第94話 全国高校自転車競技会 第8ステージ (屋久島一周)①

 第8ステージの朝は、雲ひとつない空が広がっていた。

 しかし、多くの選手が、屋久島の気候上それはなんの意味もないことだと思っていた。

 雨はどこかで降っている。問題は、どちらから宮之浦岳に向かって、湿った風が吹いているかだ。今、この時も、島のどこかで降り続ける雨を思うと、選手たちは、落ち着かない気持ちだった。


「今日は、走りながら休んでくれ」

 静岡の総合系エース、尾崎からそう声をかけられた丹羽は、小さく頷いた。

 丹羽は、2年の時から尾崎のアシストとして走ってきた。

 尾崎は、1年の時に、当時の3年生エースと共に国体に出場した。アシストでありながら、調子が上がらない3年生エースを挑発するように曳いて行く姿は、同じ1年だった丹羽の憧れだった。

 上級生達にとっては、尾崎のそういった挑発的な行動は、自分の方が上だと主張している行為であり、酷く反感を買ったが、学校や監督は、尾崎の実力を認め、2年生から尾崎をチームのエースとするチームを作るようになった。

 尾崎を除けば、丹羽は当時の1年では1番能力の高い選手であり、尚且つ、上からの指示に従順なタイプであったため、丹羽を自分のアシストとしてもらえるよう、尾崎は学校や監督に頭を下げた。

 そしてエースアシストに任命された丹羽は、献身的に尾崎のアシストをし、その勝利に貢献してきた。

 国体では、ロードの3日目で、丹羽は尾崎を連れて集団から抜け出し、そのままゴールへと牽引した。尾崎は、日頃の丹羽の献身への感謝として、丹羽を先にゴールさせ、総合優勝も丹羽に譲った。

 静岡県としては、どちらが優勝してもワンツーフィニッシュは変わらないため、監督も、地元静岡の新聞も、2人を称賛した。

 それまでは、尾崎の影に隠れていた丹羽も、国体総合優勝の実績を手に入れ、誰からも一目置かれる存在となった。家族や、親戚も丹羽の勝利を讃え、静岡県の誇りだと喜んでくれた。丹羽にとって、これほど嬉しいことはなかった。

 丹羽は、尾崎に感謝し、一層尾崎のアシストとして献身的に走り続けた。

 尾崎の出場しないレースでは、学校のエースとして出場し、勝利も重ねた。静岡にとって丹羽は、尾崎と並ぶ、決して欠かせない選手となっていた。

 しかし、その丹羽が、調子を崩していた。体調も崩しており、昨夜は38度を超える熱を出していた。

 昨日の第7ステージで、尾崎を山岳まで牽引するため、レインウェアを着用せずに、山岳まで走り続けたのが原因と思われた。

 朝起きると、37度台まで熱は下がっていたが、出場直前にまた38度まで上がり、解熱剤を服用しての出走となった。

 熱は、一時的に下がったものの、体調の悪さは変わることがなかった。


 冬希は、自分のチームの待機エリアから、ボトルゲージにボトルを入れ、スタート地点へと移動する途中に、明らかに様子がおかしい、静岡の丹羽を見つけた。

「丹羽さん、大丈夫ですか?」

「ああ、青山か」

 2人が言葉を交わすのはこれが初めてだが、周囲にはそれが信じられないほど自然に話しているように見えた。

 お互いに名の知れた選手で、総合争いでは意識せざるを得ない相手だ。そして丹羽は、前日に自分がいないところで尾崎を助けてもらったことで冬希に対して好意的な気持ちを持っていたし、冬希はアシストとして全力で自分の責務を全うする丹羽に、どこか尊敬の念を抱いていた。

「昨日は、尾崎が世話になったな・・・」

「あ、いえ、そんなことより・・・」

 冬希は改めて丹羽をみる。自転車に跨りながら、両腕をハンドルに乗せ、自転車に突っ伏しているような姿勢になっている。

 何より、4賞ジャージの1つを着ている冬希は、集合に遅れても後から、集団の先頭に誘導されるが、丹羽はそうはいかない。最後尾付近からスタートするしかなくないのだ。

「大丈夫ですか?かなり辛そうですが」

「ああ、今日は、集団の後ろでゆっくり走ってくるよ」

 今日は平坦ステージで、総合系エースも今日はお休み、丹羽も今日はゆっくり走れるはずだ。

「そうですか。無理なさらないように」

 冬希は、自転車に跨り、スタートラインへ向かう。

「青山」

 呼び止められ、冬希は振り返る。

「好調の時ほど、気をつけろ。好事魔多し、というからな」

 冬希は、今回初めて話す丹羽からの突然の忠告に少し驚いたが、

「ありがとうございます」

 と一言礼を言って、隊列の前へと進んでいった。

 丹羽は、なぜ自分がそんなことを言ったのか、自分でもよくわからなかった。ただ、冬希に対して、どこか話しやすさを感じていた。


 これが、今大会、丹羽と冬希が話した、最初で最後の会話になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る