のベルトは、片手ではほどけない。例え手首の骨を外しても、肉を削いでも外すことはかなわなかった。もし、アマネに手足を切断できる選択肢があれば、躊躇せずに片手を落として魔王に歯を突き立てていただろう。


「アマネエッ」


「キサマに名前を呼ばれる筋合いはない」


「食料にしかなれぬ分際でよくしゃべる口めッ。削いでやろうか!」


「勝手にするがいい」


 アマネは本心から、そう言っていた。


「例え口を失おうが、手を失おうが、私の願いまではキサマには奪えんさ」


 生死の窮地において、アマネは笑っていた。死ぬ瞬間まで、瞳から消えそうにないほど強い光を放っていた。


「……エサが。勇者をおびき寄せるだけの、釣り餌がッ! 勇者を殺せば、おまえは俺の腹のなかに入るだけだ。震えろ! 泣いて喚けよ!」


「バカかキサマ」


 自由な魔王が焦燥感に駆られ、不自由なアマネは不敵に笑う。


「死におびえるなど、いまさらだろう。戦場にいて、死なないと楽観したことなど一度もない。死は常に背後にいた。いまさら目の前から近づいてきたからといって、泣きも喚きもするものか。キサマにも忠告してやろう。死が背後から近づいてきているぞ、気をつけろ」


「どこに死が潜んでいるのか、教えてくれよ剣の勇者さま!?」


 ネブリオは怒りの形相でアマネの首を掴む。片手で締め上げられ、限界まで引っ張られた鎖が、アマネの手足に食い込んでいた。


「っく……あっ……カッはっ。ごほっ……アッ」


 空気の通りが悪くなった喉で、アマネはどうにか呼吸する。ネブリオは顔の赤くなったマネから手を離すと、アマネの身体はドスンと冷たい金属のうえに落ちた。唇の端から垂れた唾液を拭くこともできず、アマネはただ息を整える。息苦しさに涙を流しながらも、ネブリオに答えた。


「……キサマは、幸運と不運を招き寄せた。氷のダンジョンで、私と戦いキサマが勝ったのは幸運だ。不運は、牛魔の迷宮だよ」


「無能が三人まとめて死んだだけだ。不運でもなんでもない。ただ、弱者が淘汰されたのみッ。必然、そうなる現象だった」


「おや? 私はローエンをさきに討つべきだったというつもりだったが……よもや、ローエンに仲間を三人もやられたのか?」


 アマネは、目の輝きを強くした。理由はひとつ。ローエンが勝利を収める裏では、必ずハイドの存在がある。ハイドが生きている可能性の高さを裏付ける事実が、アマネの生をより確実なものにした。


「さきの戦争で戦力の減った魔王城に、炎の勇者を招き入れるのは失策だ。私なら、ローエンが捕まっても助けにはこない。しかし、炎の勇者はくるぞ。魔王を確実に倒せる手段をもって、キサマを殺しにくる。だれもが想像のつかない方法で、われわれにとっては最高の結果を。敵にとっては最悪の結果をもたらす。死の恐怖に震えていろ。まぎれもなく、やつらは世界最強のパーティーだよ。名を刻め、暴食の魔王。はじめて討伐された魔王としてな」


「なにも知らん勇者め。いいだろう、教えてやろう。俺は死なない。暴食のカルマは、俺に捕食者としての強さを与える。俺は傷を負わん。それすら喰らい、自分の力にできる。わかるか? 俺との戦いに剣で挑む時点で負けてるんだよ、学習しない勇者どもめ。ゴミ共の首に価値はないが、魔王の座には価値がある。カルマを溜め、俺はこの世のすべてを食らってやる。勇者らを全員殺し、冒険者を殺し、人間をすべて食らいつくす。子供は母親の前でかまどに投げ込み、焼けるまでの間に母親を食いつくしてやろう。男は殺し、女・子供は食らいつくす。暴食の業を、人間に思い知らせ、高みに座り見下してくる魔王共も全員殺す。そのために使われている道具なんだよ、アマネエ。道具として、俺に使われろ。最後には、肉片ひとつ残らず食らってやる。肉を柔らかくするために、酒を飲ませ、体の隅々まで犯しつくしてやろうではないか。明日には、炎の勇者と地の勇者をここに揃えて、目の前でおまえを犯し、食らってやるぞ、アマネエ」


