第6話 魔王城の風呂は、爆発する

 魔王城内にあてがわれたハイドの自室から、月が見えている。

 半分の月は、暗夜にきらめく。月のひかりは窓から差し込み、部屋を薄暗く照らしていた。ハイドは光から隠れるように、窓から離れ壁に背をつける。ランタンに火もつけず、暗い室内でじっと物思いにふけていた。

 城のなかにある居住区では、寝室とレセプションルームと呼ばれる趣味の部屋がそれぞれに与えられる。ほかの住人は、憩いの場となるレセプションルームにいることが多いのか、ハイドの部屋の近くで物音は聞こえなかった。

魔王と側近四名は共同生活をしている。そこに加わることになったハイドは、身の振りを考える前に、落ち着かなさを感じていた。

周りが女ばかりだから――などという浮かれは一切なく、単純にハイドが一ヵ所に腰を落ち着けるのは初めてのことだった。

 ハイドは十四のときに、拾われ育った村が〝魔王の行軍〟スタンピードで無くなってからは、ローエンと共に各地を転々としていた。野営と野宿が基本だった男は、いきなりふかふかのベッドを与えられ困惑していた。


「すこし、出歩くか」


 あてもなく、自然の結界に囲まれた城内を歩く。

 四方を天変地異が起こる大地に囲まれた魔王城。もし、逃げるとしても入念な準備が必要になった。

 惜しみなく蝋燭を燃やし続ける明るい城内で、身の振りを考える男は、唐突に主と出会った。城の主であり、魔族領の王である女傑が話す。


「はぁーい」


 風呂あがりで濡れた髪を張り付かせながら、生足を惜しげもなく見せつけるようなショートパンツに、胸元の大きく開いたインナー姿の魔王が現れた。気さくに手を振っている。


「……ああ」


 魔王を倒すという輝かしい目標を掲げ、泥臭く血にまみれるような努力をしている勇者を、ふたり知っている。

 この姿をみたら、なにを考えるのだろうか。

 目の前の魔王は、どこにでもいる成人女性のようにも見えた。


「なによー。お風呂あがりの魔王さまをみて、ちょっとぐらいラッキー! って思いなさいよね。ハイドくんたら、失礼な男だわ」


 表情をころころと変えながら、すねてみせる魔王リースメア。

 無表情ながらも白い目をするハイドに、魔王は笑顔のまま言った。


「ちょっとわたしを好きになーれ」


 命令口調で魔王はハイドに言う。

 ハイドにとって絶対的な強制力を持った言葉が襲いかかる。


「……ぐっ」


――バチン


 見えるほどの雷が、ハイドの体を襲った。


「なんで抵抗するわけっ!?」


 従うことを拒む罰としての雷に、魔王は不服そうだった。


「はあっ。なしなし。いまのナーシ」


 リースメアは右手を胸の前で横にふっていた。


「ひとつ、聞きたいことがある」


「それなら、わたしの寝室へ行きましょうよ。それとも、みんな入っているお風呂の前で、出待ちしながら話したいのかしら?」


 魔王は扉を指さした。あの奥にバスルームがあるらしい。


「そんなわけないだろう」


 バスルームがあることは知っていたが、どこかは知らなかったハイドは、眉間にしわを寄せた。

 その様子を面白がったリースメアは走る。バスルームの扉を開けると、大きな声で言った。


「ねえーっ、ハイドがお風呂はいりたいってーっ。いいわよねーっ?」


「おいっ」


 まっさきに返ってくる言葉は、悲鳴のようなエルフのニンファの声だった。


「冗談じゃないわっ。なんで人間の男といっしょに入らなきゃいけないのよ。庭のホースで水浴びでもしてなさいよっ」


 気持ちよさそうなルイの声も聞こえてくる。


「きていいよーーっ」


「ほら、いいって。行かないの?」


 リースメアは、目を輝かせていた。


「……だれが行くか」


「ええーっ。……うふっ」


 肩を下げるリースメアだったが、唇を歪ませた。

 嫌な予感が働いた。ハイドは全力で回避行動を取る。

 すばやく腕を頭上に回す。右腕で右耳を右手で左耳を押さえた上に左手を重ねて聴覚を閉じ、逃げ出した。


「ハイドッ、浴槽の中心に全力で飛び込めーーっ」


「あああーーっっ」


 なにを命令されたかを、聞かなくてもわかったハイドが叫ぶ。自分の意思よりも、強制力に従ってしまう体は、180度反転し、浴室へと向かいだした。


「服は脱ぐのよ」


「リースメア、お前にどうしても言いたいことがある」


「そう。愛と感謝の言葉だけ受けつけているわ」


「覚えていろ」


「いってらっしゃーい」


 聞く耳をもたない魔王は、とびきりの笑顔で手を振った。

 ハイドは駆ける。

 なるべく周囲を見ないように衣服を脱ぎさり、裸一貫で脱衣スペースを走り抜けた。

 逃げることもできない。

 言い逃れもできない。

 腹をくくったハイドは、悪魔の契約に腹を立てながら、バスルームに突入した。

 くらくらするような甘ったるい香りが充満していた。


「きゃああああああーーーーッッ」


 エルフが大声で悲鳴をあげる。広々とした石造りの浴室に反響していた。


「おにーさあん、こっちーっ」


