20話 結婚の準備は大変

 ユーリは福祉課の仕事と結婚準備で疲れていたので、夏休みはフォン・フォレストでのんびり過ごしたいと思っていた。しかし、グレゴリウスは婚約時代の最後の夏休みを、ストレーゼンで一緒に過ごしたいとユーリを困らせる。




「結婚したら、ずっと一緒に暮らすのよ。フォン・フォレストでゆっくりできるのは、今年限りになるのに……」




「だって、忙しくてデートも余り出来てないじゃないか。ユーリって冷たいんだから」




 グレゴリウスは婚約したのに一緒に余り過ごせないし、女官達を気にしてユーリがキスもなかなかさせてくれないのが不満なのだ。


  


「冷たいって、どこが?」




「昨日だって、視察で疲れたとか言って、パーティーも早々に帰ったじゃないか。まぁ、パーティーはどちらでも良いけど、今週は一度もゆっくり出来てない」




 ユーリは福祉課に慣れるにつれて、地方の孤児院や、貧窮院の視察に便利よく使われていた。




「地方の視察も竜だと日帰りできるから、出張費が浮きますね」




 最初は結婚までの腰掛けとして歓迎していなかったレイトン卿も、イージス卿の予算案の作成を手伝っているユーリの様子を見て、使えるかもしれないと認識を改める。




 地方の視察は職員や、院長の報告書のみになりがちだったのを、竜がいると気軽に行けるようになったのは便利だと、イージス卿や、チャーチル卿と飛び回る。勿論、皇太子妃になるユーリを、既婚者とはいえ二人で地方へ行かせる筈もなくて、竜騎士が付き添いするので、ミシンや算盤を運ぶ手伝いをして貰ったりする。




 ユーリとしては結婚したら、今よりも公務に時間を取られそうなので、少しでも施設の視察とか、できる事をやっておきたいと思っていた。




「だって……結婚式の後のスケジュールを見せて貰ったら、凄く過密で当分は仕事できそうにないんですもの。だから、今は頑張っておきたいの……でも、疲れちゃったの。ストレーゼンに行ったら、結婚の準備とか……きりがないんですもの……私の身体は一つなのに、ドレスを山ほど作っても、まだ足らないと叔母様は仰っているの。皇太子妃だからといって、一日中ドレスを着替えてばかりいないわよねぇ」




 グレゴリウスは、ドレスに興味は無かったが、母上が朝食の時、王妃様に挨拶に行く時、午後のお茶、夕食と、何も行事のない時も4回は着替えているのではと、指を折りながら数える。




「え~と、皇太子妃教育でドレスコードを習わなかったのかな? 母上は、数回着替えているような気がするけど……」




 ユーリは午前中の服だとか、午後の服とか、夕食の時の服を説明されたのを思い出した。




「え~、まさか本当に着替えるの? 私は、パーティーとか以外は竜騎士の制服で通すつもりなの。勿論、お茶会とかの時は、午後の服に着替えるけど……グレゴリウス様は竜騎士の制服なのよねぇ、ずるいわ」




 女官達も当然ですとばかりに頷いているので、グレゴリウスの勘違いでは無さそうだとトホホなユーリだ。


 


「ユーリが綺麗なドレスを着ているのは、目に嬉しいから歓迎なんだけど。それに皇太子妃として、各地の巡幸とかの際に見窄らしいドレスでは、招待した貴族達もガッカリしてしまうよ。豪華である必要はないけど、ある程度は華やかに装って貰いたいな」




 女官達も、お仕えする皇太子妃が、質素過ぎるのは面白くないと頷く。


 


「グレゴリウス様が、なんだかマウリッツ公爵夫人の回し者に見えてきたわ。夏休みなのに、ドレスの仮縫いばかりなんて嫌だわ。グレゴリウス様とも会う暇も無いかも……」


   


「それは困るなぁ、せっかくの夏休みなのだから、一緒に過ごしたいと思っていたのに……」




 二人で結婚準備とデートとを両立出来ないかなぁと頭を絞る。




「そうだわ! マダム・フォンテーヌにドレスを縫って貰えば良いのよ。マダム・ルシアンのドレスも縫って貰うけど、半分とはいかなくても3分の1ぐらいでも助かるわ。と言うことで、フォン・フォレストに帰らなきゃ」




