第5話 暗殺者は魔王に服従する
侵入者は去り、魔王城に静寂が訪れた。
城内の面々は役割を振り返り、検討している。
捕らえられた侵入者、ハイドは床に膝をつき手を自主的に後ろに回したまま、様子を伺っていた。拘束具は外れていながらも、捕虜という扱いを受け入れる。
ハイドが異様なまで落ち着けているのには理由があった。捕虜になるのは、はじめてでない。生きてさえいれば、幸運は訪れると知っていた。
ハイドは魔王城を観察し気がついた。城というには、あまりに存在する人間がすくない。
魔王リースメアと、側近が四人。それだけしか人物が存在しない魔王城だった。
側近の四人の立場は友好関係にあり、魔王と共にたのしそうに話している。
魔王と従者の関係は、恐怖と強い力関係を思わせる関係ではない。勇者とその仲間の関係によく似ている。
それに、ひとりひとりの実力は不明だが、狼の少女はローエンでさえ手も足もでない実力があることがわかっていた。ハイドが、正面から敵対できる相手ではない。
しかし、ハイドにとって、この負けかたは悪いものではない。
魔王城から逃げきれれば、やり直しがきくと踏んでいた。
自分ひとりなら、全員から逃げきれる算段もあった。それこそ、いくらでも。
「それじゃあ、そろそろ本題に入りましょうか。本日の戦利品。ハイドくんでーす」
勇者が去ると、威厳を捨て去った魔王。ヒールの高い靴で駆け寄り、ハイドの両肩に手を回しグイグイと押した。
「わーいっ」
無邪気な狼は喜ぶ。白い髪を揺らし、両手をあげ、尻尾をまわす。
「ぱちぱち」
小さくつぶやき、上品なグローブに包まれた手を叩くメイド。金色の髪を揺らし、口元を緩める。
「ふんっ」
対照的に、ハイドを見ることさえも嫌そうにするエルフの少女。緑色の髪を手で後ろに流しながら、キツい目つきで睨んでいる。
「人間の男がひとりで魔王城は、ちとかわいそうではないかの」
困ったように聞くのは紫色の髪を短く整えた小柄な少女。見た目のわりに、落ち着いた話しかたをした。
「んーっ。そうなんだけどね。彼がもし、この城を出て行った場合」
ハイドの後ろで魔王リースメアが悩む。
言おうかな、どうしようかな。
しばらく考えてから、リースメアは口にした。
「ここの全員、殺されるわよ?」
にこやかに言うリースメアの様子を、まわりはいつもの冗談だと受けとった。
「……はあ?」
エルフが疑うように見つめてくる。そんなわけないでしょう、と目が語っていた。
「ほんとうよ。ハイドくんのきまぐれで生きているわたしが言うのよ。見たでしょう、全員に気づかれず単身でわたしだけを狙いにきたの」
「……それは、そうですが」
エルフの少女は口ごもるも、反論する。
「だからと言って、殺せるのとは違います。せいぜい、気づかれないスキルを持っているぐらいで」
「……彼、スキルも魔力も持ち合わせてない」
エルフの言葉を遮ったのは、メイドだった。
「稀にいるとは聞いていたが、ほう」
人間を見る目から、珍しいものを見る目に変わる。
「なおさら、わかりません」
「敵になったルイがね、どこにいるかわかんないのと、ちかくにいて監視できるの、どっちがいい?」
狼の少女はあぐらをかき、尻尾を手入れしながら言っていた。
エルフは「そういう問題ではありませんわ」と独特な響きのある高い声で言っていた。
メイドは静かにハイドに近づき、棒つきの小さなキャンディを差し出す。渡すときに、口に差し入れるようなしぐさをし、耳を立ててみせていた。
『エルフの口に、飴ちゃん入れてみて』
穏やかな青い目で、イタズラに口元を歪ませるメイド。
メイドがハイドになにかを渡したことを気づいたのは、リースメアだけ。ほかの三名は談笑に夢中になっていた。