 ルイが大きな浴槽のなかで、手を振っている。ハイドはそれどころではない。広すぎる浴槽に、中心はどこだと舌打ちをしている。

 黒色の大理石でつくられた浴室。獅子の口から流れ落ちる膨大な湯を、白色の大理石でつくられたプールのような浴槽が受けとめている。


「……ここ」


 浴槽のまんなかで、天使が呼ぶ。

 ハイドは進行方向を修正し、飛び込む姿勢をとる。


「おっと。体の汚れを落としてからというのが、マナーかの」


 コルトが浴槽に腰かけながら、桶でハイドに湯をかぶせる。


「すまない」


「やれやれ。お主にこの状況を楽しめる器量があれば、なおよしよ」


 しっとりと紫色の髪を濡らしたコルトは、やさしく目を向ける。


――ザパーンッ


「ぷはっ」


「見ちゃ、だめ。ぎゅー」


 勢いのまま飛び込み、潜ったあと浴槽の床に手をついて一気に立ちあがったハイドの背後から、シルフィアが手を伸ばす。ハイドの顔に両手をあてていた。自分の裸体をハイドに密着させながら。均整の取れた美しい体は、ハイドを後ろから抱きしめる。


「死ねニンゲンーーーッ。沸きあがれ、百二十八の火と水の精霊よッ。荒れ狂え千の水の精霊ッ“バーニング・メイルシュトローム――」


「よさんか」


 羞恥のあまり暴走し、グラマラスな身体をちいさくしながら詠唱するエルフを、発育を遂げていない少女のような身体をしたコルトが止めていた。


「あいたっ。うう~~~~っ」


「おにーさん、あっちにプールもあってねっ。ねねっ、泳ごうよ」


「水着、もってくる?」


「このままでいいじゃんーっ」


 遊びたいルイが、跳ねて水面を躍らせていた。


「好きにしてくれ」


 ハイドは魔王城にきてから、何度目かの諦めのセリフをはいた。


「風呂はのんびりと、くつろぐもの。小僧も例外ではないわ。ほれ、これでよかろう」


 コルトがハイドの目の周りに、タオルを巻いた。


「ゆっくり浸かるがよい。精神も身体もお疲れであろう。〝夜の〟にえらく気に入られたものよ。見た目からは想像がつかぬぐらい、乙女でイタズラが好きな魔王だからのう」


 少しも気にせずに話すコルトに、ハイドは驚いた。見た目は一番の少女が、一番の落ち着きを見せている。


「くふふっ、ともに風呂に入ってくれる男なんて、記憶のかぎりないの」


「……はじめて」


「それはそれは。天使よ、気分はどうかの」


「どきどき」


「くふふっ。この姿を見られぬのは、悔しかろう小僧」


 浴槽の縁を手で探りながらいるハイドが言った。


「実に残念だ」


「あはっ」


 シルフィアの、きれいな笑い声が浴室に響いた。


「……わたくし、もうあがらせてもらいますわ」


 ひとりだけ怒っているエルフは、ひとりで出ていく。


「そうだっ。えいっ」


 ルイが、ハイドの目に巻き付けてあるタオルを奪った。

 ハイドは目を開けた。この場から逃げるために。


「いいですこと、ニンゲン。って、あなたなんでッ……いやああああああっ」


 タイミング悪く振り返るニンファと、バッチリと目を合わせてしまうハイド。はじめて見るエルフの姿に、全身をまじまじと見てしまう。

 羞恥心に全身を真っ赤にさせたエルフの周囲が輝きはじめる。


「まずいっ、精霊があやつの感情に反応しておるっ」


 はじめて狼狽をみせるコルト。ルイとシルフィアを近くに引き寄せると、即座に姿をくらまし、浴室から脱出した。

 風呂場にはただひとり、わけのわからないまま立ち尽くすハイドが取り残された。


「嫌い、嫌い嫌い。大嫌いーーーッ」


 ニンファが天井を見上げて叫ぶと、空間に光が満ち――爆発を起こした。

 轟音と爆風に満たされる室内。光と熱が押し寄せる。

 揺れる大地と荒れ狂う水面。

 光が収まっても、いつまでも甲高い音が反響し響き続けていた。

爆発が収まると、リースメアが立ち入ってきて叫ぶ。


「ハイドッ!?」


 跡形もなく吹き飛んでいてもおかしくない。そんな惨事の後だった。


「くそっ、死ぬかと思った」


 ハイドは逃げきっていた。

 危険を察知すると、となりにある広いプールへ潜り、荒れ狂う水流のなかで息を止め続けていた。


「よかったわ」


 魔王は胸をなでおろす。

 どうにか生きながらえたハイドは、柱廊が続く長いプール沿いを歩き、風呂の近くへ戻ると倒れているエルフを見つけた。


「無事なのか、これは」


「……きゅうッ」


 エルフ特有のきめ細かいシルクのような肌が、ゆであがったタコのように赤くなっている。


「あらまあ、かわいいこと。ニンさまったら、恥ずかしかったのね。運んであげて、きっと喜ぶわ」


「リースメアの言う喜ぶは、俺にはわからん」


「あら、かわいいエルフちゃんをお部屋に運ばせてあげるのに、喜ばないの?」


「喜ぶって、俺の話か」


「うふふっ、バレちゃった」


 ハイドはニンファを抱きかかえると、しぶしぶと彼女の部屋へと運んでいった。

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