15話 くすんだ金ボタン

 フォン・フォレストで休養中のユーリの元には、手紙が沢山舞い込む。エドアルドからの分厚いラブレターや、グレゴリウスからもラブレターもどき、心配しているマウリッツ公爵家の人達や、アンリ、ローラン王国から帰国したシャルル大尉に、仲良くなった令嬢方からも手紙が届いた。




 ユーリは返事を書くのが忙しいほどだったが、フォン・フォレストで暇は沢山あったので喜んで読んでいたが、フランツからの手紙を読んで顔を曇らせる。 




「何か、悪い知らせですか?」




 令嬢方の恋愛ゲームや、婚約の報告をモガーナに読んで笑いながら教えてくれていたユーリが、フランツの手紙を読み始めて黙ったのをモガーナは心配する。




「フランツは、ユージーンが忙しく働き過ぎだと書いているの。元々、ユージーンは完璧主義で、自分にも厳しいから、ワークホリック気味なのよ。彼も精神的にダメージを受けたのに、休暇を取らなかったから、自分を追い詰めているんじゃないかしら……きっと私が傷ついたのを、自分のせいだと感じているんだわ」




 ユーリが他の人の心配が出来るほどに回復したのをモガーナは安心したが、できればフォン・フォレストに留めておきたい。ここでのんびりと暮らしていけば良いのにと思ったが、やはりユーリはユージーンをほっとけないと言い出す。




「お祖母様、まだ自分が危なかっしいのはわかっているわ。でも、ユージーンは私が傷ついたことで、自分を責めているのだと思うの。それにマウリッツ公爵家のお祖父様や、叔母様や、叔父様も、すごく心配して下さっているから顔を見せて安心させてあげたいわ。フォン・アリストのお祖父様も、心配してらっしゃるだろうし……」




 ユーリは王妃や、マリー・ルイーズ妃、国王、シュミット卿も心配しているのではと思った。




 それにキャシーにローズとマリー、他のパーラーの女の子達、思い出していくと次々と懐かしい顔が浮かんでくる。ユングフラウは大嫌いだった筈なのに、いつの間にか大切な人が増えているのに気づいて驚く。




「ちょうど冬至祭の休暇になるわ。仕事漬けのユージーンを、ヒースヒルに遠出させて気晴らしをさせても良いわね」




 まだ許可して無いのにと、モガーナは溜め息をつく。こうなったユーリを止めでも無駄だと知っているので、渋々、ユングフラウ行きを許する。




 ビクター夫妻は本を山ほど借りて、一緒にユングフラウに帰ることにした。モガーナはやはりユーリが危なかっしく思えたので、ハインリッヒに付き添いを頼む。




「竜が二頭に増えたのなら、本をもっと積めますわね」




「あのう、ビクトリア様、侍女のメアリーも一緒ですよ。それに久しぶりの長距離飛行ですし、キリエは年をとってますから……」




 ビクトリアは今度フォン・フォレストに帰省する時に連れて行ってねと約束させると、何箱も持って帰るのは諦める。




 ユーリは一月以上もフォン・フォレストで過ごしたのは、リューデンハイムに入学してからは初めてだったので、旅立つ時にはセンチな気分になったが、ユングフラウで待っている人達のことを思った。




「ちゃんと食べて、睡眠もとるのですよ。まだ実習が無理だとマキシウスが判断したら、フォン・フォレストに帰って来るのですよ」




 心配するモガーナに見送られて、ハインリッヒとユングフラウへ向かう。










 ビクター夫妻を屋敷に下ろし、懐かしく感じるフォン・アリスト家の屋敷に着いた。




「ハインリッヒ卿、ユーリの付き添いありがとうございます」




 マキシウスはユーリが心配でならず、フォン・フォレストを訪ねようかと何度も考えていたが、自分が行くと復帰を急かしているように思われてはと自粛していたのだ。




「ユーリも元気そうになった」




 久しぶりに会う孫娘を抱きしめて、安心したマキシウスだ。




 フォン・フォレストにはエドアルド一行や、グレゴリウス一行、それに両国の変人達が集合して、モガーナは大変だったのではと案じていたので、ゆっくりと話を聞きたかった。




「お祖父様に手紙でも頼みましたが、ロシュフォール卿の血液検査に協力をお願いしますわ。それとパーラーの経理を、執事にさせて下さってありがとうごさいます。ああ、王妃様にも会いに行かなくては……」




