第137話 閑話 管理番の思い 2

私は城内の品物を管理している管理番だ。私が姫様とお会いしてから1年が過ぎている。この1年、私の生活は大きく変わっていた。私などの身分では考えられない事だが姫様の手作りお料理をいただいている事、もう一つの信じられない事。それは姫様のご縁で隊長殿と知り合ったことだ。隊長殿は陛下の親戚で本来なら私のような身分、名ばかりの下級貴族(ほとんど庶民と変わらない)ではお会いすることも、話をすることも考えられない方だ。その方が私と気さくに話をしてくださるなんて、初めの頃は考えられなくて、信じられなくて、何回か回数を重ねるうちに少しずつ馴染んで行くことが出来たほどだ。身分差があるが、それを感じることもあまりなかった。商人など、からかう様な話し方をする時もある。それを咎められる事もなかった。私が馴染めたのは商人のおかげかもしれない。 




姫様は離れから離宮に移られている。品格維持費の横領が発覚した事がきっかけだ。


あの時は、勇気を出して良かったと本当にそう思っている。調味料の件で陛下に呼び出された時は、生きて帰れるか不安になった。その話の中で、陛下との会話に齟齬がある事に気がつけたのは、姫様のおかげだと思う。


姫様は聡明な方だ。話をしていても、比喩を使われたり、話の中に自分のお願いを織り交ぜていることもある。そんなときはお願いに気づいてくれたら嬉しい、程度で駄目なら追求されることはなかった。しかし、よく思い出すとお願いされていた事に後から気がつくのだ。気がついてから品物をお持ちすると、パッと笑顔を見せてくださる。気がついてくれてありがとう、と言われる。自分のお願いがワガママや、私に無理をさせるのではないかと、不安に思っておられるようだ。気にしないでほしいとお願いしても、無理はさせたくない、といつも言われるばかりだ。私はその事に気づいてから、会話には注意深くなった。その成果が陛下との話の中で、生きてきたのだと思う。


品格維持費をもらっていない、その事を伝えるだけだったのに、私は全身から力を振り絞って言う必要があった。私などの言葉を陛下が聞いてくださるのか、不安で仕方がなかった。不敬罪で捕らわれるのではないかと、生きて帰れるのかと不安になったが。結果、聞いてくださって安心した。しかしその後の姫様が、なんと言ったら良いのか。


陛下を相手に交渉をしてしまわれるなんて。商人ならまだしも。言葉がなかった。いくら他国の姫様でも不敬罪に問われるのではないかと、不安でたまらずハラハラしたし、心臓が止まりそうな思いをした。


何よりも驚いたのは裁判をするよう、陛下にお願いしていたことだ。私では考えもつかない事だった。




確かに以前の食事会の時、姫様にお話をしたことがあった。わが国にだけある。貴族も裁判にかけられる。それは平民が相手でも平等に行われる事になっているという事を。正直に言えば姫様がその話を覚えているとは思っていなかった。本当に世間話として、お話させていただいただけなのだ。それなのに姫様は陛下の評判を買うためだ、と仰って裁判を行うよう、陛下に約束を取り付けてしまわれた。陛下の評判を買う、というのはこじつけだと私は思っている。あの時、姫様に裁判の話をしたときに、私と商人はこれで庶民が泣くことが少なくなる、と喜んで話をしていたのだ。貴族と庶民との間の壁は厚い。身分がないだけで今までは裁判も開かれなかったし、一方的に財産を取り上げられたり、結婚を強要されたり、土地を取り上げられたり、商売の邪魔をされても何もできなかったのだ。訴える先がなかったので、どうすることもできなかった。上手い人間は、先に付け届けをしたりして、それを回避する者もいた。しかし、それができるのは一部の人間だけだ。みんなが皆できるわけではない。それが少しでも減っていく。そう思うと私と商人は嬉しくて、今を思えば随分と口が軽くなっていたように思う。


