第75話 監視

「困りましたねぇ」


クレイスがぼそりと呟く。


勇気蓮人が魔王と共にダンジョンに入ってから、既に1週間が経っている。

彼女はアクアスとの念話が可能で、魔王の狙いや蓮人の状態については把握していた。


とは言え、今の彼女が蓮人の為に出来る事は何もない。


そのため、直前に受けた家族や親しい者を守るという命令を実行する為、クレイスは蓮人の家に潜みつつその任についている。


「害がなさそうだからぁ、無視してましたけどぉ……」


彼女が困ると漏らしたのは、勇気蓮人のおかれた状態についてではない。

その悩みは別にあった。

それは勇気蓮人の実家の周囲に、様子を伺う怪しい人物達が数日前からいる事だ。


――何者かによる監視。


それが今、彼女の目下の悩みとなっている。


「でも、ずっと見張られるのもあれなんですよねぇ……」


数日で諦めて帰る様なら放置しようと考えていたクレイスだったが、監視者達には一向にその様子が見られない。

そして彼らがいるせいで、彼女は家から出る事が出来なかった。

下手に動いて、自分が見つかる事を嫌ったためだ。


「コンビニにも行けないのでぇ、お腹ペコペコですぅ」


もういっそ全員ぶちのめして、その隙に買い物にでも行こうか。

そんな冗談を考えていたグレイスのお尻の部分が、突然微細な振動を始める。


別に彼女がお尻を揺らした訳ではない。

ポケットに入っているスマートホンの、マナーモード着信による振動だ。


それは蓮人が置いて行った物だった。

連絡用にそれを拝借していたクレイスは、ポケットから取り出し画面を確認する。


「郷間さんからの電話ですねぇ」


蓮人の母親は一階の居間でテレビを見ている様なので、出ても問題はないだろう。

そう判断した彼女は、郷間からの電話に出た。


「もしもしぃ」


「もしもし、クレイスちゃん。その様子だと、蓮人はまだ帰って来てないみたいだね」


「そうなんですよぉ。多分、もう少しかかると思いますぅ」


クレイスは郷間に、蓮人は訓練のために山に籠っていると言ってある。

魔王とダンジョンに入ったなどと言えば、余計な心配をさせてしまうだろうという心遣いからだ。


まあそれが本当に必要だったかどうかは、定かではないが。


「そっか……実はさ、姫宮グループから連絡があったんだ」


「姫宮グループさんからですかぁ?」


エギール・レーンは姫宮グループ所属だが、連絡はフルコンプリートが取り次ぐ形になっている。

そのため、蓮人への連絡は郷間経由だ。


「ああ、なんでも中国から偉い立場の――しぇんて人が2日後に日本に来るらしくて、是非エギール・レーンに合わせてくれって言ってるらしいんだ」


「そうなんですかぁ。でもそれぇ、絶対無理だと思いますよぉ」


蓮人があと2日でダンジョンから出て来る可能性は低い。

仮にそれまでに出て来たとしても、良く分からない外国の偉いさんとの面談を受ける訳もなかった。


「だよねぇ……ま、今は連絡が付かないって先方さんには説明しとくよ」


「お願いしますねぇ」


「あ、そうだ。良かったら今日あたり差し入れを持っていくよ。監視してる奴らがいるせいで、そこから動けないんだよね?おばさんに上手い事言って、部屋に上がらせて貰うからさ」


「ありがとうございますぅ。でも、お気持ちだけで大丈夫ですからぁ」


お腹を空かせているクレイスにとって、郷間の差し入れの話は飛びつきたくなるほど魅力的な物だ。

だが監視している相手の目的が分からない以上、彼女は余計な人物が家に近づくのは好ましくないと考えていた。

何が相手を刺激するか分からない、と。


「うーん……そいつら、やっつける訳に行かないの?よかったら俺がなんとかするよ」


郷間はレベルが上がった事で、ちょっと調子に乗っていた。

実際、今の郷間にはそこそこ戦える実力はある。

監視している連中程度なら、軽く蹴散らす事も出来るだろう。


だが問題はその後だ。


複数人が監視にあたっている以上、背後には組織的な物が絡んでいるのは確実。

下手に手を出せば、その先は監視だけでは済まなくなる可能性が高い。

だからこそ、クレイスは手出しをせず我慢しているのだ。


「郷間さんに、そんな危ない真似はさせられませんよぉ」


余計な事をされたら迷惑です。

そうストレートに言うのもあれだったので、心配している体でクレイスは断りを入れる。


「そんな気を使わなくていいのに、俺と君の仲じゃないか」


「本当に私は大丈夫ですからぁ。心配しないでくださいぃ」


「分かったよ。でも、俺が必要になったらいつでも呼んでくれ」


「はい、ありがとうございますぅ」


礼を言ってクレイスは電話を切る。

そしてそのまま蓮人が帰って来るまで、彼女は静かに様子を見守るつもりだった。


だがクレイスは知らない。

郷間がどうしようもない馬鹿だという事を。


彼はこの電話の後、直ぐに神木沙也加へと電話を掛けた。

クレイスを助けるための助力を求めて。


なぜそんな真似をしたのか?


答えは簡単である。

勇気蓮人じゃまもののいない今こそ、クレイスにかっこいい所をアピールする絶好のチャンスだと愚かにも考えたからだ。


鬼の居ぬ間に自分が白馬の王子になり、クレイスとイチャイチャする。

彼の頭の中は、そんなお馬鹿な妄想でいっぱいだった。


そしてそんな郷間の行動が、クレイスが懸念していた面倒くさい事態を引き起こす事になる。

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