6.乱世の奸雄

6.乱世の奸雄 その①:この国は私が戴く

 6.乱世の奸雄


「お久しぶりです。――ラビブさん」


 こうして直接会うのは、民宗派本拠地アジト強襲作戦の少し前に会った時が最後ではなかったか。


 数年ぶりに見るラビブ神父はすっかり老け込んでおり、紙をぐしゃぐしゃに丸めたようにしわくちゃの顔だった。


 挨拶の直後、外で爆発音と悲鳴が響き渡った。

 もう、既に事は始まっている。


 正面の椅子に座るラビブ神父は、音がした方向へ少し視線を動かしたものの、特に反応することなくすぐに私へ視線を戻した。以前とは大違いだ。どうやら、彼も腹をくくって来ているらしい。


「君が……今になって私の味方してくれるとは思わなかったよ。リン君」

「私は約束を守る女ですよ」


 守れる時はね。


 今回、協力しようと持ちかけたのは私だ。ワキールを介して幾度か連絡を取り合い、クーデターを企図きとした。五頭政府クイーンケヴィラトゥスがラビブ神父の人気を欲したように、私もまた彼の立場と人気を利用しようと思ったからだ。


「ともあれ、これで少しはマシになるだろう。権力に取り憑かれた亡者でなく、この私がイリュリアの頂点に立つのだから……」

「ああ、その話なんですけど……ごめんなさい。やっぱりで」

「……どういうことだ?」


 ラビブ神父が声音に殺気を滲ませる。生娘であれば震え上がるくらいの貫禄はあるのだが、生憎と私は穢れを知る女だ。力を伴わぬ威圧など、ちっとも怖くない。


「この国は私が戴こうと思いましてね」


 私がちょいちょいと手を動かせば、部屋の外に待機させていたグィネヴィアとレイラが杖先をラビブ神父に向けつつ登場する。


 ラビブ神父は、両眼を見開き顔を青くした。待機させておいた筈の護衛が出て来ないことに全てを悟ったのだろう。


「ち、血迷ったのかね……リン君!」

「あのね、血迷っているのはどっちですかって」


 私は努めて、呆れたような声音で言った。


 ラビブ神父がイリュリアの頂点に立てば今よりマシになる?

 冗談もほどほどにして欲しいものだ。そんな訳があるか。


「アンタは『器』じゃない。比較の話をするなら、イスラエル・レカペノスの方がよっぽどマシね」

「あ、あんな優男に何が出来る……! 〝思想〟もなく、〝理想〟もなく、ただ人気取りと世渡りだけが得意の凡俗な男! 奴が舵取りしてきた数年間、イリュリアはどれほど変わった……!? 何も変わってなどいないッ!」

「いやいや、は素晴らしいよ。時季というものを理解すればするほど、その凄さが分かる」


 イスラエル・レカペノスという男を観察していると、まるでこの世の全てが彼の味方をしているのではないかと錯覚させられる。運命が、人が、魔族が、魔物が、彼を取り巻く環境の全てが彼の望むままに動く。


 だが、やはりそれは錯覚にすぎない。


 彼の才能と、卓犖した時季の見極めによって実現される、紛れもない人間の所業なのだ。


(こんなことの出来る人間を褒めずして、他の誰を褒めれば良い?)


 しかし……しかし、だ。


「だからこそ、イスラエル・レカペノスは殺さなきゃならない」

「……それはヘレナに対して抱いていた殺意と同種のものか? イカれてるよ。そんな君だと分かっていながら、少しでも期待した私がバカだった!」

「ふっふっふ。安心しなさい。嫉妬もあるけど、それだけじゃないわ。今日の私はおふざけとか一切ナシの本気マジだから」


 本気マジ本気マジ、大本気マジだ。


 大真面目に、私はこの国をろうとしている。そして、それは〝思想〟に基づく行いだ。決して私利私欲ではない。


 ちょっとはある。


「そういう訳だから、二人とも彼の説得をお願いね」

「分かったよ。終わり次第、兵を率いて下院の議事堂は制圧しておくから」


 レイラの答えに満足した私は、速やかに踵を返して部屋の入り口へ向かう。


「それじゃ、後はよろしくー」


 クーデターの方はレイラに任せておけば安泰だろう。


 レイラは身の程を知っている。罷り間違っても自分が国を動かすような『器』ではないことを知っている。だから、変な気を起こすことはない。グィネヴィアの方はちょいと怪しいが、レイラが付いているなら大丈夫だ。