 グレゴリウスはユーリの案に全く同意出来ない。




「ちょっと待ってよ。なんでマダム・フォンテーヌにドレスを縫って貰うのかよくわからないよ。それに何故フォン・フォレストに帰る事になるの?」




 ユーリはマダム・フォンテーヌは仮縫い無しでドレスを縫ってくれるから、時間の節約になると説明して、グレゴリウスが変な顔をするのに気づいた。




「マダム・フォンテーヌが仮縫いしないでドレスを縫えるなら、フォン・フォレストに帰る必要が無いのでは? マダム・ルシアンの仮縫いの時間が浮くなら、デート出来るじゃないか」




 グッと言葉に詰まったユーリを、グレゴリウスは抱き寄せて、ストレーゼンで一緒に過ごそうと口説く。




「多分、マダム・フォンテーヌに頼んでも、ストレーゼンに私が行ったら叔母様はドレスを減らしては下さらないわ。ドレスを作るのが大好きな上に、フォン・アリストのお祖父様から頼まれているので、張り切っていらっしゃるもの。良いわ、半分はストレーゼンで過ごして、あと半分はフォン・フォレストで過ごすわ。グレゴリウス様も一緒にフォン・フォレストで海水浴しましょうよ。去年は着いたと思ったら、呼び返されたのですもの」




 グレゴリウスは、ユーリとの海水浴を思い出して、楽しかったなぁと逆に口説かれる。




 ストレーゼンで、ユーリはマウリッツ老公爵とも過ごしたいし、結婚準備もあるので、別荘に滞在する事になった。マダム・ルシアンは皇太子妃に相応しいドレスの仮縫いと、ウェディングドレスの作成に大忙しで、マダム・フォンテーヌに数枚ドレスを作って貰うつもりだと聞いて安堵する。




「今まで着ていたドレスは、令嬢のですから、全部作り直さなくてはいけません。それにナイトウェアーも、下着類も準備しなくては……さぁ、今日は忙しくなりますわ」




 付いて来たキャシーに目で、助けてとユーリは頼んでみたが、無理と手でバッテンを作られてしまう。




「ユーリ、凄く疲れているみたいだが……」




 夕食を食べるのも億劫そうなユーリを、老公爵は心配する。




「お祖父様、仮縫いで疲れただけなの。男の人って、ズルいわ。略礼服か、礼服で、ほぼパーティーは間に合うんだもの。竜騎士の礼服で、済ませたくなったわ」




 マリアンヌは駄目ですよと釘をさす。 




「ユーリはドレスが似合うから、私も楽しみだよ。御婦人が綺麗なドレスを着なくなったら、味気ないではないか。きっと皇太子殿下も、お前のドレス姿に癒されると思うよ」




 お祖父様に諭されて、そんなものかしらとユーリは首をひねる。




「叔母様、こんなに結婚準備が大変だとは思ってもみなかったわ。色々と采配して下さらなければ、何も準備できなかったと思うの」




 改装を終えた離宮には、家具や絨毯やカーテンなどは王家が用意してあったが、婚約の時の取り決めで、使う物はユーリ側が用意したいと申し出ていたのだ。




 数々の食器類や、銀のカラトリー類、リネン類などあらゆる小物類を、マリアンヌとユーリは手配する。食器類はニューパロマのバークレー社に特注したり、ナプキンにはグレゴリウスとユーリのイニシャルを刺繍したりと、婚約が決まってから少しづつ用意していたのを新居に運び込む。




