第36話 暴食の罪は勇者を食らう

 グランガルドに訪れた勝利の余韻は、すぐさま立ち消えた。

 戦闘に加わった冒険者も、避難していた住民も全員が静かに空を見上げる。


『グランガルドに住む人間共に告げる』 


 天空に固定された橙色に輝く魔方陣は、声を届ける。男の声と連動して、巨大な魔方陣が振動し、揺れていた。


『私は〝暴食の魔王〟ネブリオ。魔王の一席に座るもの。貴様たち人類の敵である』


 低い男性の声は、グランガルドに届けられている。

 教会に避難していた住民は、耳をふさぎ身をすくませた。魔王という存在を、こんなにも近く感じられるのは初めての事だった。恐怖のあまり、すすり泣く声も聞こえだす。


『教会に告げる。〝剣の勇者〟は我が手元にある。欲しければ奪い返しにこい。来なければ、なんどでもグランガルドを襲う。昼夜問わず、グランガルドに対し魔物の軍勢を放ち続ける。街の存在が世界から消えるまで、食らいつくそう。盾突くものは殺してやる。若い女は捕まえ売りさばく、子供は調教し奴隷にして使い潰す』


 怒りを込めた男の声は、心をかき乱す。不安と恐怖が伝播し広がってゆく。


『一日だけ待つ。〝剣の勇者〟の命が欲しければ、我が城へと来い。〝炎の勇者〟と〝地の勇者〟が、冒険者を引き連れてくるがいい。食いあおうではないか、勇者よ』


 魔王は声を高々に宣戦布告をする。


『グランガルドの広場に、ゲートを結んだ。我が城へと招待してやろう。明日の日没になれば、ゲートを通して〝剣の勇者〟を返してやろう。無論、凌辱しつくし、殺した後でな。繰り返す。かかってこい、勇者よ。貴様らは全員、俺が直々に殺してやる。グランガルドの民よ、恐怖に震えろ。勇者の後で、貴様らを一人残らず食らいつくしてやる』


