第八章 見習い実習

1話 冷血のシュミット卿

 夏休み最終日にフォン・フォレストの館のモーニングルームに現れたユーリは、昨夜の真っ赤な日焼けが落ち着いていた。


「おはようございます」


 まだ眠そうな顔のユーリをモガーナは心配したが、朝食を勢いよく食べ始めると元気そうになってきたので少し安心する。


「ユーリ、身体には気をつけてね。ちゃんと食べて、きちんと寝ないと駄目ですよ。貴女はしたいことがいっぱいあるのでしょうが、身体を壊しては意味がありませんよ」


 忠告にハイとユーリは素直に返事したが、言った途端にバタバタと図書室に走っていくので、モガーナは本当にわかっているのかしらと溜め息をつく。


「あの娘の落ちつきの無さは、どうにかならないかしら?」


 ふと、モガーナは落ちつきの無かった母スザンナを思い出し、ぶるぶると身震いする。


「まさか、ユーリはお母様に似たのかしら?」


 モガーナは愛すべき爆走母を思い出して、やめて~! と叫びだしたくなる。しかし、否定すればするほどユーリの暴走した数々の失敗と功績を思い出す。


 ユーリが出立の挨拶にきた時に、モガーナは忠告を付け加える。


「ユーリ、殿方を好きになっても、いきなりお宅に押し掛けてはいけませんよ。それと、結婚した相手がご婦人と話しただけで、浮気だとか、離婚するつもりなのかしらと騒いではいけません」


 ユーリはそれは曾祖母様のスザンナ様の事ではないかしらと思う。


「何故、そんなことを仰るの?」


 モガーナは常識を教えただけですわと誤魔化したが、ユーリは怪訝な顔をしてユングフラウに飛び立った。



 リューデンハイムの寮に久しぶりに帰ると、予科生の時より広い部屋に変わっている。


「部屋が変わっているわ」


 寮母は夏休み前にカザリア王国へ行っていたので、知らなかったのねと笑う。


「見習い竜騎士は、予科生とは違いますからね」


 ユーリは外泊できる見習い竜騎士より、外泊できない予科生の時に広い部屋が必要ではないかと、少し疑問を持ったが、部屋に風呂とトイレが有るのは嬉しい。寝室と居間の二部屋あるのも嬉しかったが、女子寮は一人だけだし、男子禁制なので意味は余り無いと溜め息をつく。


 フォン・アリストの屋敷には週末は気楽に泊まりにいけるようになるし、土日に社交の予定がある時は、金曜にヒースヒルに氷を取りに行けば良いと考える。



「ユーリ、日焼けしたね~部屋替え、どうだった?」


 食堂に降りたユーリに、フランツが声をかける。


「フランツも寮から通うのね。嬉しいわ、マウリッツ公爵家の屋敷から通うかもと思っていたの」


「それはユーリだよ。フォン・アリストの屋敷は王宮の近くだもの、通うの楽だろ?」


 ユーリは大きな溜め息をつく。


「いちいち侍女を連れて国務省に行くの? 寮からなら、隣の王宮には自由に行動出来るもの」


 フランツはユングフラウの街は一人で歩いてはいけないよと、一寸真剣に忠告する。ユーリは前から女子寮は一人なので寂しいと愚痴っていたので、フォン・アリストの屋敷から通うのかと思っていた。


「フランツは、引き続き外務省での見習い実習なのよね?」


「まあね、今までは特使随行で特別勤務だったから、これから本格的な見習い実習かな? う~ん、でもエドアルド皇太子が遊学されるから、接待役にかり出されるかもね。皇太子殿下は前にカザリア王国で接待して貰ったから、接待し返さなきゃならないし、お手伝いさせられそうだな」


 やんわりとユーリに社交の相手をしなくてはいけないと教えたフランツの意図は全く伝わらない。


「そうなの? 外務省は大変そうね。私は明日から国務省で実習なの。まだ誰が指導の竜騎士かも、知らないのよ。まぁ、明日になればわかるでしょうけど、前にお祖父様に聞いたら雷を落とされたから、知らないままなの」