「何か、忘れていないか不安ですのよ。ハンカチも刺繍したし、ドレスも仮縫いは終わりましたでしょ、靴や……大変だわ、狼達のベッドを忘れていたわ」




 サロンで寛いでいたのに、家令を呼び寄せて狼達のベッドを発注させるマリアンヌをユーリは止める。




「叔母様、ルナ達にベッドは要りませんわ。床で充分ですし、冬には古い毛布を暖炉の前に敷いてやれば、喜びます」




 公爵は足元に座るソリスの頭を撫でながら、どれくらい大きくなるのだろうと思案する。




「離宮で、狼達を飼うのかい? 知らない人は、怖がるのではないかな」




 前の子犬ぐらいの大きさならいざ知らず、大型犬ぐらいに成長した狼達が、王宮に馴染むのだろうかと心配する。




「父上、ルナとソリスは、人の言葉を理解できますから大丈夫ですよ。竜より聞き取り能力は高そうです」




 公爵はソリスに話がわかるのかと聞いたら、わかると言っているように頷く。




『リュミエールは聞こえないのね』




『でも、君達は父上の言葉がわかるんだね』




『大体のニュアンスはわかる』




 ユージーンと狼達の会話を、公爵も老公爵も興味深く聞く。




「王宮で私が忙しい時は、リューデンハイムの寮で予科生達に遊んで貰うつもりなの。予科生達も、動物との会話の練習になるから」




 マリアンヌは離宮に古い毛布など相応しくないわとブツブツ言っていたが、子牛ぐらいに成長すると聞いて、大きなベッドは邪魔になると諦める。




「愛玩犬なら可愛いベッドもご愛嬌ですが、ルナとソリスには似合いませんよ」




 フランツはソリスを撫でながら、マリアンヌが首輪とか言い出すのを止める。




「この子達に首輪は要りませんし、して欲しくないです。僕の事を、忘れないでくれよ」




『どこに行くの?』




『東南諸島連合王国だよ。ちょくちょくは帰ってくるから、ルナもソリスも忘れないで』




 フランツはユーリの結婚式が終わったら、東南諸島連合王国の大使館勤務が決まっていた。




「フランツがいなくなると寂しいわ。東南諸島は暑いのでしょ?」




 心配そうなユーリとマリアンヌを、フランツは笑い飛ばす。




「ルースは海水浴のし放題だと、熱烈歓迎してますよ。南のファミニーナ島は過ごしやすいと聞いていますよ。ああ、でも一筋縄ではいかないアスラン王子が居ますから、大使館勤務は大変かもしれないな」




「アスラン様が、王子だとは知らなかったわ。商人だと言ってらしたのよ」




 フランツとユージーンはアスラン王子とも縁談があったのは、嫉妬深いグレゴリウスには極秘だなと思う。




「アスラン王子の事で何か情報はない?」




 余り島に居着かないアスランの情報は乏しかったのだ。




「さぁ? あっ、第一夫人はミヤ様だと聞いたわ。人生のパートナーで遣り手みたい。ローラン王国のダカット金貨でボロ儲けするとかなんとか。第二夫人にとか言われたけど、沢山の奥様を押し付けられて困ってらっしゃるみたい。ミヤ様が持参金を増やすのが得意だから、より良い条件の再婚先目当てで、娘を押し付けられるとこぼしてらしたわ」




 フランツはハーレムに少し憧れを抱いていたが、何だか金勘定の世界だなとガッカリする。




「ユーリ、アスラン王子に、第二夫人にと言われたのか? そんなの聞いてないぞ。皇太子殿下に、そんな事を言ってはいけない」




 ユージーンは東南諸島の事情に詳しいので、第二夫人が実質的な正妻だと知っていたので慌ててしまう。




「第二夫人だなんて、失礼ですものね。本当に野蛮な風習ですわ」




 マリアンヌは東南諸島の一夫多妻を批判して、フランツが変な考えを持たないか心配する。




「私も初めはそう思ったけど、フリーな結婚制度みたいなの。女の人も、財産を増やしてくれそうな男の人に乗り換えていくのですって。目標は第一夫人か第二夫人かで、女の人のタイプで決まるみたい。バリバリ働きたい人は、財産を管理できる第一夫人を目指すし、愛情や優雅な生活を望む人は第二夫人を目指すって聞いたわ。私なら第一夫人かなぁ、面白そうですもの」