――ブウンッ


 大気を振動させた魔方陣が、小さく閉じるように消えた。

 残されたのは広場の噴水の横にある、オレンジ色の魔方陣。中心では光を通さない黒い渦が巻いており、近寄りがたい不気味な空気が漏れだす。


――グランガルドは混乱に陥った


 住民たちは勇者を出せと教会に詰め寄り、教会の騎士たちはそれを抑える。

 冒険者たちは、自分たちが再び争いに参加させられるのかと懸念していた。勇者たちの戦争に、巻き込まれるのかと。

 不安と恐怖がうずまくグランガルドの中心で、ひとりの男が声をあげる。

 先頭をゆくのは、勇者だった。


「オレはいくぜ」


 ローエン・マグナスが手を挙げながら広場の中央へと現れた。静寂を切り裂く一声だった。勇者が先頭を歩くとき、後ろには必ず仲間がいた。


「自分も行くっす」


「うちも行くに決まってんじゃん」


「〝猛獣の闘争〟全員ッ、魔王を討伐するぞ!」


 雷帝が拳をあげると、血の気の多い男たちが呼応する。


「「「うおおおおおおおおお」」」


 暗雲立ち込めるなかで戦おうとする希望の光の声は、街を活気づける。教会やギルドも、戦うための準備に入ろうとしていた。

 次々と戦う覚悟を決めた者たちは、いますぐにでも突入するのかと準備を万端にして広場に集いはじめた。

 冒険者たちの中心にるローエンは、自分についてきてくれたライアとミーナに頭を下げた。


「すまねえ、ライア。もう一度、手を貸してくれ」


「もちろんっす。どっちが魔王を討っても、うらみっこなしっすよ」


「頼もしいぜ。だれが倒しても構わねえ」


「ヤー。魔王城ってことは、城攻め? 火力足りるっかなーっ」


 ミーナは高い位置に跳び、参加している冒険者の面々を眺める。すでに五百人近くが、広場に集まっていた。


『こちら冒険者ギルドです。緊急任務が発令されました。魔王城へ参戦される冒険者は、ギルドでクエストを受注ください』


――ゴーン、ゴーン


 教会では招集の鐘が鳴り響き、ギルドでは冒険者を集めるための報酬を準備し、クエストを発令させたアナウンスが流れる。


「熱くなってきたぜ」


「はじめての魔王戦に参加できるなんて、うれしいっすね。勝つんでしょう? ローエンのダンナ」


「魔王に勝たなきゃ勇者じゃねえ」


「かははっ。違いないっす」


 肩を並べ合うライアとローエン。ライアは共に戦ってくれる冒険者たちを、だれひとりとして死なせたくはなかった。


「魔王戦なんて敵の戦力も未知数とは思います。ただ、勢いのままに行って勝てる相手じゃねえっすよね。……どうします? 自分らが導かなきゃいけない。じゃないと大勢、死にますよ」


 ローエンが火をつけ熱狂した冒険者たちを見たライアは、冷静に頭を働かせていた。主戦力を担うふたりには、大きな責任を伴う。


「わりいな。オレ、そういうのわかんねえんだ。相棒にぜんぶ、任せちまったよ」


 ローエンは恥ずかしそうに答える。その返事に目を輝かせたのはライアだった。


「アニキ、生きてたんすね」


 奥歯を噛みしめ、唇を震わせながら「よかった」と安堵を吐きだす。


「ハイドから伝言だ。冒険者のなかで旅団やパーティーを率いる者を集めておいてくれ。一時間後に作戦会議をはじめる。場合によっては電撃戦を仕掛ける。ってよ」


「マジすか。激アツじゃないっすか。負ける気がしねえ。いいっすよ。自分ら、アニキに行けって言われたら海底でもマグマのなかでも飛び込みますって。ミーナ、幹部だけ残って全員待機。戦闘準備はしておけ。関係パーティーと旅団にも伝えてくれ。うちのホームも開けとくから」


「ヤー! みーんなッ、ちゅうもくーっ」


 風のスキルで声を拡大したミーナは、全体の指揮をとっていた。

 街中に響き渡るほどの声量で叫ぶ少女を知っている冒険者は笑顔になり、知らない冒険者も緊張を解く。場を和ませる力が、ミーナにはあった。


「ダンナ、ハイドさんは、いまどこに?」


「……行っちまった」


「えっ? どこにっすか?」


 ローエンは、奥歯にものを挟まった言いかたをする。


「……魔王の城に単独で潜入しちまった」


「自分、助けにいってきます!」


 ハイドのことになると命を捧げるライア。単身で〝暴食の魔王〟の城へとつながるゲートに走り出し飛び込もうとする。


「待てって!」


「アニキ、アニキーーーーッ」


 ローエンが腰にしがみつき、ようやく前進をやめた雷帝の姿。冒険者の目には、勇んで止まない英雄の姿に見えたそう。


「ヤー! ライア、パないって」


 空中をひるがえりながら笑っているミーナ。これから魔王を倒そうとする若い冒険者たちは、無知を武器に活力を滾らせていた。




 魔王が宣戦布告するより前。

 ハイドはキキョウを連れて、リースメアの城へと帰還した。


「おかえり。マスター」


「おかえり、おにーさんっ」


「ただいま」


 ローエンが持つ回復効果を持つ深紅の外套〝不死鳥の鎧〟を着せたキキョウを抱えながら、ハイドは魔王城へと戻り歓迎を受ける。

 氷の大地から、ふかふかの赤い絨毯へと足元を変えたハイドは近くのソファへとキキョウを座らせる。顔色の悪いキキョウを心配するハイドのとなりにニンファが訪れる。ソファに座るキキョウの顔を覗き込むように腰をさげながらニンファはハイドに手を振る。あっちへいけというジェスチャーだった。


