5.敗北 その⑥:手を切る

「ぶ、ぐぅ――!」


 ヘレナの鼻っ柱がグシャリと潰れる心地よい感触が脚に伝わる。私の靴底には鉄板が仕込んであるので、不意打ちで食らったのなら例え魔法使いウィザードといえどもただでは済まない。


 仰け反ったヘレナの顔面から尾を引くように鮮血が舞い飛ぶ。その合間を縫うようにして、私はカラギウスの剣を抜き打ちに振るった。


 まずは両脚――これは完全な両断までには至らずとも、三分の一ほど斬ってやれば良い。それだけで感覚の狂った両膝はカクンと落ちる。


 氷の上で足を滑らせたように勢いよく沈んでゆくヘレナの身体を、先程差し出させた右手を掴むことで止める。


 ここへ来て、ようやくヘレナは危機的状況に陥っていると気が付いたらしい。右手は拘束されているので――といっても抑えているのは私なので振り解こうと思えば簡単にできるのだが、反射の世界ではという事実がその選択を封じる――自由な左手で腰の杖を掴もうとする。


 だが、それこそが私の狙いだった。


 無意識的な【身体強化】によって、ヘレナの左手に魔力が集中してゆく。


 どこかへ魔力を集中させれば、その時必然的に別のどこかは薄れる。瞬間的に扱える魔力量は変わらないのだから、これは致し方ないこと。


 左手に向かう大きな魔力の波は、通過する部位の魔力を掻っ攫いつつ進んでゆく。つまり、その波が通り過ぎた直後は魔力が薄まっており、一瞬――だが魔力刃を通すことのできる隙間がそこに生じる。


 ここまで、私はヘレナの動きを誘導していた。


 迷うことなく、その僅かな隙間――ヘレナの左肩部をめがけて魔力刃を突き刺し、そこからじ開けるように斬り上げる。これでヘレナの左肩部のアニマは半分ほど損傷し、杖を掴もうとした手は無様に空振った。


 左手が駄目になり、ヘレナの意識はようやく拘束されている右手に向けられる。抑えているのは非力な私の手。振り払ってしまえばいい、と気付く。


 しかし、ヘレナがそう考えたであろう時には既に、私が返す刀でその右肘を斬り付けていた。


「ぐ……クククっ……! お美事……!」


 瞬く間に四肢の自由を奪われ、糸の切れた人形のようにダラリと私の腕から垂れ下がりながらも、ヘレナは減らず口を叩くのを止めない。


「私を殺すか? だが、殺したところで何になる。民宗派が存在する限り、キミがどう足掻こうが悲劇は続く! そして、キミは常に後手に回り続けるのさ。なぜなら、キミには〝思想〟がなく、目指すべき未来が見えていないからだ!」


 ヘレナの言う事は正しいのだろう。シジズモンドさんの話が脳裏に蘇ってきた。現実的すぎても理想的すぎても駄目で、大事なのは両者の『バランス』だという話だ。


 そう、私は未だ理想を見つけられないでいた。


(……分かっている)


 それでも、いつもならムカついてムキになって感情的に手を出していたところだろうが、今は不思議と何の感情も湧かなかった。


 代わりに、胸のうちから自然と湧き出てきた言葉が口を衝く。


「さっき……ズラーラが埋葬されている墓を見てきたわ」


 墓というには余りにも貧相な、ただの縄で区切られた地面の一区画に過ぎなかったが、それでもそこはズラーラを含む収容所ここで死んだ月を蝕むものリクィヤレハたちの墓だった。


 貴族を殺した実行犯なのだから生存は望み薄だとは思っていた。極刑は免れないとも。


 しかし、こんなところで嬲り殺しにされる謂われはない。殺されるにしても、きちんと法の裁きのもとに殺されるべきだった。


 これでは、死体を故郷へ持ち帰ってやることもできない。生者を満足させるためだけに、安息の眠りに付いた亡骸を掘り起こすような無粋な真似はしたくなかった。


「死んだのはずっと前――ズラーラがここへ移送されてから僅か二週間後のことだそうね。アンタはそれを黙ってた。私が何度か面会したいと言っても、その権限がないと断った。ただ『死んだ』と本当のことを言えば私も納得するし、それで済む程度のことなのに」

