第23話 田舎に山を買った話

 農家の朝は早い。

 ようやく日が昇ったばかりだというのに、近所のおばさんが家の前の道を歩いている。収穫したばかりの野菜を籠いっぱいに入れて。


「これから山に行くとね。おはようさん」

「あっ、おはようございます」

「困ったことは、なかね?」

「はい。大丈夫です」

「そりゃあ、よかね。よかよか」


 おばさんに軽く会釈してから、俺も自分の山へと急いだ。


 ◇◆◇


 仕事を辞めて、思い切って田舎に山をひとつ買うことにした。

 いつの頃からだっただろう。農家になりたいという考えが心の中にひっそりと生まれた。それは長い長い時間をかけて徐々に育ち、やがて実った。近年急に景気が悪くなって顧客が減ったことも、逆に俺の夢を後押しする。

 家族も応援してくれた。


 新しい住処は、妻の実家の近くに探した。近いと言っても車で一時間くらいかかる田舎だけどね。近所の人たちはみんな親切にしてくれる。

 俺にとってはこれまで全く縁のなかった土地だけど、引っ越してきて本当に良かったと思う。

 山の一角を耕して作った小さい畑では、作物が順調に育っている。

 俺はよく実った『穴』を収穫し始めた。


 俺が育てている作物は穴だ。

 都会の人は、穴が木にるなんて知らないかもしれない。

 今時は魚だって切り身で売られている物しか買わないとかいうし、何なら骨まで抜いた切り身が良いとかいう。子供らに至っては切り身がそのまま海で泳いでいると勘違いする子もいるそうだ。


 野菜だってそう。カットされて売っているものも増えてきた。そうじゃなくても、キャベツがどんな風に畑で実っているか知らない人は多いだろう。

 お店で見慣れたあのブロッコリーやカリフラワーは一本につきたったひとつしか出来ないのだとか。アスパラガスは木に生っているのではなくあの姿で地中からニョキニョキ出てくるのだとか。

 実際に見なければ分からないことは多い。

 昔は家々の庭先で作っていた野菜や果物、川や海で取っていた魚や貝も今では姿を変えて食べやすくなった状態で売られている。


 穴だってそうだ。

 木に生った新鮮な穴を見たことがある人は、こんな田舎ですら、もうずいぶんと少なくなった。

 偶然手に入れた穴の木をこの地に植えたのだが、順調に育ってくれて本当にうれしい。

 手塩にかけて植物を育てる。これこそが俺の新しい仕事だ。


 今はまだ小さな穴しか収穫できないが、ホームセンターなどには売れるはずだ。もう少し木が太って大きな穴が育つようになれば、住宅メーカーと契約してもいいかもしれない。

 そういえば住宅メーカーと取引のある親戚がいたはずだ。一度相談してみよう。

 機械で作られた穴よりも天然の穴が良いという人は必ずいると思う。

 俺は籠いっぱいに収穫された穴を抱えて、村へと下りた。


「ほう。よーけ、できんしゃったね」

「はい。春になって、木もずいぶん大きくなりましたから」

「そげんまじめな話しかたば、いつまでもしなしゃんな」

「そげんですね」

「あはは。ようできんしゃった。これば持って行き」


 近所のおばさんが、手に持っていたレンコンを一本くれた。

 

「採りたてやけん料理しにくかっちゃけど」

「ありがとうございます。あ、お返しに俺の作った穴をどうぞ」

「こりゃあ便利かねー。食べらるーんやろうか」

「食べられますけど、よく火を通してくださいね。じゃないとお腹に、えーっと、穴が開くったい」

「あはは。そりゃ気を付けないかんばい」


 おばさんに貰ったレンコンを片手に、家に帰った。

 今日はレンコンの天ぷらを妻に作ってもらおう。

 料理上手の妻にはいつも感謝しかない。

 採りたてのレンコンに、俺の山で採ったばかりの穴を開ける。

 今夜の晩御飯もきっと美味いだろう。


【了】

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