 部屋を後にした私は、イスラエル・レカペノスを探して大門パスの開門予定地へ向かおうとしたが、ここでワキールが眼の前の壁から現れた。


「イスラエル・レカペノスの居場所が分かったよぉ。大門パスの開門予定地じゃなくて上院の議事堂に居る。コンラッドが呼び出しておいてくれたみたいだよぉ」

「へえ、コンラッドが……ねぇ」


 私へ付くと決めたのか、それともどう転んでも良いように手を打ったつもりなのか、どちらにせよ抜け目ないことだ。


「それと……どうやら、呼び出されたイスラエル・レカペノスの方も、お前を待っているみたいだねぇ」

「……ククッ、流石にお見通しだったって訳ね」


 私が時季を利用しようとしていたことなど、彼にしてみれば火を見るより明らかな動きだったに違いない。


(だけど、その上で抗いようもないのが時季だ)


 私とて時季を解する女。


 イスラエル・レカペノスはその才能の全てをなげうって時季に抗おうとしたが、私もまた才能の全てを注いで時季の爆発を助長してきたのだ。


 お膳立ての甲斐あって舞台は整った。

 事ここに至って、最後の最後に彼我の優劣を分けるものは果たして何か。


 それは――才能を置いて他にない。


「人望の才能か、勝利の才能か」


 どちらが上か、ここらで雌雄を決しようではないか。






 私が議事堂へ到着した時、既に先行するヴァレンシュタイン率いる装甲部隊アーマード・ソルジャーが戦闘を開始していた。


 彼らは、ヴァレンシュタインと共に潜伏させていた連中だ。ナタン・メーイールの作った新型人工外骨格エクソスケルトン『X-05』を身に纏わせ、開門予定地の方を攻め込ませるつもりだったが、イスラエル・レカペノスの所在が割れたので、ワキールを使って連絡を取り議事堂へ攻め込ませた。


 議事堂の周辺には、今までどこに隠れていたのか、わらわらと異形が溢れかえっていやがる。


「死ね。無明時代ジャーヒリーヤの亡霊ども」


 装甲部隊アーマード・ソルジャーの中に混じり、恐らくイスラエル・レカペノスの護衛と推定される月を蝕むものリクィヤレハどもを次々と斬り伏せてゆく。


戦闘員ガーズィー出身者は少ないようね)


 旧・民宗派も、人材不足に頭を悩まされているようだ。戦闘員ガーズィーは恐らく多くても全体の三割ほど。それくらいであれば、『人工外骨格エクソスケルトン X-05』の進化した性能と数の利によって容易く駆逐できる。


(やはり、障害たり得るのは高等戦闘員ラーカーンレベルのあの三人だけか)


 イスラエル・レカペノスの影に常時付き従っていたあの三人が、やはり選りすぐりの護衛にして、彼が信を置く最終防衛ラインなのだろう。


「――であれば、何の問題にもならないわね」


 議事堂の扉を蹴破ると、中では議員どもがパニックになって右往左往していた。そのうち、一人の議員が私を見付けて駆け寄ってくる。


「おお、リン大将! 駆け付けてくれたのか!?」

「阿呆が」


 どう見ても、私は攻め込んでいる方だろう。間抜けな議員の鼻っ面に拳を叩き込むと、私は議場を駆け上がってそこから場を睥睨する。


 見える……時季が見える。

 議場の心が一体となった時を見計らって、私は出来る限りの大声で叫んだ。


「この議事堂は我々が占拠した! 大人しくすれば殺しはしない!」


 すると、有象無象の中から勇気ある抗議者が怒りに震えながらも声を上げた。


「愚かな! 貴様のような軍人風情が再び神聖なる民主政治の場を――」


 私の短銃が火を吹き、勇気ある抗議者は最後まで遺言を言い終えることなく、地に伏した。議場に反響する銃声が収まるのを待ってから、私は再び口を開く。議場はすっかり静まり返っていたので、今度は叫ぶ必要もなかった。


