5.敗北 その③:共同戦線
私の本気具合は伝わったようで、ベルンハルト中将は後ほど来賓名簿と警備員名簿を調達することを約束してくれた。私の見込んだ通り、彼が話の分かる奴で助かった。
ベルンハルト中将の屋敷を後にした私は、彼と約束した時間まで王党派の方に探りを入れてみようかとも考えたのだが、生憎と突然の来客があった。
「リン、気付いてるか」
「ええ」
誰かが私を尾行している。この魔力の気配は間違いなく
(二人っきりで私と話したいって訳? 良いじゃない、乗ってあげるわ)
その意を汲み、私は一路郊外へ向かう。街中に点在する『
そして、
「アンタは……」
「『
「ええ、もちろん。忘れる訳がないわ」
こいつは、あの〝露出狂〟の変態を壁に引きずり込んで助けた子供だ。妙に間延びした喋り方をする奴だったと記憶している。そして、私の
ワキールが完全にその姿を表す。あの時は手と声しか分からなかったが、改めてこうして全身を見ると顔立ちはハッキリとしているがまだ十歳かそこらの男の子といった感じで、想像していた以上に幼い印象を受けた。
「あれから〝露出狂〟の噂はとんと聞かなくなったから、『
「あれは、わざと目立つように活動していたからねぇ。お前と会うために。安心したよぉ、ウチのボスがおかしくなったのでなくて」
「狂人の真似とて大路を走らば、とも言うけれど」
「ふふ、違いないねぇ」
だが、十歳というのには少し大人びているというか、年齢不相応の落ち着きと余裕を感じる。私が同じ年頃だった頃、学院の同級生にも頭の良い奴や落ち着いてる奴は何人か居たが、思い返してみるに彼女らの振る舞いにはやはり年齢相応の未熟さがあった。
しかし、ワキールはどうだろう。こうして対面して言葉を交わしていると、その幼さの中にまるでシジズモンドさんと話している時と同じような成熟した深い含蓄を感じる。
「お前の考えていることは分かるよぉ」
ワキールは訳知り顔で己の出自を語る。
「
「どういう意味? 〘
「飽くまで、副次的な作用だけどねぇ。〝魔界〟の住民の魔力が己が身に定着する過程において、魔力と一緒にその者の『記憶』なんかも一緒に入ってくることがあってぇ……
「コラ、余計なことは言うんじゃねぇ」
空気を読んで黙っていたマネが焦ったように服の下から飛び出してくる。
「なによ、気になるじゃない」
「あんましオレ様の名が広まるとやり辛くなるぜ。リンだって迷惑は御免だろ?」
それはそうだが、マネは〝魔界〟だとそこそこ名の知れた奴なのだろうか? それとも、単に一部で悪名が轟いているだけとか。性格的にはその方がありそうだが。
「まぁ、そんなことは置いといてぇ……。それより、便利な魔法って奴をお前にも披露したいからこっちを見てよぉ」
そう言うと、ワキールはずぶずぶと地面に沈み出した。あの時と一緒だ、あの変態を壁の中に引き摺り込んだ時と。木から出てきたのも、その「便利な魔法」とやらによるものなのだろう。
ワキールが完全に地面の中に消えると同時、背後に同じ気配が現れる。振り向くと、飛び出した太い木の枝にワキールがぶら下がっていた。
「この通りぃ……
「へー、便利ね。凄い羨ましいわ」
「どーもぉ。けれど、面倒な制約もあってねぇ。生きている他人を連れてゆくのには今見せたのよりも時間が必要だし、瞬間移動できる場所も何処でも良い訳じゃなくてこの眼の届く範囲だけ、しかも壁や太い木の枝・幹といった人が通れるぐらいの大きさの物質を介さないと駄目なんだぁ」
私はすぐさまワキールが言いたいところを察した。
(――つまり、彼はベンが入口を固めていた私の控室には入れない)
もちろん、それにはワキールの言葉が正しいとするならば、という但し書きが付くが。
けれども、『生きている他人を連れてゆくのには時間がかかる』というのは本当だろう。あの時も、変態を引き摺り込むのに結構な時間を要していた。今まさに斬られようとしている状況なのだから、普通は急いで引っ込みたいところである。それができるのであれば。
しかし、そうしなかったということは、合理的に考えればできなかったのだろう。
「
嫌がらせがあったことをワキールも知っている、か。
「……下らない。アンタは、そんなことが言いたかった訳?」
「はは、まずは信用して貰わないと始まらないからねぇ」
「確証もないのに手は出さないわ。もしあったら、今頃アンタの首は欄干か街灯にでも引っかかってることでしょうよ」
「……怖いねぇ」
堂々と敵対行動を取る奴に手心をかけてやる趣味はない。その時は遠慮なくその首を獲る。
