第25話 落とし穴

 ヨーナスは狩人だ。

 村の男たちは大抵狩人だが、それぞれに狩りのしかたは違う。多くは弓矢を使い、幾人かは剣を使う。ヨーナスは落とし穴で獲物を捕る狩人だった。


 村の男たちはヨーナスを狩人とは思っていない節もあったが、父親から受け継いだ落とし穴の技術は決して弓矢での狩りに見劣りするものではない。

 落とし穴を掘るのは森のかなり奥で、まず村人は来ない。獲物が通りやすく、穴が見つかりにくく、そして村人にも見つからない場所。そういう所を見つけるのは父親譲りの知恵でありヨーナスの才能でもあった。

 十八の時に正式に一人前として認められ、今は父とは別の場所で一人で狩りをしている。


 直接獲物を追う村人たちと違ってヨーナスは一度掘った落とし穴をしばらくの間使い続ける。いくつもある穴の中に獲物がいるかどうかを見回るのが毎日の仕事だ。背中にはいつも蔓で編んだ籠を背負い、穴を見回る途中では木の実や薬草なども採取する。

 ウサギのような小さな動物はほぼ毎日かかっている。それは足をロープで縛って籠に入れた。時には籠に入らないような大きな獲物もかかる。そんな時は一日置いて、翌日に引き車を持って行き、村まで運んだ。

 ヨーナスの落とし穴は獲物のかかりやすさもさることながら、一度かかった獲物が抜け出しにくいのだ。凶暴な獲物は数日置いて弱ったところをロープで縛って引き車に乗せて帰る。

 そんなに大きな獲物は稀だったが、それでもヨーナスは食うには困らないほど稼いでいた。


 この日もヨーナスはいつものように一人、森の奥の狩場を回っていた。

 籠の中にはすでに木の実や珍しいキノコ、それに薬草がたくさん入っている。落とし穴にウサギ一匹すら見つからなかったが、さほど落ち込むこともない。

 残りの落とし穴はあと二つ。

 ――そろそろ新しい落とし穴を作らなければならないかもな。

 思案しながら歩いていると、穴のある場所に何か銀色に光るものが突き刺さっていた。慌てて近寄るとそれは見事な鹿の角だと分かった。枝分かれした角の先が穴の上に出ているのだ。真っ白な角は木漏れ日を浴びて銀色に輝いて見えた。久しぶりの大きな獲物だ。

