3.未練 その②:変節

 軍務省に出向して暫くは何の仕事もなかった。最近は軍隊内で上官殺しが流行っているらしく、指揮系統も人事も大混乱しており、私の配属先が決まるまで時間がかかった所為だ。


 今日も今日とて軍の兵舎にて惰眠を貪っていると、来客を知らせるノックの音が二日酔いで重たい頭にガンガンと響いた。


「鍵なんてかかってないわよ」


 来客が軍人であればノックの時点で名乗るなり私へ呼び掛けるなりする筈なので、おそらく来客は民間人だろうと当たりをつけ、私はベッドの上に横たわったまま応対した。


 すると、見目麗しい男女の二人組がしめやかに入室してくる。彼らは、その見た目に似つかわしくないボロキレのようなローブを身にまとい、人目を避けるように全身をすっぽりと覆っていた。


 私は胸のうちに湧き上がってくる懐かしさを感じながら、よいしょと身を起こす。


「あら、のお二人が私のような一介の軍官に一体何のようかしら?」


 そう言うと、ベンはフードを取って「変わらないな」と笑みを浮かべた。となると、後ろにいるのはポーラで間違いないだろう。さっき、ちらりとフードから覗いた彼女の顔は成長もあってポーラであるとの確信が持てなかったが、その魔力の気配には覚えがある。


「『革命』は順調なんじゃないの? ねえ、?」


 その流れを主導したようなものである王党急進派アーヴィン・クラブの二人が一体、将校魔法士官トリブヌスの私に何の用か。


「そのことなんだが……」


 気まずそうに言い淀んだベンに代わり、ポーラがすっと前に出た。


「――私たちは国を去ることにしました」


 ポーラは、何の後ろめたさも感じぬぐらいはきはきと宣言した。そんな二人の対照的な様子を見て、私は彼らの事情と心情を汲み取る。


「ああ、分かるわよ。怖くなっちゃって、したんだ」

「……その通りだ」


 ベンは苦虫を噛み潰したような顔をして、とても言いづらそうに肯定した。どうやら、かなり精神的に参っていると見ゆる。別に責め立てたい訳でもなし、このままでは円滑に話を進めてくれそうにないので、私はすぐにフォローを入れる。


「勘違いしないでね。私はアンタらを責めてる訳じゃないのよ。そういうのも生き方の一つかもって今は思うわ。これ、本心よ」

「……ありがとう、そう言ってくれると救われるよ」


 ベンは気を取り直して話を続ける。


「『革命』は当初の予定を越えて先鋭化し続けている。僕とポーラは、そろそろ歯止めをかけなければ不味いと思っているのだが、ヘレナ君はそう思ってはいないみたいなんだ」

「へぇ、ラビブ神父もおんなじこと言ってたわ」


 但し、ラビブ神父の方は数年前の時点でその結論に辿り着いていたようだが。


 私が学院を卒業する半年ほど前――〝狂王〟が処刑された。


 遂に一線を越えたかと、周辺諸国は革命思想の恐怖に震え上がり、対イリュリア同盟を形成した。これは要するに、ほぼ全方位の隣国が敵となったことを意味する。


 また、恐怖を感じていたのはイリュリア国民とて同じであり、対イリュリア同盟の結成以後、革命思想は更なる急進化の一途を辿った。


 立憲王党派はもちろんのこと、穏健派とはいえ同じ共和派のものまで次々に捕らえられ、処刑されていった。


 ただ、その渦中にあっても、あのロイ・アーヴィンだけは〝狂王〟の処刑時から上手いこと立ち回って投獄で済んでいるらしい。これもまた才能というやつなのだろう。


「――子供ができました」

「え?」


 唐突すぎるポーラの告白に一瞬頭が追い付かなかったが、その内容を把握するにつれ、私の頬が緩んでゆくのが自分でも分かった。


 ――子供! 実にいい響きだ。


 国を去ると聞いた時、二人ですらもヘレナに付いて行けないのかと寂寞の念に駆られたが、そういうことなら話は別だ。私は全力で賛意を示す。


「僕がヘレナ君に協力していたのは家からの指示もあるが、一番はその〝思想〟に感化されたからだ。その先の未来を見てみたいと思った。でも、今はそれがどうでもいいことのように感じる」


