29話 大使館の夜に……

 長々とした王妃の注意から解放され、大使館に帰ったユーリはぐったりと疲れていた。


「あと、3日! 早く帰国したいわ。夏休みは、やはりフォン・フォレストで過ごそうかしら……秋の社交界だなんて、考えても無かったのですもの……計画は中止した方が良いのかも……」


 ユーリはつくづく社交に向いていない自分の性格を身にしみて感じて、1ヶ月の精神的な疲労から弱気になっていた。リューデンハイムでも勉強や武術とかで疲れてくると、フォン・フォレストに帰りたいと思う。


 ニューパロマでの生活は楽しく、目新しい物も多かったが、過密な社交スケジュールで疲れきっていたのだ。


 特使一行のメンバーは、自身も軽い疲労を感じていたので、ユーリがエリザベート王妃に振り回されて、より過密な社交スケジュールをこなしていたので疲れきっているのを同情する。


「お疲れでしょうが、明日の舞踏会はイルバニア王国大使館が主催ですから、最後まで退出はできませんわよ。今夜と明日のお昼は、ゆっくり休息をとって舞踏会に備えて下さいね」


 ひぇ~と、容赦ないセリーナの叱咤激励を受けてユーリが撃沈しているのを、他のメンバーは同情しながらも笑う。


 その夜は大使館でゆっくり過ごせる最後になるので、夕食後もサロンに集まって色々な話に花が咲いた。


 老獪な外交官の大使や、外務次官の色々な国との逸話や、やはり若いメンバーが多いからか、恋愛についての話題も多い。


 ユーリはセリーナにどうやって大使と知り合ったのかと質問したりして、色々と聞き出していたが、逆にどのような殿方がお好みなのかと質問し返された。


「え~? どのようなと言われても……子供の頃は、気の良い働き者の方がいいと思ってましたが……」


 セリーナは領地の管理人ではなく、好ましい殿方のお話ですわよと釘をさしてきたので困ってしまう。


「う~ん? 機嫌の良い人が、一緒に暮らすには楽そうですね……え~! 私って、もしかしたらファザコン? 父はいつも笑っていて、畑仕事で疲れていてもユーモアを忘れませんでした。家族を養って、気が良いというのは、父を考えていたのかしら?」


 ユーリはパパのことが大好きだったので、自分の結婚相手を漠然と考える時に、父親を思い浮かべていたのに初めて気づいて愕然とする。


『ファザコン! 冗談だろ!』


 グレゴリウスは、強烈なライバルの存在に気づいて衝撃を受ける。


「ユーリはファザコンだったのか。なるほどね! 気の良い働き者とは、父上のことだったのか」


 フランツは、前からユーリの理想の相手がなんで農夫なのか疑問を抱いていたが、父親を偶像視していたのだと気づいて納得する。


「ウィリアム卿は、竜騎士としての能力にも優れていらっしゃいましたし、朗らかで優しい方でしたからね。お子様のユーリ嬢が理想の相手と思われるのも無理はありませんね」


 ジークフリートの言葉を聞いて、グレゴリウスは勝ち目のないライバルに落ち込む。


「ウィリアム卿は、どのような方だったのでしょう?」


 グレゴリウスは少しでもユーリの理想の相手を知りたくて質問する。


 ユーリの語るウィリーは、家族を養い、狩りの名人で、優しくて逞しい父親だ。 


「父からは色々と学びました。でも、中には役に立ちそうもない忠告もありますけどね」


「役に立ちそうもない忠告?」


 グレゴリウスは、少しでも多くユーリの事を知りたくて興味を持つ。


「父は竜騎士になりたくて、リューデンハイムに入学したいと祖母に言ったら、凄く反対されたみたいなんです。そして、家出してユングフラウまで行ったの。フォン・アリストの執事はたどり着いた父を見て、どこの浮浪児かと怪しんだそうですから、10才の父には遠かったでしょうね。その時の経験からか、父は家出する時は春から夏にするようにと忠告してくれてたのです。冬場だったら、凍死してないかと心配だからと笑ってましたが、多分、母と駆け落ちしたのも、竜騎士に叙される前日だったと聞きましたから、夏だったのでしょうね」


