第50話 二人きり

おれとソラは、部屋の隅に腰を下ろしてうずくまった。


「…え、記憶がないの?」


おれはソラの銀色の瞳を見た。やっぱり、鏡みたいな綺麗な瞳だ。目に映るものが反射して、きらきらと光っている。


ソラは、その瞳をすうっと細めた。


「…はい」


先ほどおれは、ソラに、どこの誰なのか、みたいなことを軽く聞いてみた。しかし、何も分からない、というのだ。


「わたし自身、どこから来たのか…。全然、覚えてないんです。なんで、こんな場所にいるのかも。ただ…」


「…ただ?」

「ソラ、と呼ばれていたことは、何となく覚えています。もしかしたら、間違い、かもしれないけれど…」


そう言ってソラは、視線を下に落とした。


おれは穴の開いた天井を見た。

ソラがどこから来たのかは分からないが、ある程度のことは推測できる。たぶん、ソラもどこかで迷って、この遺跡にたどり着いた。そして、遺跡に入って、崩れた床の下に落ちてしまった、と。


だからまあ、二人とも迷子なのは間違いない。


けど。


おれはちらりと横を見つめた。

どう考えても、彼女のような子がこの遺跡にいるのはおかしい。この遺跡は、大樹の森の中にあるのだ。森の中だって、魔物や危険な生物が潜んでいるし、こんな装備や武器も持っていない格好で、どうやって来たのか。


「…あと」ソラは俯いたまま、声を漏らした。


「怖かったことだけは、覚えています。怖くて怖くて、どこか、逃げないと、と思って。暗闇を、ずっと走っていたような、息苦しさも、あった気がします」


ソラは震えていた。がたがたと、小さく自分の身体を抱き寄せて。


嘘は、付いていないように思えた。これは確実に、演技ではない。それだけは、肌で感じた。


おれは手をそっと彼女の肩に触れようとして、止めた。


なんて声を掛けてあげればいいんだ?大丈夫だよ、というのはちょっと他人行儀だ。こんなこと、経験したことがないから、どうすればいいか分からない。他に、何かないか。こういう時、自分の不甲斐なさが胸を刺す。


他人にしてあげられること。それは、なんだ?考えて、考えて、考えた結果。


「…おれも、さ」


「…………」

「数日前から、記憶が無いん、だよね」


「え?」


「や、まあ記憶が無いって言っても、所々っていうかさ。君よりか、全然、軽いんだけど。でも、何も覚えてないってのは、怖いよね。おれだって、最初びっくりしたよ。なんでおれはこんな剣士みたいな格好してるんだろ、って思ったらさ、本当に傭兵で<剣士フェンサー>やってたんだ。馬鹿みたいでしょ」


おれは、あはは、と笑って見せた。


考えた末に、思い至ったのは、共感すること、だった。相手の気持ちを、想像する。自分も同じような気持ちになる。


そうすれば、他人事ではなくなるかな、と思った。言葉に、気持ちがこもるかも。それが、正解か分からない。結局、彼女にしてあげられることは、何一つ、ないのだから。


「だから、その、なんだろ。君がすごく、怖がっているってのは、おれにも、よく、わかる」


同じような気持ちになって。でもそれは、自分がそう感じているだけだ。本当に相手と全く同じ気持ちになれるわけがない。相手と同じ気持ちになれたと勝手に思う、自己満足なのだ。


そんな、偽物の言葉なのに。


「…ふ」


「…ん?」

「ふっ、あははっ、…ありがとう、ございます」


ソラは、笑ってくれた。


何が面白かったか、ソラは目に涙を浮かべて、笑っている。


「そんなに、面白かった?」

「はい、あなたは、ユウト、さんは、やっぱり面白い人だなぁって」


少し、腑に落ちなかったけど。

ちょっとだけ、嬉しかった。


「えっと、おれのことは、ユウトでいいよ。そんな、さん付けするほどの、人間じゃないから」


「では、わたしのことも、ソラと呼んでください」ソラはおれを見て、微笑んだ。


「そんな、さん付けするほどの、人間じゃありませんから、たぶん」


「あ、ああ…」

おれはソラの顔を直視できなかった。なんだろ、なんでか、照れくさい。


それに、何か、こっちが励まされているような。逆なんだけど…。


まあ、いっか。


「じゃあ、一緒に出口を探そうか」

「そうですね…いっ!?」

ソラは、立ち上がろうとした時、顔を歪めた。身体を屈めている。おれはソラの足元を見た。


「ソラ、裸足じゃないか!」

ソラの脚は切り傷だらけだった。


というか、靴を履いていない。靴無しでここまで来たのなら、そうなるのも当たり前だ。もっと早く、気付くべきだったと、自分を責めたくなる。


「これくらい、大丈夫ですから…。気にしないでください」

「いや、気になるよ…」おれは何かないか探した。でも生憎、治療する道具を持っていない。


「…おぶろうか?」

「い、いいですいいです!」ソラは顔を紅潮させて、全力で首を振った。そこまで嫌がられると、少し傷つくんだけど。


「じ、じゃあ…」ソラは耳まで赤くなっている。「…ユウト。ちょっとだけ、肩を貸してもらっても、いいですか…?」


「そ、それぐらいかまわないよ…」おれはソラの腕を首に回して、ソラの肩に手を触れた。


触れた肌は、弾力があって柔らかかった。それに、なんだろう、良い匂いもする。


ば、馬鹿か。何考えてんだ。おれは胸中で叫んで、深呼吸をした。


「う、上には仲間たちがいるんだ。仲間の一人に、治療ができる<魔術師ウィザード>がいるから、早く合流して治してもらおう」


「は、はい…!」

そうして、歩き出そうとした瞬間だった。


ゴォン、という地響きが鳴って、天井から、パラパラと土煙が落ちてきた。


「今のは!?」

ソラが慌てた様子で、おれを見上げた。


「あの巨人が、動き出したのかもしれない…」


おれは考えながら呟いた。ということは、ゲンたちが戦っている?


「とにかく、音のする方へ行ってみよう」

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