 二人で夕食を食べようとトレイを持って列に並んでいたら、ちょうどグレゴリウスも合流する。


「ユーリ、日に焼けたね。フォン・フォレストで海に行ったの?」


 ユーリはニューパロマで出会った時から好きだったと告白されてから、距離を置こうとしていた。しかし夏休み中に屋台やパーラーに協力してくれたし、変な事を言い出されないので、友達に返ったのだと勘違いしている。


「ええ、この夏は少ししかフォン・フォレストに帰れなかったけど、その分海で過ごそうとして、うっかり海辺で寝てしまい日に焼きすぎたの」


 ユーリが無防備に海辺で寝ている姿を想像したグレゴリウスは、頬を染める。


 三人で夕食を食べながら、騎竜訓練について話した。グレゴリウスはユーリがフォン・フォレストに帰省している間、ジークフリート卿に騎竜訓練を少しして貰ったのだ。


 実際はして貰ったというか、ユーリがフォン・フォレストに帰省して、あからさまに気が抜けた様子を見かねた国王が、指導の竜騎士のジークフリートに喝をいれるように命令したのだ。


「ユーリ嬢の前で無様な姿を見せたくないとお思いなら、少し鍛えておいた方が良いですよ。恋するお相手の前で、気分が悪くなって、もどすのは嫌でしょう」


 ジークフリートの騎竜訓練は厳しくて、グレゴリウスはかなり腕をあげる。


「騎竜訓練のある日は、朝食は控えめにした方が良いよ。ジークフリート卿に少し教えて貰ったけど、かなりキツかったから」


 フランツとユーリは騎竜訓練について知らなかったので、興味津々で質問する。


「スケジュールが発表されるのも明日よね。騎竜訓練は週に何回あるのかしら? 体力を使うなら、余り自信が無いわ」


 武術が駄目だったユーリは、自信無さそうに愚痴る。


「僕も心配だなぁ、この中で一番竜に慣れて無いから」


 結局、三人で大きな溜め息をつく。




「ユーリ先輩、少し勉強を見て頂けますか?」


 ユーリが女子寮に引き上げようとした時、グレゴリウスとフランツと別れた瞬間を狙って予科生の一人が声をかけてくる。


「あっ、まただ!」


 フランツはグレゴリウスやユーリがまだエドアルドの社交相手の件を知らないのを、気の毒に感じながら寮に向かっていたので、予科生の動きに不注意になっていた。普通は見習い竜騎士に予科生の方からは声を掛けにくいものなのだが、ユーリは予科生の時に下級生を可愛がっていたので、捕まりやすい。


 フランツは勉強は本来は寮の自室か、学習室でするべきなのにと、食堂でユーリに教えて貰っている予科生達に近づく。


「ユーリ、後は僕が教えるよ」


「あら、そう? フランツの方が頭が良いから、その方が良いわね」


 ヒェ~ッと、予科生達は心の中で叫ぶ。フランツはなかなか教え方が厳しいので有名だったからだ。


 予科生がフランツに自習室に連れて行かれるのを見て、ユーリは女子寮に引き上げる。女子寮はユーリ一人なので、賑やかな男子寮が羨ましく感じたが、寮母はユーリが部屋に帰ったのを見計らって下女にお風呂の湯を持って行かせたり、ある意味では男子寮より優遇されている点もある。


 グレゴリウスは部屋に風呂が有るのは嬉しかったが、前のように風呂場に行って、空いている風呂桶に湯を入れて貰うより、一々部屋までお湯を持って来て貰うのは時間が掛かるなと、不便に感じる。


 それで見習い竜騎士になっても下の風呂場にくる人が居たんだなと、お湯を頼みに行きながらぶつぶつ言っていたが、自習室でフランツが予科生達に勉強を教えているのを見て一緒に教えようと参加する。