 着いた途端にバタバタしそうなユーリに、この癖は治ってないなと溜め息をつく。




「でも、今日はゆっくりと過ごすつもりよ。久しぶりの長距離飛行で疲れたし、やはりユングフラウは人が多くて……」




 ユーリは街角で聞いた茨姫の伝説の歌に動揺した自分に情けなくなったが、少しずつ慣れていくしか無いと溜め息をつく。ユーリが部屋に上がると、ハインリッヒはマキシウスにあの下らない歌をどうにか出来ないのかと怒る。




「ウィリアムとロザリモンド姫が駆け落ちした時も、歌には悩まされましたよ。マウリッツ公爵家は激怒して止めようとしましたが、却って長く歌い続けられる結果になりました。ローラン王国では歌を禁止して、余計に広まったみたいです。他の話題が吟遊詩人達の興味をひくまでは仕方ないですね」




 まだまだユーリが本調子とはいえないのを、マキシウスは感じる。ユーリと久しぶりに夕食を食べたが、普通の食欲なのに疲れたのかと驚いた。




「前みたいに大食いではなくなっただけよ。もうすぐ17才だし、これ以上背も伸びそうに無いわね」




 マキシウスは17才と聞いて、もうお嫁にいってもおかしくない年頃なのだと驚き寂しく感じる。








 ユーリは次の日の午前中に、王妃とマリー・ルイーズ妃との面会して、心配をかけたお詫びを言う。しかし、王宮に長くいるのは気疲れに感じ、お昼を一緒にと引き留められたが早々に屋敷に帰る。 




「ユーリが挨拶に来ましたわ。心配をかけたのを詫びてましたが、お淑やかに振る舞うあの娘など……」




 エリザベート王妃の付き添いの時の猫を被ったのとは違い、元気が無くお淑やかに振る舞うユーリに、胸が痛んだテレーズだ。




「あれほど少し落ち着いてくれたらと、願っていましたのに、こんな風に悲しく感じるとは思いませんでしたわ。フィリップを亡くして落ち込んでいた私に、ユーリの存在がどれほど慰めになっていたか今更気がつきましたの。前のように溌剌として、落ち着きなさいと叱らないといけないユーリに戻って欲しいですわ」






 ユーリは屋敷に帰ると、ぐったりとして寝る。グレゴリウスはリューデンハイムの寮から冬休みなので王宮に帰って来て、冬至近くなのにバラが咲いているのに気づき、ユーリがユングフラウに帰って来たのですねとマリー・ルイーズに尋ねる。




「ええ、午前中に王妃様と私のところに挨拶に来てくれました。兄上からも精神的にダメージを受けていると聞かされてましたが、やはりユングフラウは疲れるようですわ。元気がなくて、普通の令嬢のようにお淑やかに振る舞ってましたの」




 グレゴリウスに少しずつしか回復しないのだから、ユーリを追い詰めるような真似はしては駄目だと諭す。




 グレゴリウスは王宮にたむろしている貴族達の好奇な目に曝されて、ユーリが疲れたのだと怒りを抑えるのに苦労した。自分にもローラン王国の皇太子妃になったユーリへの未練を捨てろと忠告する輩もいるのに、憤懣やるかたないグレゴリウスだ。




 勿論、その場でユーリがルドルフ皇太子妃でないとキッパリと言い切って、文句が有るなら結婚の無効を宣言した国王に聞いてみろと叱ったが、王宮が居心地が良いわけないだろうと溜め息をつく。