 自分の娘に、家出するなら春から夏にするようにと忠告する父親がいるのだろうかと呆れた。


「それは、なかなか自信が無いと言えない忠告ですね。ユーリ嬢は父上に信頼されていたのですね」


 大使の言葉を聞いて少し考え込んでいたユーリだが、祖母や父が駆け落ちしたことを思い出して、ぽっと頬を赤らめる。


「多分、父はフォン・フォレストの家系には駆け落ち婚が多いので、将来、私が駆け落ちするかもと心配して忠告したのかもしれません。祖母も、父も駆け落ちですし、曾祖母は確かフォン・キャシディ家から押し掛け婚だと聞いてますもの。ジークフリート卿の大叔母様ですわよね?」


 ジークフリートは、少し困った顔をして説明する。


「ええ、うちのスザンナ大叔母は、フォン・フォレストのロレンツォ様に一目惚れして、押し掛け婚したのです。困ったロレンツォ様からスザンナ大叔母を引き取りに来るように言われた、曾祖父は慌てて館に出向いたそうです。しかし、迷惑そうなロレンツォ様に抱きついて離れないので諦めて、責任を取って下さいと置いて帰ったみたいですね」


 未婚の令嬢が押し掛け婚! 全員が驚いた。


「肖像画のロレンツォ様は恐ろしい程の男前ですから、仕方ないのかもしれません。ユーリ嬢のお祖母様のモガーナ様もロレンツォ様に似て、凄い美貌をお持ちですしね」


「そうなのよね~。フォン・フォレストの家系は、迫力のある美男美女が多いので、私はコンプレックスをもっちゃうわ。お祖母様みたいな迫力のある美貌なら、職業婦人としてもやりやすそうなんですけど……母は大好きですけど、私の容姿は少し頼りなさそうで不利ですわ」


 ユーリの可憐で可愛らしい容姿を羨ましく思っている令嬢がどれほどいるか知らないのだろうかと全員が呆れ果てたが、ジークフリートの語る凄い美貌を誇るモガーナには興味を抱く。


「フォン・フォレストの一族は駆け落ち婚が多いのですか?」


 グレゴリウスは一番聞きたい話題に戻す。


「そうですね、マウリッツ公爵夫人からも、父と母が一目惚れした瞬間の話を何度となく聞かされましたし、あの竜嫌いの祖母がよりによって竜馬鹿の祖父と雷に打たれたように恋に落ちたと聞いてますしね。代々、国王陛下の許可なんか貰わずに駆け落ち婚やら、押し掛け婚ですわね。私には恋愛の素養が無さそうなのですが、祖母はきっと碌でもない男に同情して、駆け落ちして苦労するに決まってると言いますのよ、酷いでしょ」


 うっと全員が、言葉に詰まった。


「それは、フォン・フォレストの魔女と呼ばれているモガーナ様の予言なんでしょうか?」


 ジークフリートはウィリアムからユーリを託された責任から、突っ込んだ質問をする。


「いえ、祖母はやはりイリスと絆を結んだことを今でも腹立たしく思っているのです。哀れっぽく痩せこけたイリスに同情して、あれほど竜騎士にならないと言ってたのに断りきれなかった私のことだから、絶対、借金まみれの男の人に同情して、食べさせてやらないとなんて思うに決まってると……あら、嫌だわ! アレックス様に私ったらお世話して差し上げたいと思ったのよ」


 グレゴリウスは、アレックスの顔を思い浮かべて眉をしかめる。


「え~? 私はファザコンなのに、ダーメンズ好きなのかしら? まぁ、竜騎士の俸給で亭主と子供は養えそうだけど……出来れば、働き者の旦那様が良いな~」


 ユーリが駄目亭主との悲惨な結婚生活にどんよりしている間に、駄目男好きと言われてグレゴリウスも混乱する。


「馬鹿馬鹿しい! そんな結婚、絶対に許さないからな」


 ユージーンとジークフリートは、ユーリが駄目男との結婚するなんて許せないと、考えただけで腸が煮えくり返るほどの怒りを感じる。


「まぁまぁ、そんなに怒られなくても。ユーリ嬢が駄目な男の人に同情しやすいと自覚なさって、お近づきにならなければ良いのですわ」


 セリーナは、ユージーンとジークフリートが認める殿方はなかなか居ないのではと、少し心配になった。


 ユーリは基本は早寝早起きなので、明日の舞踏会に備えて早々に部屋に引き上げてしまった。


 セリーナも美容の為に早く寝なくてはとサロンを後にすると、残った男性陣は先程のユーリのファザコンかもとか、駄目男好きなのかもとかいう発言ににダメージを受けたグレゴリウスを慰める。