「なにか言ったか? 男の自分語りほど聞き流してよいものはない。キサマはつまらん」


 ネブリオは激昂し、叫びながらアマネの腹を拳で打つ。


「うっぐッ。かハッ」


 受け身の取れないアマネは、衝撃に苦悶の表情を浮かべる。うめき声をあげながら、痛みを自制させていた。


「……奪えんよ」


「なんだ。まだ殴られたいか?」


 暴食の魔王は、何度も続けてアマネを痛めつけた。

 利き腕や脚を赤くさせ、痛ませられようがアマネは構わず言った。


「最後まで、私の尊厳は奪えんよ。死ぬとわかっていても、私の諦めないという選択肢だけは、奪えない。身を汚そうと、心を汚そうと、私は最後の瞬間まで、私であろうと努力する」


「すばらしい。感動で目から涙が出そうだ。……もう、いいぞ。不愉快極まりない。殺してやろう。お前の価値は肉にしかない。気高い尊厳も、生き様も、肉になれば変わらぬというのに。ムダなことばかりだと、すべてをわからせてやる」


 ネブリオは肉斬り包丁を手にとった。一振りで、人間の胴体ぐらいは切断できそうな幅と重さを備えたものだった。錆びた分厚い包丁を、ネブリオは片手で持つと刃を逆さにして左手で重さを受ける。重量のある包丁を、軽々と片手で扱っていた。


「頭と腕は茹でる。それ以外は焼く。邪魔な髪と皮をはぎ、きれいに肉だけにしてから、愛してやろう」


「煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」


 アマネは悲しい者を見る目を送ると、静かに目を閉じた。

 アマネには、生きる理由はある。願いもある。夢もある。しかし、逃れられない死を前にすると、私欲ばかり湧きでる自分が愛おしかった。やらねばならぬことを前に、ずいぶんと寄り道をして、それが自分を強くしていた。そんな人生が、愛おしかった。


「……ヤエ、さきにゆく」


 それだけつぶやくと、アマネは生を手放した。

 ネブリオは、たったひとりの人間すらも思い通りにできない腹立たしさに、肉斬り包丁を振りあげる。振り降ろす先は決まっておらず、すこし悩んだ。首にすることにした。手足を一本ずつ落としても、悲鳴のひとつあげずに死なれるのは、暴食にとっておもしろくなかった。

 ネブリオが肉斬り包丁を豪快に振りおろす。


 ――ズズンッ、ズズンッ


 地面が揺れた。監獄塔が――魔王城が揺れていた。

 ネブリオは、腕を振りおろそうとする状態で――止まった。

 すぐに聞こえてくるのは、爆発音。堅牢なつくりの塔を揺らした数秒後に、重く響く爆発音が響く。一度でない。なんども反響して、聞こえてくる。地面が揺れ、塔に響く。まるで、魔王城が悲鳴をあげているほど大きな音だった。


「……なにが起こっている」


 勇者を殺すどころではなくなったネブリオは、包丁をその場に落とすと、すぐに監獄塔の一室から出ようとした。退出するまえに、地面に膝をつけている情けないオークに伝える。


「オークよ。女を犯せ。次に俺がここに来るまで、絶えず犯し続けろ。殺しても構わん」


 部屋の隅でふるえながら、たしかな揺れを感じたオークは、膝をつき壁を背にしていた。いきなりそんなことを言われても、オークは立つことすらできなかった。

 魔王は扉の外のミノタウロスを押しのけ、螺旋階段を駆けおりる。メインタワーの四階にある玉座の間まで戻り見た光景は、現実とは思えなかった。


「……なんなのだ、これは」


 自慢の城壁が見るも無残に崩れ、大量の黒い煙があがっている。武器庫に誘爆し、爆発が連鎖し、さらに煙が立ち上った。白い煙が湧き出たすぐ後には、火薬から出る黒い煙にとってかわった。絶対に壊れないはずの城門が破壊され、城の内側に倒れ込んでいる。中庭では、配置した魔物たちが城壁からも城門からも離れようと逃げ回っていた。そんな魔物の背を魔導騎兵が襲いかかる。防衛装置であるカルマで動くゴーレムの騎士団が、各地で暴れて味方を殺戮していた。恐ろしく連携のとれた動きで、高い武力と機動性をもって次々と魔王城内を制圧している。


「……なんなのだ」


 発狂した魔王は両手で頭を抱えながら叫んだ。

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