 予科生達はフランツに基礎からやり直せと、宿題以外の勉強までやらされていたので、グレゴリウスに助けてと目で訴える。


「優しいユーリに宿題を聞こうとしてたのですよ」


 フランツの言葉で教育的指導の必要性に目覚めたグレゴリウスは、ビシバシ勉強を教えだしたので、結局は予科生達は消灯時間まで二人にしごかれる。


「見習い竜騎士になると、消灯時間が無いのが良いですね~」


 お風呂の使用時間も長くなるしと、予科生達が居なくなった風呂場でゆっくりとお湯に浸かりながら、明日は部屋で風呂に入ろうと思う二人だった。部屋にお湯を運んで貰えるのは、予科生の消灯時間までだったのだ。気の毒な予科生達はお風呂に入れず寝なくてはいけなかった。




 翌日、アンドレ校長先生からユーリは指導の竜騎士がシュミット卿だと聞かされて、噂を耳にした事のある名前なので少し驚いたが、ユージーンとどちらが厳しいのかしらと呑気な事を考えながら国務省のある棟に向かう。 


「ユーリ・フォン・フォレストです。国務省での見習い竜騎士の実習に来ました」


 国務省のある棟に足を踏み入れるのは初めてなので、ユーリは受け付けでどこに行けば良いのかを訪ねたが、そんな事も知らないのかという顔をされる。


「見習い竜騎士なら指導の竜騎士の元に行くのが普通だろう」


 その指導の竜騎士がどこに居るのかわからないから、受け付けで聞いているのにと、ユーリは少しムッとしたが、実習なので我慢してシュミット卿はどこに居るのかと聞き直す。


 受け付けはシュミット卿と聞いてスッと背筋を伸ばして、財務室に行けば良いと部屋への道筋をテキパキと教える。ユーリはお礼を言って教えられた道筋を行きながら、何故か嫌な予感がしてくるのを気のせいだと打ち消した。


「シュミット卿、見習い竜騎士のユーリ・フォン・フォレストです。宜しくお願いいたします」


 財務室のエリアに着いたユーリは、入り口近くの大きな部屋の官僚にシュミット卿はどちらでしょうと聞いて、一番奥の部屋だと気の毒そうに教えられ、覚悟を決めてドアをノックして入室する。


 シュミット卿は机に満載された書類から目を上げてユーリを見ると、引き出しからスケジュール表を手渡す。 


「指導の竜騎士のサーシャ・フォン・シュミットだ。

スケジュール表をよく読んで行動するように。君の机はあのドアの向こうだ。呼べば直ぐに来るように。荷物を置いたら、ここにある書類を各部署に持って行きなさい」


 脇机に満載されている書類の山を見て驚いたが、ユーリは隣室の机に渡されたスケジュール表を置くと、書類配りに取りかかる。


「書類を各部署に持っていきました」


 慣れない部署に苦戦したユーリは午前中いっぱい掛かって書類を配り終えた。 


「遅い! 昼からこの書類も各部署に持って行きなさい。昼食は決められた時間に、自分で判断して取りなさい。一々、こんな事まで指導しなければならないのか」


 ユーリはリューデンハイムの寮に駆け戻って、急いで昼食を食べる。外務省での特使研修中はユージーンやジークフリートが一緒で、外務省の食堂で皇太子殿下やフランツと共に食べていたが、国務省の食堂で食べて良いのかわからなかったし、シュミット卿に聞くのも嫌だった。


 ユージーンにもよく叱られたけど、シュミット卿のような突き放した感じでは無かったと、初日からドヨドヨのユーリだ。


 慣れない部署に苦戦しながら、書類運びで一日中走り回っていたユーリは、くたくたで貰ったスケジュール表に目を通す余裕も無かった。部屋に帰ってやっとスケジュール表を読んだユーリは、やたらと9月の後半から空白が多いのに怪訝な気持ちになったが、見習い竜騎士の実習は初めてなので、こんな物なのかと思う。


「騎竜訓練って、こんなにあるの」


 平均して週に2日は騎竜訓練があると、ユーリはがっくりする。




 二日目は、初日よりは部署の位置や、担当者の顔や名前が一致してきたので、書類運びも各段に早くなる。


 ちょうど昼食時に国務省の中でアンリ卿に会ったユーリは、食堂に案内して貰った。


「シュミット卿が指導の竜騎士なのですか……そうかぁ、バランス卿は引退間近ですから、指導の竜騎士は引き受けられないのではと配してましたが、なかなか厳しい方に当たりましたね」