「まだ、恋愛に興味のないユーリ嬢が言われることですから、お気になさらない方が良いですよ」


 大使は一ヶ月の間ユーリを観察した結果、イリスの宣言通りまだまだ精神的に幼くて、恋愛とかは考えてもいないとわかっていたので、グレゴリウスには気の毒だが気長に待つしかないと思う。


 ただ、まだアルフォンス国王にお伺いを立てていないから本決まりではないが、同盟国の皇太子の御遊学は断れない。エドアルドが秋にリューデンハイムに研修に来られる事を伝えるのが辛いと感じる。


「ユーリは、確かに気が良くて下級生の劣等生に優しかったけど、イリスは基本的に駄目竜じゃあないから、駄目男好きとは言えませんよ。アレックス様も学者馬鹿ですが、頭脳は明晰みたいですしね~。やはり、ファザコンの方が難関だと思いますよ。フォン・フォレストからユングフラウまで10才で家出してたどり着いたのですから、ウィリアム卿はかなり強い意志の持ち主ですよね。家出してまでリューデンハイムに入学して、竜騎士になれるという直前にロザリモンド姫と駆け落ちしたのですから、思いっ切りも良いですねぇ」


 フランツの慰めは、慰めになってない。


「あっ! でも、そのせいでユーリはイリスに押し掛け騎竜されたのですよね。イリスはウィリアム卿の死でショックを受けて痩せこけてしまったのを、心配した親キリエの勧めでフォン・フォレストの館まで会いに行ったのですなら。ユーリは竜騎士になりたくなかったけど、余りに痩せこけていて断り切れなかったと言ってましたから」


 ジークフリートもユージーンも、ユーリがイリスと絆を結んだ時のことは詳しく知らなかったので驚く。


「アリスト卿が、ユーリ嬢とイリスを会わしたのだと思ってました」


 ジークフリートは、ユーリの優れた竜騎士としての能力を知ったアリスト卿が、絆の竜騎士にさせたのだと思っていた。


「ユーリ嬢は竜騎士になりたくないと思っていたのですか? 意外ですね、私には竜騎士のことはよくわかりませんが、かなり優れた能力をお持ちなんでしょ?

 それに、竜騎士に早くなりたいと言われてましたから」


 外務次官は竜騎士の話なので質問を控えていたが、本人の口からもフランツからも、竜騎士になりたくないと思っていたと聞いて、不思議に思っていたのでハッキリとしたかった。


「外務次官、ユーリの竜騎士としての能力は、アリスト卿直系ですから格別です。でも、彼女はロザリモンド姫から王家の血も引いていますから、竜騎士になると王位継承権が発生するのを嫌がって、絶対に竜騎士になりたくないと思っていたのです。押し掛け騎竜のイリスを同情から受け入れたのを、フォン・フォレストのお祖母様は快く思ってらっしゃらないみたいですよ。竜が大嫌いだそうですから。ユーリが早く竜騎士になりたいと言っているのは、見習い竜騎士では彼女がしたいと考えている女性や子供への福祉が出来ないからですよ。まぁ、竜騎士になっても、なかなか予算が取れそうにないとユーリ自身もこぼしていましたがね」


 大使も外務次官も、ユーリが王位継承権が発生するから竜騎士になりたくないと思っていたと聞いて真底驚く。そして、外務相からの密命の一つであるグレゴリウス皇太子妃にというのは、実行不可能ではないかと溜め息をついた。



 夜もふけてきたのでサロンでの雑談も解散となり、大使と外務次官はジークフリートにのみエドアルドの遊学を打ち明ける。


「それは……断れないのですね」


 同盟国の皇太子の遊学を断ることは出来ないとはジークフリートも瞬時に悟ったが、やっと熱烈なアプローチから逃げ切れそうだと安堵しかけていただけにがっくりする。


「マゼラン卿から、ユングフラウ滞在中のエドアルド皇太子殿下の社交のお相手にと、ユーリ嬢を指名されているのだ。ユーリ嬢は帰国後は国務省での見習い期間になる予定だから、貸し出して貰わないといけなくなるな……」


