摂家の1人

関東で再度騒乱が始まりそうになっている頃、朝廷から国司の官位を貰う為に京に向かわされた斉藤勝康は、やっと公家の中でも大物と言える人物との面会する事が出来た。


斉藤勝康の思惑では昨年の内に中堅どころの公家と繋がりを持ち、年明けには公家の中でも位の高い人物と接触出来ると思っていたが、そう上手くは事が運ばなかった。

中堅どころの公家が間を取り持つのを拒んだ訳ではないが、摂家、清華家の公家が会うのを拒んだのだ。


豊嶋家は桓武平氏の流れをくむ秩父氏の一族で鎌倉以前よりからの名家であるものの、京の都では無名、そしてその無名の家が武蔵守、相模守という国司の官位を欲しており、その為に金をばら撒いている。


摂家、清華家の公家達はそんな者に直ぐに会い、簡単に国司の官位を与えでもしたら、官位は金で買える物と思われ、朝廷の、そして自分達の権威が失われてしまう。

そう危惧し、理由を付けて面会を断っていた。

しかし、戦乱で荒れ果てた京の都、そして困窮する朝廷の現状を憂いている事もあり、金は欲しいが、直ぐに飛びつく訳にも行かないという状況だ。


そして4月頃まで体よくあしらっていたが、斉藤勝康が最初に持たされた5000貫文は既に無くなり、追加で送られた5000貫文に手を付け始めたにも関わらず、成果を得られなかった事で粘っても出費が嵩むだけで無駄になると判断して帰国しようとしていると知り、これ以上もったいぶって引き延ばせば本当に帰ってしまうと判断し、面会に応じる気になったといった感じであった。


これはいつまで経っても会う事が出来ず時間ばかりが過ぎていくだけで、豊嶋宗泰に功績が認められるどころか、無駄金を使った者とされる事を危惧した斉藤勝康が採った苦肉の策であり、これまで接触した中で顔の広い公家にそれとなく漏らし、噂を広めるという賭けに出た結果だ。

斉藤勝康はこの策が失敗し接触が出来なければ、手元にある金を持って西国にでも逃げるつもりでいたが、結果的に斉藤勝康の策は成功し、これまで何かと理由を付けて面会を断っていた摂家、清華家に名を連ねる者が会うと言って来た。

そして今日、目の前に居るのが五摂家の1人、権中納言鷹司政平だ。


「権中納言鷹司政平でおじゃる。 そちが斉藤勝康か? 麿も多忙の身ゆえ手短に要件をもうせ」

「はは、某は斉藤勝康と申します。 お目通りが叶い恐悦至極にございます。 此度我が主である豊嶋宗泰様に武蔵守、そして義弟にあたる三浦高虎 殿に相模守の官職と相応の位階を頂きたくお願いに参りました」


「ほっほっほっ、武蔵守と相模守、それに相応の位階でおじゃるか? じゃが聞くところによると、豊嶋も三浦も一国衆であろう? それが国司の官位を欲するとは目的は何でおじゃる?」

「畏れながら鷹司政平様も聞き及んでいると思い存じますが、東国では足利家一門の堀越公方を担ぐ関東管領と古河公方の争いが長きに渡り続いております。 そして京の都も足利家の家臣同士で争いで荒廃著しく、本来であれば復興を行うべき足利家は何もせず、朝廷を蔑ろにしております。 故にわが主である豊嶋宗泰様は国司の官位を賜り、大義名分を得て武蔵を平定し、朝廷を陰ながらお助けしたいと申しておりましたす」


「確かに京の都は荒廃し、主上も御心を痛めておじゃる。 だが、朝廷をお助けすると言うても武蔵からでは何も出来ぬのではないのかぇ?」

「確かに、武蔵からでは兵を出し、帝や公家の方々をお守りする事は叶いませぬ。 しかし、帝に献金をし、御所の修繕、その他祭事のお手伝いをすることは出来まする。 また、国司の官位を賜れりますれば、お骨折りを頂きました方へは江戸城の城下に屋敷を建て、その屋敷の維持費として毎年2000石をご用意させて頂く所存にて、下向頂き武蔵をご覧に頂けるよう手配させて頂きます」


