その6

 保安課オフィスの扉が開き、ファイルの束を抱えた慧春えはるが入ってきた。

 席にいた、リン、フウマ、アオイの3人が一斉に振り返る。

「みんな、まだ帰ってなかったの?」

「今日のコト、リンちゃん先輩から聞いてたんです」

 一同を代表するようにアオイが答えた。

「そう。じゃあ、ちょうどいいか。リンちゃん、明日、この中に該当する人物がいるか見てくれる?」

「今スグでいいですよ」

 席を立ったリンは、慧春の机の上に置かれたファイルの山に手をのばした。興味を惹かれたフウマとアオイがその周りに集まる。

 3人の視線を浴びながら、しばらくの間、リンはファイルをとっかえひっかえしていたが、やがてその手がぴたりと止まった。

「これ。この子です。蓮華れんげ・アヤーン・五黄いつき。12歳」

 リンからファイルを受け取った慧春は納得したようにうなづいた。

「やっぱり……」

「知ってるんですか?」

 慧春はリンの問いかけにうなづきながら、興味津々のフウマにファイルを差し出す。

「もともと原世界こっちで問題を抱えていた子で、帰還してからもずっと異世界むこうへ戻りたがっていたのよ。よっぽど居心地がよかったのね」

「ありがちな話ですね。分かんなくもないですけど」

「……ん? なあこれ」

「どうしたんです? ……あれ?」

 リンのかたわらで、フウマとアオイがいぶかしそうにファイルを見つめている。

「なに、どうかした?」

「屋上にいたの、女の子って言ってなかったか?」

「言ったよ」

「こいつ男だぞ」

「え?」

 リンは驚いてファイルをのぞきこんだ。たしかに性別の欄には「男」と記されている。

「よく間違えられるみたいで、本人も気にしてるから気をつけてあげてね」

 リンの報告を受けたときから、慧春はある程度予想していたのだろう。そうでなければイツキ少年のファイルが用意されているはずがない。

「……」

「なんだ、何か余計なこと言ったか?」

 不意に黙りこんだリンを、フウマがいぶかしげに見やる。

「……あー、どうなんだろ。言ってない、と思うけど……」

 腕を組んで屋上でのやりとりを思い返すリンの横で、アオイが慧春にたずねた。

「あの、さっき言ってた『問題』って?」

「……イジメよ」

 慧春が憂いを帯びた顔で告げると、リンたちの視線がファイルに注がれる。転生前の項目を読み進めるうち、一同の表情が険しくなっていく。

 無言の数分間が過ぎたあと、リンの辛辣な声が沈黙を破った。

「……はっ。いつの時代もいるんだ。こーいうヤツ」

「にしたって限度があるだろ。なんだこりゃ。これが子どものすることかよっ」

「相手の親もですけど、この子の親もひどすぎませんか!? こんなの……、ひどいですっ」

「責めるのは酷かもな。相手がコレじゃあ腰が引けるのも無理はない」

「こーいうのも『子は親の鏡』って言うのかな。ムシズが走る例だけど」

 ひとしきり毒づいたあと、リンはふと思い出したように慧春に向き直った。

「ユウトっていつ戻ってくるんです?」

「そういや今日戻ってくるんだったな。どうしたんです?」

 リンに言われて、ようやくフウマも同僚の姿がないことに気づいた。

 保安課1班に所属する蔓荊はまごう悠人ゆうとは、政府の要請で数日間国外へ出張していて、予定では本日中に帰国するはずだった。

「まだしばらくかかるみたい」

「ずいぶん手こずってるんですね。そんなに厄介な相手なんですか?」

「違うの。事件の担当者が帰還民の協力を拒んでいるらしくて、何もさせてもらえないみたい」

「またか」

 うんざりしたようすでフウマがぼやいた。

「部外者が気に入らないのは分かるが、わざわざ呼びつけるならせめて現場の意思くらいまとめておけよ」

 異世界帰還民の存在が公になる以前から、要人誘拐や大規模事故、自然災害など、急を要する非常事態に際し、極秘に活動する異世界帰還民が世界中に存在した。

 現在国内では、異民局管理下での人材派遣システムが確立していて、ユウトの出張もその手続に則って行われた。

 これまでのところ手続に関して大きな不備は報告されていない。政府の要請に従って、適宜必要なスキルを持った人間を現地に派遣してきた。

 問題が起きるのは現地についてからだった。

 異世界帰還民に対する世間の印象はさまざまで、「スーパーパワーを身に着けたヒーロー」と称賛する者もいれば、「力を悪用して社会を乱す性格破綻者」と嫌悪する者もいる。

 なかでも国家の安全管理を担う各国の警察や軍隊は、帰還犯の危険性を直接知る立場であることから、異世界帰還民に対する印象がすこぶる悪い。上層部が協力を要請した相手であってもそれは変わらない。

「上の連中にとっては『便利な手駒』でも、下の連中からすれば『帰還犯の同類』だからね」

 リンやフウマも政府の要請で本土に赴いたことが何度かあるが、そのたびに配属先の人間から無視やサボタージュといった非友好的かつ非協力的な対応を受けた。

「でも……、ユウト君だったら、ひとりでもやれるんじゃないですか? 向こうの人の協力なんてなくても……」

「どうせスネてんでしょ」

「もともと乗り気じゃなかったからなぁ。わざわざ出向いてやってんのに『関わるな』と言われりゃ、そらへそ曲げるわな」

 アオイの疑問にリンとフウマが交互に答える。

「え? でも、誘拐事件の捜査でしたよね? いいんですか……?」

「よくはないよ。被害者の生死がかかってんだから。けどあの子ドライだから。なにかあっても『僕のせいじゃない』で終わりそう」

「だなぁ……。逆に、とっくに保護してて、向こうの担当が頭下げてくるの待ってる、ってパターンもあるけどな」

「あー、ありえる」

 リンとフウマの息のあったようすが慧春の笑みを誘う。

「まぁ、そういうわけだから、ユウト君のほうはもう少しかかると思う。早めに切り上げてもらったほうがいい?」

「いえ、いいです。肝心の彼、えっと、蓮華クンがどこにいるか分かりませんから」

 イツキ少年がこの場にいればすぐにでも呼び戻してもらうところだが、本人が不在ならそこまでしてやる義理も義務もない。

 差し伸べた手を振り払った相手のために、準備万端整えて待っていてやるほどお人好しではないのだ。

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