第18話 エルフは世界樹の夢を見る

「おはよ」


 ハイドが目覚めると同じベッドからメイドがささやいた。

 ベッドを共にしている三人目の隣人は、まだ寝息を立てている。

 ハイドは物音を立てずにベッドを抜け出すと、テーブルのうえに畳んで置いてある着替えを身につけてから、部屋を出た。

 すでにメイド服を身に着けているシルフィアが外に出てから、ハイドは言う。


「おはよう」


「うん。おはよ。朝ごはん、できてるよ」


「すまないな」


「あはっ。めずらし。まだ、眠そうだね」


「疲れ果てた。まだ体が重い」


 昨晩を思い返すと、げっそりとするハイドだった。ベッドで寝ている魔王は、昼過ぎになれば上機嫌に起きてくることだろう。


「癒してあげようか?」


「いつも悪いな」


「あはっ。朝からご褒美、もらっちゃうね。……ちゅっ」


 メイドは白いレースのロンググローブに包まれた指先でハイドの顔を優しく包むと、唇を求める。

 天使のくちづけには、癒しの効果があった。へたな気付け薬よりも効く万能性だが、副作用が強い。その優しさへの依存性が強いために、ハイドは何度でもシルフィアの温かさを求めてしまっていた。


「おいしっ。元気、あげるつもりが、もらっちゃったかな」


「ふーっ。助かる」


 ハイドの顔色は目に見えてよくなった。

 メイドに連れられハイドは朝食の席につく。出された朝食は、グリーンサラダにカットした田舎パン、メイドが愛情のあまり焼きすぎた卵焼きに、フレッシュなリンゴジュースだった。ハイドは卵焼きを食べると「今日も絶品だ」とメイドを褒めた。内心でも、だんだんと食べ物に近くなっていくことに喜んでいた。

 朝のひとときをメイドと過ごし、仕事に行くシルフィアを見送ったハイドは、ルイのレセプションルームを訪れる。ルイが過ごす部屋は、広大な草原だった。

 ハイドが入ってきたことに気づいたルイは、どこにいても走って飛んでくる。歓迎のお返しに、ハイドはルイに殴りかかった。


「えへっ。遊んでくれるの?」


 拳を躱しながらハイドの懐に飛び込んでくるルイが、尻尾を躍らせていた。


「遊んでもらおうか」


 ハイドは鋭い踏み込みで左のジャブと右のフックを放つ。ルイは膝のクッションを利用して上体を反らし、ふたつとも必要最低限の動きで避けた。ルイは、反撃にでる。ハイドの動きと同じぐらいの速度で、巧みなステップで間合いを取り、フェイントを入れながら左手でパンチを出す。距離の取り方がうまいルイに、ハイドは苦戦していた。


「えいっ」


 ルイがハイドの左ストレートに反応してカウンターを狙う。ハイドは自分のほうが速く打ち込めると確信し、勢いよく振り抜く。しかし、ルイのほうが一枚上手だった。訪れるはずだったルイの拳はキャンセルされ、代わりに右足のカーフキックが飛んでくる。


「わふっ。わかるーっ。いまのカウンター取れたと思うもんね」


 無様にも脛を押さえて地面に転がるハイドは、空の青さを眺めていた。


「もう一回だ」


「わーいっ」


 動きの質を変えてルイに挑むハイド。もう一歩のところで躱され続けるせいで、ハイドは熱くなる。近接格闘技術のすべてを用いて、ただ一撃を当てることのみにこだわっていた。


「いまの動きおもしろい。こう?」


「くっそ」


 はじめて見た技の模倣が、自分よりもうまく動かれるとハイドとしては複雑だった。

 鋭く伸ばされた指先がハイドの首元でぴたりと止まる。ルイが真似をしだしたのは、ハイドが少しだけ習ったことのある拳法の動きだった。柔拳の分類で、攻防を一手で行おうとする動きは、ルイの興味をひいた。


「もっと教えてほしいなーっ」


 純粋な目がハイドに向けられる。ハイドは好意に弱く、期待に応えてしまう男だった。

 ルイの前では快く技を教えるハイドだったが、後でシャワーに打たれながら呻き声をあげる程度には後悔していた。ルイの近接格闘のセンスに惹かれ自分の知っているかぎりの技術を見せた。すると、ルイはみるみる上達していく。その姿は、ハイドが嫉妬するほどだった。


「ふう。空気がうまい」


 ハイドが次に足を向けたのは、庭にあるハイドの畑だった。

 ニンファがハイドに用意した麦わら帽子と長靴と手袋を装着する。村暮らしの経験のあるハイドは、畑仕事が嫌いでなかった。

 エルフが管理している庭の一角にある自分の畑。一日に一度は様子を見にくるようになっていた。特にすることはないと思っていても、発芽した芽の間引きなど、なにかしらやらねばならぬことが見つかる。ついでにニンファの果樹園から果物をもらい、腹が空いたときに食べている。