間を取り持った公家からは、国司の官位を欲して居る事、そしてそれが叶えられれば、朝廷への献金を惜しまないとだけしか聞かされていない鷹司政平は、まさか江戸城の城下に屋敷を用意され、毎年維持費として2000石を用意すると言われるなど思ってもおらず、驚きながらも遠回しにどの程度の献金をするつもりなのかを問いかける。


斉藤勝康は鷹司政平が公家の割にはザックリと話を進めて来るのに驚きながらも、主からは望みの官職と相応の位階を頂ければ5000貫文を朝廷に献金する用意がある旨、その後も毎年1000貫文を献金する事を伝え、手元にある約3000貫文は骨折りを頂いた五摂家の方に等分して献金させて頂く事を伝える。


「ほっほっほっ、何と豊嶋宗泰殿は剛毅であり、細やかな心遣いの出来るお方でおじゃるな。帝への忠誠心もさるものながら、麿達への配慮も忘れないとは勝康、約束は出来ぬが、宮中にて申し出を諮り上奏してみよう」

「有難き幸せ。 我が主に代わりお礼申し上げます」


「ほっほっほっ、なに、麿が豊嶋殿の忠節に心を打たれたまででおじゃる」

そう言い扇子で口を隠しながら笑う鷹司政平の顔を見て、斉藤勝康は内心で今回の任が成功した事を確信する。

時間はかかったものの、当初、朝廷には5000貫文ではなく、10000貫文を献金する用意があると宗泰に言われていたが、半分にした。

毎年の献金についても朝廷との繋がりを維持出来るなら1000貫文なら安い物である。


鷹司政平が数日中に何かしらの返答が出来るであろうとの事だったので、斉藤勝康は鷹司政平邸を後にした。


それから10日後、再度呼び出された斉藤勝康は、豊嶋宗泰へ従五位上武蔵守を、三浦高虎へ従五位下相模守に任じるとの内示を得た。


鷹司政平の話によると今回、五摂家、清華家の者7人が尽力した事を聞かされたので、その旨を書状にしたため江戸へと送った。

勅使が派遣され正式に任命される日取りは決まっていない為、斉藤勝康はまだ暫く京に滞在する事になるが、様々な情報が入る為、滞在する間は諸国の情勢を書状で宗泰に知らせ、鷹司政平には「東国で都の文化に疎い為、良ければ下向して頂き、館の造営に意見を貰いたい」と伝えたら、路銀を暗に求められたので、下向しても良いと言う公家衆の路銀にと500貫文を渡した。

どうやら武蔵への下向は斉藤勝康が口に出さずとも複数人の公家が考えていたようで、その中には鷹司政平を始め近衛政家、三条公敦という大物と共に数人の公家が下向の準備を始めた。


斉藤勝康は宗泰が江戸に屋敷を用意してまで公家衆を下向させたい理由を理解している為、暫くの間は摂家、清華家、大臣家、羽林家などの名家の公家に声をかけて回る事になった。

公家が下向している間は下手に江戸城へ攻め込む事は出来ない。そして公家が城下に屋敷を持っているとなれば、城攻めの際に放火、乱暴狼藉、乱取りなどを躊躇うという寸法だ。

宗泰の思惑を悟り恐ろしいと思いつつも、太田家に仕えていた時より手柄を挙げやすいと、斉藤勝康はこれで豊嶋家内で俺の立場が確立されたと確信した。


そう内心で思いつつ命じられた仕事以外もこなす勝康だが、宗泰としては才ある扱いやすい者として既に重用するつもりでいたことに、本人が気付いていないだけであった。

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