ハイドは自然な動作で立ちあがり、静かに歩く。
彼にとっては、ふつうに歩く。歩きながら、キャンディの包装を取り、エルフが反論するために口をあけて息を吸うタイミングでキャンディを口のなかに放り込んでみせる。
「んなーっ」
口のなかの異物に、おかしな声をあげるエルフ。
なにが起こったかわからず、周りを見回す。
ハイドはラグの敷いてある位置に座りなおし、膝を立て手を後ろに回していた。
「……なんでふの、これ」
口のなかのキャンディが言葉をあいまいにしながらも、起こった事実はあいまいに出来ない。頭に疑問符を浮かべたエルフは、首をかしげる。
ハイドの香りを鼻に感じた狼のルイだけが、注意深く辺りを観察したときに、包装紙が鳴らすクシャッとした音を聞き、ようやくハイドがいることに気がついた。
「うん? なにかあったのかの」
エルフのとなりに立つ紫の髪の少女はまったく気がついていない。
話し込む三人の横を、ハイドが横切り、帰ってきたことに。
「ぱちぱち」
「あらあら」
メイドが手を叩き、リースメアは困ったように眉を寄せる。
「わーおっ」
整えたばかりの尻尾が、ルイの思惑の外でパタパタと揺れていた。
ハイドが手にもつ包装紙のゴミを、メイドが受け取ってようやくふたりは事実を知った。
「……そういうことかの」
「信じられませんわ」
紫色の髪の少女は、頷くと一歩ハイドに寄った。
金色の瞳が怪しく光る。魔力を帯びた光を放ち、目が細められた。
「お主もしや、肉体と魂が合ってないのではないか? ……稀におるよな。死ぬ時の記憶を持っていたり、魂の残滓を持った人間がのう。人間というのは可能性の塊のような存在。なにが起こってもおもしろいが……お主は少々興味深い」
失礼。そう声をかけ、少女は離れていく。あまりにこの場には不釣り合いな黒いドレスだった。わずかに見える太陽を知らないような透明な肌が、きらきらと輝いている。
「コルト、あなたは彼を城に置くことをどう思う?」
リースメアが、紫髪の少女の名前を呼んだ。
「奇貨、置くべき。それに、シルフィアと同じ出身やもしれん」
「……うん。そうだよ」
金髪のメイドは、あっさりと肯定した。
「知っておったのか」
コルトは、ぽかんと口を開けていた。
「うん。彼は、待ち人。彼の側にいさせてほしい。ニンファ、ダメ?」
メイドのシルフィアは青い瞳をエルフに向ける。ニンファと呼ばれたエルフは「わたくしだけ拒んでも、しかたないではないですか」と拗ねてから言った。
「いいですこと。申し訳ないのですが、人間に限らず短命種族と仲良くする気はありませんの」
「あらあら。ここにいる皆の年齢をナイショにしなきゃいけないわね」
リースメアが悪気なく口にすると、ルイ以外は口を閉ざした。
ニンファが咳払いをしてから、ハイドに向けて言い切る。
「城にいるのはかまいません。しかし、わたくしにもかまわないこと。いいですわね」
ハイドは物分かりよく頷いた。
「決まり、ね。よろしくハイドくん。ええと、部屋をあてがって、衣服を与えて……。そうそう、その前に契約ね」
「契約?」
ハイドは聞きなれない単語に言葉を返した。
「やーね。あなたみたいな危険人物を、この城でなんの制限もなく野放しにするわけがないじゃない。だから、契約を施すの。シルフィア、立ち会って」
「悪魔契約? 神前誓約?」
「もちろん、悪魔契約」
「うん。いいよ」
シルフィアは、背中の大きく開いたメイド服の背中を見せるように半身に構えた。腕を胸の前に置いて、ゆっくりと開く。揃えられた指先がふわりと舞う。
――――バサッ
鳥が畳んでいた翼を広げよう。
メイドの背中に、羽根が生える。
