その7

「え、知ってたんですか!? いつから?」

「逆になんでバレてないと思った? あんだけ目撃者いて」

「いやぁ、みんなバスのほうに気を取られてたんで、ササっと消えれば気づかれないかなって。けっこう見てる人いたんですね」

 どこか誇らしげに語るルカは、自分に向けられた視線の冷たさに気づかない。

「で? なんで放置したの?」

「ちゃんと止まったのは確認しましたよ。ほかにやれることはないでしょ? 運転手を捕まえるなんてムリですし」

 最後の一言は本音ではない。

(やろうと思えばできたかもだけど、そこまでしてやる義務はないからなぁ。一般市民としては十分すぎるほど働いたよ)

 ルカなりの謙遜だったのだが、リンの反応は冷たかった。

「その必要はなかったね。運転手はケガしてて動けなかったから」

「ケガ?」

 不吉なワードがルカの自尊心を揺らがせる。

(衝突のはずみで、どこかぶつけたか? どうせ大したことないだろうけどな。だいたい自業自得だっての。天罰みたいなもんだ)

 ややバツの悪いを思いをしたが、このときはまだ気楽に構えていた。しかしそれもリンが真実を告げるまでのことだった。

「犯人の持ってた包丁で首を切って、頭やら胸やらをハンドルにぶつけた。被害者だったのにふんだりけったりだよ」

「被害者? 犯人って?」

「あの暴走事件は、軽度マイルドの帰還民がバスジャックしたのが原因。犯人は運転手に包丁を突きつけて異民局に向かわせた。目的は建物にぶつけるため。よくある話」

「ぶつける? なんのために? そんなによくあるんですか?」

「あるよ。逆恨みされやすいからね、この仕事は」

 それは本当に逆恨みなんだろうか、とルカは思った。今日のリンの行動だけ見ても、あちこちでまっとうな恨みつらみを買っていそうな気がする。

「警察の連絡受けて、私がバスに乗りこんだわけ。さっさと捕まえても良かったんだけど、話を聞いてるうちに犯人も落ち着いてきてね」

 事件後の取り調べで、犯人は「家族に会えないストレスがたまっての衝動的な犯行」と自供しており、彼を診断した医者も「自殺願望の傾向は見られない」と結論づけている。

「そんなわけで上手く収まりそうだったところで、バイト君が余計なことしてくれたわけ」

「余計?」

 それまでおとなしく聞き入っていたルカだったが、最後の一言だけは聞きとがめた。

 素人なりに危険を冒して人助けをしたのに、プロ目線で文句を言われたらたまったものではない。

「こっちは轢き殺されるところだったんですよ? 中で何が起きてるかなんてわかるわけないし、そんなヨユーあるわけないじゃないですか。とっさのことなんだから。それとも、そのまま見送ればよかったんですか!? あのまま行かせて、何かあっても気にするなって?」

 ルカは語気を強めたが、リンはまったく意に介さない。

「バスは速度を落としてたし、みんな道を開けてたじゃん。フラフラ歩いてたのはバイト君くらいだよ」

 リンは窓枠に頬杖をつきながら、空いたほうの手をふり、開きかけたルカの口をふさぐ。

「バスを止めたことはいいんだよ。そこは責めてない。せっかくスゴイ力を持ってるんだから、いいカッコしたかったんだよね。しょうがないよ」

「……!」

 当てこするような口調が不快ではあったが、図星を突かれたルカは言葉に詰まった。

「問題なのはバスを放置したこと。ケガ人は運転手だけじゃない。立っていた犯人は転倒して床に頭を打ったし、乗客たちも前の座席に身体をぶつけた。ぜんぶバイト君が余計なことしたせいなのに、その責任をとらずに逃げた」

「べ、べつに逃げたわけじゃ……。そもそも犯人がバスを襲わなきゃ……」

「壁を作ったんだから、事故の責任の一端はバイト君にもあるんだよ。どういう意図があったにせよ、行動には責任が伴う。大勢の人間にケガをさせて、そのまま立ち去るなんて無責任だと思わない?」

