第183話
明日はいよいよデビューの日だ。慣れない事と、周囲の好奇の目に晒されるのかと思うと、今から胃がシクシク痛む気がする。だが、これを乗り越えないと学校にも通えないわけで、どうする事も出来ない問題だった。数時間の事と割り切るつもりでいるものの、気分的に落ち着かないのはどうしようもない。腹が座ってないなと自分でも思っている。
今日は離宮にお客様が来ることになっている。これは宰相に許可を取っての来客だ。しかも、来るのは筆頭さんの旦那さんだ。デビュー当日に会うのでも良かったが、前日に顔合わせをしておいた方が当日も話しやすいだろうとの事で。筆頭さんと相談して決めた事だ。初めて会うのに緊張もあるが、少し好奇心が勝ってもいる。筆頭さんの旦那さんとはどんな人なのだろうか。
私はソワソワ、ワクワクもしていた。このおかげで明日の緊張も少しはまぎれている、と思いたい。
「失礼いたします」
その声をともに筆頭さんと一人の男性が入って来た。私はその人をポカンと見つめてしまった。何というか、簡単に言うと大きい人だった。それなりに身長のある筆頭さんが少し小さく見える。思わず本音で聞いてしまった。
「えっと、失礼だけど。筆頭のご夫君よね?」
「はい」
「本日はお目にかかれます事、光栄に存じます」
筆頭さんがにこやかに肯定したのち、ご夫君も挨拶をしてくれた。筆頭さんから私の話を聞いているらしく、多少の緊張はあるものの穏やかな印象を受ける。
雰囲気は穏やかだが、外見は穏やかではなかった。
この方は武人なのだろうか? それくらい身体が大きく、失礼ながら顔が怖い印象がある。人を見かけで判断するのは良くないと分かっているが、笑みを作ってくれているのに、怖く見える。
私が怖く感じないのは隣に立っている筆頭さんがニコニコしているからだろう。そのおかげで怖くは見えなかった。美人系の筆頭さんの夫がこんな感じの人だとは予想外で、何と挨拶をすればいいのか、考えていた文言が吹き飛んでいた。
「姫様?」
普段なら躊躇う事なく挨拶をする私が固まっているので筆頭さんから声がかかる。その声に再起動しながら、なんとか考えていた挨拶を振り絞った。
「離宮へようこそ。お会いできてうれしいく思います。明日はよろしく」
「お目にかかれて光栄でございます。妻がいつもお世話になっております。姫様の付き添いを承ります事嬉しくお思っております。慣れない事でご迷惑をおかけしないよう努めますので、明日はよろしくお願いいたします」
「姫様。不首尾が無いよう努めますが、不安な事がありましたらいつでもおしゃってくださいませ」
「ありがとう。よろしくお願いするわ」
筆頭さんの力強い言葉に安心する。一抹の不安もあるが何とかなりそうだ。
私はその事に胸を撫で降した。
その夜、私は眠れずにいた。明日の事は万事整えてあり問題はないはずだが、不安はぬぐいきれない。殿下の事もあるが、デビューは学校に行く前の子供たちが顔合わせを兼ね行うものだという。要は学校に行く前に少しお友達を作っておけ、という事だろう。そのお友達が私にはできるだろうか。上級生も参加することになっているそうだ。そうする事で、上級生・下級生関係なく見知っておくことでトラブルも避けるようにしているらしい。そんな中で、友達を作れるか。なにせ、私は事情が事情だ。嫌煙される可能性もある。というか、その可能性しか考えられないだろう。殿下も邪魔をしてくれるだろうし。
私は寝返りを打つ。離宮の人たち以外は私の事を噂でしか知らない人も多い。
不安しかない。寝ないと、と思うが一度考えだ出したら止まらない。不安が胸の内に広がり落ち着かず、さらに寝返りを打つ。
そうこうしていると、小さくドアが開く音がする。
私はその音にびくりと肩が震えた。ここは二階で、外には騎士たちもいる。人が簡単に入ってこれる場所ではない。どうして? 不審者? まさか? そう思っていたらそれこそ小さな声がした。
「姫様。お休みですか?」
「筆頭さん?」
入ってきたのは筆頭さんだった。彼女はそっと私のベッドの方へ寄って来る。
「明日の事が気になって、お休みになれないかと思いまして」
椅子に座らず私のベッドに腰かけた。日ごろはこんな無作法な事はしない筆頭さんだから、私は驚きながらも来てくれたことが嬉しくて、そちらの方へ寝返りを打ち近寄る。
「そうなの。眠れなくて。大丈夫かしら」
何をとは言わずとも、私の不安は一つしかない。筆頭さんが少し微笑んだ気がするが、実際は暗くて見えない。それでも心配ないと安心させるように私の手を握ってくれる。そして昔話をしてくれた。
「お気持ちは分かります。わたくしも前日は不安で眠れませんでした。明日は失敗したらどうしよう? ダンスの時に足を踏んだら? ドレスの裾を踏んでしまったら? 飲み物を零したら? 上手におしゃべりができるかしら? お友達が出来る? と不安でいっぱいでした。 何より、わたくしの母厳しくて。何か失敗すればマナーの勉強時間が増えるのは確実でしたので、それが嫌だったわたくしは、頭の中は失敗してしまう事でいっぱいになっていました」
「それで、どうだったの?」
私は筆頭さんの昔話に興味を惹かれ手に力を籠める。上手くいったという話を聞きたい。そう思っていた。彼女は私の手を握り、反対の手は私の上掛けを軽くトントンとなだめてくれていた。子供の寝かしつけにやる時の仕草だ。
「なんとか上手くいきました。ダンスの時に相手の方の足を踏んでしまいましたが、その方は気が付いていないような感じで、そのまま踊ってくれました。そのおかげで母には気が付かれずに済んだのです」
「じゃあ、明日もそうなってくれたらいいのに」
「大丈夫ですわ」
筆頭さんがクスクス笑う。
「その時のパートナーが夫です。ですから姫様。ご安心ください。踏んでしまっても夫は大丈夫です。姫様ですから申し上げます。わたくしも、それはそれは盛大に踏んづけてしまったのです。痛かったでしょうに、涼しい顔をしてくれていましたわ。ご安心ください」
「そうなの? 痛くなかったのかしら?」
「わかりません。後からその事を聞きましたが大丈夫だった、としか教えてくれませんの」
「ご夫君は優しい方なのね」
私の言葉に筆頭さんは返事をくれなかった。その代わりにもう休むように声を掛けてくる。
「姫様。ご安心いただけたらお休みください。明日は支度もありますので早起きになります。寝不足では大変です」
「ありがとう。そうするわ」
「お休みなさいませ」
そう言って筆頭さんは私の上掛けを直し静かに出て行った。
不安はまだあるけど、さっきよりは気が楽になってどうにか眠れそうだ。
明日が無事に終わりますように。
私はそう祈りながら目を閉じた。
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