 ベンは、ポーラをひしと抱きしめ睦言むつごとを囁くように言った。


「――愛の答えが分かりそうなんだ」


 惚気か? いつもならぶん殴ってやるところだが、身籠っているというのなら仕方ない。今日だけは大目に見てやろう。


 ポーラは慈しむように腹部へ手を添える。


「私はもともと『革命』に興味はありせんでした。ヘレナの家格が高かったので、親が従うように私も従っていたというだけです。しかし、今は私たちの家族も〝狂王〟の処刑前後に亡命してしまいましたし、何より『革命』よりも優先するものができましたから……ね?」

「うん。……そういう訳で、ヘレナに付いてゆけなくなった僕たちは、先に亡命した家族を追って国を出ることにした。今日は別れの挨拶に来たのさ」


 亡命前の忙しい時期に、諸々の危険も顧みずわざわざ会いに来てくれたことを私は嬉しく思った。そういえば、忘れていたが二人をくっつけたのは私だった。


 その恩返しのつもりだとしたら、かけた労力の割には些か見劣りする返礼だ。


 もちろん、これは本気で言っている訳じゃない。ただ、あの時はもっと実利的な見返りを望んでいたなと思い出して、少々ノスタルジックな気持ちになっただけだ。


「そういうことなら、早いところ国を出た方が良いわ。今よりも状況が悪化する前に。なんなら、挨拶なんて律儀なことしてくれなくても良かったのよ。手紙とかでも」


 そう言うと、ベンとポーラは何とも言えない顔で互いを見遣った。決して鈍くない私の脳味噌が告げている。これは面倒事が待っているぞ、と。


「国を去る身で……こんなことを頼むのも厚かましいとは理解している。だけど、お願いだ。ヘレナ君のこと……手を貸せとは言えない。ただ、近くで見てあげてくれないか」


 ポーラが「それと、シンシアもね」と付け加える。どういうことか、詳しく話すようベンに眼を向けると、彼は深く頷いてゆっくりと口を開いた。


「ヘレナ君は、の反乱を起こそうとしている」

「はぁ? そりゃまたどうしてよ」

「それが……ヘレナ君は、人民議会コミティアの議員『イスラエル・レカペノス』の正体が『ソーテイラー』だと主張しているんだ」

「それも何の証拠もなく。もう、気が狂ったとしか思えません」


 困り果てたような顔で、二人はそう言った。


 イスラエル・レカペノスの名は小耳に挟んだことがあり、私も知っている。直接その顔を見たことはないが、新聞などでちょくちょく眼にする機会のある名だ。しかし、今のところはただの一議員というだけで、そこまで目立った活躍はない。


 白い肌をしていて、そのルーツは植民者ゴイ系ではなく隣国アルゲニア王国。二十年ほど故国アルゲニアで過ごし、数年前にこの国にやってきたという。職業は確か法学者。


(もし、本当に彼が『ソーテイラー』なら……確かにの反乱を装うことで戦力を補うのは妥当な判断だ)


 今や月を蝕むものリクィヤレハは銃と魔道具アーティファクトに次ぐ革命の原動力である。一体、どこから入手したのか『ルクマーン・アル=ハキム』の作った〘人魔合一アハド・タルマ〙の符を用いて新たに月を蝕むものリクィヤレハを作り出し、月を蝕むものリクィヤレハだけで構成された革命軍レヴォリューショナリー・アーミーなる軍隊まで新設されている。


 それに伴い街中から『魔力偏差検出器バリオメーター』も撤去され始めており、恐らく『ソーテイラー』はこれ幸いと民宗派の残党を護衛として密かに侍らせていることだろう。暗殺しようにも、それは容易にはかなわない。


