04. Nihilism のススメ②:すべてそのままそこにある
「無理」
アクラの件をリシオンに持ち出して、返答第一句がこうだった。
スピナにしては珍しく、あからさまにシュンとした。
「なんでかっつーとな、俺はあの手の話に丁度いいこと言ってやれんのだわ。寧ろ逆効果」
「……」
リシオンはヒョイとしゃがんで、膝に乗せた腕をぶらぶら遊ばせながら、しばらくして腕組みに直した。
「今のアクラちゃんはロードとおんなじだ。物事の意味を信じ込めん……いや。信じ込んで裏切られる恐怖だけを信じ込んでる」
遠く見はるかすような彼の視線は、その先に、ちょうど話題の二人が三角座りで並んでいるのを捉えていた。左はロード、右はアクラ、休憩所のブルーシートで話し込んでいる。アクラは何かしら、恐らく指揮について論評させられているところらしく、
「ま、センセーに任せようや」
「ロード君は何もしません」
「そうなんだけどさぁ……だぁーっ。
あいつもあいつで、どうなって欲しいってトコが欠けてんだよ」
「……」
「それこそ、期待するのが怖いわけか」
スピナも彼の視線にあわせて二人を見る、その時にはもういつもの軽い調子で言葉を交わしていた。目を逸らす、けれど、それが不道徳に思えてまた見る。そんな自分が、結局根無草に思えた。
「はー、懐かしいねぇ」
「俺が言ったことでロードの気が晴れたことあるか?」
「ありません」
「すげーはっきり言うし……ンン。つまりさ、同じ要領なんだよ。俺がアクラちゃんに何言っても変わらん。ロードは俺の弟子だから言うしかねぇけど、アクラちゃんは違うの」
そう返されたスピナが柄を撫でるのを、彼は見逃さず、しかし指摘するかわりに細い溜息をついた。
「スピナちゃんはどうする」
「どう?」
「そ。俺は何もしねえけど、それはそれだ」
もしこのとき相手がロードなら、彼は若干の真剣味を加えて「甘えんな」と返すところだった。スピナ・アリスにそれをしないのは、至極当然女性への遠慮と、やはり意味を感じないからだった。
「こんくらいにして、俺らも帰ろうや」
「……はい」
と、不意に彼の懐から、「ポーンポーン」と着信音が繰り返された。葉先から落ちる雫のようにもどかしい反復音だった。無線機を取り出すと、安い電卓程度の液晶に、粗いドットの「ブライジン」という文字列が右から左へ流れている。
「ほい、どした」
『明日以降について確認する。スピナも傍にいるだろう、すぐ来い』
「りょーかい」
『そうだ、最終日の参加選抜も始めるからな』
「そんなもんあったな……今回は岩山区画で実地訓練だろ? メンツ絞られそーだねェ」
『4分の1くらいは通るだろう』
「いんや、どうかね。今年の連中、センスはあっても馬鹿になれねーもん」
『そこを叩き直すのが仕事だろうが』
「へいへい。じゃな」
『おう』
無線を切ってもう一度ロードの方を見ると、彼もちょうど呼び出されたのか、転移の輪と共に消えてしまった。寂しいくらいにあっさりと居なくなるので、苦笑が漏れた。
「行くか」
「はい」
滾る意気を吐き出せなかったようなスピナの不満は、肩の絶妙にあがった具合からわかる。ついでのようにそっぽを、右斜め下を向いて、口先は若干尖っている。ように見えなくもない。
その程度しか変わらないのに十分理解できたことは、彼にある種の和みをもたらした。
「スピナちゃんも大きくなったねぇ」
「昔が小さかったので」
「確かに、初めて会ったときは小さかったな。六年前?」
「はい」
「ありゃぁ十五にしちゃチビだったわ。遅かった分グンと来たな、成長期」
手枕をして白天井を見上げ、表情は朗らかなくらいにしておいて、その実年相応の泣き脆さを、切なさ程度で押しとどめるのに一生懸命だった。
「アクラさん」
「うぁあぁっ!」
後ろからヒョイと現れるトウカに、アクラは腰を抜かすくらいビクついた。
