その4
「おつかれさま。どんな感じ」
「ご苦労さまです。屋上にいる人物は、女性で、外見年齢は10代前半。身元は不明。自殺するつもりのようです」
現場で指揮をとっていたレインコート姿の警察官が2人を出迎えると、状況を説明しながら簡易テントまで案内する。
「説得を試みようとしたのですが、『誰か屋上に出てきたら飛び降りる』と言っていて近づくこともできません。下手に刺激するのもまずいと思い、とりあえず付近一帯を封鎖したところです」
「その子がいるのは?」
「あそこです。右手の塔のあたり。お使いになりますか?」
テントの入り口まで移動したリンは、警官から差し出された双眼鏡を使い、指し示されたあたりを見た。
屋上から突き出た小さな飾り塔の陰に、傘もささずに立ち尽くす人影が見えた。顔立ちまではわからないが、背格好は子供のように見える。
屋上には転落防止用の鉄柵が張り巡らされているが、幼い自殺志願者は、どうにかしてそれを乗り越えたようだ。
「屋上ってどうなってる? 見取り図とかない?」
「手書きでよろしければこちらに」
指揮官が差し出したA4サイズの用紙には、屋上の簡単な見取り図が描かれていた。ふだんこのあたりを巡回している警察官が記憶を頼りに書き起こしたものだ。
「屋上の通用口はココ。少女のいる位置から丸見えで、距離は5m以上あります」
「この柵の高さは?」
「高さは2m程度、鉄製だそうです」
「なら行けるか」
事前の計画通りに進めてよさそうだ。リンはひとつうなづくと、ルカをさしまねき警察官たちの前に立たせる。
「私は上にあがるから、あとのコトはこの子に聞いて。バイト君、頼んだよ」
「わかりました」
異民局のジャケットをルカに預け、屋上を一瞥したリンは、警察官たちに見送られながらビルの中へ足を踏み入れた。
アーチをくぐってすぐのロビーは、中央の吹き抜けと巨大なガラス窓によって自然光の美を追求した設計になっていた。
いまガラス窓には激しい勢いで雨粒が叩きつけられているが、晴れた日ならば、光の降り注ぐ庭に迷いこんだような錯覚を覚えたかもしれない。
建物内で目につく柱や階段は白亜の大理石で覆われ、要所に微細な意匠の彫刻が施されている。
中世と近世の建築技術が融合した懐古的な空間を堪能しながら、リンは騒動の現場である屋上を目指した。
リンが建物に入って数分が経過した頃、多くの警察官たちが見守るなか、屋上の端に立っていた人影が動いた。地上を見下ろしていた人物の背後で、非常口の扉が勢いよく開かれたからだ。
驚き振り返った自殺志願者の前に姿を見せたのは、同じ年頃の少女であった。
「忙しいトコ、ちょっとごめんね」
傘を片手に屋上に現れたリンは、相手が戸惑っている間にズカズカと近づいていき、3mほど手前で足を止めた。
「通りすがりの異民局のモノです。ちょっと話聞かせてもらっていい?」
リンの掲げた手帳を見て、ようやく我に返った幼い自殺志願者は、屋上のへりへ後ずさった。
「こ、来ないで! 近づいたら飛び降りるから!」
「もう止まってるし」
リンは手帳をポケットにしまうと、児童の警戒心を和らげるため左右の手を広げて見せた。
「ちょっとでいいからお話しない?」
「帰って! 話すことなんてないから!」
リンは児童の関心を自分に向けさせながら、相手をつぶさに観察する。
児童が着ている上下そろいのグレーのスウェットと大量生産のスニーカーは、社会生活困難と認定された帰還民に異民局が配布しているものだ。
武器になりそうなものは持っていないが、それ以上に危険な能力を身につけているかもしれない。
だがもっともリンの興味を引いたのは、相手の類まれな容貌だ。
大陸の血筋を思わせるチョコレート色の肌、おかっぱボブに包まれた顔は驚くほど小さく、それとは対象的に大きくつぶらな瞳、優美な曲線を描く眉、綺麗な三角形の鼻梁。
頭の天辺から足のつま先まで完璧に整っていて、まるで少女漫画の世界から飛び出してきたかのような「美少女」であった。
「そんなこと言わないでさ~、3分でいいから」
「放っといて! 帰らないなら飛び降りるから!」
「じゃせめて名前だけ教えて? じゃないと上司に叱られちゃう。あ、私は異民局の
「いらない! 帰って!」
「だからぁ、名前と住所と連絡先と症状と理由と事情だけ教えてよ。そしたら帰るから」
「増えてるじゃん!? もう帰ってよ!!」
懇願する声はほとんど悲鳴に近い。児童は少しでもリンから遠ざかろうと、強い雨風にさらされながら、震える足で屋上の端ぎりぎりに立っている。
「あのさあ、何か勘違いしてるかもだけど、私、別に貴方の自殺を止めに来たわけじゃないからね」
「ウソだ! だったら出てって! 今すぐ!」
「自殺はどうでもいいんだけど、そこから飛び降りるのはやめてほしいワケ。後片付けが面倒くさいから。それとも、貴方、死んだあとで自分の死体を掃除できる?」
「……!」
「できないよね? じゃあ他の人がやるしかない。死体の片付けが好きな人なんてなかなかいないよ? イヤなことを人に押し付けていいの?」
「……で、でも、だって、そんなコト、言われたって……」
よほど真面目な性格なのか、幼い自殺志願者は、リンの場違いな指摘にうろたえた。
あるいは単に予想外の論理展開に混乱してるだけかもしれないが、いずれにせよ、リンは相手の中に精神的なもろさを見て取った。
おそらく、見た目と実年齢が一致しているか、幼い見た目同様、内面もそれほど成熟してはいないのだろう。
「方法にこだわらないなら手伝ってあげるけど?」
「? どうやって?」
「一番カンタンなのはこれかな」
リンは傘を持たない右腕を軽く横薙ぎに振るった。瞬間、降り注ぐ雨のカーテンが横一文字に引き裂かれ、数百の水飛沫が宙を駆けた。
「首を切り落としてあげる」
「!?」
リンの手には、いつの間にか日本刀のようなものが握られていた。異世界で数多の敵を屠った霊刀「紅雪」である。
達人芸に一瞬魅入られた幼い自殺志願者は、雨水を滴らせながら鈍く光る刃に底しれない恐怖を覚え、小さな体を震わせる。
「飛び降りって痛いよ? この高さから地面にぶつかるんだから当然だけど。たまに死に損ねることもあって、そうなったらマジで悲惨だからね。私なら、痛みを感じる前に確実に殺してあげるけど、どう?」
「ど、どうって……、だって……」
「それとも意識無くなったあとに死ぬパターンがいい? ぜんぜん怖くないし、死体もキレイなまま残るから、個人的にはそっちがオススメだけど」
「……痛くない、の……?」
不安と恐怖に曇っていた自殺志願者の瞳に、希望の明かりがともったのを、リンは見逃さなかった。
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