その2

 本土の一部で梅雨明け宣言が出始めた6月後半のある日、24区は台風未満の大雨に見舞われていた。

雨雲に覆われた町は朝から薄闇に染まり、大粒の雨が降り注ぐなか、道行く人々は、ときおり吹き荒れる横合いからの風に傘を振り回され、なかには転んだはずみで全身ずぶ濡れになる者もいた。

 本土での会議を終えた慧春えはるがオフィスに戻ってくると、コーヒーメーカーの前にいたリンが振り返った。

「あ、おつかれさまです。コーヒー、飲みます?」

「ありがとう。お願いできる?」

 慧春が席について会議で使用したファイルを整理している間に、リンは慣れた手つきでコーヒーを用意し机まで持ってきた。

「はいどうぞ。これヒロさんからの差し入れです」

 机の上で香ばしい湯気を立てているカップの横に、薄青色のマカロンの乗った小皿が添えられていた。

マカロンの表面はヨーグルトでコーティングされていて、これからの季節にぴったりな涼やかな印象を受ける。

「きれいなデコレーションね。今年の新作かな?」

「みたいです。まだ試作段階なんで感想聞かせてほしいって言ってました」

「責任重大ね」

 慧春はリンの入れてくれたカップに口をつけたあと、マカロンに手を伸ばした。

一口しただけで、爽やか甘酢っぱさと、白いクリームの柔らかい甘みが、口いっぱいに広がる。クールな見た目通り、暑い季節にぴったりだ。

「コーヒーとヨーグルトって合うのね。この苦味と酸味のハーモニーはちょっと意外」

「コーヒーヨーグルトってあるみたいですよ」

 直後、会話を邪魔するように窓がガタガタと揺れ、ガラスに無数の水滴が叩きつけられた。

「朝よりだいぶ荒れてるみたいね」

 窓の外で吹き荒れる横殴りの雨に目を向けながら、慧春が小さなため息をもらす。

「また本土の連中に何か言われたんですか?」

 慧春はわずかに目を瞠ると、恥ずかしそうにリンのほうを振り返った。

「んん……、気づかれちゃったか。私もまだまだね。それともリンちゃんが鋭すぎるのかな」

「私がツバキさんの変化を見逃すハズないです。って言いたいトコですけど、たまたまですよ」

 リンは作業の手を止めると、椅子をくるっと回転させ、体ごと慧春の方に向き直る。

「今度は何を言ってきたんです?」

「地下に本格的な農園を作ってみたらどうかって」

「農園?」

「そう。『手つかずの土地を放置しておくのはもったいない、上手く活用して食料自給率を向上させれば、24区の発展につながる』って。有効活用するなら、牧場でも養殖場でも何でもいいみたい」

「いつもいつも勝手いいますね。今でさえ野良仕事に文句言ってる連中ばかりなのに、これ以上、規模をデカくできるわけない」

「人手については本土から送ってくれるそうよ。無期懲役の囚人を移送するという名目で」

 今度はリンが目を瞠る番であった。本土側の「提案」は的はずれなことが多いが、今回の話はその最たるものといっていいだろう。

「なんですかそれ。地下は刑務所じゃないでしょ。それこそジンケン無視じゃないですか。私たちのために何でそこまで」

「たぶん本音としては、本土向けの大規模農園プランテーションを作りたいんじゃないかな。24区の自給自足は建前。大きな天候の乱れがなく、時間の流れも早いなら、農業にうってつけだからね」

「それにしたって……」

 リンは首を傾げた。地下の存在は区外には極秘で、知っているのは政府の中でもごく一部のはずだ。

「あー、ハラですか? 言ってんの」

「当たり」

 投げやりなリンの口調が慧春の微苦笑を誘う。本来はたしなめなければいけない立場だが、ほかに誰が聞いてるわけでもない。

 はら佚山いつざん

 異世界帰還民との融和共生を唱える「世界の壁をなくす党」、通称「世界党」の総裁で、今年で68歳になる。

 本土で立場の弱い帰還民にとって有力な後援者のひとりだが、裏面では、異世界の技術や知識の独占を目論んでいるふしがあり、24区内での支持率は3割程度にとどまる。

 なかには、リンのようにあからさまに毛嫌いしている者も少なくない。

「ったく。次から次にくだらないコトばっか。いっぺん締め上げてやろうかな」

「まあまあ。私たちのことを考えてくれてのことだから。彼なりに、ね?」

「建前にしか思えないんですよね、アイツの場合」

 コーヒーよりはるかに苦味のこもった声でリンが毒づく。

「いろいろお世話になってるし、向こうの都合も聞いてあげないとね。大丈夫。みんなには迷惑かけないようにする」

「それはいいんです。ツバキさんが決めたコトなら文句ないです。迷惑とかありえませんから。アイツらのせいでツバキさんが苦労するのがムカつくだけです」

 そういって、本土のある方角をにらむリンの顔は、「世話してやってるのはこっちだし」と言わんばかりだ。

「ふふ、わかった。ありがとう」

 ファイルの整理を終えた慧春は別の案件についてたずねた。

「ススキ君のようすはどう?」

「とくには。何か言ってました?」

「ううん、まだ何も」

 外周列車での一件は、その日のうちにリンから報告を受けていた。

落ちこんだルカから相談があるかと思いようすをみていたが、今日までそういう素振りは見られない。

「私から聞いてみたほうがいいかな?」

「大丈夫じゃないですか? 異民局ウチのバイトは気に入ってるみたいだし」

「何か言ってた?」

「じゃないですけど、見てるとそんな感じなんですよ。ウチに関わってると、周りから特別扱いしてもらえるでしょ? 一目置かれるっていうか。そういうの好きでしょ、あの手の子は」

 手厳しいが的を射た指摘でもあった。ルカが自覚していなかった「ヒーローごっこ」の一因がここにある。

「フウマも『辞める選択肢はまだないだろ』って。一昨日、仕事帰りに飲みに連れていったって、さっき言ってました。ヘコんではいるみたいですけど」

「そう。じゃあ、もうしばらく様子見かな」

「でいいと思います」

 2人の話し合いが一段落したちょうどそのとき、オフィスのドアが開いて、ルカが入ってきた。

「おはようございます!」

 とっくに昼を過ぎているが、その日最初に登庁したときの挨拶は「おはよう」で統一するのが、異民局のルールになっていた。

 バイトを始めたばかりの頃は違和感を抱いていたルカも、今ではすっかりなじんでいる。

「おはよう、ススキ君」

「おはよ。これ昨日の事件の報告書。日誌といっしょに読んで。20分後に出るからね」

「わかりました」

 席についたルカは、渡されたファイルを開き、中に挟まれた書類にざっと目を通す。

「これ例のひったくりですか? 新聞で読みました」

「ちゃんと新聞読んでるんだ。エライエライ」

「習慣つけろって言ったのセンパイじゃないですか。これ、帰還犯なんですか?」

「半々ってところかな」

 慣れたようすで確認作業と打ち合わせを進めた2人は、きっちり20分後、慧春に見送られオフィスを出ていった。

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