「……ケガ人出たなんて、知らなかったし」

「知ろうとしなかったからね。それが問題だって話。わかる? 『正しいことしたんだから感謝されてとーぜん』なんて思ってるんなら、ヒーロー気取りのショーコだよ。松形まつかたの泣き落としに引っかかったのも、支部さっきの話も根っこは同じ。無責任なんだよ」

「……」

「それとも、『ケガ人が出ようが自分には関係ない』とか思ってた?」

「は?」

 思いもかけなかった指摘にルカは目をしばたたかせた。何かの冗談かと思ったが、そうでないことはリンの表情が物語っている。

「戻ってくる前、結構ハードな世界にいたんだよね? そのせいで倫理観がマヒしてない?」

「んなわけないでしょ。あったらCライ取れてませんよ」

 百歩譲って、バスの件で自分にも非があることは認めてもいい。だが、それを理由にグループカウンセリングの結果まで疑われるのは心外であった。

「ライセンスは関係ないよ。私もあったし。向こうのクセが抜けるまで苦労したよ。『常識』や『普通』が噛み合わなくてさ。けど、ズレてトーゼンなんだよ。異世界じゃなくても、住む場所が変われば生き方や考え方も変わるコトあるでしょ。それと同じ」

 社会的集団における規範や儀礼は、その成立過程で自然環境の影響を無視することはできない。その土地ごとの気候や生産力などに応じて、組織の維持に必要な規律や身分制度が生まれるからだ。

 転居や旅行などで、それまで知らなかった文化や景色にふれることで新しい価値観に芽生えたり、物の見方が変わるというのは珍しいことではない。

「向こうに長くいればいるほどズレは大きくなる。100年も経ったらそうカンタンには治らない。だから、最初の審査では明らかにヤバいやつを弾くだけ。深いところまで見てたらキリがないからね。もしズレを感じることがあるなら、ヘンにごまかさないコト。改善への第一歩だよ」

「……ありませんよ、そんなの」

「そ。じゃ、ヒーローごっこから卒業するだけだね」

 リンの問いかけに、ルカは即答できなかった。思い当たることがあったからだ。

 車の往来がまばらな道路で赤信号に待たされていたり、朝のバスに乗り遅れたとき、つい魔法が自由に使えた頃と比べて窮屈に感じることがある。

 だがそれはズレではない、とルカは思う。前の世界との違いを理解しているからこそ、まどろっこしさを感じながらも自重できているのだ。

(俺がズレてるって? そんなわけない、俺はフツーだ。そんなこと言われたことないぞ)

 ルカはここへ来て最初に出来た親友の顔を思い浮かべた。まだ出会ってからそんなに経っていないが、おたがい気の置けない仲であり、何でも気軽に話すことができた。

(もしおかしなトコがあるなら、シュンスケが言うはずだ。アイツは向こうの記憶がないんだからな。ふだんからどっかズレてたらすぐに気づく)

 転校したての頃、シュンスケは、ルカがクラスに早くなじめるよう気を回してくれた。

 休み時間のたびに、手近な生徒を捕まえては、ルカの前で本人から異世界での経験談や、向こうで身についたクセなどをネタにして雑談を繰り広げてくれたのを思い出す。

おかげでクラスメイトの顔と名前を覚えるのに苦労しなかった。

(そうだよ、アイツは、そういうのすぐイジるからな。エンリョするようなヤツじゃない)

 親友の存在をこれほど心強く感じたのは、24区に来て初めてかもしれない。ルカ自身がどう思っているかではない、他人の客観的な判断なんだから説得力がある。少なくともルカにはそう思えた。

 不意にリンは席から立ち上がると、大きく伸びをしながら通路まで出た。

「行くよ、バイト君。なにしてんの?」

 ルカが考えこんでいる間に、外周列車はホームに到着していた。さっさとホームに降り立つリンの後を追って、ルカも駆け足で車両から飛び出した。

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