パール村の惨劇
──セイラムの視点
セイラムという少女がいた。
今年で14歳になり、ますます美貌に磨きのかかる少女だ。
特徴的なのは蒼い髪とすこし尖った耳である。
炎竜皇国の辺境のちいさな集落で、セイラムは健やかに平和で、素朴ながらも幸せな日々を送っていた。
村の一日は薄明るい早朝にはじまる。
セイラムは布団から這い出て、おおきなあくびをすると「よし」とつぶやいて、部屋をでた。台所へ向かうとすでに母が起きていた。
「おはよう、セイ。水汲みをお願いできる?」
「祝祭の女王におまかせあれ」
セイラムはふっと得意げに微笑む。
農村部では朝の仕事のひとつに
朝食のスープにつかったり、手を洗ったり、家畜への与えたり、もちろん飲んだりと水は生活を送るうえで用途に事欠かない。
セイラムはつやつやした立派な水瓶を満足げに撫でる。
腰ほどの高さおおきな
昨年の秋の収穫祭で、気の良い領主が用意した景品をセイラムが勝ち取ったのだ。
これほどおおきな甕を持っている家は、おそらくセイラムの家だけだ。
セイラムは家の台所へ降りて、使い古されたバケツを手に取ると、村の反対側にある川へ向かった。
川辺には人影があった。
素朴な顔の男だ。この辺境のパール村を治める領主である。
屋敷は立派じゃないが村人との関係を大事にする素晴らしい為政者であった。
「やあ、祝祭の女王」
「おはようございます、領主さま!」
「今日の稽古はスキップで頼む。入り用があってね」
稽古とは剣術教室のことだ。
領主は自前で兵を持っているだけでなく、自身でも剣をふるえる騎士だった。
暇を見つけてはたびたび見込みのある村人に稽古をつけているのである。
「お墓の掃除ですか?」
「そのとおり。略奪者から弱き者を守った英霊のお墓だからね。敬意をもって掃除しなくてならない」
「でも、この前も稽古をスキップしてました」
「知ってるかい、セイ。為政者というのは反乱が恐ろしいんだ。村人に力をつけられると困るということさ。特に君は天才すぎる。このままむくむくと剣に達者になったら、祝祭の景品がダウングレードしたとか些細なことで屋敷を包囲されかねない」
セイはくすくすと笑う。
領主は肩をすくめ「それでは良き1日を」と行ってしまった。
水を汲み、おおきな甕へ注ぐこと10回ほど。
身体が温かくなり、朝の寒さが、火照った肌とじんわりと汗のにじむ肌に心地よく感じられる頃、ようやく甕が半分ほど満たされた。1日の水は半分あれば十分だ。
9月初旬のこの時期、村では大規模な果実の収穫が行われる。
先月、冬麦を収穫した分の徴税も近くに行われるため村に緊張感が走る時期だ。
領主はおおらかな人柄なので問題ではない。問題なのは国のほうだ。
領主におさめる税と、国に納める税。どちらが負担かと聞かれれば後者である。
それに普段から仲良くしているわけでもない。
村人の感情としては「いつも良くしてもらってる領主さまよりなんで国にたくさん税を持っていかれるんだ」という感情にならなくもない。
とはいえ、今日は祝日だ。
暗いことを考えず思い思いの1日を過ごす日だ。
冬麦に収穫が滞っていたり、そのほかの仕事に遅れがでていたら、休んでいる暇などないのだが、幸いにして今年はえらく物事が順調に運んでいる。
よってセイラムは仕事しないし、村人も仕事しない。
村の子どもたちは集まって遊びをはじめる。ボールに川に取っ組み合い、領主の家の柵を乗り越えてあそんでもよい。
「あーこらこら、秘文字に触るな」
柵の周辺で遊ぶ子どもたちを見守るのは領主につかえる騎士だ。
騎士は柵に刻まれた秘文字を興味津々にいじる子どもたちをたしなめる。
「おじいちゃんが教えてくれたんだ、これを触ると火がでるんだって!」
「火をつけてよ!」
「それは大事なものなんだ。いたずらしちゃいけない。ああ、セイラムがいれば。どこに行ったんだ?」
騎士はよわったように頭を掻く。
セイラムは子供たちのなかでは比較的年長者であり、明るく活発で面倒見がよく、なおかつ美人なものだからとても慕われていた。彼女の言うことなら子供達もよく聞くのだ。
今日はそんな彼女がいなかった。
ひとりで森のほうへ逃げてきたのだ。
彼女はここ最近、不思議なできごとに見舞われていた。
村からほどなく離れた立派なカズガラの樹にのぼる。
祝祭で行われる木登り大会4年間無敗のセイラムにとって、木のうえは地面となんら変わりない。立派なカズガラの樹に登ればひとりになれる。
セイラムは胸のまえで手を合わせる。
熱を感じる。温かい熱だ。だけど恐ろしい熱だ。