「びっくりさせないでよ」
「失礼しました。アクラさんの顔色が優れないので、つい」
「……そういう返し、勘弁してよ」
トウカは小首を傾げて、微笑はそのままにお茶目ぶった。
それですぐ、彼女の右側に座る。注釈として、彼はアクラの左後ろから現れたことを明記しておく。
「困りましたね」
「困ったっていうか、もう失敗した後っていうか……」
「ルークさんに相談してみては?」
「ルークと二人きりはまだ無理」
「何も二人きりでなくたっていいでしょう」
「ヤよ、大人数の前で『私病んでます』とか言えないもん」
「では僕ですね」
アクラのトウカ観察研究が一歩進んだ。彼の話し方は、まず相手の内情を相手自身より理解しきるところから始まる。それでいて根本的な内容は本人の口で言わせ、自分からは触れず、かつ順序よく引き出す。
カウンセリングの基本技術かと言えば多分に違っていて、彼は知らないことを引き出すのではなく、予めすべてを知った上で引き出す。よって誘導の匂いすらしない、そのあたりは実に隠者らしく、カウンセラーと呼ぶにはあまりにも一方的すぎる。
分かってしまうと、乗るのは癪だった。
「別に、誰かに相談しようなんて思ってないし」
「僕が聞きたいのですが、如何でしょう」
「いやでーす」
「では、僕はお先に失礼します」
「え」
情けない声が出た。
「……あの」
「はい?」
「参りました」
「なんと、勝負だったんですか」
結局は彼が二、三枚上手で、かつ聞き手を求めているのはアクラの方だった。
「意地悪……とか言ったら、流石に図々しい?」
「いえ寧ろもう一度お願いします。ふくれっ面で、ムスーッと」
「何言ってるの?」
「忘れて下さい」
「……変なの」
アクラはそれで済ましてしまって、珍しく浮つき気味に笑うトウカを見なかった。三角座りの二人は遠くを見ていて、何も見ていなくて、交わす言葉だけで通じている。
そういった乖離感がある種の投げやりを許して、彼女の口はよく転がった。
「じゃ、もっと図々しいこと言っていい?」
「ぜひ」
「超図々しいわよ」
「どうぞ」
「何で、もぉちょっと早く声かけてくれなかったの……って、ホント図々しいわね」
こう言ってしまって、もしやこの乖離感も彼の計算づくなのではと、一本取られる悔しさが再到来した。隣を見るとタイミングよく顔を合わせに来る、しかも小首をまた傾げるので、やはり悔しくなった。
ラテの泡くらい柔らかく温かい笑みでこう返して一本の宣言すらしないのだから、また「参りました」が喉もとまで上ってくる。
「暫く待っていたんですが、あの拗らせヘタなしナスビ頭……ンンッ! 先生が何もなさらないので」
「今なんて?」
「忘れて下さい」
ただしこれに関してのみ、トウカという男は迂闊だった。
「サテあんな訳アリ夏野菜のことより、アクラさん」
「枕詞が気になるけど、何?」
「三角関係の味はいかがですか?」
「うわ」
普段踏み込まない割にこういう刺し方をするとき、それは乱暴な誤魔化しか、サディスティックのあらわれか、と思えば結局のところ打算的であったり、隠者のローブは何も明かしてくれない。
「森林区画のアレはいい見世物でしたね」
「アレって」
「取り繕おうとしてタダの藪蛇に終わった、あのハリボテ謝罪会見です」
「毒つっよ……まぁそうだけどさ」
思い出して、アクラはついに赤くなった。
その時だけはそれを正義と思っていた、それを妥当と信じていたのだから自分が信用ならない。不心得と配慮不足を言葉で片付けたものが、あれだった。あてどないことと分かっていて、権威ありげに倒錯させて、結局のところ重大事を軽薄に扱った。
その先で地獄を見た。あるいは、覚悟浅薄の性根を叩き潰された。
「どうすればよかったんだろ」
「さあ。少なくとも、男のルークさんが謝らないのはちょっと」
