38話 オペラデビュー

「ユーリ、ドレスに着替えましたか? もう少し早く帰って来てくれたら、バタバタしなくて良かったのに」




 マリアンヌのぼやきに、ユーリの髪を結い上げていた侍女も内心で同意する。定時に実習を終えてマウリッツ公爵家に行く予定だったが、陳情者が長々と話を止めないので、来るのが遅くなってしまったのだ。




 急いでる筈なのにマリアンヌは、ああだこうだと髪型に注文を付けるので時間がかかる。下のサロンにはオペラへ行く支度を整えた、老公爵と公爵が、ご婦人の身支度は時間がかかるものだと諦めて待っている。




「遅刻しますよ、呼んで来ましょうか?」




 フランツが身支度の長さにじれるのを、ユージーンが止めた。




「母上に殺されるぞ! ユーリを着飾らせるのが、母上の楽しみなのだからな。オペラに遅刻するぐらい、大した事じゃ無いさ」




 確かにオペラに遅刻するのは大した事じゃないが、フランツの計画には支障が出るのだ。フランツはグレゴリウスに頼まれて、今夜のオペラの桟敷に招待していたのだ。




 グレゴリウスもオペラを観るなら、いつでもロイヤルボックスが使えるのだが、ユーリと一緒に観たいと頼まれたのだ。タイミング良く偶然を装って合流する計画が、身支度で遅刻したらオジャンだ。




 フランツが苛々と歩き回るのを、公爵は咎める。




「ご婦人の身支度を待つのは、紳士の嗜みだぞ! そんなに歩き回っては、こちらも落ち着かない。どうせ2台の馬車で行くのだ。フランツとユージーンで先に行けば良い」




 ユージーンは、フランツがそこまでオペラが好きだとは思ってなかったので、何か企んでるなと気づく。




「お待たせしましたわね」




 ユージーンがフランツを問いただそうとした時に、やっとユーリの身支度が終わり、マリアンヌと降りてきた。




「おお、ユーリ、可愛いな!『気まぐれな恋人』のリリア風だな」




 急がなくてはいけないのに、マリアンヌはユーリの髪型を『気まぐれな恋人』の初舞台で、リリア役をした歌姫がしたのと同じ髪型に結わせていた。両サイドからクルクルにカールした髪を垂らすリリア風髪型は、若いユーリにとても良く似合う。




 ユーリとしては両サイドに、ピンクのリボンに白い花が付いた髪飾りを付けているのが、どうも恥ずかしくて仕方なかった。




 だが、白いレースのドレスとリリア風の髪型は、とても可愛らしく似合っている。




「少し、飾り過ぎじゃない?」




 眉を顰めているユーリに、男性陣は「とても可愛らしいよ!」と口を揃えて言う。実際に良く似合っていたし、ユーリがゴネて髪型を変えると言い出したら、遅刻が確実になるからだ。




「さぁ、お祖父ちゃんとオペラに行こう」




 老公爵にエスコートされて、ユーリはオペラハウスへと向かった。








 オペラハウスの建物は、ユーリも知っていたが、夜になると灯りに照らされて煌びやかさに溢れている。馬車が次々と到着し、着飾った貴婦人や、令嬢方が、紳士にエスコートされてオペラハウスの赤い絨毯の階段を上っていく風景は華やぎに満ちていた。




 ユーリは、マリアンヌと女性控え室で薄い外套を脱いでクロークに預けた。




「凄い人なのね」




 オペラハウスのロビーには、開演前にシャンパンを飲みながら歓談する紳士達や、貴婦人達が溢れかえっている。




「ユーリは、シャンパンは駄目なのよね。フランツ! 何かノンアルコールの飲み物をユーリに取ってきて」




 普段なら言いつけなくても取ってくるのに、気がきかないわねとマリアンヌは呟く。フランツはオペラハウスの人混みの中から、グレゴリウスを探そうとしていたが、母親に言いつけられて飲み物を取りに行く。