「そんな事を、皇太子殿下に言ったら大変だぞ」




 ユージーンは東南諸島連合王国からも縁談があったのを知っているので、慌てて釘をさす。




「わかっているわよ。グレゴリウス様は、嫉妬深いから。イリスといい、嫉妬深いのが欠点だわ。アスラン様との事も何も無かったと言っても、直ぐに疑うのだもの」




「でも、ユーリが婚約したのって、アスラン様の所に竜心石を売りに行って、第二夫人にと口説かれていたのを、皇太子殿下が乱入して連れ帰った夜だったんじゃあ無かったけ? 嫉妬しないでは、済まされないよ。結構、グラッときていたのではないの? ユーリは強引な口説きに弱いから」




 ユーリはフランツが何故そんな事まで知っているのかと不思議に思ったが、グレゴリウスと親友だからツーカーなんだと気づいた。




「アスラン様が話す世界の様子には、心が惹かれたわ。色とりどりの鳥が飛ぶ島や、南の海に沈む夕日とか、魅力的だし、一緒に世界中を見に行こうと誘われて、楽しそうだと思ったの」




 ユージーンとフランツは「ユーリ!」と叫ぶ。




「でも、アスラン様には、私は必要じゃあ無いもの。旅の同伴者としては楽しそうだけど、ミヤ様だけが人生のパートナーなのだわ。そうね、アスラン様に口説かれて、気づいたのかも……」




 結局のろけを聞かされて、やれやれと全員が苦笑する。




「お前が、皇太子殿下と一緒に歩いていきたいと願ったのなら、仕方ないだろう。幸せになりなさい」




 老公爵はユーリを抱きしめて、やっと嫁に出す心構えを決めた。皇太子殿下に結婚の許可を与えたものの、ユーリを手放す覚悟が、なかなか付かなかったのだ。




「お祖父様、結婚しても孫娘に変わりはないわ。ちょくちょく、顔を見にくるわ」




 老公爵も公爵夫妻も、皇太子妃がそうそう遊びに来られないだろうとわかっていたが、楽しみにしていると答える。








 夏休みの後半は、グレゴリウスと共にフォン・フォレストで海水浴を楽しんですごしたが、花嫁が日焼けしては駄目だと叱られて、夜に泳いだりした。




「ユーリ、きらきら光っているよ」




 夜の海の夜光虫が身体に付いて、ユーリはきらきらと月明かりに光って見える。




「グレゴリウス様もだわ。夜光虫が付いているのね」




 月明かりに光る夜の海でロマンチックな一時を過ごしたが、放任主義のモガーナも侍女を付き添いに付けていたので、グレゴリウスとしてはお預け状態が続く。




「早く、結婚式の日にならないかなぁ」




 グレゴリウスの呟きに、ユーリはハッと現実に引き戻され、パーラー責任者を決めなきゃと言い出して、ロマンチックな夏の夜を台無しにするのだ。




「マリーとローズに責任者になって貰ってたのに、二人とも結婚するのよ。マリーは前から聞いていたけど、ローズったら帳簿を見てくれる会計士と恋に落ちちゃうんですもの。帳簿付けは皆で押し付け合いなの、リリーが古参なんだけど、数字を見るだけで頭痛がするって断られたの……うん……ちょっと……」




 グレゴリウスはパーラーの責任者の話は後で聞くよと、ロマンチックな夜に相応しく無い話題を話す口をキスでふさぐ。 








 ユーリの独身最後の夏休みはフォン・フォレストでの滞在以外は、結婚準備とパーラーの責任者探しで終わる。




 グレゴリウスは新居となる離宮に少しづつ荷物が運び込まれ、新婚生活に相応しく整えられるのを見て、本当に結婚できるんだと感慨に耽っていたが、マリアンヌとユーリは何か忘れてないかチェックリストを何度も見直して疲れる。




 公爵はマリアンヌからチェックリストを取り上げて、不備があっても直ぐに手配すれば良いだけだと諭す。




「結婚前の貴重な時間を、チェックリストを眺めて過ごしてはいけないよ」




 公爵はユーリが本当にのんびり出来るのは今だけだとわかっていたので、マリアンヌとお茶を飲んだり、庭を散策して過ごすように勧める。




 ロマンチックなドレスを着たマリアンヌとユーリが、バラが花盛りな庭を散策しながら、あれこれと取りとめのない話をしているのを、老公爵と公爵は寂しさを押し隠して眺める。

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