黒と白。ちょうど背中の真んなかで色分けされた十二枚の羽根が広がる。
天使。あるいは、悪魔。
どちらともつかない存在を、なんと呼べばいいか知らなかった。
「きれいだよねー」
夢中になったルイが、うつくしさを称えた。
シルフィアの羽先まで動かす仕草は、あまりの鮮麗さに見る者を惚けさせる。
ハイドも、天使の誘惑を受けたひとりだった。
「びっくりした?」
シルフィアの透明な瞳は、ハイドを映す。
「ああ」
ぶっきらぼうで短い返事でも、天使は顔をほころばせた。
シルフィアは口元を結ぶと、テキパキと準備をはじめる。
天使が指を鳴らすと、物が生まれる。
黒いシーツのかけられた細長い机。対面するように、執務用の椅子が置かれた。
調印式場のような契約の場は、すぐにできあがった。
「どうぞ」
リースメアは、ハイドに対面する席を勧める。互いに、机越しに向かい合う。
間にあるのは、紙とペン。
白く輝き光が揺れる上質な紙と、漆黒の木箱に入れられた赤黒い万年筆だった。
「細かい様式は任せてもいいかしら?」
「いいよ」
「ありがとう。それなら、ハイドくんに対して要求するのは、たったふたつのことよ」
ハイドは、リースメアの悪い笑顔を見てみないふりをした。
「ひとつめ。夜の魔王リースメアの言うことに従うこと」
魔王は筆を走らせ、均整のとれた美しい文字を書く。
「ふたつめ。ひとつめの内容を絶対のものとすること」
ハイドは向かい合っている存在が魔王だということを思い知る。
この契約を受けることは、魔王のしもべになるということ。敗北者に、選択肢はなかった。
「ここに、名前を書く。気を付けて、痛いよ。デュオフォールドブラッド、お気にいりのペン。でも、人間はうまく使えない。血で書くことに慣れてないから」
生き血を吸いインクに変えるペンだと説明を受ける。ハイドは臆さない。ためらいなく受け取り、自らの名前を記入する。文字を書く間、腕はしびれ、指先の感覚が失われる。痛みを友としてきた男は、苦痛に顔を歪めることなく書ききった。
「すごい」
シルフィアが首をふりながら驚いているなか、魔王は満足げに頷く。
儀礼を終えても、ハイドに変化はなかった。契約の性質上、魔王が命じなければ発動することはない。ただ、ひとたび言葉にされれば何としてでも遂行しようとしてしまうのだろう。魔王の言葉に、絶対服従するしもべの出来上がりだった。
「これは、あなたとわたしの絆。破られることのない永遠の関係を示すもの。ためしに、抗ってみなさい」
ハイドが頷くと、リースメアは、ハイドに命令を下す。
「わたしの唇を奪いなさい」
片目を閉じて、鮮やかなルージュをひいた唇を突き出して言う魔王。
「は?」
ハイドは思考が停止した。
「えええーーーーっっ」
「……はじまったのう」
「おもちゃが欲しかっただけじゃない。付き合ってられませんわ」
「……ずるい」
リースメアは上機嫌に座っていた。頬杖をついて、組んだ足先を揺らし続けている。
「だーめ、だめだめーーっ」
ハイドよりも抵抗するのは狼のルイ。尻尾をピンと立たせ、牙をむきながら信じられない力と速度でハイドの腰にまとわりつく。
「おにーさん、行っちゃダメーっ!!」
「いまのところは、なんとも。ンッ」
――バチンッ
破裂したような音が響き、ハイドの体が大きく揺れる。
「ッくう、直接的な痛みか」
――バチ、バチバチバチバチ
次第に勢いを増す、契約の咎。電光がハイドの体の表面を駆け抜ける。
「あら〝裁きの雷〟ね。さすが、シルフィア」
「うん。へんなのだと、かわいそう」
「十分おにーさん、かわいそうだよーーっ」
雷が走るたびに、腕が少しあがったりするハイドの体を狼は必死になだめていた。
「……っぐ」
