第86話

作業台の上には食材が乗っている。


今日の燻製用の食材だ。




ブロック肉は、漬け込みをしてから10日ほど経って、塩抜きから風乾燥まで終了している。


これでベーコンの下準備は終了だ。




燻製に欠かせない燻玉(味玉を作って乾燥させた)も用意した。ナッツやチーズも外せない。本当なら、ししゃもやサーモンも燻製したかったのだが、どちらも見つからなかった。残念だが見つかってから考えよう。




それに初めから多くの燻製を見せると、後が困ることになるかもしれない。少しは温存しておく必要があるだろう。切り札を見せたら奥の手を持て、って言うしね。うん。




私は深い鍋を用意した。


鍋底に古い茶葉をひく。さらにその上に網を置いて食材を並べていく。


多く並べすぎても良くないので、食材毎に分けて燻製する予定だったが、記憶が戻ってから初めて燻製をする。そう考えると失敗する可能性がある事に気がついた。テストを兼ねて少量ずつ燻製をしたほうが良いかもしれない。私は、並べた食材を三分の一に減らした。




隊長さんが(人前で無いときは隊長さんに固定した)不思議そうに聞いてきた。


「姫様。なんで減らすのですか? 他のものは入れないのですか?」


「初めて燻製するからね。練習を兼ねて少量から始めようと思って。」


私は鍋に蓋をしながら隊長さんに説明する。


隊長さんの疑問は尽きない。


「茶葉は何のために?」


「内緒よ。教えてあげないわ」


私は笑いながらそう答えていた。




料理中、隊長さんはいつもいろんな事を聞いてくる。


その情報をどうしているのか、単に疑問なだけなのか、お家の料理に活用しているのか、は知らない。


教えても良いのだが、何となく全部教えるのが癪(深い意味はないのだが)だったので、内緒にした。


隣で見てるのでわかるだろう。たまには自分で考えることも必要だ。




そうしている間に火にかける。


後は少し煙が出るまで放置。その後は火を小さくする。


本来の作り方とは少し違うのだが、私はいつもこの方法だ。


なぜなら、簡単だから。家庭料理は簡単に限る。




今、燻製しているのは失敗の少ない燻玉だ。




白い煙と燻製の香が部屋に広がっていく。煙りが広がりすぎると部屋に臭いが付くので、窓を開けた。




部屋を換気するときは、窓は対面で二つ開ける必要がある。


風の通り道を作る必要があるからだ。これは前の生活で母から教えてもらった生活の知恵だ。




隊長さんは煙りを見ながら外の騎士さん達に、火事では無いことを伝えていた。他の騎士さん達にも通達するように指示を出している声が聞こえてきた。




ごめんなさい。少し茶葉の量が多かったかも。(煙の量は茶葉やチップの量による)


ある程度の時間が過ぎたので鍋を下ろし蓋を取る。


鍋から煙と燻製の香が立ち上ってきた。




「良い匂いですね」


隊長さんが鍋を覗き込む。今にも『毒味します』と言い手を伸ばしそうだ。


いや、伸ばしてきた。


私はその手をペシリと叩く。




「ダメよ。今は食べれないの」


「ダメなんですか?毒味ですよ。必要なことです。」




隊長さんはキリッとした顔で言い切る。


隊長さん、表情と手が合ってないわよ。伸びている手をもう一度叩く。




「何いってるの?単に食べたいだけでしょう?今、食べても少し酸っぱいわよ。美味しくないの。冷まして煙を落ち着かせる必要があるの。冷めたら食べても良いわ。その時は毒味をしてちょうだい」


「喜んで」




隊長さんは今度は、パアッと嬉しそうな顔をして手を引っ込めた。その表情は、何となく子供のような笑顔を思わせる。いや、子供じゃない、かな?子犬?それとも大型犬?フサフサの尻尾が揺れている気がする。


気のせいだろうか?




私は今度は別の鍋を出した。




同じ鍋でも良いのだが、鍋が痛むのが嫌なので別の鍋にする。


これも茶葉を入れて蓋をした鍋を火にかけ、今度は中身を入れていない。これはチーズの燻製をするためだ。


煙が出てからチーズを中に入れるからだ。火の入れすぎには注意が必要なため、この順番になる。あんまり火を入れすぎると固くなったり、溶けたりするからだ。それでは美味しくない(これ重要)




ベーコン、ナッツ、次々と燻製していく。


そうしている間に、初めの燻玉は冷えてきている。


それを見逃さない人物がいた。もちろん、隊長さんだ。




「姫様。もう良いですよね?」


卵の皿の前に立ち、手を伸ばすのを我慢しているようだ。そわそわしている。


律儀に許可が出るのを待っていた。


私は微笑ましいのと呆れるのと、両方の気持ちが絡んでいたが許可をだす。




「良いわよ。毒味をお願いできる?」


「お任せください」


キリッとした顔で、『御役目です』という表情で燻玉にフォークを刺した。




良かった手づかみじゃなくて。マナー上問題があるもんね。良いお家の人だし。




私がそんなことを思っている前で、隊長さんは大きな口を開けて卵を食べていた。


「うまい」


感想は一言だったが、満足そうな表情がすべてを物語っていた。

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