誘引

「申し上げます、命じられた通り幟旗と陣幕の設置を完了いたしました」

本陣で諸将に配置と作戦の説明をしていると、本陣の北側の松戸方面に、今回持って来た豊嶋家の家紋が入った幟旗をほぼ全て立て、また、本陣東側、(現代の市川北IC付近)に複数の陣幕を設置させていたが、その完了報告が入った。


指示を出した内容は、本陣となっている国府台の北側、松戸方面に幟旗をありったけ立てたのは、古河公方の軍を迎え討つために、そちらに兵を向けているように偽装し、また国府台の東側に陣幕を複数設置したのは豊嶋軍が旧態依然とした陣構えをし、油断した千葉・真里谷軍を迎え討とうと、見た目は足止め部隊を配置しているように見せかける為だ。


実際の所、先陣を命じた千葉実胤ちば さねたねと弟の千葉自胤ちば よりたね率いる400の兵を配置し、その後方に俺の専業兵士、左右には一門衆を始め兵を率いて参陣した国人衆の部隊を配置している。


先陣を命じた千葉兄弟は本来であれば正統な千葉家当主の家柄であったが、一門にその座を追われ扇谷上杉家を頼り武蔵に来たという経緯がある。

一度、道灌が下総に攻め込んだが、現在千葉家の当主となっている千葉孝胤ちばのりたねから千葉家当主の座と下総を取り返す事が出来なかった。


その後、江古田原沼袋の合戦で弟の千葉自胤が生け捕りにされ、一度は出家させられたものの、数か月前に俺が今後の下総攻略を視野に入れ、還俗させ兄である千葉実胤の補佐をするように命じたのだ。


現在、叔父の豊嶋泰明が国府台に向けて退却する振りをしつつ誘い込んでいる千葉孝胤にとっては、他家が下総に干渉する大義名分となりうる目障りな存在であり、その兄弟が先陣に配置されていれば、好機とみて討ち取ろうとするはずだ。


諸将に説明を終え、各自の持ち場で待機するよう命じた直後、古河公方の動向を探っていた風魔衆に加わった服部孫六がやって来て報告を始めた。


席を立とうと床几から腰を浮かせた諸将も、再度床几に腰を下ろして服部孫六の報告を聞く。

「申し上げます。 監視しておりました足利成氏あしかが しげうじの軍ですが、流山に至った所で軍を返し、古河に引き上げ始めました」


「はぁ? 古河に引き上げた? どういう事だ」

「申し訳ございませぬ。 足利成氏の軍に忍ばせた者が戻らぬ故、仔細は不明ですが、外から監視していた者の報告では、昨日の日暮れに、利根川の上流より船が来て、使者と思しき何者かが成氏の軍に向かったとの事。 夜明け前に船で上流に向かい戻って行きましたが、何者かまでは分からず…。 恐らくその事が関係しているかと…」


「利根川の上流からとなると上野国…、関東管領上杉顕定からの使者とみるべきか…」

「申し訳ございませぬ、恐らくとしか…」


「それにしても成氏の軍に忍ばした者が戻らぬとは、何があったのだ? 大軍である故に忍び込むのも容易であろう?」

「それにつきましては、某が伊賀より連れて来た者の報告で成氏軍の周囲に伊賀者が居たとの報告がございました。 恐らく伊賀より召し出され雇われたか、それとも売り込んだか…」


服部孫六の報告を聞き、諸将が腰を浮かし、刀に手をかけて孫六を睨みつける。

「やめよ!! 伊賀より武蔵に移り住み俺の家臣となった者に裏切り者はおらん!! 恐らく武蔵に移り住み俺の家臣となった者の待遇が良い為に伊賀よりどこぞの一族が、出稼ぎに来たのであろう。 伊賀者の掟では、親兄弟でも敵味方に分かれたのなら容赦なく殺せとあるのだ」


まさか伊賀の掟にそのような事があったとは知らない諸将は驚いたような顔をしつつ、再度床几に腰をおろす。


「厄介だな、成氏が伊賀の者を使っているとなれば、情報の有用性に気付き、我らに触発され伊賀の者を召し抱えたか、それとも伊賀の者が成氏に自分達を売り込んだか…。 」

「恐らく、後者かと思われます。 我らが豊嶋家に召し抱えて頂き、厚遇を受けていることは伊賀に届いていると思われます。 故に関東の有力者が同様に伊賀の者を扱うか、または報酬を弾むか、確かめる為に成氏を選んだと思われます」