「やぁ、フランツ、偶然だね!」




 フランツが、シャンパンとオレンジジュースを持ってバーカウンターから振り返ると、アンリがシャンパン片手に立っていた。




『何が偶然だ!』




 フランツは、アンリの目的はオペラ鑑賞では無いと、瞬時に悟った。




「アンリ卿、おや、貴方もオペラを観に来られたのですね。ちょうど良い! ユーリは今夜オペラデビューなのです。音楽の素養のあるアンリ卿に、解説をしていただこう」




 マウリッツ公爵に桟敷に誘われて、アンリが嬉しそうにユーリに挨拶するのを、複雑な心境でフランツは見る。




「それにしても、グレゴリウス皇太子殿下はどこに居るのかな?」




 人混みを何度も見渡しても見つからないので、フランツは不審に思う。




「フランツ、何をキョロキョロしているんだ! そろそろ、桟敷に移るぞ。グレゴリウス皇太子殿下なら、エドアルド皇太子殿下と御学友達を招待されて、ロイヤルボックスに居られるぞ」




 ユージーンは、フランツが禄でもない事を計画していたのには気づいたが、何を企んでるにせよグレゴリウス皇太子殿下がらみだろうと推測していた。ユーリがオペラを観に行く日に、グレゴリウスと、エドアルドが揃ってオペラ鑑賞したがるなんて、両国の指導者は頭が痛くなった。




「公衆の面前での争いは、避けませんと」




 マゼラン卿と、ジークフリートは、珍しく合意に達した。貴族だけでなく、裕福な商人や、一般の人達の前で、皇太子達が醜い争いをするのを避けたのだ。




「男ばかりで、オペラ鑑賞ですか……」




 トホホな両皇太子と学友達だった。




「あっ、ユーリ嬢だ! 愛らしい髪型だなぁ~」


     


 ロイヤルボックスに座らされて、後ろからマゼラン卿とジークフリートに見張られて行儀良くしていた両皇太子だったが、マウリッツ公爵家の桟敷にユーリが座ると目がハートになってしまう。




「あの髪型は、今夜の演目の『気まぐれな恋人』のリリア役がする髪型ですよ。ドレスと合っていますね」




 ジークフリートの教育的な話も、グレゴリウスの耳には入っていない。あろう事かオペラグラスで、舞台ではなくマウリッツ公爵家の桟敷を真剣に覗いているのを、格好悪いですよとジークフリートは取り上げる。




「誰だろう? ジークフリート卿、オペラグラスを返してくれ。マウリッツ公爵家の桟敷に誰か……」




 オペラが始まろうとしてるのに鑑賞する気なしのグレゴリウスに、ジークフリートは溜め息をつく。




「ほら、シャンとして下さい。国歌が演奏されますよ」




 グレゴリウス皇太子とエドアルド皇太子、同盟国の両国の皇太子の揃ってのご臨席に、オペラハウスは両国の国歌を演奏して歓迎を示す。




 両皇太子達は礼儀正しく国歌演奏中はしていたが、オペラが始まるやいなやマウリッツ公爵家の桟敷ばかり見る。








 ユーリは、オペラが気に入った。娯楽の少ない世界で、華やかな舞台で繰り広げられる恋人達のやりとりは面白かったし、歌はとても素晴らしくて楽しかった。




「ユーリ嬢、オペラが気にいられたみたいですね」




 アンリ卿はオペラの途中で、オペラ独特の決まり事に少し戸惑ったりしているユーリに、解説したりして前幕を終えた。




「ええ、とても素晴らしいわ。オペラが、気に入ったわ!」




 ユーリが夢中になってオペラを観ているのを、老公爵と公爵夫妻は喜んで眺める。特にアンリの解説を聞いたり、歌が暗示している意味をたずねたりと、親密そうな様子に目を細める。




