37話 ユーリとシュミット卿

「シュミット卿に謝らないといけないのね~」


     


 ベッドから出たくない気分だったが、エイヤッ! と勢いをつけて飛び出す。


 


 ユーリが早めに朝食を食べるのを知って、エドアルドも早起きして一緒に食べるようになっていた。エドアルドは、朝からご機嫌斜めのユーリの様子に、フランツから昨夜聞いたシュミット卿との喧嘩の件がひっかかっているのだろうと思った。




「指導の竜騎士と、喧嘩したのですか?」




 答えたくないと、ユーリはそっぽを向く。




「では、今日はサボりませんか? 私も、武術訓練をする気分じゃ無いのです」




 変に真面目なユーリは、エドアルドがサボろうと誘うのに怒る。




「エドアルド皇太子殿下、サボるなんて駄目よ。シルベスター師範に、凄く怒られますよ」




 クスクス笑うエドアルドに、嘘だったのとユーリは怒る。


    


「お祖母様に、挨拶に行ってくるわ」




 ツンとして席を立つユーリが、元気になったのを笑いながら見送る。




「あれ、ユーリ嬢は?」




 ハロルド達が食堂に気をきかせて遅く降りてきた時には、エドアルドだけが朝食を食べていた。




「お祖母様に、挨拶に行かれたよ」




 ユリアンにそれは残念でしたねと、からかわれてエドアルドは、そういえば毎朝自分と同じ作戦に出ているグレゴリウスの不在に気づいた。




「グレゴリウス皇太子は、寝坊されたのかな?」




 真面目なグレゴリウスにしては珍しいと、エドアルドは考える。








「何だって! ユーリがアンリ卿と昼食を食べている件が原因で喧嘩になったのか?」




 フランツは、外務省でアレコレ噂されているのを聞いてきていた。




「原因は、諸説あるんですが一番有力な説はそれなんですけど。シュミット卿が、アンリ卿とユーリが昼食を一緒に食べないようにと指導して喧嘩になったという説ですが。彼のキャラに合いませんね~。冷血の金庫番が、ユーリが誰とランチしようと興味を持つとは思えませんよね」




 グレゴリウスは、ユーリがアンリとランチしてると聞いて嫉妬を感じたが、シュミット卿がそんな事でユーリと喧嘩するとは信じられなかった。


       


「マキャベリ国務相なら、言いそうな事だが………」




 二人は、ハッと顔を見合わせる。


   


「国務相が、シュミット卿に無理強いしたんだ。でも、ユーリとそれで喧嘩になるかな?」




「それに国務相に無理強いされても、シュミット卿はそんな低俗な注意をされないと思う」




 ある程度は真実に近づいている二人だったが、シュミット卿がアンリとのランチは注意しなかったが、より低俗な喧嘩をしたとは知らなかった。








 早朝出勤していたシュミット卿は、昨日は騎竜訓練でユーリの実習が無かったので、陳情の来た人達に邪魔された仕事を始めていた。昨日の朝、机の上にチェック済みの予算案が積まれていたのを見て、ユーリが一旦寮に帰った後で残業したのだと気づいていた。




「陳情に来られても、予算には限りが有るのだから、仕方ないのに……」




 冷血の金庫番と呼ばれているシュミット卿は、陳情で泣きつかれても、顔色一つ変えないが実は凄く苦手だ。勿論、仕事の邪魔されるのも嫌だったが、無理な頼み事をされても断るしかないので、陳情の人達と会いたくなかったのだ。




「見習い竜騎士に何を言っても無駄だと、諦めて帰らせてくれれば良いだけなのに」 




 シュミット卿はユーリがアンリと昼食を食べようと本人の勝手だと考えていたので、社交云々と当て擦ったのは反省していたし、残業して予算案のチェックをしたのも認めていた。




 早朝出勤で仕事をしながら、見習い竜騎士について考えている自分に、ヤレヤレと溜め息をついていると、軽いノックがした。




「入りなさい」




 陳情の人達を避けて早朝出勤したのに、もう来たのかとシュミット卿はウンザリしながら、受付のユーリが居ないのだから仕方なく部屋に通るように言った。




「シュミット卿、おはよう。相変わらず、仕事の虫だね」




 部屋に入って来たのは、思いがけない人物だ。




「バランス卿、どうぞ、こちらにお座り下さい」




 杖を突いて、左脚を庇いながら歩くバランス卿に、簡単な応接セットのソファーを勧める。




「朝早くから、何かご用ですか? 言って下されば、部屋までお伺いしましたのに」




 まさか自分のかつての指導の竜騎士だったバランス卿が部屋に来られるとは思いがけない事で、シュミット卿は引退間際の予算案の陳情をされるのではと身構える。




「年寄りは、朝が早いのだよ。それと、引退前に少し忠告をしておこうと、余計なお節介をやきにきたのだ」




 シュミット卿は、見習い竜騎士と喧嘩したのが耳に入ったのだと、恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だ。