 喜び穴をのぞき込むが、ヨーナスの目に映ったのは鹿ではなかった。

 穴からヨーナスを見上げたのは、白銀に輝く角の生えた美しい人。


「な、なんだお前」


 慌てて声をかけたヨーナスだったが、穴の中の人は何も返事をしない。


「今助けるから」


 そう言って手を伸ばしかけたヨーナスだが、ふと思う。

 まるで絵本の中から出ていたような美しい人だが、頭には立派に枝分かれした鹿の角がある。これは明らかに人ではないものだ。

 であれば、穴の中のモノはヨーナスの獲物であり、助けて逃がす謂れはない。

 この美しい人を逃がすことが惜しくなっていた。


「腹は減っていないか?」

「キー、キュイー」


 その声は高く、まるで鹿の鳴き声だ。


「鹿ならばこの実を食うだろう」


 ヨーナスは背中の籠を下ろし、中から一つかみの木の実を穴の中の人に差し出す。人は手を伸ばしてヨーナスの手から木の実を取り、食べた。


「うまいか」

「キー」

「お前、喋れたらいいのにな」

「オ、オマ……」

「真似できるのか?」

「マ、ネ」

「ヨーナス」

「ヨ、ナー」

「ヨーナス」

「ヨナースー」

「木の実」

「コノミ」

「食う」

「クー」

「ほら、食え」

「ホラクー」


 穴の中の人は賢く、すぐにヨーナスが教える言葉の意味を理解したようだ。発音はキーキーと高く聞き取りにくかったが、この様子ならすぐに話せるようになるだろう。

 そうなったら家に連れて帰って飼えばいい。自分に慣れるまでは穴の中にそのまま置いておこう。ヨーナスはそう考えた。


「出たいか。今はまだ出せん。明日また木の実を持って来る」

「デタイカー」

「また来る」


 穴を離れたヨーナスを追いかけるように、穴の中からキーキーと鳴く声がした。


 それから数日、ヨーナスは毎日大急ぎで他の落とし穴を見て回り、一日の大半を鹿の角を持った人のいる落とし穴のそばで過ごした。まるでヨーナスこそがその人に取り憑かれたようにも見えた。

 徐々に言葉を覚えた人は、いつも穴から出たそうにしていたが、ヨーナスはなかなか頷かなかった。けれど穴の中で飢えることがないようにと食べられそうなものを持ってきては入れ、裸のその人が寒くないようにと毛布を投げ入れた。


 その人が落とし穴にかかってから十日頃、食べ物を持って近付いた時に異変に気付く。

 穴の上に角が見えない。ヨーナスは慌てて駆け寄って中を覗いた。落とし穴の中にはその人がいた。けれどその頭に角はなく、まるで普通の人のように見えた。


「どうしたんだ! 角が取れたのか」

「トレタ」

「どうして」

「ドウ」

「説明は無理か……」

「コレ」


 中の人が足元に落ちていた角を一本、ヨーナスに差し出した。

 まるで内側から光を発しているような美しい白銀の角だ。これ一本でも相当な高値になるだろう。ヨーナスはそれを背中の籠に入れた。

 穴の中の人はもう完全に人にしか見えない。この見た目であれば、村に連れ帰ることも容易だ。


「あと一日待っていろ。そうしたらここから出して村に連れて行ってやる」

「マツ」


 家に帰ったヨーナスは、穴の中の人が住めるよう物置を整えた。

 翌朝早くに引き車を持ってまっすぐに穴の人のところへ行った。


「出たいだろう」

「デタイー」

「出してやろう」

「デタイー」


 ヨーナスは手を差し伸べて、穴からその人を引き上げた。

 穴の外に出たその人は、角と同じ白銀の髪をなびかせて立ちあがる。何日も穴の中にいたが足は弱っていない。体に毛布を巻き付け、その背はヨーナスよりも高い。ヨーナスが感心して見上げると、その人はたくましい腕を振り上げた。

 そしてその腕は一瞬もためらうことなくヨーナスへと振り下ろされた。

 ヨーナスの腹に白銀の鹿の角が刺さる。


「う、うわあああああ」

「ヨナースー」


 その人はもう一度腕を振り上げて、その場に倒れたヨーナスを見下ろした。

 這って逃げようとするヨーナスだが、傷は深く思うように動けない。

 腕は振り下ろされ、手に持った角がまさにヨーナスの胸を貫こうとする寸前、ピタリと止まった。

 一瞬の静寂。

 そしてその人は高く一声鳴き、手に持った角と体に巻き付けた毛布を投げ捨てて、どこかへ消えた。


 ◇◆◇


 腹に大けがを負ったヨーナスはどうにか這って村まで帰り、かろうじて一命をとりとめた。そのまましばらくは休んだが、いずれまた狩人の仕事に戻るだろう。

 ヨーナスは落とし穴で獲物を狩ることしか知らなかったし、それが天職だから。



 その人がヨナースにとどめを刺さなかった理由は知らない。

 餌をもらった恩を多少なりとも感じたのか。それともただの気まぐれか。

 何にせよ刺されたということは、ヨーナスのやり方は間違いだったのだ。


 けれどヨーナスは自分がどこで間違ったのか、いくら考えても分からない。

 だからもう一度その人が落とし穴にかかったら、やはり同じように捕まえて飼い慣らそうとするのだ。


【了】

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