「……それについては悪かった。ズラーラは、キミにとって取るに足らない奴なのだと思い込み、真剣に対応しなかったことを謝罪する。しかし、言い出す適切なタイミングが――」

「違うでしょ」


 ヘレナが、驚いたように目を見開く。


「いつもの狂ったようなアンタなら悪びれもせず、明け透けに言ってみせた筈よ。『ズラーラは死んだ』と」


 その途端、じわりとヘレナの瞳の中に滲み出してくるものがあった。それは狂気なんて物々しいものじゃない。


 それは――怯え。はっきりとした怯えの色だった。


「や、やめ――」


 やめない。今更気付いたって遅い。


 私の心はとっくの昔、収容所を制圧し終えた時に決めているのだから。


「ずっと……アンタは私を試しているんだと思ってた。生意気にも、私が『英雄』に相応しいかどうかを……。でも、違った」


 私はヘレナの揺れる瞳をまっすぐに見据え、その怯えの蔓延る内心を指摘する。


「――アンタは、私を試金石としてのね」


 ズラーラの死を黙っていたのは、ヘレナが自分で言う通りにだ。


 振り返ってみると、これまでのヘレナの意味不明な言動は、全て過去の伝承やら『英雄』の逸話やらをベースにしている。この一年近く、そういった動きは鳴りを潜めていた。つまり、適切な伝承や逸話が見つからなかったから、ヘレナはズラーラの死を私に伝えることができなかったのだ。


 そして、今日はというと、何の伝承にも逸話にも則っていないが、であるからヘレナとしてはズラーラの死が露呈しても問題ない筈だった。


 今日は、収容所の制圧という『革命』の過程プロセスに欠かせない大事業を為遂しとげんとする時である。これは謂わば、とも言えた。


「奇矯の振る舞いに隠された本当のアンタってのは、『革命』や『英雄』にでもかこつけないと私に誰かの死すら告げられない臆病すくたれ者だ」


 目指す『革命』のスケールに対し、自分の器が見劣りする矮小さであることをヘレナはどうしようもなく自覚している。だから、『英雄』が云々と持ち出して私に重ね合わせ、矢面に立たせることでその恩恵にあやかろうとした。


 さながら、死に体の病人が弱った心の慰みに縋る得体の知れない願掛けのように。


「哀れ」


 そうとしか、他に言いようがない。


「哀れね」

「ぐ、うっ……もう、それ以上は……言うな……!」


 目尻から、溢れた彼女の怯えが伝い落ちてゆく。


 遂にヘレナの地金が見えた。いつも私のやることなすこと先回りしてみせたような超然とした雰囲気はそこになく、あるのは私と同い年の臆病な子供の感性だけだった。


 それもその筈、世情なる不定形にして不可解、不可視の怪物を捉えきることなど現実に不可能だ。ヘレナの場合、私を巻き込まんと仕組んだ凶行の全てがたまたま上手く行っただけのこと。


 なるほど、事に絡ませれば必ず勝利を運んでくる『英雄』。


 願掛けの効果覿面ではないか。実際のところは天運と自身の手腕によるものであろうと、惰弱なヘレナの心にはそう思えて仕方なかったに違いない。


「――ヘレナ」


 私は手を離して、べしゃっと地面にへばりつく少女を見下ろした。


「私の負けよ」

「……へっ?」


 何に負けたのか、それを上手く言葉にして表現するのは難しい。だが、私の心は決定的に負けを認めていた。強いて言うのであれば、これは人間的に負けたといったところだろうか。


 今回のことで、私はどうしようもなく俗物なのだと思い知らされた。


(確かにないわよ。私には〝思想〟なんて)


 ヘレナには〝思想〟があった。崇高にして高潔、彼女はそのためなら全てを捧げる覚悟だろう。それこそ、私のようなものを『英雄』と崇め、縋るぐらいには。


 しかし、私に〝思想〟はない。そして、これからも持つことはないだろう。


 その違いこそ、唯一にして絶対の敗因。


「ヘレナ……アンタの言う『革命』に淡い期待をかけた時もあったけど、今はそんな気は微塵もない。勘違いしないでね、別にアンタに失望した訳じゃないのよ? むしろ、その逆。良きにつけ悪しきにつけ、この国の未来を任せられる人間はアンタしかいないと心の底から理解したからよ」