「そうか、成氏が伊賀の者を召し抱えたとなれば厄介だが、伊賀の者が成氏に自分達を売り込んだのなら、まだ付け入る隙はあるな」

「付け入る隙でございますか? しかし伊賀の者は…」


「分かっておる。 だが召し抱えられず、金で雇われただけなら、役目を終えれば伊賀に帰る。 成氏が伊賀の者を信用できず重用しなければ…」

「仰せの通りでございます。 伊賀の者は金で雇われ働く者、殆ど信用され重用される事はござりませぬ故」


「まあよい、伊賀の者については合戦後だ。 孫六、引き続き成氏の軍を監視せよ、古河に戻ると見せかけて再度こちらに兵を向けるとも限らん。 それと無理のない程度でよいからどの家の伊賀者が成氏に雇われているのかを調べろ、出来れば禄を与えられたのか、金で雇われているのか、いつまでの期間か、だが無理する必要はないぞ、それを調べる為に死者が増えては割りにあわんからな」

「かしこまりました。 可能な限り調べてまいります」


そう言うと孫六は陣を出て走り出した。


「さて、成氏は古河に戻った。 なれば此度の合戦、相手は千葉孝胤と真里谷信勝の軍約9000程、我らは12000、まあ叔父上の率いている2700の兵は疲労困憊だろうから実際は8000程だが、千葉、真里谷の軍も叔父上の軍を追いかけまわし疲労困憊しているはずだ、一気に蹴散らし本佐倉城まで押し込むぞ!!」

「「「おおっ!!!」」」


諸将が気合の入った声を発し、本陣を出て自分の持ち場に戻っていくが、一門衆や家臣と共にしれっと陣を出ようとした父である泰経と風間元重を呼び止める。


「父上には兵を率い急ぎ北側の村々に赴いていただき、農民に家に火を放つ事の承諾を得て来ていただきたいのですがお願いできますでしょうか」

「農民の家を焼くだと、そのような事をすれば農民達の恨みを買うぞ!!」


「なので父上にお願いをしております。 農民には即金で1家につき2貫文の補償をし、2月以内に豊嶋家が家を建てると申してくだされ」

「そ、そうか、確かに金を与え、家を2月以内に建てると言うならば農民の反発もすくないか…」


「左様でございます。 江戸の白子朝信に伝令を送り準備をさせますれば、10日もせぬうちに家を建て始める事が出来るかと」

「それでワシか、確かに当主の父であるワシが申せば農民達も信用するな」


「では、お願い致しまする。 それと合図と共に家々に火を放ってくだされ。 出来れば煙が良く起ちこめるように…」

「相分かった!!」


そう言うと泰経は陣を出て行く。


「元重! 急ぎ本陣に居る風魔衆を放ち、成氏から千葉、真里谷の元に向かう伝令ないしは使者を狩れ! 本陣には伝令用に数人残せばよい」

命令を受けた風間元重は即座に本陣を出て風魔衆に指示を出す。

元重は豊嶋家の武将という立場で100の兵を率いて参陣しているので成氏からの伝令狩りは元重では無く、弟の兼重が指揮をとる事になるが大丈夫だろう。



一方その頃、泰明は巧みに千葉、真里谷軍を挑発し、国府台に引き込んでいた。

「そろそろ馬込沢を過ぎた辺りか…、 音羽半兵衛に合図を送り、例の指示を出せ!」


泰明に命じられた風魔衆は「承知!」と一言だけ言い、即座に仲間と空に向け爆竹搭載型鏑矢を5本放つ。

パンッ! パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!


鏑矢の尾を引くような音と乾いた破裂音、火薬の量は少ない為、盛大な音は鳴らないが離れた場所に居る者に合図を送るには十分な音だ。

「さて、もう一度、千葉の兵をあざ笑って来るか!!」


そう言うと泰明は馬首を返し、追撃の足が鈍り始めた千葉軍を挑発しに向かった。


そして合図を確認した音羽半兵衛は、即座に配下の者へ指示を出す。

「よいか! 上手くやれよ!」


命を受けた風魔衆は短い返事の後、音羽半兵衛を追う千葉、真里谷軍を避けるようにして敵軍の方へ走り出した。


「さ~、これから楽しくなるぞ!! 皆の者!! 今一度、敵を挑発しようぞ!!」

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