「ま、今のアンタの言葉だけで簡単に信じられるものじゃないけど、一応は了解したわ。そっちがそういう主張だってことをね」
「手厳しいねぇ」
「で、本題は?」
今のところ、便利な魔法とやらを自慢されただけである。まさか、そのためだけに接触してきた訳でもあるまい。
「せっかちさんだねぇ、お前は。良いよぉ、本題に入ろうか……」
ワキールは居住まいを正し、明快に本題を切り出した。
「――お前、
「はあ? 『収容所』に?」
ここで言う『収容所』とは、文脈からして主に
そこに彼ら『
「収容所へ行き、そこに囚われている同胞たちを
それは容易に想像できた申し出だった。
「断るわ。この国教会の膝下たる王都で、意味もなく、大義もなく、徒に反旗を翻す必要性を感じない」
「必要性ならあるよぉ。お前の学友、ルゥって子もそこへ収容されている」
「……それが、どうしたのよ」
確かにルゥもそこへ収容されている。だが、それがどうしたというのか。
別にルゥは民宗派でもない。赤子の頃に孤児院の前に捨てられて以来、ずっと国教会の庇護の中で育ってきた由緒正しき王党国教派だ。そんな
収容された理由は、民宗派からの保護と
そして、それは他の一般人の
「お前は何も知らないんだねぇ……哀れでならないよぉ」
「どういうこと?」
内心の苛立ちをそのまま遠慮なく滲ませてやると、ワキールは戯けたように両手を上げて猛る私を制した。
「そのままの意味だよぉ、伝え聞くばかりで現実を知らない。見たことがない。なのに、さも知った風に話すものだからそう言ったまでのこと」
「アァ? そっちこそ、さも現実は違うように言うじゃない」
「なら、確かめに行こうよぉ。果たして、どっちが正しいか……
一度、現実を見れば考えも変わるだろうと確信している口調。全く、こまっしゃくれたガキだ。
ワキールが私に向かって手を差し出す。
「――行こう、お前の友達を助けに」
その手に応じるべく一歩踏み出そうとした時、服の下でマネが私を後ろへ引っ張った。
「マネ」
いい加減に学べ。これまで、私がただの一度としてマネの助言に素直に従った試しがあったか。
「よせよ! コイツの言うことを信用するのか?」
「ここまで言われて引き下がれない」
それに、気になることは気になる。収容所への立ち入りは、例え王党国教派であっても担当するもの以外殆ど禁じられている。
(私が実情を知らないというのは――感情的にはムカつくが、事実だ)
ルゥの友人として、彼女がそこへ収容される原因を作り出した責任の一端を背負うものとして、私には彼女が正当に扱われていることを確認する義務がある。
「行くわ。けど、何もなかったら協力はしないし、何ならそんな不穏な企みを放っておはおけないから逆に潰す」
「もちろん、それで構わないよぉ」
ここでマネが折れる。
「チッ……聞かん坊が。こんなポッと出の連中に付いてって、後悔しても知らねぇぞ」
「やらぬ後悔よりやって後悔よ」
マネの恨み節を聞き流しながら、私はワキールの手を掴んだ。
夜を待ってから私たちは動き出した。
(予想していた通りに厳重な警備ね……)
初めて見る収容所の周りには大きな照明が幾つも設置されており、今は夜だというのにそこだけ真っ昼間のような明るさだった。
更に収容所を囲うように分厚い結界が幾重にも展開されており、高い監視塔が所狭しと敷地内に屹立している攻撃的な外観も相まって、まるで前線基地の如き様相を呈している。
「次はあそこ――北の監視塔に移動するよぉ」
「ちょっと、本当に大丈夫なんでしょうね?」
「当然さ。あの監視塔の警備兵は買収済みだし、セアル様のくれた魔法は人間のせせこましい結界なんぞに引っかかることはない。それに出入りに関しては厳重だけど、一度入ってしまえば最低限の
「それ、ほんと? あの厳つい外観に似合わぬ手落ちね」
「我々が干渉し、そうさせたのだ。彼らの落ち度ではないよぉ」
成程ね。まあ、いざとなれば、コイツを囮に逃げてしまえばいい。気を取り直して再び沈み込み始めた身体に意識を集中させていると、ふと下の方から怒号が聞こえてきた。
「お引き取りください!」
「――頼む、入れてくれ!」
「ですから! 先程から何度も繰り返し申し上げておりますように、入構許可証を持たない人間の立ち入りは規則で禁じられているのです! お引き取り下さい!」
「そこを何とか曲げてくれと言っているんだ! あの中には私の友人が居る! せめて話すだけ――いや、顔を見るだけでも良い!」