「なんかトウカって、たまに前時代的って言うか、熱血よね。忠誠とかなんとか」
「僕は根っからの熱血ですよ」
「それはないでしょ」
「いえいえ、本当です」
自称熱血の表情は温和だった。自制的かつ冷静、時たま冷血で、熱血の対義語ばかりが彼を
「で、どうすればよかったと思う?」
「どうにもならなかったんでしょう」
「そ」
青さは思い出すだけ黒かった。もしくは、痛かった。
「何も解決してないなあ」
彼女には、ただそれだけが分かっていた。
「ただいま帰りましたー」
「ただいま帰りました」
夕焼けの頃合い、山の家は朱に染まりながらも、窓の外にはっきりとした光源を見せず、万年霧にぼやけさせてうっすらとしていた。そういった天然の調整で、むやみに熱することがない。
ロードはソファで物ぐさのように「お帰り」と言い、ローナはすぐに駆け寄った。ルークはいない。
「お帰りなさい、遅かったですね」
「話し込んだので」
「あー……」
察しをつけた顔で、けれどそっぽを向けず作り笑いする、そこで下手糞なのが彼女らしかった。
「ローナ、火元から目を離してはいけないよ」
「あ」
後ろでモウモウ湯気立つ鍋と、火を止めながらそれを見つめるロードがなんとも生活的で、厭世家には不似合いな作法だった。
「どれ、ひとつ味見を」
「つまみ食い駄目ですーっ!」
新人錬成直後とは思えないフットワークで、今度はロードの方に駆けていく。怖くない番犬のようで、それでもロードは急ぎのごとく身を引いた。誰にでも弱点はあるらしい。かつそれは大方、力が抜けるほど下らないと、そういうことかもしれない。
「けちん坊だねえ……なるほど、肉じゃがか」
「ご飯抜きにしますよ」
「これは駄目だね、台所番には勝てないらしい」
両手を軽く挙げてふりふりと、何もかも形無しになってしまった。
「……おや」
それはそれとして、彼は落とした視線の先に透明な器を見とめた。ひだのように縁を波打たせてある、硝子の器だった。
「春に使うのは珍しいね。素麺用だろう?」
「おかずが一品増えましたから。こうすると、春の洗い物ローテが崩れないんです」
「なるほどね」
降参の手を、そのままローナの頭に乗せた。
「ご飯前に頭触ったらばっちいですよ。今ここ使ってるので、お手洗いで洗ってきて下さい」
「はいはい」
素直に離れ、廊下の方にユラユラと消えるロードの姿が何とも不思議だった。不思議であるのに不思議でない、その感覚は恐らく彼の振る舞いが十八歳らしかったためで、明け透けなのが珍しい。
ロード・マスレイという男は、そう、いま正に花の十八歳ということだった。それをアクラとトウカは傍観していた。
「ローナ」
「何ですか?」
「どうして先生と結婚しないの?」
「そういう関係じゃないからです」
料理の片手間で、その後ろ姿で回答が済んだ。
「先生と、先生の同居人だったっていう女の子は、どういう関係だったの」
「……電気、付けてくれますか?」
気付くと霧の夕景は真っ暗になっていて、台所だけが無闇に明るく、リビングの方は薄暗くなっていた。かつ気付けばトウカがスイッチの方にいて、すぐに点灯した。
「ありがとうございます」
「いえ。それで、件のご関係は?」
「小間使いと雇い主、あと養父と養子です」
灯りを夕食の合図にしたのか、廊下の方から二人、ルークとミレントが現れた。
「お帰りぃ、お前ら遅かったな」
「あらどうしたの。お泊まり?」
「リシオンさんの家が指導員の談話室……いや、宴会場にされたらしい」
「罰則の一部ってことらしいぜ。で、俺は逃げろってさ」
ミレントは「急で悪いな」と、笑顔で片手の合掌をした。ついでのようにウインクも重ねて、横のルークは嘆息がやまない。
「そうだ、マスレイ先生が……おほんっ。
『部屋で暫く読書しているから、出来たら呼んでくれるかい』……ってさ」
