閑話 穴の神の転職

 神様とて、時代の流れに逆らうのは難しいのかもしれない。

 私が穴の神として祀られるようになったのは、数えればもう二千年も前のことだ。神様の中ではまだまだ若輩者だけれど。

 私が生まれたのは山の中腹にある小さな風穴だった。小さくて人が通ることはできない穴だが、夏になれば冷たい風を外界に吹き出す。いつしか風穴の前は旅人が足を休める場所となった。

 誰かが穴の横に建てた祠は穴と同じようにとても小さい。だが道を通る人は必ずと言っていいほど穴の前で足を止めて汗をぬぐう。人々に愛された穴だった。


 道行く人々の感謝を受けて育った私は、神の一柱として風穴の前で人々の安寧を願うことにした。ささやかな力ではあったが、私の願いはキラキラと天に昇る。

 そんな毎日を過ごし、ようやく二千年になろうかというこの頃。しかし最近はすっかり事情が変わってしまった。

 この百年の間に風穴の前の道路がきれいに舗装されて、ほとんど車しか通らなくなってしまったのだ。

 小さな祠があるだけの風穴に、わざわざ御参りに来る人などいない。


 感謝を捧げる人がいなければ、安寧を願うことすらできない。私の神としての力はすっかり小さくなってしまった。

 そんな時、一枚の 紙が風穴に舞い込んできた。


 ――――スタッフ大募集――――

 私たちと一緒にお仕事しませんか?

 あなたが来るのを待っています!

 ―――――――――――――――


 目から鱗とは、このことだ。

 人が来ないなら人が居るところへ行けばいい。

 必要とされているところへ。


 私は風穴から遠くは離れられないものだと思っていた。

 だがこのとき、何かが変わったのだと思う。

 私はそれまで風穴に縛られた穴の神だった。けれど目から鱗が落ちた瞬間に、何物にも縛られない者となっていた。

 それは自由だけれど、よりどころのない不安な状態でもあって心細い。


 そんな私のことを、友神である福の神さまが心配して訪ねてきてくださった。


「穴の神さま、お久しぶりですなあ。相変わらず美しい」

「これはこれは、福の神さま。私は今ではこのように、もう穴の神とは言えぬ風来坊になってしまいました」

「そのようですな。なに。よくあることです。これからどうしようとお考えかな?」

「人に交じって何かしら感謝されることをしたいと考えております」

「穴の神さまは昔から真面目ですからなあ」


 福の神さまはそのお仕事柄、かなり自由にあちらこちらを旅している。

 市井の事情にも詳しく、私のためにいろいろと相談に乗ってくださった。

 希望を聞かれ、私は人と接する仕事がいいと答えた。すると接客業のなかから、福の神さまがいま見守っているコンビニというお店に紹介していただけることになった。

 神様も人に交じって生活することはある。力の大半を失ったが、私もまだそれくらいはできる。二千年の経験値は伊達でない。


 こうして私は穴の神からコンビニの店員へと転職した。


 仕事は大変だが、福の神さまのおかげもあってか、よく周りの人々に助けられる。

 私が誰かの助けになりたいと願うように、人もまた誰かを助けて生きているのだなあ。


 仕事が終わると一緒に働いていた高校生の絵夢ちゃんが私の肩を叩いた。

「お疲れさま。アナちゃんが来てからなぜかバイトが前より楽しくなったよ。クッキーを焼いたからあげる」

 可愛い袋を手渡してくれる。

 穴の神の仕事をしていた時も、そういえばこうして通りすがりの人がいろいろとお供えしてくれたっけ。

 昔を思い出して、私はこっそり絵夢ちゃんの安寧を願った。

 願いがキラキラと天に上る。


 目を上げると、福の神さまが立っていた。


「せっかく神様の仕事を辞めたというのに人の安寧を願うなんて、穴の神さまは真面目だなあ」

「福の神さま、ここを紹介してくださって、ありがとうございます」

「穴の神さまがとてもお元気そうでよかった」

「ええ、このように元気でおりまする」

「穴の神さまによき福が訪れますように」

「ありがとうございます。福の神さまにも穴の恵みがありますように」


 願いはキラキラと天に上り、その場に清涼な風が吹く。


「穴の神さまとお話しすると、まるであの風穴の前に立ったようだ」

「休みの日には私も帰っておりますから、ぜひ風穴のほうへもおいでなさいませ」

「それは楽しみですなあ」


 福の神さまからも、キラキラと輝く幸せが広がった。


【了】

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深淵を覗くとき◆3分で読む不思議な穴の物語◆ 安佐ゆう @you345

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