記録:私、アーチ門遺構右下四畳半
もうどうでもいい。
諦めたのはこれで何度目だろう。
苦しみと呼べるのか。
グラス越しに雲がわんさとこさえられていく。
クラウド・ホライゾンは現実に働きかけて微粒子からなる似て非なるものを生成する。
綿菓子のふわふわしたクッションの触り心地。
どうとでも取れる形象を成している。
グラス内では雲に顔が表れては削除され、聞こえたよーというこだまの繰り返しがミュートされる。
薬が切れて一週間、グラス無しでは限界なのだ。
バッテリー切れの心配はしなくていいのだが、処理が追いついてくれるかどうか。
オーバーフローしてしまえばそこからはカオスワールドが展開する。
それまでに薬が届いてくればいいのだが。
調剤プラントと配達ドローンが怠惰だとは言わないが、なにせこの世界全ての少女が同じ病にかかっているのだ、遅延が起きるのはやむなしか。
つくりやまいと戦った、薬の中のナノマシンはそんなに持たない。
ぬるくなったボトルコーヒーをちびる。
身体二つ分もりもりっとひねり出てくる。
今回の寝床であった叢を占拠するには十分な質量だ。
石造の半壊アーチ門の地面側、右下窪み3分の1残っていた四畳半ほどのスペースであったが、もう追い詰められて窮屈そうに域外を見る。
はるか眼下には蒼い海が広がる。
随分な高さだ。怖さよりも爽快感が勝る。
物語の残像がチラついている。
彼ら、彼女たちが起き出してきてしまう。
眠り姫 異形の相貌 プランク時間
雲の筏 星の浜辺 観測者記録
無明 無色 荘厳
勝手に思考が滑っている。
心の絶望とは裏腹に、独り言は呪言の流れで続いてゆく。
今書いている、あなたが読み進めているのがそうだ。
これは私が書き溜めた記録の断片なのだ。
物語の体裁を取っているのは、私も書いていて記録と物語の境界があやふやになっているからで、もしかしたら現実に混じっているのかもと混乱したりもする。
それもこれもつくりやまいのせいだ。
つくりやまい。
この世界の少女たちがもれなく患っている病気で、言葉が聞こえてくる、幻覚が見えるといった脳の異常、心の病らしいのだが、事態はやや複雑であるーーー情報と関わりがあるらしいのだ。どこをどうしたらそんなカラクリになるのかは正体不明だが、各部位の発火が連鎖し結びつき、情報の矢に暴発を巻き起こし、現実への物理現象への改変の発現を促すらしい。一科学少女の推論でしかないが。
少女たちはつくられた小王国の暴君となり、虜囚となってあがき苦しみながら生へのため息を漏らす。
雲の抒情が醸される。
ただただ漂っていたい。
もう考えたくないのだ。
考えが罪となる。
人間は息をするように考える動物だ。
考え無しでは生きていけない未熟児なのだ。
だって考えたらそれが病んでいるのってどうなのさ?
こうしている間にもグラスは働いて削除をし続けてくれている。
まともに書き続けられているうちに言っておかねばならない。
この記録はしばしば書き手が変わる。場所で語られるかもしれない。時間もあやふやであるだろう。
ぶつかり合って、組み合わさってこんがらがって、物語は押し出されているからだ。
伝説的先生少女せんによれば、かくことはつくりやまいに有効な手立てらしい。
まともでないかきかたもあるかもしれない。
そうすることによってしか、語り出せ得ないことどももあるものなのだ。
たぶん、私も、他の少女も、自分の苦しみを少しでも知って欲しい、そのために書いていってる気がする。中には変わり種もいるけれど、これが身近にある真実なのだ。
この記録は手帳にペンで書いている。
私はこのスタイルが好きだ。
残っていく安心感がある。
そろそろドローンが薬を運んできてくれるだろう。
それよりもさっきから雲へ飛び込みたくてウズウズしているのだ。
抑えようとしてもつくりやまいのせいもあるのだ、抑えがもどかしく難しい。
この衝動をどうすればいい?
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