「幕間に、軽食を頂きましょうね。アンリ卿も、ご一緒に如何ですか?」




 オペラハウスには軽食がとれる個室とダイニングがあったが、マウリッツ公爵は個室を予約していた。桟敷からロビーに出た途端、グレゴリウス、エドアルドの一行に出くわした。




「ユーリ嬢、こんばんは。リリア風の髪型が素敵ですね」




 ジークフリートがグレゴリウスに説明していたリリア風髪型を、ちゃっかり褒め言葉に着用して、エドアルドはユーリの手を取ってキスする。




「ユーリ、とても可愛らしい髪型だね」




 グレゴリウスはエドアルドに先を越しされて苛ついたが、負けずにユーリに話しかける。




「オペラは、気に入った? 今夜の演目は面白い話だから、観ていても楽しいよね」




「エドアルド皇太子殿下も、グレゴリウス皇太子殿下もいらしていたのね。国歌演奏で気づいたわ。オペラは初めてだけど、気に入ったわ!」




 幕間の人混みで長話はできないので、ユーリは公爵家の人達と個室へと向かう。


 


「アンリ卿が、一緒だったんだ!」




 ユーリ達と別れて個室に向かいながら、グレゴリウスはジークフリートに嫉妬の隠せない様子で呟く。 




「幕間の間、行儀良くしてると約束して下されば、ユーリ嬢を借りてきてあげますよ。男ばかりオペラ鑑賞は、味気ないですからね」




 グレゴリウスはそんな事ができるのかと驚いたが、ユーリと一緒にオペラ鑑賞したかったので、行儀良くすると約束する。




 個室でカザリア王国の一行を歓待しながら、グレゴリウスはどうやってユーリをマウリッツ公爵家の桟敷から連れて来るのか? 来れるのか? その疑問がグルグル頭の中を回っていた。


 






 幕間が終わり、ロイヤルボックスに移動した両皇太子一行は、ジークフリートがユーリと数人の令嬢をエスコートして来たのに驚き喜んだ。どうやって、ユーリをガッチリとガードしているマウリッツ公爵家の桟敷から連れ出したのか?




 他の令嬢方も美人揃いで、ジークフリートは各々を紹介する。




 オペラが始まったので、グレゴリウスはジークフリートにどんな手を使ったのか聞けずじまいだ。マゼラン卿もジークフリートが、ユーリのみならず、名門のそれも美人揃いの令嬢方を、どうやってエスコートしてきたのか不思議に思う。




「どんな手を、使われたのです?」




 どうしても我慢できなくなって、マゼラン卿はジークフリートに尋ねた。




「簡単ですよ、後見人の貴婦人に、両皇太子殿下が令嬢方とオペラ鑑賞がしたいと仰っていると頼んだだけです」




 そんな簡単な話では無いだろうと、心の中で突っ込んだマゼラン卿だ。


 