「はじめまして。エルフのニンファと申します。安心してください。いまから、怪我を治します。身体のほうは、すぐによくなりますわ」


「ありがとう、ございます」


 キキョウは自分へと伸びてくるエルフの手を取った。エルフの手は、治癒の光を放ちながらキキョウの体へ触れてゆく。

 ハイドはニンファに治療を任せると、ルイとシルフィアと向かい合い、ふたりを左右の手でそれぞれ抱きしめる。言葉はない。二人の背中に手を回し、ハイドは体重を預けながら下を向き、大きく息を吸うと、わななく唇を押さえ込みながら一言だけ言った。


「ありがとう」


 ルイは尻尾をぶんぶん振り、天使はハイドの腕に頬を寄せた。


「命をつないでもらった。俺に返せることがあれば、返す」


「いらないよ。おにーさんが、おにーさんでいてくれれば、ルイはいいのだっ」


「返してほしくて、命なんて助けないよ。生きて。それだけで、いいから」


 ふたりの少女は、ハイドに柔らかい眼差しと表情を向ける。

 ハイドはふたりを抱きしめたまま、息を多く含ませた声で、どうにか口を動かす。


「……ああ」


「わふっ」


「あはっ」


 心から信頼しあえる三人は、胸の内を同じ色で染めていた。

 いつまでもこうしていたい。

 そんな願望と自分の居場所を捨ててでも、戦うことを選んでしまう男がいた。

 ぬくもりから手を離し、重い顔をしたリースメアとコルトの元へとハイドは進む。


「リースメア。突然のことですまない」


「こちらこそ、ごめんなさい。傷つくあなたを、ただ見ているだけだったわ」


「俺の落ち度だ」


 リースメアは首を横にふる。ハイドは真摯にリースメアを見つめながら、頷いた。


「手を貸してくれ。勇者をひとり救いたい」


「ええ、もちろん。まだ、わたしと踊ってくれる?」


「地獄の底まで付き合おう」


 すでに大量の血が流れた戦いで、さらに血を流そうとする大罪人がふたり。手を取り合い、傷をなめ合い、ふたりで踊る。死がふたりを引き裂くまで、立ち止まることは許されなかった。


「どこまで、やるのかしら?」


 魔王とハイドは〝暴食の魔王〟と戦うにあたり、目標を設定する。


「俺の目標は、みっつ。ひとつめにアマネの救出。ふたつめにダンジョンコアの破壊。みっつめに、魔王の討伐だ。優先度も変えない。魔王の討伐は、勇者の役目だ」


「あなたは正しい。魔王を本当の意味で倒すのであれば、ダンジョンコアの破壊は必要不可欠よ。作戦をたてましょう。シルフィア、コルト。知恵を貸して」


 ハイドとリースメアの並ぶ机を、ヴァンパイアと天使が囲む。


「まずは無事でなによりだのう、小僧。つかみ取った勝利も素晴らしいものよ。誇ってもよい。そして、忘れろ。この先はさらに過酷な戦いになろう。お主には悪いとは思う。浮かれておる時間など、与えてやれぬ」


「構わないさ。いつの日か、死んでから墓の下でゆっくりするとしよう」


「くふふっ。生きてる時間など、あっという間よ。ムダにもしてくれるな。無下にもしてくれるな。しっかりと、いまを実感せよ。さあ、共に考えようかの。魔王城の落としかたを」


「〝暴食〟の城。地図をだす。立体映像をリアルタイムで出すから、よく見て」


――パチンッ


 天使の合図で、机の上に石造りの巨大な城が浮かびあがる。城壁に囲まれており、城壁の上では兵士が絶え間なく往来している姿が目に見えた。ただ暮らすための城ではない。戦争の拠点になり得る要塞が、そこに存在していた。多くの軍勢を収容でき、城壁に近づく敵を迎撃できる設備があり、入り組んだ城内の地形は侵入者の足を鈍らせる。数々の塔が連なり造られたゴシック様式の建造物は、美しさと堅牢さを兼ね備えている、まさに魔王の城だった。


