川越城
1484年10月末
■川越城
上杉顕定が26000の兵で忍城へ迫っている頃、川越城へも古河公方こと足利成氏率い60000を超える兵が迫っていた。
進軍の途中、川越城を守る太田道真の息子、太田資忠と3000の兵が守る岩槻城があったが、成氏と従う諸将は城の備えを見て、無理に攻め落とそうとしても時が掛かる上、被害が大きくなると見て、成氏の重臣で関宿城城主の簗田成助に5000の兵を預け、岩槻城への抑えと兵糧輸送の警備を命じ、自身は残る兵を率い川越城へ進軍した。
途中、兵を率いて成氏の軍に従った国人衆達を糾合した事で、岩槻城に残した5000の兵を上回る10000の兵が増えた事で、成氏軍が川越城に至った時には総勢65000に膨れ上がっていた。
道真は成氏の軍が入間川の渡河を開始したとの報を受けると、城下町に火を放つよう家臣に命じ、町を焼き払う。
本来であれば城を攻める側が城下に火を放つなどをし、敵の隠れる場所を減らし、城を攻めやすくするのだが、道真は自らの命で城下を燃やさせた。
当然の如く成氏軍の物見が川越城の城下町が燃えているのを報告に向かう。
成氏は報告を聞き、城下が燃えている事をさして気にも留めていなかったが、従う国人衆達は一様に落胆した表情を浮かべる。
国人衆達からすれば、敵が城に引き籠っている以上、人の居ない城下町にあるものを全て奪えると思っていた所に来て、そのすべてが灰燼と化すからだ。
翌日、火の勢いが収まった頃、成氏は川越城に到着すると、運良く火の手を逃れた品川湊を拠点とする豪商の屋敷を接収し、本陣とすると、即座に城を守る道真の元へ降伏を勧める直筆の書状を持たせた使者を送る。
「某は足利成氏様の家臣、栗橋城城主の野田政朝にございまする。 此度は太田道真殿に公方様が直々に認めた書状を預かって参りました。 お目通し頂きご返答を承りたく存じます」
使者として川越城に乗り込んだのは成氏の重臣で栗橋城城主を務める野田政朝であり、これは成氏が命じた訳ではなく、野田政朝自身が老いたとは言え扇谷上杉家の家宰を務め、今は亡き長尾景信と共に【関東不双の案者(知恵者)】と呼ばれていただけでなく、殊に歌道に優れ、兵を進めれば関東の諸将は草木が風になびくように彼に従った、等と名声も高い太田道真の元へ赴く使者は相応の地位の者でなければと申し出たのだ。
成氏はこの言葉を聞き、関東管領との戦いでは敵であり、何度も苦渋を舐めさせられたとは言え、名声の高い道真を無下に扱う事は礼に失すると思い、自ら筆を取った。
使者として単身、川越城に来た野田政朝より、祐筆に書かせた書状ではなく、公方である足利成氏が自らが筆を持ち記した書状と聞き、太田道真は政朝から直接書状を受け取ると、形式的に書状へ一礼し、目を通す。
書状には、太田道真がこれまでに挙げた戦功を褒め称えた上で、その太田家が豊嶋家と共に滅ぶ事を惜しみ、降伏し岩槻城の太田資忠と共に城を明け渡せば所領安堵し、更に太田家を足利家の重臣として迎え入れ武蔵守護に任ずると書かれていた。
書状を一読した道真は苦笑いを浮かべると、静かに書状を畳み無言のまま自身の前に置き、口を開く。
「足利成氏様には某のような老体にはもったいないお言葉、誠にありがたく存じます。 しかしながら某は老いたとは言え乱世を戦い抜いた
「道真殿、我らは65000を超える大軍、川越城には5000の兵しかおらぬと聞きまする。 なればこそ降伏し、城を明け渡したとて誰も責めますまい。 城を枕に討ち死にすれば、それこそ道真殿の名に傷が付くというも…」
「野田殿、それ以上は申されますな。 この道真、此度の合戦を死に場と決めております故」
「左様でございますか…、しかし道真殿ともあろうお方が何故そこまで…」
「それは野田殿が公方様にお仕えしている理由と同じ事。 野田殿は公方様が関東を統べる器があると信じて従っておるのであろう? 某も関東を統べる器があると思うお方の為に戦っておる。 孫どころか曾孫程歳が離れておるがな…」
「豊嶋武蔵守宗泰殿にその器があると?」
「ある! 某は宗泰殿がまだ、5つの童であった時より彼の者を見て参ったのだ。 あれは底が知れぬ、世を変えるだけの力と才を持っておろう。 某もあと20若ければ行く末を見守れたであろうが、それだけが残念でならぬ」
「道真殿にそこまで言わせるとは…。 確かに合戦にも強く、内政にも明るく領民に慕われておると聞きまするが、此度はその宗泰殿とて公方様には敵うまい。 それだけに残念でござる」
「確かに、数で見れば敵わぬであろうな。 野田殿、年寄りからの忠告じゃと公方様にお伝えくだされ。 合戦は兵の数だけで決まるとは限らぬ、とな」
「道真殿のお言葉、確と公方様にお伝え致します」
「折角、礼を尽くし来てくれたのにすまぬな。 それと、明日の夕暮れまでに命が惜しいという者を城から出してやりたい。 大軍を目の前にし、命が惜しくなった者もおろう。 降伏を拒否しておいて手前勝手なのは重々承知しておるが、明日の夕暮れまでに城を出た者は見逃して貰いたい」