 外務次官の衝撃発言にジークフリートは怒りを感じたが、ユーリへの縁談の申込みがある以上は仕方のない事なのかもしれないとは頭の中では理解する。


「マキャベリ国務相が、すんなりユーリ嬢を貸し出すとは思えませんね。カザリア王国への特使随行でも、かなり国王陛下にあれこれ苦情を言い立てたみたいですから。第一、私達も反対なのに説得力ありませんよ。鉄仮面にしてやられました!」


 いつも優雅なジークフリートには珍しい口調に外務次官は驚いたが、グレゴリウスの指導の竜騎士としてと、ユーリを陰から保護している立場としての苛立ちだと感じる。


「ユーリ嬢の件はまだ未定ですが、エドアルド皇太子の御遊学は国王陛下もお断りにはならないでしょうから、ほぼ決定でしょう。グレゴリウス皇太子は、今度はホストとして接待をされる立場になります。ジークフリート卿にはご苦労をお掛けしますが、ユーリ嬢を巡る三角関係を荒立てないようにご指導願います。同盟国の皇太子との決闘騒ぎなんて困りますよ」


 ジークフリートは、皇太子殿下の指導の竜騎士なんて押し付けたアリスト卿に恨み骨髄だ。


「ユーリ嬢の国務省での指導の竜騎士はどなたになるのでしょう? ユージーン卿は、心中はユーリ嬢は皇太子妃に向いてないと思っていますが、グレゴリウス皇太子殿下にも同情を感じていたので、外務相からの密命にも従われていましたが、協力的な指導の竜騎士でないと困ります。シュミット卿と私とでは、とてもエドアルド皇太子殿下からユーリ嬢を守り通せませんよ」


 シュミット卿! 外務省と国務省は元々あまり仲が良いとは言えないが、国務相の懐刀とも、冷血の金庫番とも呼ばれているシュミット卿を思い出すだけで、予算案を突き返されたり、経費を認められなかったりと不愉快な場面が頭に浮かび、怒りがこみ上げてくる。


「ジークフリート卿、彼がユーリ嬢の指導の竜騎士なのですか。冗談でしょう!」


 大使も外務次官も、竜騎士ではなかったので、国務省での竜騎士の少なさに気づいていなかった。


「まだシュミット卿だとは限りませんが、他に国務省には若手の竜騎士はいないのです。ユージーン卿はユーリ嬢がシュミット卿の手先になったら、外務省は予算カットの嵐だと恐れていましたよ。私達はユーリ嬢の官僚としての能力を見くびっていたかもしれません。彼女は外務省の手の内を把握してますから、余分な経費削減策ぐらい直ぐに考えつきますよ。カザリア王国の重臣達が本来は漏らさないような新竜騎士育成システムをユーリ嬢にも話しているぐらいですから、彼女は機密を把握する能力にも優れているのです。その上、ユーリ嬢は庶民感覚が身についていますから、ユージーン卿によると節約家だそうですよ」


 大使も外務次官も、大使館の庭で野菜を栽培したり、鶏を飼ったりと、昼食会では確かに助かったが、ユーリが普通の貴族とは少し違った考え方をするのに気づいていたので、ジークフリートの言葉が胸に突き刺さる。


「やはり、ユーリ嬢には外務省で見習いをしてもらいましょう。どうせ、国務省は女性の見習い竜騎士を持て余すに決まってますから、このまま渡さなければ問題ないのです。ユーリ嬢に気づいた事を、相手に知らせず、こちらにのみ知らせる事を徹底的に教え込めば、優れた外交官になれますよ」


 外務次官の強気の発言は、実行不可能なのではと、大使も、ジークフリートも思ったが、このままシュミット卿に渡すのは業腹だと考えて黙る。


「結局、最後までユーリ嬢に振り回されますな~」


 大使は深い溜め息をつきながら、同盟締結の夜を終えた。


 ジークフリートはエドアルドの遊学の件は、帰国して本決まりになってから伝えることにした。


「ジークフリート卿も、苦労されますな~」


 外務次官からあくび混じりに同情されつつ、自室に下がる。

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