全日本選手権編
第129話 反響
千葉に帰った選手たちを迎えたのは、学校に掲げられた半旗だった。
そして、まだ彼らが高校生ということもあり、ネットや新聞で取り沙汰されるほど本人たちへの直接の取材などは加熱せず、学校への優勝報告や、総合優勝した船津や、神崎理事長への幾つかの取材が終わると、彼らの生活は平静を取り戻した。
「もうちょっとね、チヤホヤされても良いんじゃないかと思うのよ」
放課後に情報システム科の教室で、春奈は頬杖をつきながら、ぽつりと呟いた。
冬希は、大会出場中に溜まっていた課題を片付けるべく、カタカタと学校支給のノートPCで作業を行なっている。
大会終了後、話題になったのは、冬希も同じだった。それは、冬希が神崎高校に入学し、自転車競技部に入った経緯が、推薦入試だったからだ。ほとんどの人は、神崎高校にスポーツ推薦ができたことを知らなかった。そして、自転車経験のほとんどない冬希だけが合格し、その冬希が全国高校自転車競技会で、一年生にして異例のステージ4勝を挙げた点について、特に大きく取り上げられた。
しかし、実際のところ神崎自身が言った「推薦入試については、学力試験の結果」「彼がこれほど活躍するとは、入学時には夢にも思わなかった」というのは、謙虚さからくる発言ではなく、ただの事実だということは、自転車競技部のメンバー、春奈、そして冬希の家族にとっては、ごく当たり前の話だった。
「ところで春奈さん、こんなところで何やってるんですか?」
冬希は、キーボードを叩く手を止め、春奈に問いかけた。
「いや、だって暇だから」
家に帰っても、勉強以外に特にやることもなく、さりとて生徒会長からの下心見え見えの誘いに応じるつもりもなく、放課後居残りの友人を待つというのも青春の一コマだろうと、春奈は情報システム科で課題に追われている冬希の横で油を売っていた。
今や、冬希は一年生の中では、新入生代表を務めた春奈を超える有名人であり、冬希といると生徒会長も流石に寄って来ないので、春奈にとってはとても居心地が良かった。
「それに、どうせしばらく部活出れないんでしょ?」
「まあ、そうだけど。今度の日曜日に自転車屋さんに持って行くつもりだから、それまではね」
冬希は、最終ステージにチェーンが切れたことで落車し、フレームに亀裂が入った状態になってしまっていた。船津や潤から、買い換えるしかないのではないかと言われたが、買い換えるだけのお金もなく、修理できるならしたいと、持ち込むことにしている。
「じゃあ、帰りに何か食べて帰ろうか」
「何が食べたい?」
「梅ヶ枝餅」
「ちょっと待ってて」
冬希は、スマートフォンを取り出し、ぽちぽちと画面をタップする。するとすぐに返信が返ってきた。
「買ってやるから福岡まで取りに来いってさ」
冬希はスマートフォンの画面を春奈に見せる。そこには立花とのやりとりが書かれていた。
「相変わらず仲がいいんだね。っていうか返事はやっ。彼女なの?」
「やめてくれ・・・」
冬希は、再びノートPCに向かい、キーボードをカタカタと叩き始めた。春奈が待ってくれているので、さっさと片づけようと思った。
土曜日は本来休みであったが、特別に冬希のために補修を行なってくれて、次の日の日曜日に冬希はようやく自転車を修理に持って行くことができた。
「専門の業者に持っていけば、修理できないこともないが、これでレースに出るのはもうやめておいた方がいい」
自転車屋の店主の言葉は、冬希も覚悟していた内容だった。
「そうですか」
「TVで見ていたが、今回の落車だけが原因とは言い切れない。これを引き渡す前の交通事故の時に、どこか傷んでいた可能性もある」
店主の声は淡々としていたが、その言葉には有無を言わせぬものがあった。
「わかりました」
冬希が途方に暮れていると、店主は奥の方から、冬希が乗っていたBianchiと同じ色のフレームを持ってきた。
「ビアンキ オルトレ XR4。そのフレームの上位クラスのフレームだ」
「え?」
「これを使うといい」
「え、でもお金がないですよ」
「要らない、乗らなくなったら返してくれればいい。乗るのであれば、ずっと乗ればいい」
「でも、それは申し訳ないです」
「君が活躍することで、うちの店にもいい事があった」
店主は、冬希の壊れた自転車のフロントフォークの部分を指さす。そこには「寺崎輪業」と書いたステッカーが貼られていた。
「もしかして・・・」
「問い合わせが殺到した。店内にあった自転車のほとんどが売れた」
言われてみると、ごちゃごちゃしていた店内はかなりスッキリしている。閉店するのかというレベルだ。
どうやら、冬希が勝つたびこのステッカーがTVに映り、ネット上で話題になっていたようだ。
「うちでは捌き切れない分は、仲間のショップにも手伝ってもらっている。それでなくても君たちの活躍で、千葉のスポーツ自転車の需要は増えている」
店主は、優しい目で冬希を見つめた。
「でも、上位クラスって高いんじゃないですか?」
「・・・最近はディスクブレーキ用のフレームしか売れない」
店主は、急に悲しそうな表情になった。冬希に持ってきたフレームは、今のXR3と同じく、キャリパーブレーキのタイプだった。
「どうする?うちで付け替えてもいいが」
「えっと、自分でやってみます。ちなみにコンポーネントはそのまま使えるんですか?」
「ブレーキだけ変える必要がある。これはダイレクトマウントと呼ばれるタイプだ」
冬希が覗き込むと、フロントフォークや、シートステーに2つずつ穴が空いている。XR3は、中央に穴が1つだけだった。
「じゃあ、それだけでも買います」
冬希はブレーキの代金だけを払った。
「どうやって持って帰ろうかな」
「家まで運んでやる。その前に、コンポーネントだけ外させてくれ」
店主は、テキパキとOltreXR3からdiのアルテグラや、ハンドル、サドルなどを外してくれた。
「この壊れたフレームはどうするんですか?」
「前の持ち主が所望している。君の自転車のフレームが、もともと自分のだと知って、喜んでいた」
「なんか、壊してしまって申し訳ないです」
冬希は、段ボールに格納された新品フレームと、別の段ボールに入れられた、XR3から外された各部品を積んだ軽トラックで、送ってもらうことになった。
「お店の方はいいんですか?」
「いい、どうせ売る自転車ももうない」
「すごい影響だったんですね」
「あのステッカーは、うちで買った自転車にしか貼らないからな」
冬希の自宅前に着くと、店主は荷物を下ろし、軽トラに乗ると片手を上げて去っていった。
「さて、また組み立てるか」
冬希には、なんとなく自転車に乗っていた人が自転車屋を開業する気持ちがわかった。
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