11話 消えたユーリ

 木の枝の間から冬の灰色の空が見える。ユーリは痛む頭を撫でると、手には薄っすらと血が滲んだ。




『何があったの?』




 見知らぬ場所で雪の中に倒れていたようだ。それは分かるが、何故こんな場所にいるのかがわからない。木の上には崖が聳えている。




「あそこから落ちたのかしら?」ユーリは立ち上がり、雪を払いながら呟く。




「兎も角、家に帰らなきゃ! パパとママが心配しているだろうし……」




 そう思った瞬間、堪え難い記憶がユーリを襲う。血まみれの父親に覆い重なるように倒れる母親の記憶を、本能的に避ける。




『嘘よ! パパもママも生きているわ!』




 頭を強く打ったみたいなので、自分の記憶が怪しいのだと、ユーリは嫌な情報を封印する。




「寒いわねぇ……このままじゃ凍死しちゃうわ」




 冬の日は短く、午後になのか陰ってきている。辺りを見渡してヒースヒルで無いのは分かったが、家を探さないとやばい状況だ。




 ユーリはふらふらと歩き出した。何か大切な物を忘れていると本能的に感じてはいたが、それを突き詰めると悲しい記憶がフラッシュバックする。




 雪をかき分けながら、どうにか道らしき場所にやっと出る。




「カーディモかしら? 違うわよね? あんな山は見たことないし?」




 家があるヒースヒルの近くの町かと思っていたが、道に出て、ひらけた風景を見ると、全く見知らぬ場所だと困惑を深める。




「兎も角、家を見つけなきゃ!」




 雪道でも歩き慣れているユーリはぐんぐん進む。こうして、グレゴリウス皇太子の婚約者は行方不明になった。








 ユーリが行方不明になったのに一番先に気づいたのは、勿論、絆を結んでいるイリスだ。孤児院の前庭で無口なサントラと話をしていたが、途中から二頭ともお昼寝を始めた。




 かなり長いお昼寝をして目覚めたイリスは『ユーリ? 何処?』と不在に驚く。目の前にはサントラが呑気に寝ているので、他の竜に乗った訳ではないと嫉妬心を納める。イリスは、ユーリが他の竜と話したり、乗ったりするのが一番嫌なのだ。




『ユーリ!』




 幼い時に絆を結んでから、ユーリの存在は常に感知していたが、今は何処にも感じない。イリスはパニックに陥った。




『ユーリ! 何処なの? ふざけてないで返事をしてよ!』




 目の前でイリスが悲壮な叫び声をあげているので、サントラも目覚めてパートナーのカルバンを呼び寄せる。




『イリス、落ち着きなさい』




 竜騎士に宥められても、イリスは騒ぎ続ける。




『ユーリがいなくなった!』




『ユーリ嬢が? 大変だ!』




 皇太子の婚約者を警護する役目だったカルバン卿は、自分が安心しきって油断していたと顔を青ざめさせる。何処の誰がこの巨大な竜と絆を結んだ竜騎士を害せるというのだと不安になる。




『まさか、ローラン王国のゲオルク元王が……怪しい魔術を操る彼なら! それに、ユーリ嬢には騎竜カサンドラを殺された恨みを持っているはずだから!』




『ゲオルク! 許さない!』イリスはいきり立って、ゴォオ〜と空に火を噴く。




 昨年のローラン王国との戦争で、ユーリはゲオルク王の騎竜カサンドラを矢で射抜いて殺したが、本来は竜には矢は刺さらないのだ。ゲオルク王の国民や竜を虐げる魔力の源になっている事に絶望したカサンドラの自殺だったのだ。騎竜を殺されたゲオルク王は竜騎士でないと王位に就けないという旧帝国からの規則で退位した。




「何事ですか?」




 呑気に院長とお茶していたイージス卿に、カルバン卿は「ユーリ嬢が拐われたのかもしれないのです。私はユングフラウに報告し、援軍を要請します!」とサントラに飛び乗ろうとする。




「まさか、ユーリ嬢が拐かされたのですか?」




「もしかしたらゲオルク元王が……」




 尊敬する竜騎士隊長の孫娘を警護しそこねたと、カルバン卿はパニック状態だ。




「落ち着いて下さい。ローラン王国の手の者が現れたら、ユーリ嬢の騎竜が黙っていませんよ。私と別れた時は、女の子と話すと言っておられました」




「そうだ、ハンナと話すと……何処にいるのだ?」




 カルバン卿と院長は、別れた時に一緒だった女の子に事情を尋ねることにする。




「ハンナがいません!」




 職員が孤児院中を探したが、ユーリもハンナもいなかった。しかし、洗濯場に竜騎士の制服が干してあった。




「この制服はユーリ嬢の物ですよね? 本人は何処なのでしょう?」




 洗濯場のおばさんに事情を尋ねる。




「ああ、あのお嬢さんは、ハンナの母親と話してみると牛乳を売りに来た荷馬車に乗せて貰ったみたいですね」




 どうやら拐かされた訳ではなさそうだと、カルバン卿もイージス卿も院長もホッと胸を撫で下ろす。




「勝手な事を! それで、ハンナは何処の領地から来たのですか?」




「この山を越えたタレーラン伯爵領から来たのです」




『サントラ、イリス! ユーリ嬢はタレーラン伯爵領へ向かわれたみたいだ。ハンナという女の子が母親に会いたいと願ったようだぞ』




『でも、ユーリと連絡がとれない! 絆を結んでいるのに!』




 不安そうなイリスを諌め、カルバン卿はサントラに飛び乗ってタレーラン伯爵領へ向かう。勿論、イリスも後に続いた。




『タレーラン伯爵家でユーリ嬢とハンナに合えば、イリスも落ち着くだろう』




 戦争の時に何頭かの竜が火を噴いたのはカルバン卿も知っていたが、絆の竜騎士がいなくなってパニックに陥り火を噴いたのには驚いていた。竜騎士は竜に甘いので、早くイリスに落ち着いて貰いたいと望んでいたが、タレーラン伯爵領にユーリもハンナもいなかった。




『ユーリ!』火を噴く竜に、タレーラン伯爵家の使用人達は逃げ惑う。




『イリス! 事情を聴くにも、火を噴いていては駄目だよ』




 年配の落ち着いたカルバン卿の言葉で、イリスが落ち着いた頃、車輪が片方壊れた荷馬車が他の荷馬車に牽引されて伯爵家の前に着いた。




「お母ちゃん!」荷馬車からハンナが飛び降りて、下働きの女中に飛びつく。




「大変だ! 崖から女の人が落ちたんだ! 探索隊を出してくれ」




 牛乳を運んでいた男も荷馬車から落ちたのか怪我をしていた。




「お姉さんは、私が馬車から落ちそうになったのを助けてくれたの……ごめんなさい」




 カルバン卿は、女の子に「大丈夫! 探し出すから!」と言うと、崖へと急いだ。




『ユーリ!』イリスが叫んでも誰もいなかった。

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