「承りました。 公方様も無益な殺生は好まぬはず。 某より公方様に申し上げ、明日の朝、可否をお伝えする使者を送りまする」
「忝い。 信ずる者は違えど我らは同じ坂東武者。 公方様には数多の戦場を駆けた坂東武者が最後の合戦、とくと御照覧あれ、とお伝えくだされ」
使者として来た野田政朝は、道真の決意は固く、覆す事は出来ぬと悟り、それ以上は何も言わず城を後にし、成氏の居る本陣へ向かい、道真の言葉を伝える。
一部の重臣や国人が道真を無礼と罵る中、成氏はそれを一喝した。
「黙れ!! 皆の者よく聞け!! 太田道真こそ坂東武者の鑑であると心得よ! この大軍を前にし、信じる者の為、敵わぬまでも戦うと言う気概、これを坂東武者の鑑と言わず何と言う! 我らが関東を制す為に越えねばならぬ壁ぞ! 川越城を落とし、道真の首を獲るまで兵は進められぬと思え! それと野田政朝! 戻って来たばかりだが、もう一度川越城へ向かい、酒を届け、太田道真殿こそ坂東武者の鑑、この足利成氏が道真殿の死に様、とくと見届ける、と伝えよ」
「恐れながら申し上げます。 公方様の仰ることはごもっともでございますが、本来の敵は豊嶋宗泰。 ここは抑えの兵を残し江戸へ兵を進めるべきと存じます」
成氏の宣言に
宇都宮成綱が口を開いた事で、他の者達も同様に江戸へ兵を進めるべきと口々に成氏を諫め出す。
「黙れ!! 其の方らは余が卑怯者、臆病者と謗られても良いと申すか!! 伊賀者によれば、宗泰は相模に兵を向け出陣した故、確かに江戸城は空じゃ、容易く落とせよう。 だが城を落とす事が此度の目的ではない! 豊嶋宗泰を討つことが目的ぞ! 其の方らは余に空城を攻め落とし、妻女を人質とし豊嶋を屈服させよと申すか!」
「そのような事は申しませぬ。 しかしながら居城を落とせば、豊嶋に従う者も公方様に靡きましょう。 それに相模へ兵を進めたことを見過ごせば扇谷上杉定正が窮地に陥り、万が一滅ぼされでもしたら豊嶋、三浦の兵が勢いそのままに攻め寄せて参りまする」
「扇谷上杉定正など、どうなろうと構わぬ! あの者は幕府、朝廷と和睦するには邪魔なだけだ。 それを豊嶋と三浦が滅ぼしてくれるなら願っても無い事ではないか。 それに駿河、遠江の兵が伊豆を抜け相模に攻め上がって来る故に三浦は動けまい」
「なれど、駿河、遠江の兵が伊豆を抜けなければ…」
「それならば、豊嶋と三浦を纏めて打ち破るのみ! 考えてもみよ、我らは65000、まもなく忍城を落とした上杉顕定が26000近い兵を率いてやって来るのだ。 我らは90000の大軍、対して豊嶋と三浦の兵を合わせても精々20000が限度、恐るるに足らん!」
「ごもっともにございます。 なれど川越城は如何いたしまする? 聞くところによると、豊嶋より多くの物が運び込まれていると聞き及んでおりまする。 到底正々堂々とした戦いとなるとは思えませぬが…」
「そんな事は百も承知、正々堂々と言うなれば、わが方も敵と同数で戦わねばならぬであろう。 最早一騎打ちなどという時代は終わったと心得よ! 合戦は新たな武器を扱い、兵を巧みに指揮し、勝利を手にするものぞ! 豊嶋を見よ! 鉄砲なる新たな武器を作り出し、巧みな指揮で合戦の仕方を変えたのだ。 その豊嶋を正面から打ち破ってこそ関東の覇者と言えよう!! 川越城はその手始めじゃ! 如何なる手を使ってでも攻め落とすのだ!」
「如何なる手を使ってでも、でございまするか?」
「そうだ、如何なる手を使ってもじゃ!!」
成氏は本陣に居並ぶ諸将に対し、自分の言葉に矛盾を感じながらも熱弁を振るう。
成氏には、幸手原で数で勝っていながら、豊嶋、太田、成田の連合軍に敗れたという屈辱が重く圧し掛かっており、幸手原の合戦で中心的な存在であった豊嶋宗泰を今回の合戦で打ち破り、それを払拭したいという思いが頭を占めていた。
取るに足らない一国人領主だった豊嶋家に大軍を擁した自身が大敗を喫しただけでなく、豊嶋宗泰は数年で武蔵、相模、下総、上総へ所領を広げたのだ。
成氏の自信、関東管領である上杉家と長年争っていたにも関わらず、これほどの成果を上げられなかった事も、成氏が豊嶋宗泰を合戦で打ち破りたいと望む一因でもあった。
「良いか! 明日の夕暮れ迄に城を出た者に手を出す事は許さん! そして明後日、日の出と同時に総攻めを行う。 皆の者! 川越城を一気に踏み潰せ!!」
翌日、2~300人程の者が城から退去したが、成氏や諸将が思っていたよりも少なかった事で、多くの者が川越城攻めは容易では無いと悟る。
そしてその翌日、日の出と共に、足利成氏率いる65000の兵が川越城へ襲い掛かった。
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