――――バチンッ
ひときわ大きな雷がハイドの体内から生まれた。
常人ならば気絶し、泣きながらに許しを請う痛みでもハイドは眉間にしわを寄せて耐える。
「それで、俺はいつまで耐えればいいんだ。魔王さま」
「そうね。わたしの気が済むまで。あるいは、あなたが許しを請うまでかしら」
「リースメア」
「なあに?」
「クソくらえ」
「あははっ。最高」
虚勢を張って自らを鼓舞しても、限界が近かった。精神的限界ではなく、肉体がさきに悲鳴をあげている。これ以上雷を浴びては、まともに動けなくなる。
しぶしぶと、ハイドは腰をあげた。
「だめーーッ!」
ハイドの腰が下ろされる。狼の少女が、ハイドを掴んで離さない。顔を赤くし、ほほを膨らませながらも、しがみついていた。
ルイの独占欲で、ハイドはいまにも死にかけていた。わずかな男の矜持を守るためだけに、ハイドは再び椅子に腰を下ろした。しかし、三秒で立ちあがった。
すなおに限界だった。
視界すら閃輝暗点しているなか、他人の心を思いやる余裕はない。
「もおーっ。いいもんだっ」
ルイはようやく男を離した。
「おにーさん、ちゅーっ」
ハイドの唇がルイの唇でふさがれる。
二度、味わうように、触れるか離れるかの距離を往復し、ふたりの唇はひとつに重なる。
「おにーさんは、ルイのだっ」
真っ赤な顔で、魔王に歯を見せる狼少女。真っ白な肌を紅く蒸気させている。
「そういうことなら」
天使が空気を切り裂いた。
「わっ!?」
ルイの体が拘束される。天使の輪がルイにかかって、身動きを封じていた。
メイド服を着た天使は、ハイドの顔に両手で触れる。背の高いハイドに、シルフィアは背伸びした。
「……ちゅっ」
天使が抱擁し、口付けを交わす。
ハイドの傷ついた体は癒しを得る。すぐに雷の痛みに襲われるも、天使は再び口付けで治す。
「口付けしたまま、生きてもいいよ」
癒しの象徴がつぶやく、悪魔の誘惑。
痛みの解放を対価に天使に跪いてしまいたい。
「シルフィーッ!!」
「……あんっ」
天使は狼に襲われ、羽交い絞めにされ距離を離された。
ハイドは内心複雑だった。
この状況すべてが、目の前の悪魔のような女につくりだされている気がしてならなかった。
「あら、もう限界? いいわよ」
舌なめずりをした魔王は笑みを絶やさない。
「くふふっ、なんともまあ。愉快よなあ」
「な、なっな、なにをしているのよっ」
「お主も案外、かわいげのあるやつよのう。むう、いかんな。あやつ、はやく諦めんと倒れるぞ」
ハイドの身を案じるのは、コルトのみであった。
雷を受ける男は、ついに限界に達した。机のうえに足を置き、魔王との間を飛んで詰める。力任せにリースメアの細い腕をつかむと、立ち上がらせた。
ハイドはリースメアの肉付きのよい腰に手をかけ、強引に抱き寄せる。
「あああーーーーっ!!!」
「……あっ」
いがみあっていた天使と狼は、男を盗られて叫ぶ。
勝ち誇るように、リースメアは言った。
「略奪愛って、すてきよね」
「言っていろ」
ハイドから魔王に口付けを交わそうとする。そうすることで、ようやく雷は収まった。
重なる寸前にリースメアの口が開いた。
「どちらが主か、わからなくなりそうね」
襲われるかよわい女の口ぶりで、ハイドの男を刺激した。
ハイドは魔王にだけ聞こえるように伝えた。
「せいぜいうまく使ってくれ。勇者への不利益があった場合は、お前を殺す」
「好きよ。あなたのそういうところ」
リースメアは、強引な唇を避けた。
「いっしょに世界をひっくり返しましょう」
魔王はハイドに情熱的なキスをした。
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