それを聞いていた姫様は、私と商人がガッカリしないように、これからもこの国で暮らすのが楽しいようにと、気を回してくださったように思えた。商人にこの時の話をしたら、同じ感想を言っていた。隊長殿にはまだ聞けていないが、同じ感想だと思っている。




陛下に裁判をするよう交渉されているときの姫様のお顔は、使命感を持っておられる表情だった。自分にできなければ、誰も果たすことが出来ないだろうと、責任を持たれている凛としたお顔をされていた。子供の姫様だが、この方に間違いはないのだと思わせるものがあった。私は今までに誰かにお仕えしたいと思ったことはない。城に勤めたのも給料が良い事、下級貴族でも城仕えと言えば少しは相手の態度が緩和される事、そのためだ。それ以上の理由はなかった。でも、姫様なら、姫様にならお仕えしたい、と思わせるものを感じていた。


陛下が裁判をしてくださると言われたとき、姫様はホッとした顔をされていて、お歳に相応しい表情で微笑ましいのと、自分がホッとしたのと両方の気持ちを味わっていた。


姫様のこれからの成長をそばで見たい、お手伝いをしたいと私は思っていた。




しかし、姫様は異国の方だ。いずれは国に帰られてしまう。その可能性に気が付いたとき自分でも分からない、不思議な気持ちだった。ガッカリするような寂しいような、複雑な気持ちだ。


後から陛下が殿下の嫁に、と言われたときは、これで姫様が国に残ってくださる。この方なら自分が頭上に戴くのに相応しい方だと思ったが、殿下の噂をあまり聞かないので、不幸せにはなってはほしくない、とも思ってしまった。結婚は相手次第では大変な思いをしてしまう事もある。良い事ばかりではないのだ。特にこの国は大きい。貴族もいい人間ばかりではない。姫様のお国は小さいと聞いている。その事を馬鹿にする者もいないとは限らないのだ。


姫様は自分が決める事ではない、と保留にされてしまっていたが。この国には残ってほしい、でも大変な思いもしてほしくはない。私ごときが姫様の今後に口を挟める立場ではないが、幸せになってもらいたいと思っている。




姫様は離宮に移られた。これから姫様の立場は大きく変わっていくのだろう。陛下が姫様の才覚に気が付いてしまわれたのだ。御自分の手の内に置いておきたいと、思われているようだ。あの離宮も殿下の嫁にと言われているのも、隊長殿が姫様の護衛に付いているのも、貴族の噂をそのままにしているのも、それが理由のはずだ。


姫様が遠い存在になってしまわれるのだな、と私は思っていた。それは商人も思っているようだ。姫様本来の立場に戻られるだけで、本当なら私のような身分の者と話をすることも、一緒に食事をする事もありえないのだ。喜ばしいはずなのに、姫様の立場が改善されているのだから。だが、寂しさが優先して素直に喜べない自分がいた。気持ちが狭い人間だと恥ずかしく思ってしまう。


これからは姫様と食事をする事も、困った人たちね、と言い笑いあいながら商人や隊長殿の話をする事もなくなるのだな、と思っていると招待状が届いた。それも届けてくださったのは隊長殿だ。管理番室に隊長殿が来られた時は大騒ぎだった。当然だろう。呼び出されることはあっても、来てくださるような立場の方ではない。震える手で招待状を受け取った。隊長殿が来られた時点で姫様からだと分かっていた。あの方を動かせるのは陛下と御両親、姫様ぐらいだ。姫様自身はその事には気が付いてはおられないようだが。


離宮への招待を受け取った時、涙が出そうになった。私の事を忘れてはいなかったのだと、嬉しさが込み上げてきたのだ。私のような身分の者が敷居を跨げる場所ではないが、忘れずに声を掛けてくださったのだ。許されるならこれからも伺いたいと思っている。




そして私にできる事は全力で、今後も姫様のお手伝いをしていきたいと思っている。


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