 そこで、反乱を使うのである。


 ここのところ、各地で反乱が相次いでいる。急進化する革命に反発した穏健共和派による反乱だが、それは程なくして王党派に乗っとられた。


 ヘレナなら、このような反乱が起こることを予期していてもおかしくない。なんなら、自分で起こすことも可能だろう。


 ともかく、反乱の最中において『ソーテイラー』の首を取るという選択は、考えれば考えるほどにこれを置いて他にないと思わされる手段である。ベンとポーラが離脱したように、革命勢力内だけでは戦力が不足しているからだ。


 もちろん、私がこれを支持するのは、飽くまで『イスラエル・レカペノス』=『ソーテイラー』という構図が確かなら、という話ではあるが。


(如才ない……が、理解は得られていないようね)


 もともと、秘密主義の女だ。言葉を介さずしてその神算鬼謀を理解できるのは、のものだろう。凡愚には、分かりやすい言葉が必要なのだ。それすら分からぬ、ヘレナではないだろうに。


 私は記憶の中のヘレナ像と、二人から聞くヘレナ像とのズレが非常に気にかかった。


「まあ、ヘレナ君の方は好きにさせておいたらいいさ。彼女自身が選んだことだ。僕たちが心配しているのは君の方でね。彼女はどうしたらいいか、自分でも分からないみたいだ」

「あら……名前、覚えたのね」

「……ああ、そうさ」


 とんと他人に興味のなかったベンが、いやはやどういう心境の変化があったのだろうか。人は変わるものだな。


 これも成長といえば成長なのだろう。これは純然たる僻みだが、私だけ置いてけぼりにされたようで不快な気分になった。


 さておき、確かに考えてもみれば阿呆のシンシアに、現状を鑑みて適切な判断を下すなんて器用なことを求めるのは酷だろう。そもそもこの激動の時代、そんなことは神にだって出来やしないのだ。そこのところに気付いて開き直れない奴は死ぬしかない。つまり、遅かれ早かれシンシアは革命の最中に没するだろう。


「……そういえば、僕が君の名前を覚えている理由、まだ話していなかったね」

「ん……ええ、そうね」


 こんな時になにかと思えば、随分と懐かしい話だ。ベンは、興味のない人間の名前を覚えられない。しかし、私はヘレナ、ツォアル侯に並んで初対面時から名前を覚えられていた。その理由を疑問に思ったりもしたものだが、王党派に入ってからは忙しかったし、抜けてからは顔を合わせる機会も少なく、結局聞けず終いだった。


「僕は――君を一目見た時、確信したんだ」

「何を?」

「君こそ、『完璧』な存在だとね」


 呆れた。ベンから見て完璧ということは、万人にとっては歪んでいるということである。嬉しくもなんともない。


「そして、『革命』を完遂おわらせるのは君のような人間なのだと……どうかな、君にしか頼めないことなんだ」

「私からもお願いします……」

「……はあ……」


 思いっきり溜め息を吐くと、二人は不安そうに私の反応を伺う。全く、これから親になろうって人間が、捨て子のような顔をするものではない。


 私は大きく息を吸い込んでから言った。


「――どこでやるかは聞いてるの?」


 二人はぱっと喜色満面の笑みを咲かせる。


「ヨッパだ。ヘレナ君はそこで反乱を起こし『イスラエル・レカペノス』を仕留めると言っている」


 ヨッパ――私の記憶が確かなら、そこでは既に反乱が起きている。そして、鎮圧のために東方軍が組織されている真っ最中だった筈だ。私の人事が決まっていない今、志願すれば参加させてもらえるかもしれない。


 一瞬でそこまで頭を巡らせた私は瞬時に決断を下した。


 安請け合いは趣味じゃない。だが、これから新たな門出を迎える二人にささやかながら餞別として、人生における重荷を一つここに置いていってもらおうと思った。だから、私は間髪入れずに力強くこう答えた。


「任せておきなさい」


 見届けよう、ヘレナの試みを。


 そのを。

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