続:パンケーキは空気が抜けたら潰れてしまう

『——私にクロウを返してくれないか』


 セリスから言われたことを理解するのにしばらく時間がかかった。

 

 クロウを、返して。

 つまり、クロウが悪魔の凱旋ナイトメアからいなくなる。

 私から遠ざかる。


 それは、それだけは……。


「って、いきなり言われても動揺するだけだよね。何も勝手に引き抜こうって訳じゃないさ」


「……理由があるの?」


「もちろん。実はこの前、クロウが私に相談しに来たんだ、ギルドを抜けたいってね」


「ギルドを抜けたいという件は私たちも聞いたことがあるわ。あの時は『もしもギルドを抜けるとしたら』だったけど」


「でもそれを冗談と受け止めた人は誰1人いないだろう?」


「……当たり前よ」


 あの場の全員の頭の端に今でもハッキリと残っている。


 抜けるなんて言葉、今まで使ったことなかった。気軽に言う人じゃない。だからあの時、言われて鳥肌がたった。


 もし、クロウがギルドを抜けたら——私たちは制御できない。


「クロウがギルドを抜けたいから貴方が擁護するの?」


「んー、そうだねー」


「なにその、迷っている風の言い方は」


「まぁ色々とあるんだよ。で、君たちは……もちろん阻止するよね?」


「当たり前よ」


「流石の私も、ギルドごと襲いかかられたら無傷じゃ済まないからなぁ。互いのギルド同士で戦ったら国を破壊しちゃうかもよ?」


 はは、と笑うセリスだが、決して笑い事ではない。

 やろうと思えば全壊はできなくてもそれなりには被害がでる。


「……私たちと戦うの?」


 敵意を剥き出しにした、低い声が出てしまう。


「それは私としても避けたいね。ちなみに回避できる方法はあるよ。例えば……クロウの心を射止めてギルドを抜けたくないと思わせるとか」


「っ……」


 射止める。

 つまり、クロウに好きになってもらう。

 それが出来たら苦労はしてない。


「いつまでも野放しにしてちゃダメだよ。あんなに鈍感だとホイホイ可愛い子について行っちゃうから」


「わ、分かってるわっ」


 野放しになんてしているつもりはない。ちゃんと外堀は埋めている……はず。


「とにかく、私はクロウがギルドを抜けたいかを確かめたい。それが本気なのか。まずは君たち自身に確かめて欲しいんだ。その上で決めて欲しい。クロウを射止めるか、私と戦うか」


 最初は単に奪おうとしているのかと思ったが、なんだかんだでクロウのことを、いえ、私たち悪魔の凱旋ナイトメアのことを気にかけているみたいだ。流石、クロウの師匠と言ったところかしら。


「時間を頂戴」


「もちろんだよ」


 話がひと段落ついたようだ。

 私は席を立つ。もう用は済んだ。


「あれ? パンケーキは?」


「いらないわ。それじゃ」

  

 こんな一方的な約束を何故、すんなり聞き入れたか。


 それは………。

 …………。


 ……ほんと恩には敵わないわよね。






「全く、ルルシーラはこんなにも美味しいパンケーキを食べずに店を出てしまったよ」


 手がつけられていないパンケーキが2つ。時間が経ったため、少し萎んでいた。


「お客様、今なら交換できますが……」


「いや、変えなくていいよ。このままでも十分美味しいからね」


 微笑むと店員のお嬢さんは何やら顔を赤らめて行ってしまった。

 

 ここの名物はふわふわのパンケーキ。メレンゲを使っており、それが肝。

 けれど時間が経てば空気が抜け、そのまま放っておけば萎んでやがて潰れてしまう。


 もちろんこのまま食べても味は十分、美味しい。だが人は、十分という普通じゃ満足できない。


 クロウはよく、自分がいなくても、と謙遜する。自分は空気のようだと。

 

 空気は一見、なんの役割をしてなさそうだ。しかし、決して表には見えないが、なくてはいけない存在。


 もし、なくなったら……


「さぁクロウ、私はスイッチを入れたよ。後は君次第。楽しみだね」

 

 つくづく思う。

 私は——悪い師匠おんなだ。





◇一部修正しました◇

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