 すこしずつ畑を広げ、ゆっくりと土をつくることの楽しみを見出していた。


「精が出ますのね」


 涼し気な顔をしたエルフが姿を見せる。緑色の長髪が、光にあてられて輝き、揺れていた。白と緑の衣服も、ところどころに土がついている。しかし、ニンファの美しさは少しも損なわれていなかった。


「邪魔してるぞ」


「ええ、構いませんわ。作物に悪い虫がつくよりはマシなので、許して差し上げましょう」


 ハイドは、エルフが向けてくる言葉に引っ掛かりを覚えながらも、本人は悪気なく言っていると知り、気にならなくなっていた。

 ニンファとハイドの仲こそ順調とは言い難いが、作物の進展は順調だった。


「ほら、そろそろ葉の長くなる子たちに支柱を立てなさいな」


「この土なら支柱を二本、立てれるだろうか」


「どうでしょうか」


 ニンファはハイドのとなりでしゃがみ込み、土に指を入れてつまんでみる。リラックスする草木の香りがハイドに届いていた。

 土がやわらかいせいで、畑に支柱を立たせることに苦労した。ニンファの手伝いもあり、どうにか形にする。

 ニンファとハイドは、汗ばむ体を木陰で休ませていた。

 井戸から汲んだ冷たい飲み水をハイドはがぶがぶと飲むと、ログハウス近くの小川で顔を洗う。そのとき、手にペンダントが引っかり思い出した。ペンダントは、ニンファから預かっていた植物の種だった。