「他に意見のあるものは?」


 一同を端から端まで眺めてみたが、誰も口を開こうとはしなかった。


「よろしい。追って沙汰を――」


 ここで、私は違和感に気付く。


「――幻覚か」


 今撃った議員も、他の絶望したように立ち尽くしている議員も、全て幻覚だ。


 私は床に体組織を薄く広げさせ、索敵を試みた。すると、視覚に映っている光景とはが見えてくる。


 議員なんてものは居らず、あるのは死体だけ。

 立っているものは――三人。


 即座にその立っている三人を例の護衛と断定し、体組織を殺到させてみる。すると、三者三様の反応レスポンスが返ってきた。


 一人は下がり、一人はその場で魔力を練り上げ、一人はこちらへ突っ込んでくる。


「その反応は、あまりにも安直すぎやしない?」


 人間の形を解き、床に広げた体組織を介して下がった一人へ体組織の大部分を移動させ、そのまま体積で圧し潰す。さながら胡桃くるみの殻を割る時のように、少しの抵抗を感じた後、ぷちっと潰れて内容物が飛び出るのが手に取るように分かった。


 ――死んだ。


 それと同時、幻覚に覆われていた現実の光景があらわになる。


 そこはまるで地獄絵図だった。


 場所は変わらず議場だが、整えられていた筈の内装は見る影もないほど荒れ果てており、その上に議員、月を蝕むものリクィヤレハ装甲部隊アーマード・ソルジャーの死体が積み重なっている。


 眼を覆うような惨状。

 これが先程、体組織を介した見た別の光景だ。


 しかし、私の心に驚きを齎したのは、視覚情報ではなく嗅覚情報だった。


「この匂い――石油かッ!」

「御名答だ、背教者め! 我が炎で燃え尽きるがいい!」


 魔力を練り上げていた一人、翼龍ワイバーンの口から炎が吐き出され、床に撒き散らされていた石油に火が付く。そして、その火は瞬く間に床に広がる私の体組織へと燃え移った。


(――マネの弱点をよく知ってるじゃない)


 この体組織が火に弱いということは、これまで誰にも話したことがなかったのだが……。


 マネ曰く、万全の状態であれば火など問題にならないが、〝人界〟に留めておける分の体組織では消火する前に燃え尽きてしまうという。


 しかし、考えてもみれば奴らは残党である。伝承などからマネの体組織の弱点を見出していてもおかしくない。


「でも、残念。それは対策済みなのよね」

「なっ――燃えないだと!?」


 そのようなあからさまな弱点を放置する訳がないだろう。私が月を蝕むものリクィヤレハとなる学院生時代から、この程度の弱点は対策が出来ていた。もっとも、それを使う機会はこれが初めてだ。


 硝子綿グラスウール――ガラスを溶かし、綿状に引き延ばしたもの――をあらかじめ体内に取り込んでおいた。それを体組織の表面に露出させることで耐熱性を得たのである。


「クソッ、伝承とは違うか……!」


 実際は同じなのだが、訂正してやる義理はない。


「さあて、どっちから来る?」


 私は翼龍ワイバーンと、さっき突っ込んできた一人――牛頭ミノタウロスをそれぞれ見やった。


「同時でも良いわよ」


 二人の月を蝕むものリクィヤレハが一瞬顔を見合わせアイコンタクトを取った後、俊敏に動き出した。


 牛頭ミノタウロスが前に出て、翼龍ワイバーンが後ろに控える。もしや、伝統的な魔法使いウィザード使い魔メイトのコンビネーションをやるつもりなのか?


 まあ、それはそれで正解の一つなのだろうが……些か、面白味がない。


(これじゃあ、私の勝ちじゃない)


 私は、接近してくる牛頭ミノタウロスに呼吸を合わせ、走り出す――振りをして、指先から体組織の一部を分離させて繁吹しぶきを飛ばす。その繁吹しぶきは見事に牛頭ミノタウロスの眼球へ直撃し、眼球もろともその視界を溶解させた。


 そのまま近づいて、めしいた牛頭ミノタウロスを斬り伏せてやろうとしたところで、私は唐突に方向転換する。


……でしょう?」


 触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚……私のを、よくぞここまで上手く誤魔化したものだと感心する。そして、最初の幻覚では触覚を正常なものとし、次の幻覚では誤魔化してきたのもナイスだ。


