第116話 護衛騎士達の憂鬱
我々は離れの護衛騎士だ。
隊としては小さくはないが大きくもない。8人ほどの人数で回している。
護衛対象は離れの主、他国から来た姫様だ。まだ子供と言って良い年齢の方で、今度の誕生日で10歳になられるそうだ。年齢の割にはお小さくていらっしゃる。外見的には8歳程に見えるだろうか。
この方は王女の肩書があるがとても穏やかな方だ。
我々の事を気遣ってくださるし、無理を言われたことはない。貴族の姫君なら、あれを買ってこいとか、親に内緒で城下に出かけたいとか、驚くような無茶を言われることがあるが、そんな事は一度も無かった。
他の隊員も顔見知りがいたり、そうではなくても気のいい奴ばかりなので、職場環境はとてもいい。
一つの問題を除けば。
「おはよう」
護衛対象の姫様の声が聞こえてくる。
大きな声ではないが、通りが良いので窓の外まで聞こえてくる。
この方は感情の揺れが少ない。甲高い声で侍女に怒ったり、癇癪を起こして泣く声なども聞いたことがなかった。
いつも一定の穏やかな声か、朗らかな笑い声かのどちらかだ。やはり姫君は教育が違うのだろうか?
そう考えてしまう。
今日の予定確認が終わったようだ。そのタイミングで、庭側の窓から室内へ入らせていただく。
「失礼いたします。わたくし共が今日の、担当をさせていただきます。よろしくお願いいたします」
私の言葉に姫様が頷きを返す。姫君は私達に返事をする事はない。これは当たり前のことだ。
代わりに筆頭侍女殿から返事がある。
「今日もよろしく、とのことです」
その言葉に合わせて姫様がニッコリと笑顔を見せてくださった。微笑ましい笑顔でこちらも嬉しくなり、つい笑顔が出てしまう。
過ごしやすい職場で有り難い。
離れの警備は2種類に別れる。簡単に言えば内と外だ。これはどこでも言えることだが、基本的には外警備が楽である。気温や天気に左右はされるが人目が少ないので気を抜くことが出来る。中は姫様や筆頭殿がいるので気を使う事が多いのだ。
たがこの離れに限っては、別な理由で外警備が良いこともある。
離れの姫様は料理をされる。王侯貴族の姫君では考えられないが、とても料理上手だと聞いている。なにせ陛下や宰相閣下も認められたほどの腕前だそうだ。この話には信憑性があると皆で話している。なぜなら、姫様が料理をされるときキッチンから良い匂いが漂ってくるからだ。その匂いは食欲を刺激する香りだ。空腹な時はたまらない。
私たちの上司である隊長殿は、休日に姫様の御手作りの料理を食べているときがあるそうだ。
他にも城下の商人や、管理番殿も来られている。キッチンから漂ってくる匂いは、その時はいつもよりも更に良い匂いがするのは気のせいではないはずだ。
隊長殿や商人は時々差し入れを持って来てくれている。私たちの事を気にしてくれているようだ。
有り難い。
差し入れはありがたくいただくが、いつか姫様の御手作りを口にしてみたい、そう思うのは離れにいる護衛騎士たちの共通の口癖だ。
「いい匂いだな」
「ああ、腹減るな…」
「食べたら。美味いんだろうな」
「そう思う」
「良いよな、隊長は。俺達も食べてみたいよな、まぁ無理だけど」
「相手は姫様だからな」
「「はぁ」」
二人同時にため息が出る。無理もない時刻は夕方、昼食を取ったとはいえ一番空腹になる時間帯だ。そこへ味噌の香りが漂ってくる。食欲を刺激されないはずが無い。
護衛騎士達の辛いところだ。
「俺たちはともかく中の連中は辛いだろうな」
「そうだな。まだマシだよな。中は考えただけでもため息が出る」
「「これがなければ、いい部署なのに」」
二人の護衛騎士は声を揃えて呟いていた。
そう、この部署の最大の問題はこの食欲を刺激する匂いだ。中の受け持ちは視覚も刺激され、更に辛い思いをする。そのためその日の受け持ちはくじ引きで決める事になっていた。
護衛騎士達は、今日も食欲を掻き立てられる匂いと戦いながら、職務に励んでいた。
その後、一つの噂が流れる。
護衛騎士の一人が、姫様のクッキーを口にしたらしい。
それが事実かどうかは不明である。
誰も噂の真相を確かめようとはしなかった。事実となれば仲間内の絆にヒビが入るかも、と不安視しているのかもしれない。
彼らの苦労はいつか報われる日が来るのだろうか?
それは誰にもわからない。
報えるのは姫様のみ。
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