 ユーリは他の令嬢方と、オペラ鑑賞を楽しんだ。ハロルドとユリアンは、オペラに詳しく、後ろの席からオペラデビューのユーリに分かり易く解説をしてくれる。




 他の令嬢方も、ハンサムな両皇太子と、外国の貴公子に囲まれてのオペラ鑑賞を楽しむ。




 場面転換の小休憩に、ユーリはハロルドに質問する。




「リリアは、誰と一緒になるの? それとも、誰とも結婚しないの?」




 他の令嬢の中には『気まぐれな恋人』を観たことのある方もいたし、内容を知らないのはユーリぐらいだった。




「シーッ! 内緒ですよ」




 ユーリの隣の令嬢が教えかけるのを、エドアルドは唇に人差し指を当てて止める。令嬢は真っ赤になって、言いませんわと約束する。




「もう、皆、知っているのね! 私だけ知らないなんて、ひどいわ」




 ユーリが冗談で怒るのを、からかう両皇太子の様子を、令嬢方はとても親密そうだと感じる。 




 オペラはハッピーエンドで、リリアは幼なじみの恋人と結ばれた。




「ユーリ、泣いてるの? ハッピーエンドなのに?」




 グレゴリウスは、泣き虫のユーリに呆れてしまう。




「だって、幸せになって良かったなと思ったら、涙がでたのよ。男の人には、わからないわ! 好きな人と結婚するなんて、女の子の夢ですもの」




 泣いたのがバレて照れ隠しにツンとして反論したユーリに、結婚する気があるんだぁ! と目がハートになってしまった両皇太子だ。




 それぞれ後見人のご婦人に引き取られて帰って行く令嬢方を見送って、エドアルドとグレゴリウスも帰路についた。




 グレゴリウスは王宮までの馬車の中で、どうやってユーリを連れてきたのか質問したが、はぐらかされてしまう。


 






 帰りの馬車の中で、オペラの中の歌を口ずさんむユーリを老公爵は愛おしく眺める。口ずさむ




「マリアンヌ、貴女はジークフリート卿に甘いですね」




 公爵はジークフリートに口説き落とされた奥方に、少し苦情を言う。




「ご免なさいね、リュミエール。ジークフリート卿に頼まれて、嫌といえるご婦人はいないわ」




 ジークフリートはマリアンヌにユーリの貸し出しを願い出た。




 ロイヤルボックスで皇太子達とオペラ鑑賞をご一緒にして頂きたいと、手にキスをしながら頼んだのだ。ハンサムなジークフリートに優雅な物腰で頼み事をされた後見人の貴婦人達は、夢見心地で快く承諾を与えた。




「やはり、ジークフリート卿は、イルバニア王国一の色男ですね~」




 実際は貴婦人に対する礼儀正しい手へのキスに過ぎないのだが、ジークフリートの優雅な物腰にメロメロになってしまった母親に息子として複雑な思いの二人だ。




「それにしても、アンリは本気なのだろうか? 今夜もちゃっかりユーリと約束していたが、国務相に睨まれているのに何を考えているのやら」




 フランツも、アンリがパーラーの増築について、日曜に一緒に業者と話し合うと約束しているのを聞いていた。




「言っておくが、フランツ。グレゴリウス皇太子殿下に、余計な事を言うなよ。嫉妬でもされたらこまるからな。土日は連チャンで舞踏会なのだから、ややこしくするなよ」




「じゃあ、アンリがユーリとデートしても良いと思っているんだ。お祖父様達は喜ぶだろうけど、グレゴリウス皇太子殿下は? お気の毒だよ。それにアンリも、ユーリとランチを取っているのが国務省で問題になっているみたいだし、止めさせた方が良いよ」




 ユージーンは、馬鹿馬鹿しいと言い切る。




「パーラーの増築で、業者に会うだけだろ。どこが、デートなんだ。そんな馬鹿なこと考える暇があったら、見習い竜騎士のレポートでも書くんだな! 先月のは短すぎだ」




 オペラの帰りに、そんな無粋な話を持ち出さなくてもと、フランツは内心で愚痴る。


   


「今月は、騎竜訓練と、武術訓練しかしてないよ~。レポートの書きようが無いよ~」




 泣き言を言うフランツに、ユージーンは容赦ない言葉を投げつける。




「レポートをサボると、見習い期間が延びるぞ」




 兄のユージーンを指導の竜騎士につけた大伯父のマキシウスを恨むフランツだ。




 オペラの歌を口ずさんでいたユーリだったが、マウリッツ公爵家の屋敷に着く頃には、老公爵に寄りかかってスヤスヤと寝てしまう。




「ユーリ、起きなさい! 屋敷に着きましたよ! 本当に夜に弱いわね~ああ、ユージーン、ユーリを部屋まで運んでやって」


         


 毎度のことに呆れながら、ユージーンはユーリをベッドまで運んで行く。今夜のオペラのリリアのようにハッピーエンドの結婚ができれば良いなと、まだ幼さの残る寝顔を眺めるユージーンだった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る