「ニンファ、いまいいか?」


「なんですのー?」


 ニンファは胸元を引っ張り風を送りながら、涼んでいるところだった。口には冷たい氷菓子を入れている。ハイドには、たまにしかくれないものだった。


「これの件なんだが」


「すっかり忘れていましたわ」


 ニンファは素で忘れていたらしい。

 畑を借りていることもあり、義理堅いハイドはニンファへの報告を欠かさない。


「芽がでたようなんだ。見てもらえないだろうか」


「はあ。そんなに簡単に芽がでるものではなくてよ」


 ニンファは呆れながらもハイドに近寄り、胸元の草木のペンダントを引っ張る。中を覗き見るように眺めた。


「……ぱくぱくっ」


 ニンファは驚きのあまり口をひらき、言葉を失う。なんどもハイドの顔とペンダントの間へと視線を動かす。


「出てますわーーーーーっ」


 甲高い声が響き、ハイドはキーンとなった耳を押さえていた。


「待ちなさいニンゲン、落ち着きなさい。どうやりましたの、どうなってますのーーっ」


「落ち着け」


「落ち着いていたらこうはなりませんわーーーっ」


「だろうな!?」


 力任せにハイド揺さぶるニンファと、されるがままのハイドだった。


「気がつくと勝手に芽がでた」


「それではこまりますのよ!?」


「俺は困らん」


「わたくしが困りますの。お願いです、思い出しなさい。思い出すべきです。どうやって、芽を出したのですか。どうしたら成長させられるのですか!?」


 ふだん強気なエルフがハイドに頼み込んでくる。

 立場が逆転し、ハイドはにやりと意地わるく笑った。


「なにか思い出しそうだ。ただ、なぜか思い出せない。ああ、これはきっと、いままでニンファの爆発魔法をくらったり、意地の悪い言葉をもらったストレスが原因に違いない」


「だからニンゲンは嫌いなのですわーーーーっ」


「うっ、さらに思い出せなくなりそうだ」


 ハイドは笑いながらニンファに言う。ここぞとばかりにニンファで遊んでいた。


「うううーーーーっ、悪かったですの。……ごめんなさい。ごめんなさいですわ。今後は優しくします。お願いします、ですわ」


 スカートの裾を握りしめながら、ニンファはハイドに謝った。


「すまん。じつは、本当に知らないんだ」


 ハイドも素直に謝った。


「……一度、吹き飛ばしてさし上げますわ」


 遊ばれたエルフは笑顔で怒る。すごみを効かせ、ハイドもたじろいだ。ニンファの怒りに精霊が反応しはじめ、空気が揺れる。

 一度、大爆発をくらったことのあるハイド。これはまずいと取り繕う。


「わかる限りの話をしよう。発芽したときの記憶がある。だが、なぜ発芽したかはわからない」


「そうですか。そのとき、なにをしていましたの?」


「シルフィアとキスしていた」


「つまらない冗談は、本気でぶっとばしましてよ?」


「ふざけているわけではない! 本当だ」


「まことに残念ながら、精霊がこの冗談をウソを言ってくれませんの。あなたの思い込みではなくて?」


「俺を疑うのは結構だが、精霊は信じろ。シルフィアとキスしていたら発芽していた」


「……はずかしげもなく、まあ」


 ニンファは顔を赤くしながらハイドを睨みつけた。


「……キス。試す? いやいやいや、ですが……それで発芽するのであれば。くうーーっ」


「ニンファは、ひとりでも楽しそうだな?」


「なぜあなたは、わたくしに喧嘩を売ってくださいますの!? 買いましてよ!?」


「さあな。リンゴ姫の毒舌入りのリンゴを食わされたのか、舌が肥えたかもしれん」


 ニンファはハイドの名前を叫んでいた。キーンとした耳をハイドは押さえた。

 ぷんすか怒ったニンファは、しばらく黙り込んでしまう。

 リンゴをひとつ食べ終えてから、ハイドは聞いた。


「それで、これは一体なんの種なんだ?」


「精霊の住む木ですの。精霊の止まり木として、精霊が住みつき増える。そんな大樹の種ですわ」


「木の種か。ゆっくりと育つのだろうな」


「その大樹に限っては、そうではありません。おそらく、なにかの機会にいきなり成長します。そして、大樹がその場にそびえたつのです」


「俺が養分になることはないだろうな」


「汚いからやめてくださる? その大樹は世界から少しずつ力を集めて成長し、世界を支えるのです。精霊と魔力をつかさどる大樹の名は、そこから来ていますの」


 ハイドはぴんときた。


「まさか世界樹か」


「ええ。言ってませんでした?」


「ニンファが俺に聞かせる言葉は指示ばかりだ」


「あら、失礼いたしましたわ」


 ハイドは首のペンダントを手に持つ。世界樹の種。それが、どのような意味を持つのかは知らなかった。


「希望ですの。それは、わたくしの願い。この世界に精霊の輝きを取り戻すために、失われた世界樹を取り戻す。いつの日かくる災厄から、この世界を守るために。ついでに増えすぎて自然を破壊する人間を粛清するためにも」


「この話はなかったことにしよう」


 ハイドは人類の敵になりかけていたことを知ると、ペンダントを外した。


「それは冗談としてですね」


「ニンファが言うと冗談に聞こえん」


「半分は本当ですもの。べーっ」


 憎らしい笑みで赤い舌を出しているニンファ。

 ハイドは拳を握り、震わせていた。重いため息をつくと、質問を続ける。


「芽が出ている種を、地面に埋めてもダメなのか?」


「おそらくは。成長に必要なエネルギーがわかりませんもの。いったい、なにがきっかけなのでしょうか」


 ハイドはシルフィアが唇を指さしていたことを思い出した。


『必要なエネルギーは、自然のマナでも人間のカルマでもない。あはっ、なんだろうね?』


 シルフィアの言葉にどきっとしたハイドは照れ隠しで誤魔化したのを思い出す。


「……まさか。な」


 他人を本心から信じることのできないハイドには、無縁の言葉が思い起こされた。

 発芽した種子を、ハイドは申し訳なさそうに見つめていた。


「考えても、わからないものは仕方ありません。甘いものでも、食べます?」


「いただこう」


 ニンファの好意をハイドは受け取る。

 凍らせた冷たいフルーツだった。木目のきれいな椀のうえで、山になっている白い果実をハイドはひとつ摘まむと口に放り込んだ。


「なんだ? この果物。甘いが……くっ」


「わ、わわ、わるいようには致しませんわ。安心なさってくださいまし」


 ニンファはハイドと目を合わせようとしなかった。

 ハイドは膝をつき、身体を地面に倒す。ふらつきがあり、体が動かせなかった。


「ニンファ、いったい。なにを」


 日が暗くなるように、ハイドが見る景色が彩度を失っていった。やがて、目は閉じられまどろみの世界に行く。


「……寝ましたか」


 昨晩もろくに寝ていないハイドにとって、睡眠の誘発は弱点に近かった。

 深い眠りについたハイドの頭をニンファは持ち上げる。やわらかい太ももにのせると、ハイドの顔をうえに向かせた。


「……キスする顔なんて、ニンゲンのあなたに見られたくないではないですか。べーっ」


 ニンファは、自分の性格をよく知っていた。

 星に生まれるすべての生命を尊び喜んでしまう。花を愛で、その生命力に感動する。

 一生懸命に生きようとする命も、食物連鎖の営みも、生命の息吹と神秘にふれ、なにか大きな存在に触れられた気がする。その感覚が好きだった。

 自分が悲しくなるだけなので、小さなものには、なるべく情を持たないようにしている。

 入れ込みやすく、惚れやすい。愛に溢れたニンファは短命種族に関わることを意識して避けるようにしている。

 気がつくと自分の生活圏に入ってきてしまった男に、ニンファは心を許しつつあった。

 ハイドと触れ合うことにより、情が移り自分が変わってしまうことを恐れたニンファは、卑怯な手で彼を眠らせた。

 失われた世界樹を取り戻すため。ニンゲンを利用しようとする自分に嫌悪しながら、言い訳がましくハイドに声をかける。


「許してくれなくとも構いません。どうか、試させてください。わたくしの夢のために」


 ニンファは、はじめての口付けを男と交わした。

 ふれたのはわずかな時間。ニンファは永遠のように感じ続ける唇のぬくもりを、自分で触ってたしかめていた。

 火照り始めた体を、高鳴る胸を、抑えきれない自分の感情を知ってしまう。

 芽吹いた感情をなんとよぼうか。

 春風のような突風が吹き抜けた。

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