第22話

 差し出された手を無視するわけにはいかないようだ。手を伸ばして手袋越しにちょこっとふれたとたん。

 ぶわっと、羽虫が全身に止まったような気持ち悪さ。

「くしゅんっ、くしゅんっ」

 ああ、これ、やばいやつ。

「無理することはないよ、少し休むといい。ロイホール公爵夫人に部屋を用意してもらおう。休んでいる間に馬車を呼んであげるから」

 親切な人だ。

 お兄様も、いいやつだとほめていただけのことはある。

 だけど、私的には、ダメな人だ。やばい人だ。この人と長時間いたら命の危険が。

「あの、大丈夫ですから……手を、離してくださ……くしゅっ」

「遠慮することはない」

 遠慮じゃなーい。

 本当に、まずい。どうしよう。名を明かせばいい?お兄様に助けを求めようか。

「ディック様、その方なら大丈夫ですわよ。そうして仮病を使って男性の目を引きたいだけでしょうから」

 え?

「そうなのかい?とても仮病には見えないが……」

「あら、ディック様は、私の言葉が嘘だと?酷いですわ……」

 ああ、もう、くらくらして行きも苦しくなってきた。

 ディック様に話しかけているこの声には聞き覚えがある。

 エカテリーゼ様だろう。

 吐きそうになってきて顔を上げることができない。

「ほら、見てくださいませ。顔を上げて否定することもできないようですわよ?」

「仮病を使ってお優しいディック様の気を引こうなんてなんてあさましいのかしら」

「この間ピンクのヒラヒラを来ていた恥知らずですわよね」

「あの手この手でよくもまぁ……」

 周りの人たちがエカテリーゼ様の言葉に同調して色々噂を始める。

 ディック様が、エカテリーゼ様の話が本当なのだろうかと思い始めたのか、私の手を握る力が弱った。

 そのすきに、手を抜き出すと、貴族令嬢としてはとてもみっともないのだけれど、小走りで会場を抜け、窓から庭に飛び出した。

 吐く、全身にぶつぶつ出る、やばい。

「すー、はー、すー、はー」

 息が、苦しくはならなかったことに感謝。

 そして、結果としてエカテリーゼ様に助けてもらった形になる。

 あれ?お兄様はどこにいたのだろう。お手洗いにでも行ったのかしら?

 まぁいいか。結果的に、私は無事。

 全身を羽虫が止まったような気持ち悪さも収まって来た。

「エミリー……」

 もう、来てるかな。

 まだ薔薇の咲いていない薔薇の迷路を潜り抜ける。噴水の場所まで来て、愕然とする。

 その先、あづまやへと続くはずの道が薔薇の垣根でふさがっているのだ。

「え?どうして?何故ふさがれちゃったの……?」

 どうしよう。使用禁止?

 何か理由があるの?あづまやを取り壊すとか、改築するとか……。

 どうしようかしばらく垣根の前で立ち止まって考える。

「あら?」

 視線を落とすと、薔薇の垣根は、地面に植えられた薔薇ではなく、鉢に植えられたものが並べられているだけだ。

 どかせば行けないこともないけど……。

 エミリーはどうするのだろう。どかしてあづまやに行く?引き返してしまう?

 ここで待っていれば、行違うことはない?

 胸がぎゅっと押しつぶされそうなくらい不安が膨れてきた。

 すれ違って、会えなかったらどうしよう。

「エミリーに、もう会えない……」

 どうしよう。

 心臓がバクバクしはじめた。

 やだ。そんなの。会いたい。会えないなんて……。

 会場を探し回ればどこかにいる?

 身長が高かったエミリーだ。会場の中で、人ごみの中でも、ちょっと出ているオレンジ色の頭を探せば見つかる?

 だ、大丈夫、落ち着いて。

 落ち着いて……。

 舞踏会に招待されている人なんだから。オレンジ色の髪の人はそんなにたくさんいない。

 ロイホール公爵婦人に尋ねれば、誰か分かるはず……。そう、最悪、誰か教えてもらって手紙を出せば……。

 大丈夫なんだから……。

 涙が、目じりに浮かんできた。

 大丈夫だと自分に言い聞かせるんだけれど、でも……。

 目の前のあづまやへの道を阻む垣根が、私とメアリーの関係を阻む壁のように見える。

 不安が悲しみに変わって……どうしようもなく心が痛い。

「リリー、よかった。来てくれたんだ」

 え?

 この声……!

 ぱっと、目の前に大輪の花が咲いた。希望という名の花。

 オレンジ色のラナンキュラスが、垣根の間から顔をのぞかせた。

「エミリ……オ……」

 エミリーだ。でも、言葉遣いが男のものだから、今はエミリオと呼んだ方がいいのだろう。

 すぐに、道をふさぐ鉢が一つずらされ道ができた。

 中に入ると、エミリオがすぐに鉢を元の位置に戻して道をふさぐ。

「さぁ、行きましょう」

 エミリーの手が私の手を取り、二人であづまやへ向かった。

「手……」

 呟きを漏らすと、エミリーが慌てたようにパッと手を離した。

「ご、ごめんなさいっ!いくらアレルギーが出ないからって、許可もなく手を触って失礼だったわよね?私ったら……リリーにあえて嬉しくて……その。あ、あの、ほら、小さな子供って、早く早くって大人の手をすぐに引っ張っていこうとするでしょう?なんだか、そんな感じだと思ってもらえると……あの」

 くすくすと思わず笑ってしまう。

「そうよね、おかしいわよね、子供みたいで……」

 エミリーの言葉に首を横に振る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る