第81話 屋久島道中記
鹿児島のホテルを早朝に出発し、高速船を降りた時、冬希の想定とは違い、屋久島はきれいに晴れていた。
冬希たちは、一旦ホテルにチェックインし、各自着替えてトレーニングに出かけることになっている。
今日は、休息日ではあるものの、1日ゆっくり休養を取るというものではないらしいということを、冬希は昨晩初めて知った。
一日自転車に乗らない日を作ってしまうと、一気に調子を落としてしまったり、翌日に体が上手く動かなかったりすることもあるということで、本気のトレーニングをする必要はないので、自転車には必ず乗るように、千葉にいる神崎理事長からお達しがあった。
神崎理事長は、入院中の親族の体調が思わしくないということで、結局レースに直接くることはできないだろうということだった。だが、定期的に指示を船津や潤に出している。
ホテルの駐車場には、簡易テントとその中に、宿泊する各チームの自転車が置かれており、自分の自転車で自由に出かけることができた。
冬希は、昼食を済ませると、早速自転車で練習に出かけようと、神崎高校のサイクルジャージに着替えて、ホテルのロビーに降りていった。
「普通のジャージ着てる姿って、なんか新鮮だね」
後ろから声がしたので振り向くと、東京代表である慶安大附属高校の女子マネージャー、沢村雛姫がいた。
「青山くん、こんにちは」
「ああ、沢村さん。慶安大附属もこのホテルだったんだ」
「そうだね。今大会初めて一緒のホテルだね」
宿泊するホテルは、大会運営側で押さえられており、どの学校がどのホテルに泊まるかは、運営側から指定されている。
「青山、こんにちは。これから走りに出るのかい」
植原も降りてきた。新人賞の白ジャージではなく、慶安大附属のジャージを着ている。
「なんか、新人賞ジャージじゃない植原は新鮮だなぁ」
「それはお互い様だろう」
植原は苦笑している。第2ステージ以降、冬希は第4ステージのスタート時まで総合リーダーだったのでイエロージャージを着用していたし、総合1位を失った後も、スプリントポイント1位のグリーンジャージをずっと着用していた。
植原に至っては、第2ステージから、新人賞を獲得した冬希が総合リーダーのイエロージャージを着るために、新人2位の植原が繰り上がりで新人賞ジャージを着用し、第5ステージ以降は、1位になったため、実に第2ステージ以降は、ずっと新人賞ジャージを着用していたことになる。
「せっかくだから一緒に走らないか?」
植原の提案に、冬希は少し考える。
「いいけど、俺はそんなに長く走らないよ」
「僕もそのつもりだから問題ないよ」
「じゃあ行くか」
連れ立って出て行こうとする2人の背中に、雛姫が
「何かあったら連絡くださいね」
と声をかけ、2人は手を挙げてホテルから出て行った。
全国高校自転車競技会で、1年生にして既に3勝を挙げている冬希と、同じく1年生ながらに総合3位をキープしている植原は、先頭交代をしつつ、屋久島の外周を廻っていく。
「思ったより天気がいいな」
「ああ、でも多分島の北側は雨が降ってると思う」
「そうなのかい?」
「船津さんの受け売りなんだけど・・・」
屋久島には、宮之浦岳という、九州最高峰の山がある。
海からの湿った空気がその山にぶつかることで雨が降るのだが、宮之浦岳は屋久島のほぼ真ん中にあり、その日の風向きにより、宮之浦岳に湿った空気がぶつかる角度が違い、それに伴い、雲ができる場所も変わっている。
「つまり、今いる南側が晴れているからといって、島全体が晴れているとは限らない。逆に、南側が晴れているということは、今日は北側から風が吹いていて、北側は雨が降っている可能性が高いとも言える」
「そうか、じゃあ明日はともかく、明後日の屋久島一周のステージは、どこかで必ず雨に遭いそうだね」
「そうなんだよなぁ・・・」
冬希は、心底嫌そうな顔をする。
「とりあえず、今日は北側に行かないようにしよう」
「そうだね。戻ってから手入れが大変だし」
2人は、一定ペースで先頭交代をしながら、30kmぐらいを軽く流して、引き返してきた。
「青山、あれってなんだと思う?」
「海中温泉・・・海中に温泉があるのかな」
平内海中温泉という看板があり、2人は好奇心を掻き立てられた。
「青山、これは行かざるを得ないだろう」
「植原、お前もそう思うか」
雛姫と春奈が見ていたら、男の子って本当に馬鹿だよね、と言われそうだが、植原も冬希と同様にどこか子供っぽいところがあるのか、目を輝かせながら、看板の指し示す方向へ向かっていった。
海中温泉は、水中ではなかったが、海の岩場の中にあり、丁度いい具合に、潮が引いてその姿を表していた。
「すごいな・・・」
「ああ・・・」
入り口らしきところに、料金箱があり、そこを下っていくと、岩場の温泉にたどり着けるようだ。
視線を上げると、そこには水平線が広がっていて、東京湾に慣れてしまっていた2人は、圧倒されてしまった。
「これは入らずにはいられないな」
いつも優等生然としている植原のテンションが、ちょっとおかしい気がしたが、入ってみたいという気持ちには完全に同意だった。
「いいけど、タオル持ってきてないよ」
「雛姫に持ってきてもらおう」
植原は、スマートフォンで手早くメッセージを打ち込むと、ジャージのポケットに収納する。
「じゃあ行こうか。青山」
「なんでそんなにやる気満々なの?」
2人は入浴協力金を料金箱に入れ、サイクルジャージを脱ぎ、土足厳禁エリアの前で靴を脱ぎ、温泉に入った。
「はぁ、極楽だな・・・」
「まさか、こんなところで温泉に入れるとは」
「溜まった疲れが取れるなぁ」
一度入ってしまった以上、タオルが届くまでは着替えられないので、しばらく2人でレースのこと、個々のライバル選手の特徴、そして福岡に合流した立花の話題など、様々な話をした。
「立花は、あの可愛い幼馴染とは仲直りできたのかな」
「そこは、立花が謝って、それから仲良く話していたのを見たって雛姫が言ってたよ」
「おお、それはよかった。って、噂をすれば」
雛姫が、2人分のタオルを持って、降りてきた。しっかり靴と靴下も脱いできている。
「すまなかったね。雛姫」
「沢村さん、ご苦労様」
2人は、湯船から出て出迎えた。
「きゃーーーーーーー!!!!2人とも、前を隠してください!!!」
その夜、雛姫から惨状を聞いた春奈に、冬希はコッテリとお説教をされた。
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