誰かと思えば、カルバだった。何やら守衛のお姉さんに食ってかかっているようだが、規則規則の一点張りでにべなく門前払いを食らっている。あの日以来、顔を合わせることはなかったが、こんなところで見かけることになるとは。
やがて、カルバは集まってきた他の守衛の手によって羽交い締めにされる。
「離せ、離せぇ! 頼む、姐さんに――ナタリー審問官に話を通してくれ!」
「ですから、既に通しました。しかし、『知らない』と」
「う、嘘だ……! 同じ孤児院の出身なんだよ! 知らない訳ないだろぉ!」
強制退去となり収容所の前に投げ捨てられたカルバは、「嘘だ嘘だ」とうわ言のように呟きながら地面にへたり込み、収容所の高い壁を見上げて呆然としていた。
「ワキール、もう一人ぐらい行けるわよね」
「……彼女も一緒に? 時間のこともあるし、予定にないことをされると困るのだが……」
「私は、やれるかどうかを聞いてるの」
返答を待たず、私は空中へ歩き出すようにスッと鐘楼の屋根から飛び降りる。70mほどの高さなので、このまま自然に落下すると潰れたトマトのようになって地面に愉快な模様を描き出すことになるだろうが、途中途中でマネが辺りの壁に向かって触手を伸ばしブレーキをかけてくれるおかげでそうはならない。漸次的に減速しながら、私は緩やかに着地した。
夜を待ったおかげで人目はない。素早く路地を通り抜け、まだ呆然としたままのカルバの前へ小石を投げ入れる。三個目を投じたところで、ようやくカルバは裏路地から手招きする私に気付き、こちらへ駆け寄ってきた。
近くで見ると、彼女が酷くやつれているのがよく分かった。まず表情に覇気がなく、肌はくすみ、眼は昏く窪んでいる。
あれから碌に寝れていないのではないか。私でも、一日二日は
「リンも、ここへ来ていたのか……入構許可証はあるか? それがないと入れてくれないそうだ……」
「入構許可証はないけど、マスターキーならあるわよ」
「マスターキー? それは、どういう意――!」
カルバが弾かれたように杖を構える。その視線は私の背後の壁に固定されていた。そこから、両手を上げたワキールが姿を現す。
「撃たないでくれ。全く……お前も強引な人だねぇ」
「――リン! 本当に
「しー」
私は、口に指を当てて声を抑えるように促す。
「誤解しないで。ツルむか殺すかはこれから決めるところなの」
「……どういうことなんだ。詳しく聞かせてくれ」
「良いわよ」
私はこれまでの経緯と目的をざっくりと話した。カルバはそれを神妙な顔で聞き入る。
「――つまり、こいつらの言う通り
私のざっくりとした説明をワキールが引き継ぐ。
「本件に対し我々『
「斬る」
どうかしらと尋ねると、カルバは思案顔で黙り込んだ。しばらくしてようやく決心が付いたのか、一つ頷いて顔を上げる。
「その話、私も乗っからせてくれ」
さっきまで淀んでいたカルバの双眸に活力が漲り、炯々と輝く。まるで死人が息を吹き返したかのようだった。
カルバはワキールに一瞥をくれる。そこに、ナタリーさんの見せたような侮蔑の色はない。しかし、決してポジティブなものでもない。
無。
全くの無。カルバは、関心という関心を一切排した冷たい眼をしていた。
「ソイツの話が本当かどうか……もっと言えば、この際は
一転して、燃える情念が彼女の双眸を染め上げる。
「ただ、我が半身のように想うルゥの顔が見たい――その無事を確認したい。この心にあるのはそれだけだ。それを手前らにタダ乗りして遂げられるってんだから、こっちには拒む理由がない」
カルバは杖を収めてワキールに手を差し出す。ワキールはそれに応え、二人は握手した。かりそめの友好。だが、この場はそれでいい。
ここぞとばかりに、私はワキールを押し退け、横合いからカルバの手を強引に掴んだ。
「カルバ、あの時は蹴ったりして悪かったわね。私の所為みたいなものなのに……あれはただの八つ当たりだった。許してほしい」
「よしてくれ。許す気なんてないよ……けど、それは許す許さないという次元をとうに過ぎ去っているからだ。皆、必死にやったんだ。私も、姐さんも……ルゥだってそうだよ」
こいつ、私の一コ下の癖に妙に悟ったようなことを言う。正直に言えば、罪悪感を減らしたいだけの打算混じりの謝罪という自覚はあったので、私は自分の浅ましさを恥ずかしく思った。
「では、時間も押してることだし、話も纏まったところで……行こうかぁ」
ワキールが、私とカルバへ向かって両手を差し出す。私たち二人は、間髪入れずにその手を掴んだ。
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