 アンリ卿と一緒に昼食を食べながら、ユーリは食堂の中をシュミット卿がいないか見渡す。


「国務省の方はこの食堂で昼食を取られるのでは無いですか? 私もここで食べて良いのかしら?」


 アンリは笑いながらユングフラウ大学の実習生もこの食堂で食べていますよと教えてくれた。


「シュミット卿は?」


 食堂に見あたらないのでユーリは、外に食べに行くのかと考えた。


「ああ、彼は愛妻弁当ですよ!」


「え~ッ、あの冷血の金庫番と噂されているシュミット卿が愛妻弁当! 奥様がいらしたのですか?」


 ユーリの失礼な言葉に、アンリは吹き出して笑い転げる。


「シュミット卿はあれで愛妻家なのです。財務室の勤務で遅くなる時は、絶対に屋敷に連絡するのは有名な話ですよ」


 ひェ~とユーリが叫ぶのを、アンリはくすくす笑ったが、食堂ぐらい教えてあげれば良いのにと心の中で毒づく。


 国務省の食堂で仲が良さそうに一緒に昼食を食べているユーリとアンリは注目を集めていて、二人の噂はサァッと広がった。


 ユーリは取っつきにくいシュミット卿が、愛妻家で愛妻弁当を食べていると考えただけで笑みが浮かんでしまい、昼から山ほどの書類の計算のチェックを押し付けられる。


「チェック終わりました」


 ユーリがシュミット卿に命じられた書類の計算チェックを終えて持って行くと、仕事の手をとめて怪訝な顔をする。


「早いな? いい加減なチェックをしたのでは、無いだろうな」 


 シュミット卿は竜騎士なので義務として指導の竜騎士を引き受けざるを得なかったが、外務省のように女性だからと甘やかす気はさらさらなかったし、仕事の邪魔だと考えていた。


 書類運びや計算チェックなどの下働きの事務員程度には役に立つようになってくれたら御の字だと思っていたが、チェック済みの書類にはキチンと間違えと、訂正が書き込まれているのを見て、ユーリの処理能力の早さは認めてやろうと心の中で呟いた。


「これが終わったなら、此方の書類の計算チェックをしなさい」


 ドスンと前の書類の倍の量を渡されて、ユーリは自分の机で溜め息をつく。シュミット卿はユーリがチェックした書類を自分で計算し直して、間違えが無いのに満足する。


「少し鍛えれば、事務員ぐらいにはなるかもな」


 下働きの事務員から、微妙に格上げされた評価を貰ったのも知らないユーリは、財務室だから計算が多いのだと、一寸したアイデアを思いつく。


 二回目の書類をシュミット卿に渡したユーリは、またもや書類運びが待っていたが、シュミット卿はユーリがチェックした書類をダブルチェックして、この仕事は任せても大丈夫だと考えた。珍しく定時に帰宅しながら、少しは役にたつなとシュミット卿はユーリを見直していた。



 実習を終えたユーリはイリスを飛ばしてセントラルガーデンに行くと、パーラーに寄る。

 

「お疲れ様」


 パーラーは連日満員御礼で、従業員を少し増やそうか悩んでいたのだ。


「忙しいのは夏場だけかも知れないし、このメンバーで当分は頑張るわ」


 従業員達は忙しいのは確かだったが、忙しさも楽しんでいたので増員を断った。若い女の子だけであれこれアイデアを出してパーラーを営業するのは楽しかったし、お客様がこれだけ入ってくれるのは励みになる。


 ユーリはローズが付けている簡単な帳簿をチェックして、今日は計算チェックばかりねと苦笑する。


「明日は初めての騎竜訓練なの。疲れたら来れないかも、お願いしておくわね」


 ユーリが国務省の見習い実習で疲れているのにローズとマリーは気が付いたので、忙しい時は来なくても良いからと言って帰らせる。

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