ゆっくり手を開くと、彼女の手のなかに蒼い炎が揺れていた。
少し前からできるようになったセイラムの秘密の特技である。
「どうして炎を持ってても熱くないんだろう……」
疑問に思いながらも惹かれる魔性の火をじーっと見つめる。
こんなことができるのはセイラムだけであった。
気が付かれればきっとみんなに恐がられてしまう。
本当はだれかに秘密を打ち明けて楽になりたかった。
少女は「うーん」と頭を悩ませる。
結果、やはりこのことは誰にも言わないようにしようと思い直した。
「ん、なにこの臭い……火の臭い?」
セイラムは蒼い炎を握りつぶし、顔をあげ鼻をひくひくさせる。
急いでカズガラの樹を降りて、村へと走ってもどる。
空に黒い煙がたちのぼっていた。
村の方角だ。心臓がバクバクと鼓動を加速させていく。
村にたどり着くとあちこちで火の手があがっていた。
恐ろしい悲鳴も聞こえる。
通りに人が倒れているを見つける。
血溜まりのなかにうつ伏せに倒れている。
セイラムはサーっと血の気が引いていくのを感じた。
身体のまわりが冷たくなって、生きた心地がしなくなる。
周囲へ視線を動かせば、建物の壁や地面におびただしい血の跡がある。
セイラムはいてもたってもいられず自分の家へ走った。
(お母さん、お父さん……!)
道中、転がった遺体をいくつもまたいで我が家にたどり着く。
家の壁を破って、騎士と父親がとっくみあいをしながら出て来た。
「っ、セイ! なにをしてる、逃げなさい!」
「父さん、私も戦う!」
「馬鹿を言うんじゃないッ! 逃げなさいッ!」
セイラムは頭が混乱し、どうすればいいかわからなかった。
家の中を見やれば、母がぐったりとして目を見開いて倒れている。
(お母さん!)
逼迫した状況、崩れ落ち叫びたい深い絶望。
そんな感情さえ発露している時間はない。
うまのりになっていた父親は振りほどかれ、騎士は短剣を抜いた。
「行け!!」
それが最後の叫び声だった。
父親はせなかから剣で刺され苦悶に顔をゆがめる。
セイラムは恐ろしくなって、背を向けて無我夢中で走った。
惨劇の村を抜けて、彼女はある場所を必死に目指していた。
パール村のすぐ近くには英霊の墓と呼ばれる固く閉ざされた石扉がある。
墓には伝承があり、閉ざされた墓のまえで真に救いを願えば、英霊は墓よりあらわれ、再びパール村を救ってくれるとされていた。
セイラムは閉ざされた門にたどり着く。
硬い石の扉のまえ両手を組んで必死に祈った。
(お願いです、英霊さま、お母さんが、お父さんが、村が大変なんです! みんなが見知らぬ乱暴者たちに襲われてて、お願いです、お願いです、たすけてください!)
ガサっ。
草木の折れる音がして、そちらへ振り向く。
血に濡れた剣をたずさえた騎士たちがすぐそこにいた。
数は2名。どちらもセイラムよりずっと体がおおきい。
「蒼い髪の少女。滅びの火を盗んだ背徳者。まさか領主の屋敷に逃げ込んでいなかったとはな」
「これで門を開けさせる手間が省ける。教導長もお喜びになられるだろう」
騎士たちは言いながら茂みから出て来る。
セイラムへ「暴れるなよ」と言い、彼女の髪を掴んだ。
「っ、や、やめて……!」
「この娘、おとなしくしろ!」
「暴れるなと言ったはずだ」
騎士のひとりが手甲でセイラムの頬を打った。
「おい、乱暴にするな。大事な供物だ」
「生意気な娘だ。どうせ殺すんだ、首からうえだけあればいいだろう」
「ふむ。それもそうか」
騎士は刃をかえす。
それまでなかった殺意がありありと剣に宿っていた。
セイラムは死を覚悟した。
(お母さん、お父さん……ごめん、ここで死んじゃう……)
決死の覚悟で反撃をしかけようとセイラムは土を握りこむ。
(これで目を潰して、思い切り蹴り上げて……剣を奪う!)
その時だった。
パチン──軽やかな音が響いた。
耳をつんざく大きな爆破音が森に響いた。
視界が塵埃におおわれて何がなんだかわからなくなる。
音も、塵も、すべてが収まると、コツコツっと足音が聞えた。
視線を向ければ、破壊された英霊の墓から、変わった風貌の男が出てきた。
片手をポケットに入れ、もう片方の手には綺麗な銀色のカバンを握っている。
「「「っ」」」
謎の男はとてつもない覇気を纏っていた。
その場の皆が息をすることすら忘れてしまうほどに。
姿を現しただけで空間の主導権は謎の男に握られた。
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