 しかし、私は最初から全て見破っていた。


「そこね」


 私は、虚空へ走り寄り、何もない場所へ向かって剣を振るった。


 ――斬った。


 見えなくとも、手応えがなくとも、翼龍ワイバーンの表情を見れば私の試みが成功したことは一目瞭然だった。


 再び、幻覚が消えて現実の光景があらわになる。


 今度は大きな変化はない。私が斬った場所に二等分された女性が現れただけだ。恐らく、彼女は魔族の気まぐれで魔法を授けられた月を蝕むものリクィヤレハだったのだろう。このレベルの幻覚魔法は、まだ人間には無理だから。


「くっそぉ……!」

「おい、ヤケになるな!」


 牛頭ミノタウロスが吶喊してくるが、翼龍ワイバーンの言葉からすると破れかぶれの無策の突撃なのだろう。問題なく、一刀で斬り捨てることができた。


 二重三重に張り巡らされた奸計は素直に評価する。

 だが、後半にゆくほど出来が稚拙になっていったのはいただけなかった。


 ドシン、と牛頭ミノタウロスの巨体が床に崩れ落ちると、足元の二等分になった女性が、血反吐をぶち撒けながら呻く。


「どう、して……な、なぜ……ッ!?」

「なぜ、分かったかって?」


 せめてもの手向けだ。それくらいは教えてやろう。


 私は、体組織の表面にを無数に露出させ、死にゆく彼女に見せ付けた。


「勉強不足だったわねぇ、幻覚魔法の設定をミスってるわよ。ちょっと眼球を増やしてみたら、すぐに破綻したわ」

「ば、化け物……め……!」


 あ、死んだ。

 つまらない遺言だったな。


 さて、これで残るは翼龍ワイバーンのみとなったが、どうやら彼は戦意を喪失しているようだった。


 両手を挙げて降参のポーズを取った彼は異形を収め、階段の方を指し示した。


「……イスラエル・レカペノス様は二階にいらっしゃる」

「あら、それ言っちゃっていいの?」

「両者を引き合わせることが、『神々エロヒム』の思し召しなのだと理解した。所詮、己はそれを妨げる役割を与えられた群衆モブに過ぎないのだろう」


 単に「諦めた」とだけ言えばいいのに、格好つけて悟った風に語っちゃって、まあ。


「私に言わせれば、アンタは群衆モブってより観衆オーディエンスかな」


 舞台に上がることは許されず、ただ役者の演じる様を見届ける。それが役割。他に出来ることといえば……せいぜいが観劇後の拍手喝采くらいのものだろう。


 私は、床へ広げていた体組織を戻し、いつもの姿へ整形しながら階段へ歩を進める。


「全てが終わった時には万雷の拍手をちょうだいよ。それさえしてくれるなら殺しはしないわ」


 これは警告のつもりだったのだが、残念ながら彼にはそう受け取ってもらえなかったようだ。私が彼の横を通り過ぎて数歩、瞬時に異形へ変じた彼が背後から襲いかかってきた。


「古い手ね」


 観衆オーディエンスは、ぽかんと阿呆みたいに口開けて舞台を見上げていれば、それだけで全て良かったというのに。


(恐らく最後になるであろう敵がこの程度とは……ガッカリにも程がある)


 私は攻撃を躱そうとせず、振り返らずにそのまま前へ歩き続けた。


 なぜなら、彼は私に触れることなく、乱入してきたヴァレンシュタインの魔法剣マジックアイテムによって斬り飛ばされる未来が見えていたからだ。


 私は階段の一段目に足をかけながら、背後へ向かって呼びかけた。


「それじゃあ、そっちは引き続き異形の掃討をお願いね」

「了解した」


 頼もしい返事だ。ヴァレンシュタインに任せておけば、恐らく敗北はないだろう。他に目ぼしい敵はいなかった。仮に部下が全員死んでも、彼が一人でなんとかする筈だ。


(では私も、私の仕事をしようか)


 この階段を登って、二階に居るというイスラエル・レカペノスの奴に会いに行こう。


 そして、革命を完遂おわらせるために――彼を殺そう。

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