「ご心配お掛けいたしました。わざわざ、申し訳ありません」




 自分が何を忠告しに来たのか察して、先に謝るシュミット卿に、昔から変わらないなと苦笑する。




「ユーリ嬢には、予算案で世話になったからね。彼女は福祉に興味が有るみたいで、引退した後も頼もしいよ。今の情勢では、福祉に目を向けるどころでは無いだろうがね。ところで、ユーリ嬢が算盤という計算する道具を、財務室の実習生に貸し与えてるのを知っていますか?」




 バランス卿は、親戚のユングフラウ大学生から、ユーリが算盤を実習生に教えている事を聞いた。




「ああ、たまに彼女の部屋からパチパチと音がするのは、その算盤とかいう道具の音なのですね」




 日頃の疑問が解けて、スッキリとした様子のシュミット卿をクスクス笑う。




「財務室の官僚の中にも、算盤を使い出した人達がいますよ。慣れると計算スピードが上がるし、正確みたいで処理効率が上がるそうだよ。彼女は、全国の小学校で教えるべきだと考えているみたいですな。一度、話を聞いてやりなさい」




 指導した見習い竜騎士の世話を、引退間際になってまで心配してくれるバランス卿に、シュミット卿は素直に感謝する。だが、バランス卿は、単に忠告しに来ただけでは無さそうだ。




「カザリア王国の鉄仮面殿のネズミが、国務省でチョロチョロしてますよ。税収の変化などを調べてました。マキャベリ国務相に、食堂の監視などより、ネズミ取りをお願いしておいて下さい」


 


 シュミット卿が、ユーリの緑の魔力をご存知なのかと怪訝な顔をしたのを、よっこらせと立ち上がりながら笑う。




「ユーリ嬢が予算案を返却しに部屋に入ってきた時、ロザリモンド姫かと思いましたよ」




 なるほどと、古参の官僚には叶わないなと、苦笑したシュミット卿だ。




「まぁ、ロザリモンド姫なら、廊下に聞こえるような声で指導の竜騎士の悪口を、怒鳴ったりしないでしょうがね」




 笑いながら帰って行くバランス卿を見送りがてら、国務相にネズミの件を報告しに行ったシュミット卿だ。








 一方のユーリは、お祖母様に朝っぱらから愚痴っていた。




「私が陳情の窓口をしても意味無いのよ。陳情に来た人達は、シュミット卿に話を聞いて貰いたいのですもの。こんな小娘に話しても仕方ないと、怒鳴られたわ」




 寮で朝食を食べたのにもかかわらず、お祖母様に付き合ってフルーツたっぷりのヨーグルトをスプーンですくいながら、実習の愚痴をこぼす。モガーナは朝っぱらからマキシウスの不機嫌な顔を見たくないと、食堂ではなくサロンで朝食を食べていたので、ユーリは遠慮なく指導の竜騎士の悪口が言えた。




「少しは、スッキリしましたか?」


 


 ホホホとモガーナは朝からうっとおしい顔をしていた孫娘が、愚痴と悪口を言ってストレス解消できたかしらと笑う。




「ごめんなさい。朝っぱらから愚痴だなんて!」




 ユーリが謝るのを、笑いながら制した。




「話すだけでも、スッキリするものですよ。陳情に来る人達も、シュミット卿が予算を全て握っているとは考えてないでしょう。 でも、言わずにいれない気持ちになって、陳情に来るのでしょうね」


 


 ユーリは国務省まで行きながら、お祖母様の言葉を考えていた。




「皆、予算が欲しいのよね~。どうしても予算が欲しくて、居ても立ってもいられなくて陳情に来るんだわ。シュミット卿は、財務室の責任者だけど……予算は国王陛下と重臣達が会議を開いて決定するのだから、陳情するなら国王陛下にするべきだわ。いえ、きっとしてるわね……重臣達にも……」




 ユーリは自分が女性の職業訓練所の予算を獲得しようと思ったら、あらゆる人に陳情に行くだろうと考えた。 




「私も、シュミット卿にもきっと行くだろうなぁ。でも、全部の予算案を通す程の税収は無いし……だから、シュミット卿は陳情に来る人達と会いたくないのね」




 ぶつぶつ言いながら廊下を歩くユーリを、国務省の官僚達は不気味に思って避ける。






「おはようございます。先日は失礼いたしました、以後、気をつけます」




 ユーリは、シュミット卿に出勤一番に謝る。




「こちらも、言い過ぎた所もある。陳情に来る人達の処理は、任せたぞ」




 ユーリは部屋に帰って、あれは一応謝っていたのだろうかと考え込む。




「まさか、体調が悪いとか?」


 


 失礼な考えを巡らしていたユーリだったが、まだ始業時間前なのに陳情に来た人の対応に追われて、シュミット卿の微かな変化には気づかなかった。








「シュミット卿に、謝ったのですか?」


 


 アンリは、上司に国王陛下はユーリ嬢を皇太子妃にとお望みだと言われたし、あからさまに仕事の量も増やされた。しかし、指導の竜騎士と喧嘩したユーリ嬢を孤立無援にさせておくつもりは無かったので、一緒にランチをしながら相談にのっていた。