「絶望的に似てないぞ」
「おまっ」
「ルークはまたそうやって喧嘩腰なんだから。まあ似てないけど」
「……あー、へいへい」
そこで「あっ」と数人の声が揃った。甘辛い肉じゃがの香りが喉まで吸い込まれて、唾液を催した。
みなあらゆる些事を一端やめにし、2倍早送りの拍子で配膳盆を取り並ぶ。真顔で台所を見つめる各人に、振り向くローナの目は細かった。
「あと少しですから、急かさないで下さい」
苦笑ののち、黙々と盆を置いてテーブルへと帰っていく。
「あ、小間使いちゃんの話」
「それ続けちゃうんですか?」
「聞きたいわよ」
「その子は戦災孤児で、三年くらい前、先生に引き取られたそうです」
「……そう、なんだ」
アクラは「嗚呼また不味った」と、けれどそれを口にも出せなかった。「続けちゃうんですか」に気付きもしない洞察力をまた嫌った。
「親子っていうか、兄妹っていうか、師弟っていうか……普通の言葉じゃ駄目みたいです」
「しかし恋仲は断じて違うと、そういうわけですか」
「そうですね。ジーナは家族に恋なんて、出来ないと思います」
「なぁ、三年前の戦災って……雷鳴王事件か?」
「はい」
頬に汗が伝うくらいの緊迫だった。気が沈むどころか張り詰める、そういう話題であることを各人重々承知していた。
雷鳴王事件は、海底区画事件と同時期に発生した大災厄として語られる。数千年起こらなかったケモノによる王都襲撃事件であり、襲撃団の首領であった甲冑巨人は「雷鳴王」と呼ばれ、事件名もそれに従った。
雷鳴王はリシオン、その他のケモノはスピナ・アリスがそれぞれ単独討伐したという。そしてロード・マスレイは事件によって発生した「次元の穴」を封鎖し、彼らは以降王都三傑と呼ばれる。
この三人がいる当代でなければ王都は壊滅していただろうと、賞賛が止まない。付随して、当時の復興担当がグリーン・シュトルムでなかったなら、あと十五年ほど雷鳴王の行軍路は廃墟だったろうと広く褒め称えられている。
「王都襲撃のひと月前、ジーナの住んでた街がなくなって、両親も亡くなって、王都に逃げて来たんですけど」
制止を憚ったのは、ローナの語り口が朗々としていたからで、彼らは話を気まずいこと扱いに出来なかった。
「そこでお金がなくて、兄のロイクとスリをしたんです。けど運っていうか、相手が悪くて」
「誰だったの?」
「リシオンさんです」
「それはまた、災難な話だな」
「すごい話なんですよ。スッたと思ったらスリ返されてるんです……あ、お料理出来ましたよ。全部置いたら先生も呼びましょう」
ローナの振り向き様は、いつも花のようだった。恐らく「麗」の字では不適切な、野趣とするべき野花の色合いをしている。
けれど踏まれた花だった。なおも溌剌と咲いていた。
「多分、先生にとってジーナは、誰かを救えたっていうしるしなんです」
「しるし?」
「詳しく聞いてないんですけど、ご両親と恋人を目の前で亡くされたらしくて……でもジーナは王都襲撃で生き残ってます。
だから先生にとっての救い、みたいなんです。唯一救えたからって」
卓上に並ぶ湯気が温かく白く、それでいて白々しかった。
穏やかな団欒じみている。あくまで「じみている」に過ぎない。
「でも多分、それに過ぎないって言うか。恋とかじゃなくて、愛とかでもなくて……そういうのとは本当に違うんです」
置かれる最後の一皿が、コトンと低い音を立てた。
「ローナさん」
「はい?」
「彼女のお兄さんは、どうなったんですか?」
笑わなくてもいいのに、ローナはまた笑った。
「王都襲撃で亡くなりました」
「そうですか」
「じゃあ、先生呼んできますね」
薄暗い廊下に消えていく後ろ姿が小躍りのように跳ねていて、それが彼女の
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