第82話 あゆみと立花①

 練習からホテルに帰り、植原と解散した冬希は、自室に戻ったが

「海に行ってきたなら、自転車を洗っておかないと錆びるぞ」

 という先輩方のありがたいお言葉により、駐車場まで戻ってきた。

 ありがたいことに、駐車場の一角に、自転車のメンテナンスエリアがあり、高圧洗浄機まで用意されていた。

 じゃぶじゃぶと洗い、乾拭きまでして自転車を格納してホテルに戻ろうとすると、見たことのある少女がホテルの入り口で肩を落としているのを見かけた。

 ホテルの入り口には、「私立神崎高等学校様」「私立慶安大学附属高等学校様」など、宿泊中の学校名が記載されているが、どうやらお目当ての学校がなかったようだ。

 冬希は、その少女に近づき、声をかけた。

「確か、立花の・・・」

「え、はい・・・」

 サラサラの髪が揺れる。幼い雰囲気を残してはいるが、まるで人形のように可愛らしい少女だ。

 立花の幼馴染の堀あゆみだった。

 あゆみは、冬希の胸の神崎高校の文字を見て、慌てて頭を下げた。

「あ、あの、青山選手ですよね!先日は道之くんがお世話になりました!おかげさまでチームの皆さんと仲直りできたようです。本当にありがとうございました」

 新聞でもネット上でも、冬希が立花にボトルを持って行かせた件は、確定情報として出回っているようだ。

「いえいえ、そんなことより、立花を探しているなら、ここのホテルじゃないよ」

「そうみたいですね。前に聞いてた宿泊先と変わったみたいで、メッセージを入れても返事もなく・・・」

 あゆみはしょんぼり肩を落としている。

 立花は、第6ステージ以降、父親が予約したホテルをすべてキャンセルし、チームと一緒に行動するようになった。そのため、あゆみは立花の宿泊先がわからなくなったのだろう。

「とりあえず、どのホテルに泊まっているか、確認してみるので、一旦こちらへ」

 冬希は、あゆみをホテルに招き入れ、ロビーのソファーに座らせた。

 スマートフォンで植原に事情を説明し、ロビーに降りて来るようにメッセージを送る。

 冬希は、植原が降りてくるまで、正面に座ったあゆみを見つめる。小動物のように落ち着かない様子だ。植原を呼んだのも、見たことある顔がいた方が気が楽だろうと思ったからだ。

 しばらくすると、東京代表慶安大附属の1年生エース、植原博昭と、そのマネージャーの沢村雛姫がやってきた。植原が、気を利かせて連れてきたようだ。

「植原、福岡産業の宿泊先はわかったか?」

「ああ」

 植原が各校の宿泊先が記載された資料を冬希に見せている間に、雛姫があゆみをフォローしている。

 植原は、あゆみの方に向き直る。

「えっと、立花君の・・・」

「はい、幼馴染の堀あゆみと申します」

「私は、沢村雛姫。こっちが植原くんで、こちらが」

「あ、存じ上げております。植原選手に青山選手」

「堀さん、立花は電話しても出ないし、メッセージ送っても返事が来なかったんだよね?」

 植原は、ホテルに行っても、会えるかどうかわからないという点を気にしているようだ。

「はい、でもいいんです。きっとチームの人たちと一緒にいるから、返事をする時間がないんだと思います」

「ホテル自体は、ここから歩いて10分ぐらいのところにあるんだけど・・・」

「呼び出すか」

 冬希はニヤリと笑った。何かいたずらをする時の顔だと、冬希の姉だったらわかっただろう。

「え、そんな。道之くんは忙しいかもしれないので、呼び出すなんて・・・」

「いや、きっと立花も、堀さんに無駄足を踏ませることは望んでいないよ」

 冬希は、自分のスマートフォンを取り出し、宿泊先が書かれている資料の電話番号を見て、電話をかけた。


 福岡産業は、ホテルの2階に備わっている研修用の会議室に全員揃っていた。

 そのため、立花たちの部屋に、フロントから内線がかかってきていたことを、彼らは知らなかった。

「明日の戦略はそんなところだろう」

 舞川が会議を締めくくった。

「明後日は、平坦ステージだ。立花が青山と勝負したいなら、俺たちもサポートする」

 近田がはっきりと言い切った。

「せっかくですが、今は近田さんの総合成績に注力すべきだと思います。それに・・・」

 立花は、少し俯いた。

「それに、今の俺では、青山と勝負するには、まだ力不足だと思います」

「俺の見立てでは、お前の実力は決して青山には劣っていないと思うんだけどな」

「はい、自転車競技に関しては、負けない自信はあります。ただ、勝負どころでの冷静さと、知性に裏打ちされた勝負強さは、自分には理解できない次元にあると思います」

 第3ステージで立花は、冬希の真後ろでスプリントを行った。その時の冬希の動きや、仕掛けるタイミングなど、具に観察していたのだ。

「そうか。まあ、明日のステージが終わってから決めても遅くはない。また、その時に話し合おう」

 これで打ち合わせは終わりだと、近田たちはペットボトルを開け、ほぼ同時に水を口に含んだ。

 その時、館内放送が流れた。

『お呼び出しを致します。福岡産業高校の立花道之様、福岡産業高校の立花道之様、いらっしゃいましたら、1階フロントまでお越しください・・・』

 なんだろうと、メンバーが一斉にスピーカーの方を見る。

『神崎高校の青山冬希様より、外線が入っております』

 福岡のメンバーは、立花を含め、全員が一斉に口から水を吹き出した。

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