 ユーリは王宮で思っていた以上に疲れて、ぐっすりと夕方まで寝てしまい驚いた。




「ああ、もう寝過ごしちゃったわ。今日は昼からパーラーに行く予定だったのに。冬至が近いから真っ暗だわ」




 ユーリは自分がフォン・フォレストの田舎暮らしで、これほど都会生活を忘れて疲れてしまったのに呆れる。




 夕食をお祖父様と食べながら、王宮に王妃とマリー・ルイーズ妃に挨拶に行っただけで疲れてしまったとこぼす。




「焦らずに、少しずつ慣れていけば良いのだ」




「明日はパーラーとミシンの練習所を回ってから、マウリッツ公爵家に行くつもりよ。お祖父様は、体調を崩されているみたいで心配なの。それとユージーンも心配なのよ」




「老公爵のお見舞いはともかく、他の人の心配をしている場合ではないだろうに。ユージーンはお前より百倍しっかりしているぞ」




 そのしっかりしているのが心配なのよと、内心で呟く。








 パーラーで懐かしいローズとマリーに会ったり、寮のミシン練習所に大勢の女の子達が集まっているのを驚いたりしたユーリは、マウリッツ公爵家に向かう。




「ユーリ、元気そうで安心したわ」




 マリアンヌはフランツからフォン・フォレストで休養中の様子を聞いてはいたが、実際に会うとユーリを抱きしめて泣きだす。ユーリも心配させたのを詫びながら、マリアンヌの胸で泣き出して、公爵やフランツは困り果てた。




「マリアンヌ、そのくらいにしておきなさい。父上がユーリをお待ちかねなのだから」




「あら、そうでしたわね」




 マリアンヌは涙をハンカチで拭くと、ユーリと老公爵の部屋に一緒について行く。




「お祖父様、体調を崩されたと聞きましたのに、起きていらしていいのですか」




 ユーリが来ると聞いて、老公爵は身なりを整えて椅子に座って待っていた。




「お前の顔を見たら元気になったよ。さぁ、こちらにおいで」




 ユーリはお祖父様に抱きついて泣き出した。自分を愛して心配してくれる人達に囲まれて、ユーリは泣き虫にかえってしまった。






 一緒にランチを食べながらも、冬休みなのに外務省に詰め切りのユージーンが気になる。




「フランツ、ユージーンは冬休みを取らないつもりなのかしら?」




 フランツも兄の様子を心配して、何回か休暇をとるように忠告したが、ローラン王国と外交文書が飛び交う毎日で忙しいとキレられた。




「さぁ、夜には帰ってくるとは思うから、君から言ってみてよ。父上も何回か言ったけど、聞く耳を持たないんだよ」


 


 ユーリは公爵家で用意されている部屋で、何か打つ手は無いか考える。




「ヒースヒルのハンナの所に遠乗りでも連れて行ったら気晴らしになると思ってたけど、外務省から連れ出すのは難問だわ。フランツに協力して貰おうかしら」




 フランツを捕まえて計画を打ち明けたが、難しい顔をする。




「どうだろう、聞く耳を持たないんだよ。まぁ、確かに外務省は 忙しいし……ユーリの言うことなら聞くかもね」




「もう、あてにならないのね。ユージーンは、ダンに借りた服は返したのかしら。きっと返したでしょうし、お礼もしてるわよね。私はハンナの服を返しに行くのを口実にするつもりなんだけど、ユージーンに一人で行けと突っぱねられるかもね」




「一人で行けとは言わないだろうけど、僕に付いて行くようにと言ってお終いかもね」




 二人で何やら相談しているのを、マリアンヌは微笑ましく見守る。ユージーンがピリピリしているのは親としても悩んでいたので、何か打開策を期待する。






 夕食にはユージーンも帰宅して、ユーリが訪ねて来ているのに驚き喜んだ。




「ユングフラウに帰って来ていたのだな。元気そうで、安心したよ」




 ユージーンの疲れた顔を見て、ユーリはフランツとの打合せを何もかも忘れてしまう。 




「ユージーン、私の為に自分を責めるのは止めて! そんなのを見ていたら、私も立ち直れないわ! 私もゲオルク王に復讐するのは、止めようと思っているの。なかなか難しいけど、少しずつ前向きに進んでいきたいのよ」