「ええ、謝ったわ。指導の竜騎士に逆らっては、いけないのですもの。普通の実習生なら、即クビだったでしょうね」


 


 ユングフラウ大学の実習生が指導官僚に逆らったら確かに即クビだろうとアンリも考えたが、実習生は予算案のチェックや、陳情者の受付などさせられてはいない。




「陳情者の受付は、ストレスがかかるでしょう」




 ウンザリした様子で頷くユーリに同情する。




「私に言っても仕方ないと、怒鳴られっぱなしだわ……それに陳情者の対応に追われて、まだポツポツ舞い込んでくる予算案のチェックが進まないの。何か、手をうたないと駄目ね」




 ユーリはランチもゆっくり取れないのと、慌ただしく食べると部屋に帰って行った。








「アンリ、ちょっとマズいんじゃないか?」


   


 ユーリが席を離れたのを見て、ユングフラウ大学の同級生が席に座って小声で忠告してくれた。




「わかってるよ、心配してくれてありがとう」


 


 アンリも仕事が山積みなので、トレイを持って席を立ちながら、心配してくれた友人の肩を叩く。




「チェッ、折角、俺がちょっとしか持たない親切心を発揮して、忠告してやっているのに。ど田舎に飛ばされても、知らないぞ」


   


 毒つく声を背中で聞きながら、左遷されたらそれも仕方ないさと苦笑する。アンリは、ユーリと過ごして色々な欠点も気づいたが、恋する目には欠点すら可愛らしく感じていたので、今更出世の為に諦める気にはならない。




「それにしても、ユーリ嬢に私の気持ちが届いて無いのが問題だな。少し良い人ぶり過ぎてるな」




 アンリはこのままでは良い先輩で終わってしまうと、少し作戦を変更する必要性を感じる。




「今宵は、ユーリ嬢のオペラデビューだった。オペラを気に入られると、良いのだけど……」




 良い人路線変更のアイデアを思いついたアンリ卿は、山積みの書類をユングフラウ大学首席は伊達ではない処理能力で片付けていく。


 






 ユーリは陳情者の不満を解消するために、何か手をうたなければお互いに時間の無駄だと考える。


 


「聞いて貰うだけでも、ストレスは解消するわよね。


勿論、問題はそのままだけど……陳情者の意見を聞いてあげたら……駄目よね! 予算が欲しいのですもの、ストレス解消とは違うわ。でも、シュミット卿に話しておくと言っても、納得しないし………」




 ユーリは予算案のチェックをしながら、ブツブツ呟く。




「陳情者は、シュミット卿と話したいのよね。でも、シュミット卿は話したく無いし……そうだわ! 陳情者の意見を聞いて報告すると伝えれば、少しは目的を達成した気持ちになれるかも……シュミット卿が報告書を見るかどうかはわからないけどなぁ~やってみよう!」 




 ユーリは陳情者の言い分を聞き取り、報告書を作成した。シュミット卿はチェック済みの予算案と共に、陳情者の報告書を提出されて戸惑う。




「これは何だ?」


 


 パラパラと書類を見て、陳情者の報告書だとは気づいたが、何の意味があるのか不明だ。




「シュミット卿へ陳情にきた人達の言い分を聞き取り、報告書を作成しました。シュミット卿は、私に陳情者の話を聞いて伝えておきますと言って追い返せと言われたので、その通りにしてるだけです」




 自分の命令の言葉尻をとらえた反撃に、シュミット卿は苛立つ。




「こんな報告書を作成しても、意味はないぞ! 読んでいる暇など無いからな」




「読もうと読まれまいと、貴方の勝手です。私は陳情者の言葉を聞いて、貴方に伝えるだけですから」




 ユーリは怒っているシュミット卿を放置して、部屋から出ていった。




 シュミット卿は、指導の竜騎士とはこんなに苦労するものなのかと頭を抱え込む。カザリア王国の特使随行期間のユーリの報告書を読んでいたので、ユージーン卿が苦労したのは察してはいたが、これほど厄介だとは思ってもみなかった。




「ユーリが、無能なら良かったのに」




 なまじ良くできている報告書につい目を通してしまって、苛立ちを増したシュミット卿だ。 




「私も、バランス卿にこんな思いをさせたのだろうか?」


 


 自分の見習い竜騎士時代を思い出すと、至らなさに赤面する。花形の財務室勤務を希望したのに、福祉課のバランス卿が指導の竜騎士になり、落胆した若い自分のふてくされた態度を思い出すと、叫び出したくなるほどの恥ずかしさに襲われた。




「そうだ、バランス卿はユーリと算盤について話してみろと言われていた」


 


 引退間際まで心配してくれたバランス卿の御厚意を無駄にしないようにしたいと、シュミット卿は気持ちを入れ替えた。


 


 ユーリは陳情者の報告書を提出したものの無意味だと怒られて、気にしないでおこうと思いながらも落ち込んだ。




「いつか、シュミット卿をギャフンと言わしてやる!」




 まだまだ子どものユーリは、シュミット卿に算盤で勝負を挑んで高い鼻をポキンと折ってやろうと計画する。

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