「情報を整理するよ。冒険者のスタート地点は城門の外。魔王の位置は、メインタワーの四階。まず問題はふたつ。破壊不能付与のついた魔法の城門、おびただしい数の魔導砲が設置された城壁。城の四階までの予測ルートはこう。問題はみっつ。魔導巨兵と魔法仕掛けの昇降装置とダンジョン・トラップ。細かい説明は省くよ。だって、考える必要ないから」


 魔力を持たないハイドは、自分が苦手とする分野の障害たちに手を悩ませていた。天使は、悩む必要などないと言い切る。

 シルフィアは翠色の目を輝かせる。


「ぜんぶ壊してあげる」


――パチンッ


 精巧な〝暴食の魔王〟の城は、目の前で爆発し崩れ落ちる。

 城壁は半壊し、城門は崩れ落ち、城の内部も各所で暴動が起こる。オレンジ色の光を放つ全身鎧の騎士が、各地で剣を振り回し魔物たちを殺している。


「チェック」


 天使は王を攻撃し、次の一手で王が取れる状態まで持っていく。

 万全の体制で勇者を迎え撃とうとしていた暴食の魔王の城は、防衛設備の暴走と反逆により激戦区と変わり果てる。


「すべての魔法は、たったひとりの魔法使いが起こしてる幻想である、か。間違いとは言えなくなるわね」


「面白い仮説ではあると思っていたがのう。現実になると、これほどにも恐ろしい」


 ハイドは崩れる魔王城を隅々まで真剣な目で見つめ、一度目を閉じた。


「コルト、欲しいものがある。シルフィア、準備ができ次第、俺を魔王城へ送ってくれ。アマネを救出し、ダンジョンコアを破壊する。キキョウには戦線復帰してもらおう。冒険者を集め、すぐにでも魔王城へ攻め入る。乱戦になった城内では、作戦もなにもない。ただ、魔王のもとへ向かい倒すだけだ。極めて簡単なダンジョンアタックだろう」


 ハイドはリースメアに、ひとことだけ言った。普段と変わらぬ表情で、少しだけ声を弾ませる。


「散歩をしてくる」


「ええ、くれぐれも気をつけて。魔王はタフよ。簡単には倒せないわ」


「ああ、よく知っている」


「ちょっと、どういうこと?」


 リースメアはハイドの背中を叩いた。「いってらっしゃい」の言葉と共に。ハイドは背中越しに手を振ると、キキョウとニンファへ声をかけた。


「キキョウ、アマネは任せてくれ。俺が救い出す」


「申し訳ありません。お嬢様を、よろしくお願いします」


「必ず救い出す。その代わり、むずかしい役目を任されてくれ。ローエンとライアを連れて魔王のもとへたどり着いてほしい。アマネをその場に送り届ける。手順は説明する」


「なんでもします。おっしゃってください」


 すがるようにハイドに頭を垂れるアマネの両肩をハイドは押すと、キリッと結んだ唇を歪ませるように頬を揉んだ。


「あのっ、ハイド様?」


「気張るな。笑っていこう。さて、魔王の倒し方を説明しよう」


「ほのままですか!?」


 ハイドはまじめに聞こうとするキキョウの頬を押し上げ、地図のあるテーブルへと連れてこうとする。


「まだ、あなたにお礼ができてませんの。かならず、戻ってきてくださいませ」


 ニンファは世界樹から生み出したエリクシールを、ハイドに渡した。小瓶に入れられたそれをハイドは受け取り、ポーチへとしまい込む。


「すぐにまた、ニンファに怒られる日々が戻るさ」


「もうっ。怒ってるつもりは、ありませんのよ」


 ニンファはハイドに怒りかけ、どうにか抑えると耳の先まで赤くしながら、うつむいていた。「待っていますわ」と小さな声でつぶやく。


「ニンファなら多少待たせてもよいだろう」


「どういうことですの!?」


 ほらみたことかという表情をハイドが浮かべるとニンファはハッとした。

 ハイドは誰かと言葉を交わすたびに、生に対してしがみつきたくなる欲を抑え込み、飼い慣らす。死と戯れるには、生への執着が必要なことを、ハイドはよく知っていた。

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