 ユーリは、ユージーンの胸を泣きながら叩いた。フランツは段取りをすっ飛ばした直接攻撃に唖然としたが、どうやらユージーンには効き目がありそうだと安堵する。




「ユーリが、ゲオルク王に復讐だなんて駄目だ。馬鹿なことを考えるんじゃないよ。君を怖い目にあわした責任は、その私にあるんだ」怖い目に遭わせた




 ユーリはユージーンをソファに座らせると、膝の上に座ってにっこりと笑う。




「そうね、ユージーンには私のリハビリに付き合って貰うわ。私の気のすむまで、私の下僕になるのよ。ああ、駄目よ! 外務省の仕事なんてさせないわ! 大丈夫よ、外務相も私には引け目があるから、当分はユージーンを私に貸し出してくれるはずよ」




 ユージーンは抵抗を試みたが、膝の上のユーリを押しのけることはできなかった。もともと華奢なユーリがあまりに軽すぎて、涙がこぼれそうだったからだ。






 次の日からユージーンは、ユーリの下僕生活をおくる羽目になる。




「冬至祭の買い物なら、母上の方が向いてるぞ」




 ユングフラウの街をプレゼントを選びながら連れ回されて、ユージーンはへとへとだ。屋敷に帰って、これなら外務省で仕事していた方が楽だと愚痴りながらも、ユーリに引きずり回らされたせいでお腹が空いて、いつもより多く食べているユージーンに家族はホッとした。




「明日は、新鮮な魚を買いに海に行くわよ。アトスも海水浴でリフレッシュしたい筈だわ」




 こんな寒い時期に海水浴なんてと抗議したが、却下される。




「そんなぁ、イリスとアトスが海水浴に行ったりしたら、ルースが拗ねるよ」




 三人で海水浴に行き、老公爵に活きている魚や海老をお土産に買い、ハンナにも海産物の干物や、塩漬けを山ほど買った。




「明日は、ハンナに冬至祭のプレゼントを持って行くわよ。私が子どもの頃も、冬至祭のプレゼントは楽しみだったの」




 それでユングフラウの街で、あれこれ買っていたのだとユージーンは思った。それこそ山ほどの良い香りの石鹸や、色々な布地、南国の果物とかはハンナへのプレゼントだったのだ。




「まぁ、こんなに冬至祭のプレゼントを貰ったのは初めてだわ! ユーリ、ユージーンさん、ありがとうごさいます」




 ユーリは外務省の窓ガラスをイリスが割ってお小遣い無しだからと、下僕のユージーンにすべて支払わせていたのだ。ユージーンからも、ワインと、葉巻を、ダンにプレゼントする。




 マシューがプレゼントの馬のおもちゃで遊んでいるのを眺めながら、蜂蜜がたっぷり入ったハーブティーを飲む。




「そうだわ、忘れないうちに渡しておくわ」




 そういうとハンナは小切れに包んだ物をユージーンに手渡す。




「暖炉の灰の中から見つけたの。焦げていたけど金ボタンだけ、残っていたわ。ダンが磨いたけど、くすんでるの。でも、目方売りとかもできるでしょ」




 キャシーや、ローズや、マリーから、ユージーンが公爵家の若様だと聞いていたから、くすんだ金ボタンなど使わないだろうとは思ったが返す。ユージーンはくすんだ金ボタンを見つめていると、バロア城の地下牢の嫌な臭いや、ユーリがどんな目に遭っているのかの焦燥感や、罠に嵌まった怒りを思い出す。どんな目に遭っているのかわからない焦燥感




「ハンナさん、ダンさん、ありがとうごさいます。一生の宝にします」




 二度とこのような失策は犯さないぞと決意して、金ボタンを握り締める。




 ユージーンの言葉にユーリも驚いたが、その日を境に落ち着きを取り戻していったのに安堵する。




 冬休みの間、ユーリの下僕としてヘルメスの血液検査を手伝わされたり、寮では手狭になったミシン練習所を探し回らされたりしたが、ユージーンはぶつぶつ文句を言いながらも楽しんだ。








 将来、ユージーンはグレゴリウス国王陛下の治世を支えるマウリッツ外務相として大活躍するのだが、礼服の金ボタンはくすんだ焼け焦げたのを生涯に渡って使い続けたのだった。

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