 ふと気付けば私の両頬は緩んでおり、鏡を見ずとも分かる一点の曇りもない笑顔が浮かんでいた。


 あれほど毛嫌いしていた筈の敗北が、なぜだか今は心地良い。


「ただ――私はアンタとは一緒には行けない」

「――ど、どうしてだっ!?」

「アンタと一緒にいると、きっとアンタを殺してしまう」


 大声で吠えるヘレナに私は落ち着いて本心を打ち明けた。


「そして――国の未来なんかより、家族や友人たちの方が大事だと気付いたから」


 自身や家族、そして友人たちをなげうってまで『革命』に献身する覚悟など、私にはなかった。


「私は家族と友人たちを守る。だから、国のことはヘレナ……アンタに任せる」


 これは致し方ないことだと自己弁護する。これ以上、ヘレナと共に居ると堪え難い劣等感に苛まれ、遠からぬうちに殺してしまうだろう。だから、互いのことや道徳、社会規範、この国の未来を考えれば、離れるよりほかはない。


 私は、きっぱりと訣別けつべつの意志を伝えたつもりだったが、まだ僅かでも望みがあると思ったのか、ヘレナは拙くも四肢を動かして私の脚元に縋り付いてきた。


「わ、わからないのか!? 運命が、『唯一神かみ』が、他でもないキミ自身の才能が――! キミを『英雄』たらしめんと背中を押し上げる感触をどうして感じない!? 側に居る私の方が身悶えするぐらいの絶対的なを!」

「そんなものは、アンタの惰弱な精神が生み出した錯覚よ。全て、アンタの辣腕らつわんあって実現したこと。意味不明なおべんちゃらこねてないで自信を持ちなさい。アンタは必ず後世の歴史書に名を残す傑物よ」


 ヘレナを元気づけながら、私はすうっとカラギウスの剣を上段に構えた。


「――だから、命までは取らない。利き腕の一本で勘弁してあげる」

「な、なに……!?」


 ヘレナの右肩を踵で強く地面に押さえ付け、上段に構えた剣を素直に振り降ろす。


「っ――ぁ!」


 魔力と、肉と骨を斬り裂く感触。思えば、これも久方ぶりの感触である。幼少期、土地管理官より投げかけられた心無い貴族的な侮蔑に激昂し、無謀にも実剣を持って斬りかかり、間に割って入った父親の手首を斬り落として以来ではないか。


 食肉を捌く感触とはまるで違う。濡れたタオルを持ってはたくが如き一瞬の軽い感触の中に、硬軟様々な人間を構成する物質の感触が混ざる。


 ヘレナの口が大きく開き、言葉にならない悲鳴が収容所内に響き渡った。右肩を押さえていた踵を退けると、ヘレナは弱って飛べなくなった羽虫のように地面を激しくのた打ち回る。


 私は彼女の顔の近くにしゃがみこんで、上から語りかける。


「『民宗派を潰す』と……言ったわね? 安心して、その時だけは協力してあげるから。王党派のリンじゃなく、中立派のリンとしてだけど」

「があああああぁぁぁぁあぁあぁあぁぁぁ……!」


 叫ぶヘレナのもとに言葉が届いているかは定かではないが、私は構わず話し続けた。


「ただし、『革命』に関して私は一切の協力をしない。家族や友人たちの安全を守るためだけに全力を尽くす。もし、故意に巻き込もうとした場合は――」


 ヘレナは、なおも痛みの悲鳴とは別の慟哭を撒き散らす。何も彼女が泣き止むまで待ってやる義理はない。話が重要なところに入ったので、私は彼女の気を引くべく真っ赤に染まった右肩に左の四指を突き入れ、その体を乱暴にグイッと手繰り寄せた。


「――殺すから」

「うっ……あぁ、ぁぁ……」

「よし」


 その呻き声を了承の返事と取った私は、ヘレナの身体を解放して立ち上がる。その時には、煩い慟哭も止まっていた。


 私は、血に濡れた左手で斬り落としたヘレナの右腕を拾い上げる。そして、ふと感じた思いをそのまま口にする。


「アンタと一緒に居た一年足らず……振り返ってみれば案外悪くなかったわ」


 その途端、胸中に春風のような爽やかさが吹き抜けていった。最後にこの言葉を言えてよかった。


 友と快を分かつというのに、私な存外に清涼な気分を感じていた。


「達者でね」


 足取り軽く、私は跳ねるように収容所を後にした。

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