第9話 穴屋の清兵衛

 清兵衛がこの町で『穴屋』ののれんを上げたのは、雪も解けて日差しに温かさを感じるようになった頃のことだ。

 江戸では珍しくもないのかもしれないが、遠く離れた片田舎の人々は穴屋など今まで聞いたこともない。最初は店に入る人もなく、物珍しげに遠巻きにされていた。けれど店先に立つ清兵衛の人のよさそうな笑顔に釣られて、梅の咲くころには徐々に客も入り始めた。


「清兵衛さんや、この穴ってのはどうやって使うんだね」

「へい。簡単でさあ。このまま家に持って帰ってペタリと貼り付けたらあら不思議。そこにちょうど一寸の穴ができるってぇ寸法だ」

「ほほう。面白いものもあるもんだなあ」

「ちょっと穴が欲しいなって時にはピッタリだが一個だけ気を付けといてほしいことがある。悪いことには使えねえんでさあ。覗きなんぞに使ったら、おお怖いっ。お空の穴からお天道様がお見通しってね」

「そりゃあおっかないね。でも安いから一枚買っていくよ。かかあも面白がるだろう」

「へい、まいどあり」


 穴屋の店内は狭いが、明るくて清潔感がある。商品はと言えば、丸い穴の描かれた同じような紙が何枚も並べられている。穴の大きさはちょうど一寸。これを持って帰って好きなところに貼り付けると穴ができるのだ。

 どういった手品か見当もつかないが、庶民にも苦にならない値段であり、おもちゃのようなものだ。

 穴は一度貼ってしばらく経つと消えてしまう。それもまた面白いと評判になった。


「清兵衛さん、清兵衛さん。こないだ買った穴だがね。かかあが風呂に入るのを覗こうとして使ったら、中から湯をかけられて着物が水浸しになっちまったよ」

「そりゃあ、さぞかし水も滴るいい男でござんしょう」

「ははは。参ったね。しかしまた一枚、穴を買っていこう」

「へい、まいどあり」


 こんな具合で、桜が咲くころにはもうすっかり、穴屋というものは町の人たちに馴染んでいた。

 そんなある日のこと。

 一人の女が穴屋に駆け込んだ。


「清兵衛さん、清兵衛さん、どうか助けておくれでないか」

「どうしました、おみつさん」

「うちの子が……」


 息を切らして駆け込んだ女は、つっかえながらようよう事情を説明する。

 それによると、三歳になる子供が狭い隙間から土蔵の中に入ってしまった。子供は入ったものの、中が暗くて怖かったのか泣いてしまい自分で出ることができない。鍵は夫の父親が保管しているが、今は遠方に出ていて置いている場所が分からない。


「清兵衛さんの穴を何枚か使って隙間を大きくすれば、あの子もきっと出れると思うんだよ。ありったけの穴を売ってはくれないか」

「それは大変な。どれ。そういう事ならあっしが出向きましょう」


 清兵衛はそういうと、奥から巻物を持ってきた。

 そして女の案内で土蔵まで走り、隙間の隣に巻物を広げて貼り付けた。

 巻物には一尺ほどの大きな穴が描かれている。巻物は貼り付けられたとたんに穴に変わった。最初からあった隙間と合わせれば、子供が抜け出すには十分な大きさだ。

 外から母に呼ばれて、穴の向こう側から子供が泣きながら出てきた。それを見届けてから清兵衛が穴の上をさっと撫でる。不思議なことに穴はすぐに消えてしまった。

 女は子どもと抱き合って泣き、清兵衛に何度も礼を言った。


 それから時折、店では大きい穴は売らないのかと聞かれることがあった。けれど清兵衛はいつものように人好きのする笑顔でさらっと受け流していた。

 清兵衛が子供を助けてから十日ほど経っただろうか。もう日も暮れる頃合いに、下町ではあまり見ることのない立派な着物の武士が穴屋ののれんをくぐった。


「そのほうが穴屋清兵衛と申す者か」

「へい、お武家様。あっしが清兵衛でやす」

「さるお方が大きな穴を所望しておる。そのほう、人が通れるような穴を作れるであろう」

「穴屋で扱っておりますのはこの一寸の穴のみでごぜえます」

「嘘を申すな。調べはついておる。さあ、大きな穴が作れる巻物を」


 どうしても引かぬ様子の武士を見て、清兵衛はうなずいた。


「巻物の扱いは難しいんでさあ。あっしがその場所まで参りましょう」

「なるほど。それが良いかもしれぬな。そこで見たことは他言無用だと心得よ」

「へい。ですがお武家様、穴は悪いことに使えば天罰が下りましょう。それはお忘れなく」


 清兵衛の助言は聞こえぬふりで、武士は支度を急がせて清兵衛を館へと連れて行った。

 武士の目的は政敵の闇討ちであった。ことの終わったのちに穴屋清兵衛を殺してしまえば証拠も残らない。そんな武士の思惑など気付きもしないような気楽な顔で、清兵衛は大きな巻物をいくつか持って歩いて行った。

 日が落ちて真っ暗な道を進み、たどり着いた大きなお屋敷の塀を武士が指した。


「ここに穴を。早よう作れ」

「へい」


 清兵衛がさっと壁に巻物を広げると、人が通れるほどの大きさの穴が開いた。武士はその穴に一歩踏み込んで、清兵衛を振り返って言った。


「中に入ったらすぐ向こうに屋敷の壁がある。私の後に続き、そこにも同じように穴を」


 武士が話している最中に清兵衛は手でさっと大きな穴を撫でた。穴は閉じて、武士は塀の中に半身を埋め込まれてしまった。


「な、なにを」

「へい。大きな穴は扱いが難しいんでして。こうしてすぐに閉じてしまいやす。仕方がありやせん。ここのお屋敷の人を呼んで助けてもらいやしょう」

「そ、そ、それはならぬ」

「そうでやすか。じゃああっしはこれで」


 武士が何か叫ぶが、清兵衛はもう何も聞こえぬふりでその場を去った。


 それっきり、この町で穴屋の清兵衛を見ることはなかった。

 かつてこの町にあったという穴屋の話は、これでおしまい。




 しかし残された武士には、もう少し続く話がある。

 塀に埋め込まれた武士は、ことの顛末を厳しく調べられたが、穴屋のいない今となっては武士の企みを立証するのも難しい。

 運よくそのまま放免となった。

 胸を撫でおろして屋敷に帰った武士の目に飛び込んできたのは、庭の蔵に開いた大穴。

 蔵の中は空で、そこにあった何もかもが消えてしまっていたそうな。


【了】

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